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徐州大虐殺

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 194年、曹操はその生涯で最大の愚行をおかしてしまう。
 徐州大虐殺である。
 陶謙を父の仇と決めつけて徐州に侵攻し、そこに住む男女、犬、鶏におよぶまで殺し尽くした。その死体で河が堰き止められるほどだったという。
 
 この愚行は、単に徐州で数多の人々を殺戮しただけでは終わらなかった。曹操の地盤をもゆるがした。
 陳宮と張邈の反逆を引き起こしたのである。彼らは呂布を兗州に招き入れて、曹操の根拠地を奪取しようとした。
 それだけでなく、曹操の未来にまで影響をおよぼした。

 徐州琅邪郡に住んでいた諸葛亮孔明が荊州へ避難した。彼は曹操を憎み、後に劉備の軍師となった。魏を倒すことが後半生の主題となるに至る。
 徐州の大富豪、麋竺も反曹操に傾き、劉備に味方するようになる。
 下邳国にいた魯粛も曹操を呪い、孫権に仕えることになる。赤壁の戦いに際し、多くの降伏論者に反対して、曹操と対決するよう強く主張した。
 徐州の多くの住民が、南へ避難し、呉が栄える基盤となった。

 どうして曹操は大虐殺をやってしまったのか。
 謎である。
 
 陶謙に下手人の引き渡しを要求し、彼らを処刑するだけでよかった。
 徐州を攻めたのは理解できるとしても、陶謙軍と尋常に戦うだけでよかった。
 侵攻した土地の人間を、ことごとく殺すような真似をしてはならなかった。

 なぜ虐殺した?

 曹操のこれまでの行動は、正義感に満ちあふれ、合理的であった。
 汚吏汚官を排除し、秩序を乱す賊を討ち、専横の限りを尽くす暴君と戦った。
 陶謙の曹嵩殺害を名目として、徐州を征服する戦いを起こすだけなら、曹操の行動としておかしくない。
 だが、中国の歴史上でも類例がほとんど見当たらない住民大虐殺となると、復讐としても逸脱しすぎている。

 どうして急に大悪党になった?

 父を殺されて、怒りにかられるのは自然な感情である。それはわかる。
 しかし大地を血で染めながら、人民をことごとく殺し、無人の町を拡大していく大虐殺をしてよい理由にはならない。
 理不尽。そこまでする必要があったのか?

 曹嵩から援助を受け、感謝していた。しかし長らく別居していたし、曹操がファーザーコンプレックスであったという説は聞いたことがない。怒りはいつまで持続したのか。
 曹操は父の死を聞いてから、徐州攻撃の準備をし、遠征し、侵略している間、ずっと怒りつづけていたのであろうか。

 曹操は人材を求め、大切にするようになっていた。
 その志向とも矛盾する行動。
 大虐殺は人心と人材を離れさせる。
 曹操の覇業にとって、まちがいなくマイナスになった悪手であった。

 どうしてこうなった?
  
 曹操が父の死去を知ったのは、青州黄巾賊との戦いを終え、ひと息ついていた頃である。
「お父上の曹嵩様と弟君の曹徳様が殺されました。ご家族はひとり残らず亡くなったそうです」
 誰が曹操に報告したのかはわからない。彼の侍従兵か、それとも参謀のひとりであったのか。

 曹操は血の気を失い、悲嘆と呪いの言葉を叫び、涙を流した。

「誰にやられたんだ……?」
「徐州牧の陶謙様の兵です」
「陶謙か。あやつがやったのか。絶対に許さん……!」
「配下の兵のしわざのようです」
「陶謙が殺したも同然だ。やつを誅さねばなるまい。いや、それだけでは済まさない。もっと徹底的に……」

 曹操の怒りはすさまじかった。
 報告した者は震えあがった。
 族滅された恨みは、相当に深かった。

「殿、徐州を攻めますか」と陳宮はたずねた。
「攻めるのではない。滅ぼすのだ」
「滅ぼすとは?」
「徐州に住む者をことごとく殺す」
 陳宮は、曹操が乱心したと思ったにちがいない。
 語り合うのをやめ、曹操の部屋から退いた。

「徐州を滅ぼすと仰せになったとか。まことですか」
 戯志才は曹操を諫めようとした。
「おう。あの穢れた地を血で洗い流してやる」
「血で?」
「陶謙以下全人民を抹殺する」
 おやめください、と言おうとしたができなかった。戯志才は病気で弱っていた。曹操の怒りの大きさに驚き、昏倒して、そのまま亡くなった。

 郭嘉は止めようとした。
「殿、人民を殺すのは愚策ですよ。徐州軍を倒し、陶謙を殺す。それだけでよいではありませんか」
「郭嘉、いまは正論を言うな」
「私は殿とともに、天下を安らかにしたいのです」
「参戦しなくてもよい。今回だけ、目をつぶっておれ」
「殿とともに行きますよ。人民虐殺には賛成できませんが、徐州正規軍との戦いには、参謀が必要でしょう?」

 鍾繇は曹操と密謀し、徐州遠征の具体的な準備をした。
 兵糧を集め、青州兵を中心とする軍勢を整えた。
 諸々の相談をしながら、確認した。
「曹操様は本当に人民まで殺されるのですか」
「殺す」
「なんのために」
「復讐」
「陶謙を殺せば、それでよいではないですか」
「それだけではだめだ」
 鍾繇も、曹操がなぜ虐殺しようとしているのかわからなかった。

 程立は、倫理とは異なる理由で、曹操を諫めた。
「いまは内治を整えるべきときです。青州黄巾賊との戦いの爪痕は深く、兗州の民は疲弊しています。外征すべきではありません」
「私は行く。いまゆかねば、父を鎮魂することはできん」
「鎮魂は、兗州ですればよいではないですか。深く弔いましょう」
「私が復讐を遂げるのを、天で父と弟は待っている」
「殿が出ていった隙を狙って、誰かが兗州を襲います」
 曹操は程立の顔を穴があくほど見た。
「留守はおまえに任せる」

 荀彧は曹操と黄巾軍との調停で疲れ切っていた。
 徐州との紛争に、積極的にかかわる気にはなれなかった。
 彼は鄄県に引きこもり、洩れ聞こえてくる情報に耳をすませた。
 人間は理屈どおりに動くだけではないのだ、と彼は思った。憂鬱であった。
 曹操は荀彧にはなんの相談もしなかった。しばらく軍務はせず、休養してよい、という約束を守っているつもりだった。荀彧の感情には関心がなく、その憂鬱に気づきもしなかった。

 曹洪、曹仁、夏侯惇、夏侯淵にとっても、曹嵩と曹徳は血族だった。
 彼らは陶謙に対して怒ったし、むろん徐州を攻撃すべきだと考えた。が、民衆を殺そうとまでは思わなかった。
「仁、淵は出撃の準備をせよ。洪、惇は東郡にとどまり、この地を守れ」
 四人はうなずいた。
「あまり殺しませぬよう」と夏侯惇は言った。
 曹操は答えなかった。

 結局、誰ひとりとして、徐州の民がどうして殺戮されねばならないのか、理解できなかった。
 屍山が積み重なり、血河が流れようとしている。曹操の人生の大汚点。
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