3 / 46
曹操の若き日々
しおりを挟む
曹操は174年、二十歳でキャリア官僚として出発する。
中国の官僚登用制度は、科挙が有名だが、隋代以降のものである。
漢代には、郷挙里選が採用されていた。
郡で秀才や孝廉を選んで、中央に推薦する制度である。
秀才は試験に合格した者で、孝廉は父母への孝順や物事に対する廉正な態度を評価されて選ばれた者。
説明を読んで、堅苦しさにうんざりするかもしれないが、少し我慢してほしい。
本作は、面白い物語であるとともに、一冊で三国志の概要がわかる入門書になることもめざしている。
曹操は常に三国志の本流を歩んだ人なので、彼の伝記は、劉備を追うよりも、この時代を理解できるはず。
説明をつづける。
曹操は、孝廉として郡内から選抜された。
各郡毎年ひとり、約二十万人にひとりという倍率であったから、容易に突破できるものではない。
曹操は後に父と弟を殺されて激怒したから、家族を大切にしていたと考えられるが、不真面目な青年として有名だったので、廉正かどうかは疑わしい。
彼が選ばれた理由はふたつ。
大長秋まで昇った祖父、太尉を務めた父がいる名門の出身であること。
「とにかくすごい男だ」と橋玄、許劭から評価されていたこと。
孝順や廉正とは関係ないが、世の中そんなものである。
曹操はしばらく皇帝の身近に仕える官を務め、すぐに、洛陽北部尉に任じられた。
首都北部の治安を維持し、盗賊などを逮捕する役職である。
現代日本風に言うと、洛陽北警察署長。
郷挙里選で選ばれた者は、最初から部下を持てる。エリート中のエリートである。
洛陽の人口は約五十万人。単純計算で、北部には十二万五千人が住んでいる。北部尉の職位は軽くない。
早くも権力の末端に連なったと言える。
「奸雄になる前に、少しは真面目に働くか」と曹操はつぶやいた。
彼は若い頃から現実をよく知っていた。
まず足場をかためなくては、飛躍することはできない。
そして目立つためには、多少手荒なこともしなくてはならない。
曹操は着任早々、洛陽北部にある四つの門を補修し、そこに札を立てた。
「禁令を破った者、棒叩きの刑に処す」
治安を守るために、苛烈な刑を執行すると宣言した。
若き曹操に、ことなかれで任期をやり過ごすつもりなどない。違反者をきびしく取り締まった。
辣腕の警察署長。
彼は強烈なデビューを飾った。
とんでもない若者が北部尉になったらしいぞ、という噂が洛陽をかけめぐった。
ある日、蹇碩の叔父が、門の夜間通行禁止に違反して逮捕された。
蹇碩は宦官で、皇帝の文書を取り扱う小黄門という官職に就いている。大物官僚である。
ふつうの警察署長なら、後難を怖れて、釈放するだろう。
「曹北部尉、北門を強硬に通過しようとする者がいたので、捕まえました」と部下のひとりが言った。
「棒叩きだ」
「その者、蹇碩様の叔父だと言い、すぐに釈放しろとうるさいのです」
「人によって許すとなれば、権力者は門を通り、その一族が通り、武人が通り、乱暴者が通り、ついには賊が通るようになる」
曹操は断固として言った。
その会話を聞いていた別の部下が口をはさんだ。
「北門をきびしくしても、賊は東、西、南の門へ行くだけで、意味はないのではありませんか」
曹操は首を振った。
「私は自分の職掌の範囲内で最善を尽くす。もし他の門の警備に口を出せば、不和が生じ、かえって治安を悪化させるであろう。だから、そこまでは行わない。もし私が洛陽全体の警備責任者になる日が来れば、そのときは東西南北すべての門を同様に扱う」
さらに言った。
「だが、私が北で厳正に職務を行っていると他方面の尉が聞けば、さぼっていると見られるのを怖れて、自然と警戒を厳重にするのではないか」
「それは、そうかもしれません」
「おまえたちも自分の職務に最善を尽くせ。粛々と刑を執行せよ」
曹操は部下に棒叩きを行わせた。棒叩きは重刑で、死に至る者もある。
この夜、受刑者は死亡した。
権力者の親戚も忖度なく罰したので、以後、法は順守され、禁令を破る者はいなくなった。
曹操に萎縮はない。怖い者知らずと言えなくもないが……。
蹇碩は怒り、宦官たちは曹操をうとんじた。
生意気であり、扱いづらい。追放しようと画策する者たちもいた。
だが、職務を忠実に執行している北部尉を罰する理由が見つからない。
なにより、このときはまだ曹操の父曹嵩が現役の高級官僚であり、その息子に手出しするのはむずかしい。
結局、曹操は177年、頓丘県の令に出世することによって、洛陽から遠ざけられた。
頓丘県は兗州東郡にある。黄河が近くに流れている田園地帯。
栄転の形をした左遷である。
「まあ、世の中こんなもんだよな」
曹操は、袁紹と酒を飲みながら言った。
「県令も悪くはないぞ」
袁紹は、洛陽近郊で県令を務めている。
「そうだな。任地で、せいぜいがんばってみるさ」
地方に飛ばされたとはいえ、県の長官である。
行政の責任者。
軍事にもかかわる。
やりがいのある仕事と言ってよい。
頓丘県にも城があり、県衙があった。
衙とは、役所である。役人が多勢勤めている。
曹操はここで、地方行政にたずさわり、中央との連絡、部下の統率、地方豪族との付き合いなどを経験した。
税も徴収した。
土地に民がいて、農耕が盛んで、産業があってこそ、国力は増す。曹操の頓丘県令時代の逸話は特にないが、領地が疲弊していないことが、政治力、軍事力にとって大切であることを実地で学んだであろう。
後に彼は行財政改革を行う。まちがいなく県令の経験が役立ったはず。
県令勤務は一年ほどで終わった。
178年、霊帝の皇后宋氏が廃されるという事件があり、連座して、曹操は罷免された。
曹操の従妹の夫、宋奇が皇后の一族であったというだけの薄い縁であるのに。
後漢末期の任官免官は、相当に血縁族縁に支配されていたのであろう。
曹操は故郷の譙県へ帰ったのだろうか。
二年ほど、消息がわからない。
この頃、再び世に出る機会をうかがいながら、書物を読み、武芸の腕を磨いていたのかもしれない。
曹操は詩人としても有名になる。孫子の兵法の解説書「魏武注孫子」を書くことにもなる。
彼は豪傑ではないが、乱世を生き延びるためには、多少の剣の腕が必要だと感じていてもおかしくはない。
晴れの日は武芸の鍛錬をし、雨の日は読書をした。
たまには遊郭へも行った。
180年、洛陽に呼び戻され、議郎となった。
九卿のひとつ、光禄勲の属官である。
皇帝に上表文を提出することもできる身分。
その頃、朝廷内は宦官と外戚が争い、清流派と濁流派が対立し、乱れに乱れていた。
曹操はこれを正そうとやる気を出して、何度か上表した。
宦官の横行がはなはだしく、清廉潔白な士が迫害されていて、改善の必要があること。
三公が汚職をして、彼らに賄賂を贈る者が地位を得て、贈賄しない者は罷免されること。
霊帝はこれらの意見をほとんど無視したが、ときには三公を叱責し、讒言によって罷免された者を復職させることもあった。
それでも高官の汚職は横行しつづけた。
いつしか曹操はむなしくなり、諫言に満ちた上表をやめた。
彼ほどの男でも、仕事に意味を見い出せなくなれば、やる気をなくす。
そして184年、黄巾の乱が勃発する。
中国の官僚登用制度は、科挙が有名だが、隋代以降のものである。
漢代には、郷挙里選が採用されていた。
郡で秀才や孝廉を選んで、中央に推薦する制度である。
秀才は試験に合格した者で、孝廉は父母への孝順や物事に対する廉正な態度を評価されて選ばれた者。
説明を読んで、堅苦しさにうんざりするかもしれないが、少し我慢してほしい。
本作は、面白い物語であるとともに、一冊で三国志の概要がわかる入門書になることもめざしている。
曹操は常に三国志の本流を歩んだ人なので、彼の伝記は、劉備を追うよりも、この時代を理解できるはず。
説明をつづける。
曹操は、孝廉として郡内から選抜された。
各郡毎年ひとり、約二十万人にひとりという倍率であったから、容易に突破できるものではない。
曹操は後に父と弟を殺されて激怒したから、家族を大切にしていたと考えられるが、不真面目な青年として有名だったので、廉正かどうかは疑わしい。
彼が選ばれた理由はふたつ。
大長秋まで昇った祖父、太尉を務めた父がいる名門の出身であること。
「とにかくすごい男だ」と橋玄、許劭から評価されていたこと。
孝順や廉正とは関係ないが、世の中そんなものである。
曹操はしばらく皇帝の身近に仕える官を務め、すぐに、洛陽北部尉に任じられた。
首都北部の治安を維持し、盗賊などを逮捕する役職である。
現代日本風に言うと、洛陽北警察署長。
郷挙里選で選ばれた者は、最初から部下を持てる。エリート中のエリートである。
洛陽の人口は約五十万人。単純計算で、北部には十二万五千人が住んでいる。北部尉の職位は軽くない。
早くも権力の末端に連なったと言える。
「奸雄になる前に、少しは真面目に働くか」と曹操はつぶやいた。
彼は若い頃から現実をよく知っていた。
まず足場をかためなくては、飛躍することはできない。
そして目立つためには、多少手荒なこともしなくてはならない。
曹操は着任早々、洛陽北部にある四つの門を補修し、そこに札を立てた。
「禁令を破った者、棒叩きの刑に処す」
治安を守るために、苛烈な刑を執行すると宣言した。
若き曹操に、ことなかれで任期をやり過ごすつもりなどない。違反者をきびしく取り締まった。
辣腕の警察署長。
彼は強烈なデビューを飾った。
とんでもない若者が北部尉になったらしいぞ、という噂が洛陽をかけめぐった。
ある日、蹇碩の叔父が、門の夜間通行禁止に違反して逮捕された。
蹇碩は宦官で、皇帝の文書を取り扱う小黄門という官職に就いている。大物官僚である。
ふつうの警察署長なら、後難を怖れて、釈放するだろう。
「曹北部尉、北門を強硬に通過しようとする者がいたので、捕まえました」と部下のひとりが言った。
「棒叩きだ」
「その者、蹇碩様の叔父だと言い、すぐに釈放しろとうるさいのです」
「人によって許すとなれば、権力者は門を通り、その一族が通り、武人が通り、乱暴者が通り、ついには賊が通るようになる」
曹操は断固として言った。
その会話を聞いていた別の部下が口をはさんだ。
「北門をきびしくしても、賊は東、西、南の門へ行くだけで、意味はないのではありませんか」
曹操は首を振った。
「私は自分の職掌の範囲内で最善を尽くす。もし他の門の警備に口を出せば、不和が生じ、かえって治安を悪化させるであろう。だから、そこまでは行わない。もし私が洛陽全体の警備責任者になる日が来れば、そのときは東西南北すべての門を同様に扱う」
さらに言った。
「だが、私が北で厳正に職務を行っていると他方面の尉が聞けば、さぼっていると見られるのを怖れて、自然と警戒を厳重にするのではないか」
「それは、そうかもしれません」
「おまえたちも自分の職務に最善を尽くせ。粛々と刑を執行せよ」
曹操は部下に棒叩きを行わせた。棒叩きは重刑で、死に至る者もある。
この夜、受刑者は死亡した。
権力者の親戚も忖度なく罰したので、以後、法は順守され、禁令を破る者はいなくなった。
曹操に萎縮はない。怖い者知らずと言えなくもないが……。
蹇碩は怒り、宦官たちは曹操をうとんじた。
生意気であり、扱いづらい。追放しようと画策する者たちもいた。
だが、職務を忠実に執行している北部尉を罰する理由が見つからない。
なにより、このときはまだ曹操の父曹嵩が現役の高級官僚であり、その息子に手出しするのはむずかしい。
結局、曹操は177年、頓丘県の令に出世することによって、洛陽から遠ざけられた。
頓丘県は兗州東郡にある。黄河が近くに流れている田園地帯。
栄転の形をした左遷である。
「まあ、世の中こんなもんだよな」
曹操は、袁紹と酒を飲みながら言った。
「県令も悪くはないぞ」
袁紹は、洛陽近郊で県令を務めている。
「そうだな。任地で、せいぜいがんばってみるさ」
地方に飛ばされたとはいえ、県の長官である。
行政の責任者。
軍事にもかかわる。
やりがいのある仕事と言ってよい。
頓丘県にも城があり、県衙があった。
衙とは、役所である。役人が多勢勤めている。
曹操はここで、地方行政にたずさわり、中央との連絡、部下の統率、地方豪族との付き合いなどを経験した。
税も徴収した。
土地に民がいて、農耕が盛んで、産業があってこそ、国力は増す。曹操の頓丘県令時代の逸話は特にないが、領地が疲弊していないことが、政治力、軍事力にとって大切であることを実地で学んだであろう。
後に彼は行財政改革を行う。まちがいなく県令の経験が役立ったはず。
県令勤務は一年ほどで終わった。
178年、霊帝の皇后宋氏が廃されるという事件があり、連座して、曹操は罷免された。
曹操の従妹の夫、宋奇が皇后の一族であったというだけの薄い縁であるのに。
後漢末期の任官免官は、相当に血縁族縁に支配されていたのであろう。
曹操は故郷の譙県へ帰ったのだろうか。
二年ほど、消息がわからない。
この頃、再び世に出る機会をうかがいながら、書物を読み、武芸の腕を磨いていたのかもしれない。
曹操は詩人としても有名になる。孫子の兵法の解説書「魏武注孫子」を書くことにもなる。
彼は豪傑ではないが、乱世を生き延びるためには、多少の剣の腕が必要だと感じていてもおかしくはない。
晴れの日は武芸の鍛錬をし、雨の日は読書をした。
たまには遊郭へも行った。
180年、洛陽に呼び戻され、議郎となった。
九卿のひとつ、光禄勲の属官である。
皇帝に上表文を提出することもできる身分。
その頃、朝廷内は宦官と外戚が争い、清流派と濁流派が対立し、乱れに乱れていた。
曹操はこれを正そうとやる気を出して、何度か上表した。
宦官の横行がはなはだしく、清廉潔白な士が迫害されていて、改善の必要があること。
三公が汚職をして、彼らに賄賂を贈る者が地位を得て、贈賄しない者は罷免されること。
霊帝はこれらの意見をほとんど無視したが、ときには三公を叱責し、讒言によって罷免された者を復職させることもあった。
それでも高官の汚職は横行しつづけた。
いつしか曹操はむなしくなり、諫言に満ちた上表をやめた。
彼ほどの男でも、仕事に意味を見い出せなくなれば、やる気をなくす。
そして184年、黄巾の乱が勃発する。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
源次物語〜未来を生きる君へ〜
OURSKY
歴史・時代
元特攻隊員の主人公が最後に見つけた戦争を繰り返さないために大切な事……「涙なしでは読めない」「後世に伝えたい」との感想を頂いた、戦争を調べる中で見つけた奇跡から生まれた未来への願いと希望の物語……この物語の主人公は『最後の日記』の小説の追憶編に出てくる高田さん。
昔、私にある誕生日プレゼントをくれたおじいさんである高田さんとの出会いをきっかけに、大変な時代を懸命に生きた様々な方や縁のある場所の歴史を調べる中で見つけた『最後の日記』との不思議な共通点……
様々な奇跡を元に生まれた、戦時中を必死に明るく生きた元特攻隊員達の恋や友情や家族への想いを込めた青春物語
☆カクヨムより毎日転載予定☆
※歴史的出来事は公平な資料の史実を元に書いていて、歴史上の人物や実際にある映画や歌などの題名も出てきますが、名前の一部を敢えて変えているものもあります(歌詞は著作権切れのみ掲載)
肱川あらし
たい陸
歴史・時代
文久二年(1862)三月二十七日早朝、大洲藩士である井上将策は、藩命により、五十崎村へ、幼馴染である和紙職人の徳太郎を訪ねていた。そこで、たまたま出会ったのが土佐藩を脱藩した坂本龍馬であった。
飯代の代わりに、五十崎が誇る大凧作りを手伝う将策と龍馬。その大凧には、独特な凧文字で「龍」と描かれていた。そして、龍馬は、黒船に勝てる方法を探しに行くと言って、去っていく。その頭上を作成した龍文字の大凧が、風に吹かれて、どこまでも飛んで行くのだった。
劉禅が勝つ三国志
みらいつりびと
歴史・時代
中国の三国時代、炎興元年(263年)、蜀の第二代皇帝、劉禅は魏の大軍に首府成都を攻められ、降伏する。
蜀は滅亡し、劉禅は幽州の安楽県で安楽公に封じられる。
私は道を誤ったのだろうか、と後悔しながら、泰始七年(271年)、劉禅は六十五歳で生涯を終える。
ところが、劉禅は前世の記憶を持ったまま、再び劉禅として誕生する。
ときは建安十二年(207年)。
蜀による三国統一をめざし、劉禅のやり直し三国志が始まる。
第1部は劉禅が魏滅の戦略を立てるまでです。全8回。
第2部は劉禅が成都を落とすまでです。全12回。
第3部は劉禅が夏候淵軍に勝つまでです。全11回。
第4部は劉禅が曹操を倒し、新秩序を打ち立てるまで。全8回。第39話が全4部の最終回です。
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
小癪なり 宗茂~嗚呼、壮烈高鳥居城 落城秘話~
筑前助広
歴史・時代
島津武士団の撤退。
その瞬間、三百余名の運命が定まった。
七月二七日。筑前の名将・高橋紹運とその郎党七六三名は、宝満城に籠もる事も適わず、岩屋の苔となった。
世間に出回る歴史書では、この壮烈な玉砕戦の後に太閤秀吉による九州平定が成されると記述があるが、その陰には、もう一つの壮烈な玉砕戦があった。
※この当時、立花宗茂は「統虎」と名乗っていましたが、わかりやすいよう「宗茂」にて統一しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる