曹操桜【曹操孟徳の伝記 彼はなぜ天下を統一できなかったのか】

みらいつりびと

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司馬懿仲達

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 天下に十三の州がある。
 207年末には、曹操はそのうちの八つを手に入れていた。
 中原、河北と呼ばれる人口が多く、経済が豊かな地帯を押さえ、天下統一に王手をかけた状況。 
 日本の戦国時代で言えば、織田信長が本州の中央部をすべて支配した状態に近い。
 この頃、劉備は荊州南陽郡新野県にいて、無名の若者の家を三度訪れ、関羽と張飛の眉をひそませていた。

 208年、曹操は大改革に着手した。
 三公制度を廃止し、官の最高位を丞相とし、自らその地位に就いた。その上には皇帝しかいない。
 次官は御史大夫である。副丞相とも言われる。

 御史大夫に任じられたのは郗慮。
 彼は荀彧に推薦されて、曹操に仕えるようになった。
 201年、荀彧、鍾繇とともに皇帝の側近になった人物であるから、相当な大物のはずだが、記録が少ない。軍事面での功績がないからであろう。
 ちなみに鍾繇は、荀彧に勝るとも劣らぬ重要人物。長年に渡って司隸校尉を務め、曹操の司隸代官とでも言うべき仕事をし、潜在的な反乱地域である涼州に睨みを利かせつづけた。曹操が涼州を気にせず、袁氏と戦えたのは、鍾繇の功績である。

 曹操は丞相府を開いた。
 主な官職五つの人事について記す。諸葛亮のライバルとして有名な司馬懿が任用されているので、書いておく価値がある。

 西曹掾に崔琰。袁紹の配下にいた人で、この採用は、郭嘉の遺言にも沿っている。
 曹操が冀州牧になったとき、戸籍を調べて喜んだ。
「この州は大きい。三十万の徴兵ができそうだ」
 崔琰はそれを諫めた。 
「民衆は戦乱に苦しみ、疲弊し切っています。その慰撫が最優先の仕事で、いまは軍事の話などするべきではありません」
 曹操はこの発言を聞いて反省し、崔琰の重用を決めた。
 
 東曹掾は毛玠。前職は司空東曹掾で、有能な人事責任者だった。清廉潔白な人物しか登用しない。
 曹操が、毛玠を使いつづけたのは、汚職を憎み、能力至上主義者だった証拠のひとつに挙げられる。

 主簿は司馬懿の兄、司馬朗。
 父の司馬防が尚書右丞だったときに、曹操を洛陽北部尉に起用したという縁がある。
 司馬朗はきびしく育てられ、董卓にも臆せず直言できる男に成長した。曹操に見い出され、司空掾属になった。
 いくつかの県令を歴任し、どこでも善政を施し、民衆から慕われた。元城県令を務めた後、主簿に抜擢された。

 文学掾が司馬懿である。博覧強記、才気煥発。秀才揃いの八人兄弟の中で、もっとも評判が高かった。
 201年に司馬朗とともに曹操に招聘されたことがあるが、病気を理由に出仕しなかった。
 その後、七年間も自宅でニートとして暮らした。
 曹操は司馬懿の能力を活かしたくてたまらない。
 だが、何度招いても、のらりくらりと断って、出てこない。
 ついに丞相は怒鳴った。
「捕らえてでも連れてこい!」
 曹操を激怒させてしまってから、司馬懿はようやく就職した。
 政府の書記。重役である。
 大抜擢だが、さしてうれしそうでもない。
 不思議な人である。

 司馬懿仲達は179年、司隷河内郡温県生まれ。
 司馬家は代々尚書令などの高官を輩出した名門である。
 司馬懿は子どもの頃から聡明で、強い意志を持っていたが、感情を隠すのがうまかった。心の中で激しい怒りを抱いても、表面は穏やかにふるまうことができた。達人揃いの司馬一族の中でも、相当にすぐれた人物と見られていた。
 しかし、働かない。

 司馬防は厳格なのに、次男の司馬懿には甘かったのだろうか。
 崔琰が司馬朗に、「君の才は弟の司馬懿に及ばない」と言ったことがあるが、朗は笑顔で同意したという。
 司馬懿がその才能を天下のために活用せず、長く無為に過ごしていたのはなぜか。
 単なるさぼりであれば、父が許さなかったであろう。

 司馬懿は曹操が嫌いだったのではないか。強烈な尊皇の志士であったのかもしれない。
 献帝を傀儡として利用する曹操を毛嫌いしていた。彼の覇業を助ける気にはなれず、仕官から逃げ回った。
 
 狼顧の相を持っていたと言われる。首を百八十度後ろに回転させる奇怪な肉体。狼顧とは、狼が用心深く背後を振り返る姿のことである。
 曹操は実際にこの相を見て、「この男は遠大な志を持っている」と感じたらしい。その志とは、漢の帝室を守ることだったのかもしれない。
 曹氏に帝位が簒奪された後は、それを取り戻そうと決意した。そのためには司馬氏が力を持つ必要があった。
 司馬懿がそういう意志の持ち主だったとすれば、彼の行動に首尾一貫性を見ることができる。

 諸葛亮孔明を主人公に据えれば、司馬懿仲達は悪役となるしかないが、上記のように見方を変えれば、真の英雄ではないか。
 曹操死後の時代の主人公。

 丞相府の人事に話を戻す。
 法曹議令史は盧毓。183年に幽州涿郡で生まれた若者である。崔琰に推挙された。
 冀州主簿を務めていたとき、逃亡兵とその家族の極刑を巡って、詩経や書経などの古典を引用し、死刑は重すぎると主張したことがある。曹操は盧毓の言説に注目していた。

 三国志を読むと、武官の活躍が目立つが、曹操の人事には厚みがあり、文官にもすぐれた人物が数多くいる。超人的な眼力を持っていたと言うしかない。
 丞相府は、この時代の政治、行政を大いに活性化させた。 
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