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白馬の戦い
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200年、袁紹は四州を有していたが、曹操もまた四州を制している。
袁紹の版図は、冀州、青州、幽州、幷州。
自らは冀州牧となり、長男の袁譚を青州刺史、次男の袁煕を幽州刺史、甥の高幹を幷州刺史として治めている。
なお、お気に入りの末子袁尚は身近に住まわせている。
曹操の勢力圏は、司隸、豫州、兗州、徐州。
曹操は兗州牧。
彼の本拠地は豫州の許都だが、その牧は劉備。むろんこれは名ばかりのものである。
徐州は長らく係争地であったが、劉備を追い払い、曹操の版図となっている。
司隸校尉は曹操の部下、鍾繇。
司隸では、曹操が派遣した裴茂が197年に郭汜を撃破し、198年に李傕を討伐している。
裴茂は記録が少ない謎の武将。
こう見ると、曹操と袁紹の勢力は拮抗しているが、その動員力には大きな差がついている。
両雄が激突した天下分け目の戦い、官渡の戦いでの曹操の兵力は五万で、袁紹は三十万。
曹操は、指揮しやすい兵力の上限は五万という考えを持っていた。
持説に従い、精鋭五万で戦うことにしたのであろう。しかし、袁紹と戦うには、あまりにも少なすぎる。
司隸や徐州は支配したばかりで、徴兵できなかったという事情があったのかもしれない。
袁紹は華北を支配してからの期間が長い。五十万を動員したという説もある。
曹操一万対袁紹十万であったという説まであるが、これは物語の類であろう。曹操が寡兵をもって、袁紹の大軍を破ったことを誇張したものと思われる。
いずれにしろ、袁紹の兵力が相当に大きかったことはまちがいない。
指揮官を見てみよう。
総大将曹操のもと、軍師荀攸がいて、武将としては曹洪、曹仁、于禁、李典、楽進、徐晃、張遼、史渙ら錚々たる顔ぶれが並んでいる。関羽は張遼の隊にいる。
袁紹側には都督の沮授、郭図、淳于瓊が揃い、武将としては顔良、文醜、張郃、高覧、許攸らがいる。田豊がいないのが寂しいが、宿敵公孫瓚軍を撃ち破った綺羅星のごとき将軍たちである。客将の劉備も戦力として数え得る。
官渡は司隸河南尹の西部にある。そこから官渡水、濮水を渡って北へ進むと、黄河南岸の兗州東郡白馬に至る。
黄河を越えると、冀州魏郡である。
このあたりは、三州の境界が入り組んでいる。不穏な地帯。
曹操軍は官渡城に集結した。
曹操と荀攸は作戦を打ち合わせた。
「鄴を突く構えを見せましょう。白馬に進出します」
「決戦の地はそこか」
「敵は大軍。一挙に殲滅するのはむずかしいです。白馬で敵兵を削り、敵を漸減しながら官渡に退いて、粘り強く戦いましょう」
「袁紹は短期決戦を欲しているらしい。こちらは長期戦をめざすか」
曹操軍は白馬に進み、布陣した。
袁紹軍は鄴城から出陣し、南下して黄河北岸の魏郡黎陽まで進んだ。対岸に白馬がある。
黄河を挟んで、両軍は対峙した。
「黎陽に曹操軍を引き込んで包囲するのが上策です。じっくりと戦いましょう」と沮授は提案した。
「一気に白馬を攻撃することこそ最善の作戦です」と郭図は沮授の言葉にかぶせるようにして言った。沮授に反対するのが、習性のようになっている。
袁紹も戦いに前のめりになっていて、消極策を呈示する沮授がうとましい。郭図の案を採用した。
郭図、淳于瓊、顔良が袁紹軍の先鋒として、渡河の準備をした。先鋒だけで十万の兵力があり、曹操軍を圧倒できる。
顔良隊三万が最初に白馬の地に上陸した。
「後方を攪乱して渡河を遅らせ、半渡に乗じる」というのが荀攸の作戦である。
于禁と楽進の隊が白馬から数キロメートル上流の延津から北岸に渡った。彼らは郭図、淳于瓊隊に向かって突進した。
曹操は顔良隊に総攻撃をかけた。先鋒は張遼である。
関羽が青龍偃月刀を持ち、馬に乗っている。心に期すものがある。曹操に借りを返す。
張遼は機動力にすぐれた軽騎兵を率いている。渡河したばかりで、布陣が終わっていない顔良隊に襲いかかった。
関羽はできるだけ派手な戦闘を避け、敵中深くもぐり込んだ。
周囲が敵ばかりになってからは、「劉備の義弟、関羽である。顔良殿にお会いしたい」と言いながら進んだ。
劉備はいま、袁紹の客将。
嘘は言っていないが、詐欺のようである。顔良隊の兵士たちは、使者か降伏かと思って、関羽を見送り、将軍の居場所を教えさえした。
ついに、本陣にたどり着いた。
顔良はすでに、関羽が降伏してきたという報告を聞いている。完全に誤報である。
ふたりは対面した。
「関羽殿、劉備殿は遥か後方だ」
「貴公に用がある」
青龍偃月刀がぶうんと唸り、顔良の頭部を吹き飛ばした。一瞬の出来事であった。
関羽は敵将の髪の毛を持ち、疾風のように去った。
指揮官を失った顔良隊は、曹操軍に蹂躙された。
関羽は張遼に首級を見せた。
「曹操殿に私が討ったと報告してもらいたい」
「ご自身で話せばよかろう」
「私は一兵卒にすぎない。会戦中の将帥に会うことなどできようか」
関羽は張遼の前に首を置いた。
曹操は関羽の快挙を、各方面から聞いた。
敵陣にひとりで悠々と入り、首を持って帰ってきた美髯の武人がいた。颯爽としていた、などと目撃した人たちが絶賛している。
「貸し借りなしとなったか……」
総大将は幾分か寂しげであった。
于禁と楽進も敵陣を焼き払う戦果を挙げ、白馬に戻ってきた。
荀攸は、初戦に勝利して、ほっと胸をなでおろした。
袁紹の版図は、冀州、青州、幽州、幷州。
自らは冀州牧となり、長男の袁譚を青州刺史、次男の袁煕を幽州刺史、甥の高幹を幷州刺史として治めている。
なお、お気に入りの末子袁尚は身近に住まわせている。
曹操の勢力圏は、司隸、豫州、兗州、徐州。
曹操は兗州牧。
彼の本拠地は豫州の許都だが、その牧は劉備。むろんこれは名ばかりのものである。
徐州は長らく係争地であったが、劉備を追い払い、曹操の版図となっている。
司隸校尉は曹操の部下、鍾繇。
司隸では、曹操が派遣した裴茂が197年に郭汜を撃破し、198年に李傕を討伐している。
裴茂は記録が少ない謎の武将。
こう見ると、曹操と袁紹の勢力は拮抗しているが、その動員力には大きな差がついている。
両雄が激突した天下分け目の戦い、官渡の戦いでの曹操の兵力は五万で、袁紹は三十万。
曹操は、指揮しやすい兵力の上限は五万という考えを持っていた。
持説に従い、精鋭五万で戦うことにしたのであろう。しかし、袁紹と戦うには、あまりにも少なすぎる。
司隸や徐州は支配したばかりで、徴兵できなかったという事情があったのかもしれない。
袁紹は華北を支配してからの期間が長い。五十万を動員したという説もある。
曹操一万対袁紹十万であったという説まであるが、これは物語の類であろう。曹操が寡兵をもって、袁紹の大軍を破ったことを誇張したものと思われる。
いずれにしろ、袁紹の兵力が相当に大きかったことはまちがいない。
指揮官を見てみよう。
総大将曹操のもと、軍師荀攸がいて、武将としては曹洪、曹仁、于禁、李典、楽進、徐晃、張遼、史渙ら錚々たる顔ぶれが並んでいる。関羽は張遼の隊にいる。
袁紹側には都督の沮授、郭図、淳于瓊が揃い、武将としては顔良、文醜、張郃、高覧、許攸らがいる。田豊がいないのが寂しいが、宿敵公孫瓚軍を撃ち破った綺羅星のごとき将軍たちである。客将の劉備も戦力として数え得る。
官渡は司隸河南尹の西部にある。そこから官渡水、濮水を渡って北へ進むと、黄河南岸の兗州東郡白馬に至る。
黄河を越えると、冀州魏郡である。
このあたりは、三州の境界が入り組んでいる。不穏な地帯。
曹操軍は官渡城に集結した。
曹操と荀攸は作戦を打ち合わせた。
「鄴を突く構えを見せましょう。白馬に進出します」
「決戦の地はそこか」
「敵は大軍。一挙に殲滅するのはむずかしいです。白馬で敵兵を削り、敵を漸減しながら官渡に退いて、粘り強く戦いましょう」
「袁紹は短期決戦を欲しているらしい。こちらは長期戦をめざすか」
曹操軍は白馬に進み、布陣した。
袁紹軍は鄴城から出陣し、南下して黄河北岸の魏郡黎陽まで進んだ。対岸に白馬がある。
黄河を挟んで、両軍は対峙した。
「黎陽に曹操軍を引き込んで包囲するのが上策です。じっくりと戦いましょう」と沮授は提案した。
「一気に白馬を攻撃することこそ最善の作戦です」と郭図は沮授の言葉にかぶせるようにして言った。沮授に反対するのが、習性のようになっている。
袁紹も戦いに前のめりになっていて、消極策を呈示する沮授がうとましい。郭図の案を採用した。
郭図、淳于瓊、顔良が袁紹軍の先鋒として、渡河の準備をした。先鋒だけで十万の兵力があり、曹操軍を圧倒できる。
顔良隊三万が最初に白馬の地に上陸した。
「後方を攪乱して渡河を遅らせ、半渡に乗じる」というのが荀攸の作戦である。
于禁と楽進の隊が白馬から数キロメートル上流の延津から北岸に渡った。彼らは郭図、淳于瓊隊に向かって突進した。
曹操は顔良隊に総攻撃をかけた。先鋒は張遼である。
関羽が青龍偃月刀を持ち、馬に乗っている。心に期すものがある。曹操に借りを返す。
張遼は機動力にすぐれた軽騎兵を率いている。渡河したばかりで、布陣が終わっていない顔良隊に襲いかかった。
関羽はできるだけ派手な戦闘を避け、敵中深くもぐり込んだ。
周囲が敵ばかりになってからは、「劉備の義弟、関羽である。顔良殿にお会いしたい」と言いながら進んだ。
劉備はいま、袁紹の客将。
嘘は言っていないが、詐欺のようである。顔良隊の兵士たちは、使者か降伏かと思って、関羽を見送り、将軍の居場所を教えさえした。
ついに、本陣にたどり着いた。
顔良はすでに、関羽が降伏してきたという報告を聞いている。完全に誤報である。
ふたりは対面した。
「関羽殿、劉備殿は遥か後方だ」
「貴公に用がある」
青龍偃月刀がぶうんと唸り、顔良の頭部を吹き飛ばした。一瞬の出来事であった。
関羽は敵将の髪の毛を持ち、疾風のように去った。
指揮官を失った顔良隊は、曹操軍に蹂躙された。
関羽は張遼に首級を見せた。
「曹操殿に私が討ったと報告してもらいたい」
「ご自身で話せばよかろう」
「私は一兵卒にすぎない。会戦中の将帥に会うことなどできようか」
関羽は張遼の前に首を置いた。
曹操は関羽の快挙を、各方面から聞いた。
敵陣にひとりで悠々と入り、首を持って帰ってきた美髯の武人がいた。颯爽としていた、などと目撃した人たちが絶賛している。
「貸し借りなしとなったか……」
総大将は幾分か寂しげであった。
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