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関羽の葛藤
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「おれは曹操を裏切った形になった。おれとしては徐州を取り返しただけなんだが、あいつはそうは思ってくれないだろう。必ず戦いになる」
劉備は下邳城の一室に幕僚を集めて言った。
彼のこのときの幕僚とは、関羽、張飛、簡雍、麋竺、糜芳、孫乾である。
武将や文官がいるだけで、軍師と呼べるような人はいない。
曹操の配下には、荀彧、荀攸、郭嘉、程昱、賈詡といった知謀の士が揃っている。
悲しい現実であった。
「どう戦えばいいかなあ。誰か助言してくれよ」
「曹操の最大の敵は、袁紹です。彼と同盟を結べば、曹操に対抗できるのではないでしょうか」
そう言ったのは、孫乾だった。もっともだ、と劉備は思った。
「孫乾、冀州へ行ってくれ。袁紹殿と交渉し、同盟を締結しよう。対曹操連合軍をつくるんだ」
「承知しました」
「あとはどうする? 同盟が整う前に曹操が攻めてくるかもしれん」
「正々堂々と戦うのみです」と関羽が言った。
「そうだな。ちっとばかり心もとないが……」
曹操は司隷、豫州、兗州の三州を有する大勢力。華北四州を版図とする袁紹に次ぐ大物である。徐州兵だけでは、勝算は乏しい。
「関羽、張飛、兵を鍛えておいてくれ」
「任せてください!」
張飛は張り切っていた。劉備が一州の主に返り咲いたことが、うれしくてならない。
軍議が終わると、張飛は早速練兵に取りかかった。
彼の訓練はきびしい。体力のない兵が死ぬこともある。
訓練で死ぬような兵は、戦争では真っ先に殺されるのだ、と張飛は考えていた。きびしい訓練を課すことが、強い軍隊をつくり、結局は死傷者を減らすことになる。それが彼の信念だった。
「曹操は北方の袁紹を怖れているはずだ。そう簡単に徐州には出兵できない」
劉備はそう期待していた。
だが、曹操は鬱憤を晴らすように徐州各地を荒らしながら、五万の兵を連れて南下してきた。
大虐殺というほどではないが、人殺しや放火をしている。
「くそっ、曹操め。徐州がそんなに憎いのか」
劉備は二万五千の兵を率いて出撃した。
関羽に五千の兵を預け、下邳城の守備を任せた。
城には劉備の妻がいる。この頃、麋夫人の他に甘夫人がいた。
甘夫人は小沛で知り合った清楚な女性で、貧しく、筵売りをしていた。
劉備は少年時代を思い出して、彼女の境遇に激しく同情し、求婚した。
東海郡の原野で、劉備軍と曹操軍は激突した。
先鋒は張飛。敵の先鋒を指揮しているのは、猛将許褚だった。
張飛と許褚は互角。
先鋒が揉みあっているうちに、曹操率いる中軍が押し寄せてきた。大軍である。
張飛隊は崩された。その後方にいた劉備の中軍も、曹仁、夏侯淵、楽進らの波状攻撃にさらされて、壊乱した。
劉備は大敗した。軍はちりぢりばらばらになった。彼は単騎で逃げた。
「負けた、負けちまった。やっぱり曹操は強いなあ」
闇雲に冀州へ向かった。もう袁紹に頼るしか、生き延びる道はない。
曹操軍はさらに南下し、下邳城を包囲した。
「こちらは五万、城兵は五千。こんな城はすぐに落としてやる」
曹操は苛烈に城攻めをした。
たくさんのはしごを城壁にかけて、総攻撃をした。
しかし、関羽が守る城は堅固で、なかなか陥落しなかった。
彼は鬼神のごとく戦った。関羽の矢は百発百中で、徐州兵の士気は高かった。彼らは皆、曹操を憎んでいた。
強引な攻城をやめて、曹操は兵糧攻めを行った。
城内には食糧のたくわえは少なく、三か月で飢えが襲ってきた。
城兵はネズミや虫を食べた。やがてそれもいなくなった。
「関羽、降伏せよ」と曹操は城外から呼びかけた。
「降伏などしない。私はとうに死ぬ覚悟ができている。全軍死ぬまで戦うつもりだ」
関羽は城壁の上から大音声で答えた。
「貴公や兵は死んでもよかろうが、劉備殿の家族が死んでもいいのか。そなたは劉備殿から、家族を守るよう託されたのではないのか」
「それを言われるとつらいが、武運である。もはや玉砕あるのみ」
「関羽、軽々しく玉砕などと言うな。私はそなたを買っている。そなたも劉備殿の妻も、無下にはせぬ。城兵の命も取らぬ。降伏しろ。それも勇気ある選択ではないのか」
曹操は切々と降伏勧告をした。
関羽は迷った。
自分など死んでもいいが、麋夫人と甘夫人は助けたい。できれば兵の命も救いたい。
「主の夫人たちを大切にしてくれるか、曹操殿?」
「おう、約束しよう」
「私はあなたの家来にはならない。いつか主のもとへ帰るつもりだ。それでもよいか?」
「かまわない。そなたを客として許都に迎えよう」と曹操は答えた。
抜群に強く、忠義心の篤い関羽を臣下にしたい、と本心では思っている。
許都で厚遇し、じっくりと部下にすればよかろう……。
「それならば開城しましょう」
ついに関羽は降伏した。
曹操は関羽を縄で縛ったりはしなかった。
それどころか馬を並べて親しく話をしながら、許都へ凱旋した。
関羽を配下にするための曹操の作戦は、すでに始まっている。
劉備は下邳城の一室に幕僚を集めて言った。
彼のこのときの幕僚とは、関羽、張飛、簡雍、麋竺、糜芳、孫乾である。
武将や文官がいるだけで、軍師と呼べるような人はいない。
曹操の配下には、荀彧、荀攸、郭嘉、程昱、賈詡といった知謀の士が揃っている。
悲しい現実であった。
「どう戦えばいいかなあ。誰か助言してくれよ」
「曹操の最大の敵は、袁紹です。彼と同盟を結べば、曹操に対抗できるのではないでしょうか」
そう言ったのは、孫乾だった。もっともだ、と劉備は思った。
「孫乾、冀州へ行ってくれ。袁紹殿と交渉し、同盟を締結しよう。対曹操連合軍をつくるんだ」
「承知しました」
「あとはどうする? 同盟が整う前に曹操が攻めてくるかもしれん」
「正々堂々と戦うのみです」と関羽が言った。
「そうだな。ちっとばかり心もとないが……」
曹操は司隷、豫州、兗州の三州を有する大勢力。華北四州を版図とする袁紹に次ぐ大物である。徐州兵だけでは、勝算は乏しい。
「関羽、張飛、兵を鍛えておいてくれ」
「任せてください!」
張飛は張り切っていた。劉備が一州の主に返り咲いたことが、うれしくてならない。
軍議が終わると、張飛は早速練兵に取りかかった。
彼の訓練はきびしい。体力のない兵が死ぬこともある。
訓練で死ぬような兵は、戦争では真っ先に殺されるのだ、と張飛は考えていた。きびしい訓練を課すことが、強い軍隊をつくり、結局は死傷者を減らすことになる。それが彼の信念だった。
「曹操は北方の袁紹を怖れているはずだ。そう簡単に徐州には出兵できない」
劉備はそう期待していた。
だが、曹操は鬱憤を晴らすように徐州各地を荒らしながら、五万の兵を連れて南下してきた。
大虐殺というほどではないが、人殺しや放火をしている。
「くそっ、曹操め。徐州がそんなに憎いのか」
劉備は二万五千の兵を率いて出撃した。
関羽に五千の兵を預け、下邳城の守備を任せた。
城には劉備の妻がいる。この頃、麋夫人の他に甘夫人がいた。
甘夫人は小沛で知り合った清楚な女性で、貧しく、筵売りをしていた。
劉備は少年時代を思い出して、彼女の境遇に激しく同情し、求婚した。
東海郡の原野で、劉備軍と曹操軍は激突した。
先鋒は張飛。敵の先鋒を指揮しているのは、猛将許褚だった。
張飛と許褚は互角。
先鋒が揉みあっているうちに、曹操率いる中軍が押し寄せてきた。大軍である。
張飛隊は崩された。その後方にいた劉備の中軍も、曹仁、夏侯淵、楽進らの波状攻撃にさらされて、壊乱した。
劉備は大敗した。軍はちりぢりばらばらになった。彼は単騎で逃げた。
「負けた、負けちまった。やっぱり曹操は強いなあ」
闇雲に冀州へ向かった。もう袁紹に頼るしか、生き延びる道はない。
曹操軍はさらに南下し、下邳城を包囲した。
「こちらは五万、城兵は五千。こんな城はすぐに落としてやる」
曹操は苛烈に城攻めをした。
たくさんのはしごを城壁にかけて、総攻撃をした。
しかし、関羽が守る城は堅固で、なかなか陥落しなかった。
彼は鬼神のごとく戦った。関羽の矢は百発百中で、徐州兵の士気は高かった。彼らは皆、曹操を憎んでいた。
強引な攻城をやめて、曹操は兵糧攻めを行った。
城内には食糧のたくわえは少なく、三か月で飢えが襲ってきた。
城兵はネズミや虫を食べた。やがてそれもいなくなった。
「関羽、降伏せよ」と曹操は城外から呼びかけた。
「降伏などしない。私はとうに死ぬ覚悟ができている。全軍死ぬまで戦うつもりだ」
関羽は城壁の上から大音声で答えた。
「貴公や兵は死んでもよかろうが、劉備殿の家族が死んでもいいのか。そなたは劉備殿から、家族を守るよう託されたのではないのか」
「それを言われるとつらいが、武運である。もはや玉砕あるのみ」
「関羽、軽々しく玉砕などと言うな。私はそなたを買っている。そなたも劉備殿の妻も、無下にはせぬ。城兵の命も取らぬ。降伏しろ。それも勇気ある選択ではないのか」
曹操は切々と降伏勧告をした。
関羽は迷った。
自分など死んでもいいが、麋夫人と甘夫人は助けたい。できれば兵の命も救いたい。
「主の夫人たちを大切にしてくれるか、曹操殿?」
「おう、約束しよう」
「私はあなたの家来にはならない。いつか主のもとへ帰るつもりだ。それでもよいか?」
「かまわない。そなたを客として許都に迎えよう」と曹操は答えた。
抜群に強く、忠義心の篤い関羽を臣下にしたい、と本心では思っている。
許都で厚遇し、じっくりと部下にすればよかろう……。
「それならば開城しましょう」
ついに関羽は降伏した。
曹操は関羽を縄で縛ったりはしなかった。
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