39 / 61
荊州南部攻略
しおりを挟む
長沙郡攸城は小城だったが、その抵抗は頑強だった。
城主の黄忠はわずか五百の城兵を指揮して、一万の劉備軍に城壁を突破させなかった。
黄忠は弓の名手で、城壁を登ろうとする兵士を次々に射て、落下させた。
彼の部下にも弓が上手い兵が多かった。
「黄忠という男、なかなかすぐれた将だ。殺すのは惜しい。できれば部下にしたい」と劉備が言った。
「兄貴、おれに任せてください」と張飛が答えた。
「なにか考えがあるのか?」
「考えというほどのものじゃありません。弓の競争をやってみようと思います」
張飛は攸城の前に立ち、黄忠に呼びかけた。
「黄忠殿、あなたは弓矢の腕に自信があるようだが、おれに勝てるかな」と叫んだ。
「貴公は誰だ?」と城壁の上から返答があった。
「張飛という。劉備の義弟だ」
「あなたの名は知っている。長坂で曹操軍を追い返したそうだな」
「そうだ。攸城も力押しに押せば、落とすことができる。しかし、それでは死人が多く出てしまう。おれとあなたの弓の勝負で決着をつけたいと思うが、どうだ?」
「よかろう。私が負けたら、開城しよう。張飛殿が負けたら、どうなさるつもりだ?」
「おれには軍の指揮権はないから、退却するという約束はできない。命を賭ける。負けたら死のう」
黄忠は的を持った。
張飛は矢を射て、命中させた。
次に張飛が的を持ち、それに黄忠が当てた。
それがずっとくり返された。
両者百発百中になるまで、弓の勝負はつづいた。
「勝負がつかないが、私はあなたを尊敬する、張飛殿。命がかかっているのに、的をはずさなかった。常人にできることではない」
「おれも黄忠殿を見事だと思う。正直、こんなに勝負がつづくとは意外だった。さっさと勝てると思っていた」
ふたりは完全にお互いを認め合った。
「降伏することにしよう。私の命は取られてもいい。配下の命は助けてほしい」
黄忠は城門を開けて、外に出た。
「黄忠殿、あんたはすごい。部下になってくれ」と劉備は言った。
「この老骨、使えるのであれば、使ってください」
黄忠は平伏した。
彼が降伏した日の夜、劉備は酒宴を開いた。
その場で、関羽と趙雲も弓の腕を披露した。張飛に勝るとも劣らない腕前だった。黄忠は唖然として、「なんだこの連中は……」とつぶやいた。
劉備軍は長沙郡を平定し、武陵郡に進出した。
黄忠と魏延が降伏を呼びかけ、次々に城門が開かれたが、最大の城、臨沅城主は抵抗した。
城内では、抵抗派と降伏派が議論をくり返していた。
城主の劉巴は、曹操がいつか天下を統一すると考えていて、あくまでも抵抗するとの姿勢を堅持していた。
若いが優秀であると評判の馬良と馬謖は、劉備が漢王朝の守護者で、新時代の盟主であると思い、降伏を勧めつづけた。
ある日劉巴は、馬良と馬謖に「城から出ていけ」と命令した。
ふたりは城から出たが、臨沅城はもうすぐ陥落すると考える者は多く、城兵の半数が一緒に門を出て、劉備に投降した。
それを見て、劉巴は逐電した。
武陵郡も劉備のものとなった。
馬良と馬謖は劉備に臣従した。馬謖は孔明の聡明さに惹かれ、その弟子のようになった。
残りふたつの郡、零陵郡と桂陽郡は大きな抵抗はせず、劉備の軍門に降った。
こうして、劉備は荊州南部四郡の主となった。
長江南岸の公安を本拠地にすることにして、四郡の統治を開始。
孔明が行政手腕を存分に発揮し始めた。彼は軍事よりも内治に大きな才能を有していた。
その頃ようやく、周瑜は江陵城を落とした。
曹仁と牛金は北へ逃げた。
城を陥落させて、周瑜は力尽きた。赤壁勝利の立役者、稀代の軍師周瑜は病没した。
「孫権様に天下を献上したかった……」というのが最期の言葉だった。
その報告を聞いて、孫権は涙を流した。
同じ頃、江夏郡太守の劉琦も病死した。彼は郡を劉備に譲ると遺言していた。
劉備は荊州五郡の支配者となった。
揚州軍は周瑜の死後撤退し、江陵城を維持することはできなかった。その城も劉備軍が占拠した。
周瑜がなげいたとおり、赤壁勝利の果実は劉備がもぎ取った形となった。
荊州北部の南陽郡と南郡の北半分は、なおも曹操の版図であった。
城主の黄忠はわずか五百の城兵を指揮して、一万の劉備軍に城壁を突破させなかった。
黄忠は弓の名手で、城壁を登ろうとする兵士を次々に射て、落下させた。
彼の部下にも弓が上手い兵が多かった。
「黄忠という男、なかなかすぐれた将だ。殺すのは惜しい。できれば部下にしたい」と劉備が言った。
「兄貴、おれに任せてください」と張飛が答えた。
「なにか考えがあるのか?」
「考えというほどのものじゃありません。弓の競争をやってみようと思います」
張飛は攸城の前に立ち、黄忠に呼びかけた。
「黄忠殿、あなたは弓矢の腕に自信があるようだが、おれに勝てるかな」と叫んだ。
「貴公は誰だ?」と城壁の上から返答があった。
「張飛という。劉備の義弟だ」
「あなたの名は知っている。長坂で曹操軍を追い返したそうだな」
「そうだ。攸城も力押しに押せば、落とすことができる。しかし、それでは死人が多く出てしまう。おれとあなたの弓の勝負で決着をつけたいと思うが、どうだ?」
「よかろう。私が負けたら、開城しよう。張飛殿が負けたら、どうなさるつもりだ?」
「おれには軍の指揮権はないから、退却するという約束はできない。命を賭ける。負けたら死のう」
黄忠は的を持った。
張飛は矢を射て、命中させた。
次に張飛が的を持ち、それに黄忠が当てた。
それがずっとくり返された。
両者百発百中になるまで、弓の勝負はつづいた。
「勝負がつかないが、私はあなたを尊敬する、張飛殿。命がかかっているのに、的をはずさなかった。常人にできることではない」
「おれも黄忠殿を見事だと思う。正直、こんなに勝負がつづくとは意外だった。さっさと勝てると思っていた」
ふたりは完全にお互いを認め合った。
「降伏することにしよう。私の命は取られてもいい。配下の命は助けてほしい」
黄忠は城門を開けて、外に出た。
「黄忠殿、あんたはすごい。部下になってくれ」と劉備は言った。
「この老骨、使えるのであれば、使ってください」
黄忠は平伏した。
彼が降伏した日の夜、劉備は酒宴を開いた。
その場で、関羽と趙雲も弓の腕を披露した。張飛に勝るとも劣らない腕前だった。黄忠は唖然として、「なんだこの連中は……」とつぶやいた。
劉備軍は長沙郡を平定し、武陵郡に進出した。
黄忠と魏延が降伏を呼びかけ、次々に城門が開かれたが、最大の城、臨沅城主は抵抗した。
城内では、抵抗派と降伏派が議論をくり返していた。
城主の劉巴は、曹操がいつか天下を統一すると考えていて、あくまでも抵抗するとの姿勢を堅持していた。
若いが優秀であると評判の馬良と馬謖は、劉備が漢王朝の守護者で、新時代の盟主であると思い、降伏を勧めつづけた。
ある日劉巴は、馬良と馬謖に「城から出ていけ」と命令した。
ふたりは城から出たが、臨沅城はもうすぐ陥落すると考える者は多く、城兵の半数が一緒に門を出て、劉備に投降した。
それを見て、劉巴は逐電した。
武陵郡も劉備のものとなった。
馬良と馬謖は劉備に臣従した。馬謖は孔明の聡明さに惹かれ、その弟子のようになった。
残りふたつの郡、零陵郡と桂陽郡は大きな抵抗はせず、劉備の軍門に降った。
こうして、劉備は荊州南部四郡の主となった。
長江南岸の公安を本拠地にすることにして、四郡の統治を開始。
孔明が行政手腕を存分に発揮し始めた。彼は軍事よりも内治に大きな才能を有していた。
その頃ようやく、周瑜は江陵城を落とした。
曹仁と牛金は北へ逃げた。
城を陥落させて、周瑜は力尽きた。赤壁勝利の立役者、稀代の軍師周瑜は病没した。
「孫権様に天下を献上したかった……」というのが最期の言葉だった。
その報告を聞いて、孫権は涙を流した。
同じ頃、江夏郡太守の劉琦も病死した。彼は郡を劉備に譲ると遺言していた。
劉備は荊州五郡の支配者となった。
揚州軍は周瑜の死後撤退し、江陵城を維持することはできなかった。その城も劉備軍が占拠した。
周瑜がなげいたとおり、赤壁勝利の果実は劉備がもぎ取った形となった。
荊州北部の南陽郡と南郡の北半分は、なおも曹操の版図であった。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
曹操桜【曹操孟徳の伝記 彼はなぜ天下を統一できなかったのか】
みらいつりびと
歴史・時代
赤壁の戦いには謎があります。
曹操軍は、周瑜率いる孫権軍の火攻めにより、大敗北を喫したとされています。
しかし、曹操はおろか、主な武将は誰も死んでいません。どうして?
これを解き明かす新釈三国志をめざして、筆を執りました。
曹操の徐州大虐殺、官渡の捕虜虐殺についても考察します。
劉備は流浪しつづけたのに、なぜ関羽と張飛は離れなかったのか。
呂布と孫堅はどちらの方が強かったのか。
荀彧、荀攸、陳宮、程昱、郭嘉、賈詡、司馬懿はどのような軍師だったのか。
そんな謎について考えながら描いた物語です。
主人公は曹操孟徳。全46話。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
張飛の花嫁
白羽鳥(扇つくも)
歴史・時代
夏侯家の令嬢・玉華はある日、薪を拾いに行った際に出会った張飛に攫われる。
いつ命を失ってもおかしくない状況の中、玉華は何をしてでも生き延びなければならなかった。
彼女には、「罪」があったのだから―――
正史「三国志」の表記を元に、張飛の妻を考察、捏造した小説です。
作中、夏侯淵の姪の名前をオリジナルで「玉華」と設定しています。
※「小説家になろう」にも投稿しています。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
劉備の嫁
みらいつりびと
歴史・時代
「策兄様のような方と結婚したい」
孫尚香はそう願いつづけてきた。
江東の小覇王、孫策の妹。
彼は揚州の英雄だった。華麗な容姿を持ち、電光石火の指揮官で、個人的な武勇も秀でていた。
尚香が13歳のときに暗殺された。
彼女が19歳のとき、孫策の後継者であるもうひとりの兄、孫権が縁談を持ってきた。
「劉備殿と結婚してくれないか」と言われて、尚香は驚いた。
「荊州牧の劉備様……。おいくつなんです?」
「50歳だ」
いくらなんでも年寄りすぎる。彼女は絶対に断ろうと決意した……。
歴史恋愛短編です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる