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荀攸公達
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「再度張繡を討つ。今度は失敗しない」と曹操は宣言した。
反対したのは、荀攸である。
「張繡は劉表と同盟を結んで、助け合っているから、兵糧に困ることがありません。その上、拠点を穣県に移し、城壁を高く、堀を深くして、守りをかためています。いまは彼と戦う時期ではありません」
曹操の心は鬱々としている。張繡を放置してはいられない。
「私は行く。そなたもついてまいれ」
荀攸公達は157年生まれ、潁川郡潁陰県出身。荀彧の年長の甥である。
大将軍何進に招かれて、黄門侍郎を務めた。皇帝に近侍し、勅命を伝達する官職。
董卓時代にその専横に憤り、何顒に誘われて、暗殺計画に加わった。計画は洩れ、彼らは投獄され、死刑を宣告された。
何顒は心痛のあまり獄死したが、荀攸は泰然自若として、獄吏と会話し、食事も残さずに食べた。
死刑執行前に、王允と呂布による董卓暗殺が成就したので、荀攸は釈放された。
曹操は献帝を許に招いた後、荀攸をスカウトした。彼は曹操を前途洋々と見て、招きに応じた。
曹操は荀攸と話し、彼の優秀さをすぐに見抜いた。
「公達は素晴らしい人物だ。 彼がいれば、天下に憂いることはない」と荀彧と鍾繇に語った。
198年春、曹操は再び南陽郡へ出征した。
軍勢はまた三万。参謀荀攸、親衛隊長許褚らを随行させ、別動隊として曹洪を葉県に派遣した。
曹洪の任務は、張繡と呼応する豪族の討伐である。
曹操も抵抗勢力を屠りながら進軍した。湖陽県を守っていた劉表配下の鄧済を生け捕り、舞陰県の豪族を撃破してから、穣城を包囲した。
「一気呵成に落城させねば、我らは窮地に陥るでしょう」と荀攸は予言した。
「城壁は高く、掘は深いと言ったのは、そなたではないか。そのとおりになっている。無理攻めは禁物だ」
曹操は兵糧攻めに徹することにし、城と外部の連絡を断った。
しかし、穣城には食糧が積みあげてあり、兵の士気は落ちない。
劉表軍が曹操軍の背後に回り込み、挟撃の構えを取った。
さらに、袁紹が許都攻撃の準備をしているという報告が入ってきた。
「そなたの言ったとおり、我らは窮地に陥った。どう対応すべきだろうか」
荀攸は作戦を立てた。
ある朝、張繡は城の周りから曹操軍が消えているのに気づいた。
「彼らは撤退した。追撃する」
「これは誘いです。罠があるので、行ってはなりません」
賈詡は止めたが、張繡は聞かなかった。
張繡は穣県の東隣の安衆県へ向かった。
曹操軍が見つからないまま、張繡軍は県境を越えた。すると突然、三万の軍勢が出現した。曹操の兵は塹壕を掘り、隠れていたのである。
張繡は散々に打ち破られ、穣城へ逃げ帰った。
「再攻撃してください」と賈詡が言った。
「なぜだ。おれたちはさっき負けたばかりなのだぞ」
「すぐに動けば、今度は勝てます」
「さあ、急ぎ許へ戻るぞ。袁紹軍に備えねばならん」
曹操は先頭に立って、帰還の途についた。
荀攸は胸騒ぎがした。
「殿、いまわが軍には隙ができています。最後尾に許褚将軍を置いて、追撃に備えるべきです」
「許褚は手放せない。近くにいて、私を守ってもらわねばならん」
「では行軍を停止してください。曹洪将軍を呼び、合流してから進みましょう」
「急いでいる。袁紹が攻めてくる前に帰らねばならんのだ」
曹操は荀攸の提案を無視した。
数刻後、張繡軍に追いつかれた。
背後から急襲され、曹操軍は壊乱した。整然たる撤退は、血まみれの逃走に変わった。
曹操はなんとか許都に帰りついたが、兵は半減していた。
「そなたの意見を素直に聞いておくべきであった」と曹操は反省の弁を述べた。
「敵が張繡だけであったなら、殿は成功したでしょう。賈詡が敵陣営にいたので、負けてしまいました。劉表との同盟も、彼の献策でなされたことのようです」
「賈詡……」
曹操はその名を胸に刻んだ。
袁紹の腰は重く、結局、攻めてこなかった。
199年のことだが、袁紹は易京城に籠もる公孫瓚を攻め滅ぼした。地下道を何本も掘って、城を陥落させた。公孫瓚は妻子を刺し殺し、自害した。
袁紹は獅子身中の虫を始末し、ようやく矛先を曹操に向けた。
曹操の参謀たちは袁紹対策に忙殺された。もちろん荀攸も例外ではない。
「いまこそ曹操を攻める好機であろうか」
張繡は賈詡と相談した。
「逆です。曹操と結びつく絶好の機会です。彼は我らがいる西方に不安を持っているでしょうが、北方から袁紹が攻めてくるので、全兵力を北に向けざるを得ません。いま張繡様が降れば、曹操は怨恨を捨てて、歓迎してくれるでしょう」
「しかし袁紹が勝てばどうなる? 四州をあわせ持つ彼の方が強大だ」
「そこは賭けですね。しかし私は、天子を擁していること、参謀や武将が優秀であることから、曹操の勝率は高いと考えています。勝敗が定かでないうちが、あなた様の売り時ですぞ」
賈詡の進言ははずれたことがない。
張繡は曹操に降伏を伝える使者を送った。
曹操は悩んだ。
張繡はなんとしてでも復讐したい敵である。
荀攸に意見を訊いた。
「もう結論は出ておられるのでしょう? 袁紹との対決のため、そして天下の輿望を高めるため、張繡の降伏を受け入れ、厚く遇するべきです」
「わかっておる。理性ではわかっているのだ」
「殿……」
曹操は笑顔で張繡と会見し、揚武将軍に任じた。そればかりでなく、張繡の娘を子の曹均の嫁に迎えた。
賈詡には執金吾と参司空軍事を兼任させ、身近に置いた。執金吾とは、首都の警察長官のような官職である。
張繡の武勇と賈詡の頭脳を手に入れ、曹操陣営はますます充実した。
曹操と張繡の対決は、三年越し、ウインウインで決着した。
反対したのは、荀攸である。
「張繡は劉表と同盟を結んで、助け合っているから、兵糧に困ることがありません。その上、拠点を穣県に移し、城壁を高く、堀を深くして、守りをかためています。いまは彼と戦う時期ではありません」
曹操の心は鬱々としている。張繡を放置してはいられない。
「私は行く。そなたもついてまいれ」
荀攸公達は157年生まれ、潁川郡潁陰県出身。荀彧の年長の甥である。
大将軍何進に招かれて、黄門侍郎を務めた。皇帝に近侍し、勅命を伝達する官職。
董卓時代にその専横に憤り、何顒に誘われて、暗殺計画に加わった。計画は洩れ、彼らは投獄され、死刑を宣告された。
何顒は心痛のあまり獄死したが、荀攸は泰然自若として、獄吏と会話し、食事も残さずに食べた。
死刑執行前に、王允と呂布による董卓暗殺が成就したので、荀攸は釈放された。
曹操は献帝を許に招いた後、荀攸をスカウトした。彼は曹操を前途洋々と見て、招きに応じた。
曹操は荀攸と話し、彼の優秀さをすぐに見抜いた。
「公達は素晴らしい人物だ。 彼がいれば、天下に憂いることはない」と荀彧と鍾繇に語った。
198年春、曹操は再び南陽郡へ出征した。
軍勢はまた三万。参謀荀攸、親衛隊長許褚らを随行させ、別動隊として曹洪を葉県に派遣した。
曹洪の任務は、張繡と呼応する豪族の討伐である。
曹操も抵抗勢力を屠りながら進軍した。湖陽県を守っていた劉表配下の鄧済を生け捕り、舞陰県の豪族を撃破してから、穣城を包囲した。
「一気呵成に落城させねば、我らは窮地に陥るでしょう」と荀攸は予言した。
「城壁は高く、掘は深いと言ったのは、そなたではないか。そのとおりになっている。無理攻めは禁物だ」
曹操は兵糧攻めに徹することにし、城と外部の連絡を断った。
しかし、穣城には食糧が積みあげてあり、兵の士気は落ちない。
劉表軍が曹操軍の背後に回り込み、挟撃の構えを取った。
さらに、袁紹が許都攻撃の準備をしているという報告が入ってきた。
「そなたの言ったとおり、我らは窮地に陥った。どう対応すべきだろうか」
荀攸は作戦を立てた。
ある朝、張繡は城の周りから曹操軍が消えているのに気づいた。
「彼らは撤退した。追撃する」
「これは誘いです。罠があるので、行ってはなりません」
賈詡は止めたが、張繡は聞かなかった。
張繡は穣県の東隣の安衆県へ向かった。
曹操軍が見つからないまま、張繡軍は県境を越えた。すると突然、三万の軍勢が出現した。曹操の兵は塹壕を掘り、隠れていたのである。
張繡は散々に打ち破られ、穣城へ逃げ帰った。
「再攻撃してください」と賈詡が言った。
「なぜだ。おれたちはさっき負けたばかりなのだぞ」
「すぐに動けば、今度は勝てます」
「さあ、急ぎ許へ戻るぞ。袁紹軍に備えねばならん」
曹操は先頭に立って、帰還の途についた。
荀攸は胸騒ぎがした。
「殿、いまわが軍には隙ができています。最後尾に許褚将軍を置いて、追撃に備えるべきです」
「許褚は手放せない。近くにいて、私を守ってもらわねばならん」
「では行軍を停止してください。曹洪将軍を呼び、合流してから進みましょう」
「急いでいる。袁紹が攻めてくる前に帰らねばならんのだ」
曹操は荀攸の提案を無視した。
数刻後、張繡軍に追いつかれた。
背後から急襲され、曹操軍は壊乱した。整然たる撤退は、血まみれの逃走に変わった。
曹操はなんとか許都に帰りついたが、兵は半減していた。
「そなたの意見を素直に聞いておくべきであった」と曹操は反省の弁を述べた。
「敵が張繡だけであったなら、殿は成功したでしょう。賈詡が敵陣営にいたので、負けてしまいました。劉表との同盟も、彼の献策でなされたことのようです」
「賈詡……」
曹操はその名を胸に刻んだ。
袁紹の腰は重く、結局、攻めてこなかった。
199年のことだが、袁紹は易京城に籠もる公孫瓚を攻め滅ぼした。地下道を何本も掘って、城を陥落させた。公孫瓚は妻子を刺し殺し、自害した。
袁紹は獅子身中の虫を始末し、ようやく矛先を曹操に向けた。
曹操の参謀たちは袁紹対策に忙殺された。もちろん荀攸も例外ではない。
「いまこそ曹操を攻める好機であろうか」
張繡は賈詡と相談した。
「逆です。曹操と結びつく絶好の機会です。彼は我らがいる西方に不安を持っているでしょうが、北方から袁紹が攻めてくるので、全兵力を北に向けざるを得ません。いま張繡様が降れば、曹操は怨恨を捨てて、歓迎してくれるでしょう」
「しかし袁紹が勝てばどうなる? 四州をあわせ持つ彼の方が強大だ」
「そこは賭けですね。しかし私は、天子を擁していること、参謀や武将が優秀であることから、曹操の勝率は高いと考えています。勝敗が定かでないうちが、あなた様の売り時ですぞ」
賈詡の進言ははずれたことがない。
張繡は曹操に降伏を伝える使者を送った。
曹操は悩んだ。
張繡はなんとしてでも復讐したい敵である。
荀攸に意見を訊いた。
「もう結論は出ておられるのでしょう? 袁紹との対決のため、そして天下の輿望を高めるため、張繡の降伏を受け入れ、厚く遇するべきです」
「わかっておる。理性ではわかっているのだ」
「殿……」
曹操は笑顔で張繡と会見し、揚武将軍に任じた。そればかりでなく、張繡の娘を子の曹均の嫁に迎えた。
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張繡の武勇と賈詡の頭脳を手に入れ、曹操陣営はますます充実した。
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