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曹操の使者
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魏延は大口を叩いたことを後悔していた。
曹操を倒す。
口で言うのは簡単だが、現実に行うのは容易ではない。
曹操は中原と華北を有し、新たに涼州を版図に加えた。
兵の動員数が桁外れに大きい。
だが、打倒曹操は敬愛する劉備の悲願でもある。
軍師将軍に抜擢してくれた恩を返すためにも、なんとか曹操に対抗できるようにし、倒さねばならない。
「諸葛亮殿、益州では何万人の兵を動員できるでしょうか」と魏延はたずねた。
「現状では、対外戦争に使えるのは、せいぜい五万人というところですね」
「十万人欲しいです。いや、できれば二十万人……」
孔明は苦笑した。
「二十万人はむずかしいですが、十万の兵は集められるよう努力してみましょう」
魏延は部下となった劉封、劉循、馬忠に言った。
「少ない兵力で曹操に勝つには、工夫が必要だ。武器を工夫したいと思う。攻城兵器、そして弓や弩などの飛び道具を研究しよう」
「雒城では、攻城やぐらや投石車に苦しめられました。よいお考えだと思います」と劉循は答えた。
214年秋、曹操軍十万が津波のように漢中郡を襲った。
漢中郡は益州最北の郡。
五斗米道の指導者、張魯が支配し、彼の弟、張衛が漢中軍を指揮している。教徒がそのまま兵士となっており、弱くはない。
張衛は陽平関で防衛した。よく戦い、曹操軍を突破させなかった。
「曹操と張魯が戦っている。われらはどうすべきだろうか」と劉備は魏延にたずねた。
「張魯に味方して、曹操と戦いたいところですが、まだ戦端を開く準備が整っていません。我々は益州を取ったばかりです。国力を充実させ、兵力を増大させる必要があります」
「のんびりしていると、われらを上回る勢いで、曹操がますます強くなってしまうが……」
「荊州や揚州とも足並みを揃える必要があります。関羽様や孫権様は戦えるのでしょうか」
「どうだろうな。そちらはおれが気を配っておこう。魏延は益州軍を強くすることに集中せよ」
魏延は張飛や馬超ら益州の有力な武将とも話し合った。
「おれは曹操と再戦したい」と馬超は言った。
「兵をどんどんおれのところに送れ。鍛えてやる」張飛は張り切っていた。
215年に入り、曹操は陽平関に大規模な夜襲をかけた。
陽平関はついに落ち、張魯と張衛は降伏した。
「この勝利の勢いに乗って、劉備を攻撃しましょう」と夏侯淵は曹操に進言した。
「漢中郡制圧という目的は達した。欲張りすぎると、足をすくわれる」
曹操は根拠地の冀州魏郡に帰還した。
赤壁の戦いで負けた後、彼は慎重になっている。
漢中郡を手に入れた後、曹操は成都に使者を送った。彼の軍師のひとり、賈詡。
劉備は孔明や魏延とともに、賈詡を迎えた。
「劉備様、このたびはお会いくださり、ありがとうございます」
「そなたのことは知っている。宛城の戦いで曹操殿を敗走させたこともあるな」
「あのときは張繡様に仕えていました。いまは曹操様の臣でございます」
賈詡は並はずれた知謀の士である。
「用件を言ってくれ」
「それでは単刀直入に申し上げます。劉備様、わが殿と同盟を結び、揚州を攻めませんか」
「私は孫権殿と同盟を締結している」
「劉備様が曹操様と手を結べば、揚州を攻略するのはたやすいことです」
「その後で、私は曹操殿に滅ぼされるであろう」
「曹操様は天下統一だけを望んでいます。天下が安らかになった後は、漢の皇帝にこの国をすべて渡し、親政していただくと言っております」
「それは殊勝なことであるな」
「丞相の地位を劉備様に譲ってよいとも言っておられます」
「考えておこう」
劉備は賈詡を歓待し、魏へ帰した。
「殿、曹操と同盟を結ぼうと考えておられますか」と魏延は訊いた。
「まさか」
劉備は苦々しく否定した。
「曹操は同じような使者を孫権殿にも送っているだろう。彼の得意な離間の計だ」
「そうですよね」
「揚州との同盟を堅持し、曹操を倒すというおれの方針に変わりはない。魏延、益州兵を強くし、戦えるようにせよ」
「はい」
魏延が軍師府に戻ると、劉循が新兵器のことを孫尚香に説明していた。
「これは小型連弩という武器で、矢を連射できるのです」
「劉循、それはまだ秘密の試作品だ。奥方様にお見せできるようなものではない」
魏延が叱ると、劉循は頭を下げてあやまった。
尚香が劉循をかばった。
「魏延様、すみません。わたしが無理を言って、見せてもらったのです」
尚香は軍事に興味津々で、よく軍師府へやってくる。劉封、馬忠とも親しくなっている。
劉備が苦笑しながら、妻を好きなようにさせていることを、魏延は知っていた。
「奥方様は戦争が好きなのですか?」と魏延がたずねると、尚香は首をかしげた。
「戦が好きかどうか、わたしにはよくわかりません。でも、玄徳様や策兄さんのことは好きです。玄徳様が戦うから、わたしも戦いに無関心ではいられません」
尚香が亡き英雄孫策をいまでも愛していることは、蜀では有名になっていた。
「私は戦争は嫌いです。人がたくさん死ぬ。だからこそ戦に勝ち、戦乱を終わらせなくてはなりません」と魏延は言った。
「わたしもそう思います。やっぱり戦はよくないですね。どんどん勝ちましょう」
魏延は尚香との話につい引き込まれた。
「そのためにも、小型連弩を完成させなくてはならないのです。これはすごい兵器で……」
彼は劉循の手から開発中の兵器を奪い、美貌の劉備夫人に説明し始めた。
劉封、馬忠もやってきて、会話の輪に加わった。
やれやれ、軍師様が率先して、奥方様に秘密をすべて教えてしまっているじゃないか、と劉循は思った。
曹操を倒す。
口で言うのは簡単だが、現実に行うのは容易ではない。
曹操は中原と華北を有し、新たに涼州を版図に加えた。
兵の動員数が桁外れに大きい。
だが、打倒曹操は敬愛する劉備の悲願でもある。
軍師将軍に抜擢してくれた恩を返すためにも、なんとか曹操に対抗できるようにし、倒さねばならない。
「諸葛亮殿、益州では何万人の兵を動員できるでしょうか」と魏延はたずねた。
「現状では、対外戦争に使えるのは、せいぜい五万人というところですね」
「十万人欲しいです。いや、できれば二十万人……」
孔明は苦笑した。
「二十万人はむずかしいですが、十万の兵は集められるよう努力してみましょう」
魏延は部下となった劉封、劉循、馬忠に言った。
「少ない兵力で曹操に勝つには、工夫が必要だ。武器を工夫したいと思う。攻城兵器、そして弓や弩などの飛び道具を研究しよう」
「雒城では、攻城やぐらや投石車に苦しめられました。よいお考えだと思います」と劉循は答えた。
214年秋、曹操軍十万が津波のように漢中郡を襲った。
漢中郡は益州最北の郡。
五斗米道の指導者、張魯が支配し、彼の弟、張衛が漢中軍を指揮している。教徒がそのまま兵士となっており、弱くはない。
張衛は陽平関で防衛した。よく戦い、曹操軍を突破させなかった。
「曹操と張魯が戦っている。われらはどうすべきだろうか」と劉備は魏延にたずねた。
「張魯に味方して、曹操と戦いたいところですが、まだ戦端を開く準備が整っていません。我々は益州を取ったばかりです。国力を充実させ、兵力を増大させる必要があります」
「のんびりしていると、われらを上回る勢いで、曹操がますます強くなってしまうが……」
「荊州や揚州とも足並みを揃える必要があります。関羽様や孫権様は戦えるのでしょうか」
「どうだろうな。そちらはおれが気を配っておこう。魏延は益州軍を強くすることに集中せよ」
魏延は張飛や馬超ら益州の有力な武将とも話し合った。
「おれは曹操と再戦したい」と馬超は言った。
「兵をどんどんおれのところに送れ。鍛えてやる」張飛は張り切っていた。
215年に入り、曹操は陽平関に大規模な夜襲をかけた。
陽平関はついに落ち、張魯と張衛は降伏した。
「この勝利の勢いに乗って、劉備を攻撃しましょう」と夏侯淵は曹操に進言した。
「漢中郡制圧という目的は達した。欲張りすぎると、足をすくわれる」
曹操は根拠地の冀州魏郡に帰還した。
赤壁の戦いで負けた後、彼は慎重になっている。
漢中郡を手に入れた後、曹操は成都に使者を送った。彼の軍師のひとり、賈詡。
劉備は孔明や魏延とともに、賈詡を迎えた。
「劉備様、このたびはお会いくださり、ありがとうございます」
「そなたのことは知っている。宛城の戦いで曹操殿を敗走させたこともあるな」
「あのときは張繡様に仕えていました。いまは曹操様の臣でございます」
賈詡は並はずれた知謀の士である。
「用件を言ってくれ」
「それでは単刀直入に申し上げます。劉備様、わが殿と同盟を結び、揚州を攻めませんか」
「私は孫権殿と同盟を締結している」
「劉備様が曹操様と手を結べば、揚州を攻略するのはたやすいことです」
「その後で、私は曹操殿に滅ぼされるであろう」
「曹操様は天下統一だけを望んでいます。天下が安らかになった後は、漢の皇帝にこの国をすべて渡し、親政していただくと言っております」
「それは殊勝なことであるな」
「丞相の地位を劉備様に譲ってよいとも言っておられます」
「考えておこう」
劉備は賈詡を歓待し、魏へ帰した。
「殿、曹操と同盟を結ぼうと考えておられますか」と魏延は訊いた。
「まさか」
劉備は苦々しく否定した。
「曹操は同じような使者を孫権殿にも送っているだろう。彼の得意な離間の計だ」
「そうですよね」
「揚州との同盟を堅持し、曹操を倒すというおれの方針に変わりはない。魏延、益州兵を強くし、戦えるようにせよ」
「はい」
魏延が軍師府に戻ると、劉循が新兵器のことを孫尚香に説明していた。
「これは小型連弩という武器で、矢を連射できるのです」
「劉循、それはまだ秘密の試作品だ。奥方様にお見せできるようなものではない」
魏延が叱ると、劉循は頭を下げてあやまった。
尚香が劉循をかばった。
「魏延様、すみません。わたしが無理を言って、見せてもらったのです」
尚香は軍事に興味津々で、よく軍師府へやってくる。劉封、馬忠とも親しくなっている。
劉備が苦笑しながら、妻を好きなようにさせていることを、魏延は知っていた。
「奥方様は戦争が好きなのですか?」と魏延がたずねると、尚香は首をかしげた。
「戦が好きかどうか、わたしにはよくわかりません。でも、玄徳様や策兄さんのことは好きです。玄徳様が戦うから、わたしも戦いに無関心ではいられません」
尚香が亡き英雄孫策をいまでも愛していることは、蜀では有名になっていた。
「私は戦争は嫌いです。人がたくさん死ぬ。だからこそ戦に勝ち、戦乱を終わらせなくてはなりません」と魏延は言った。
「わたしもそう思います。やっぱり戦はよくないですね。どんどん勝ちましょう」
魏延は尚香との話につい引き込まれた。
「そのためにも、小型連弩を完成させなくてはならないのです。これはすごい兵器で……」
彼は劉循の手から開発中の兵器を奪い、美貌の劉備夫人に説明し始めた。
劉封、馬忠もやってきて、会話の輪に加わった。
やれやれ、軍師様が率先して、奥方様に秘密をすべて教えてしまっているじゃないか、と劉循は思った。
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