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ゼロ戦とアメリカ共和国人
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わたしは天啓に従い、飛行機に乗ってハンガリーの首都ブダペストに向かっている。
エコノミーの窓側の席に座っている。
エコノミークラス症候群にならないよう、ときどき身体を動かす。
窓の外を見ていると、隣にゼロ戦が飛んでいるのに気づいて、びっくりした。
太平洋戦争で日本海軍の主力戦闘機として活躍したあのゼロ戦だ。
写真や映像でしか見たことのないプロペラ戦闘機が、わたしが乗っているジャンボジェット機の横を飛んでいる。
わたしは目をこすった。ゼロ戦の姿は消えない。
幻覚ではないらしく、他の乗客にもそのゼロ戦は見えているようだ。
大騒ぎになった。
「ご搭乗の皆様、本機はただいま旧日本海軍の航空戦闘機に酷似した未確認飛行物体に近接飛行されております。詳細は管制とも連絡を取り合って確認中です。攻撃は受けておりませんので、落ち着いてください。万が一に備え、シートベルトをお締めください」
というような放送が英語で流れた。
英語は一生懸命勉強したので、だいたいわかる。
わたしたちの旅客機とゼロ戦はインド洋上空を飛んでいた。
わたしはゼロ戦のパイロットを凝視した。
パイロットが目視できるほど近くにいるのだ。
彼もこちらを見つめている。何度も確かめるようにこっちを見ている。なにがなんだかわかっていないようだ。
ゼロ戦が現代の空を飛んでいるなんて、普通の状態ではあり得ない。
タイムスリップしてきたのかもしれない。
ゼロ戦が旋回し、機銃を撃ってきた。
ジャンボジェット機は回避し、高空へと避難した。
現代の航空機はゼロ戦の性能を遥かに凌駕している。
わたしが乗っている飛行機は逃げ延びた。
逃亡中、激しく揺れたので、吐きそうになった。
世界は広く、なにが起こるかわからない。
わたしは天啓に従って、思いがけない体験ができたことに感謝した。怖かったけれど。
神はいる、と感じた。
わたしは特定の宗教を信仰してはいないが、神はまちがいなくいる。
神の啓示に導かれ、わたしは高空で世界の不思議に触れることができたのだ。
心の中が温かくなって、わたしは法悦に浸った。
「オーマイガー」と隣に座っていたどこの国の人かわからない金髪の中年男性が叫んだ。
「オーマイガー」とわたしも叫んだ。
「オーマイガー」
「オーマイガー」とふたりで連呼した。
わたしは神の存在を確信した歓びで叫んでいるのだが、隣の人はゼロ戦から逃れられた安堵から叫んでいるようだった。
「あなたは日本人ですか?」と金髪の男性から英語で話しかけられた。
繰り返すが、わたしは英語がだいたいわかるし、それなりにしゃべれる。
「はい」
「ワタシはアメリカ共和国人です。別の世界線からこの世界線へ来ました」
「はあ?」
ゼロ戦との遭遇に引きつづき、妙なことに巻き込まれたかもしれない。
「ワタシが以前にいたパラレルワールドでは、アメリカ共和国と大日本帝国はまだ血みどろの戦争をつづけています。あまりにも人が死にすぎて、文明の進歩は止まり、原子爆弾は発明されていません。あのゼロ戦もおそらくパラレル転換をして、こちらの世界に迷い込んでしまったのでしょう」
アメリカ合衆国ではなくて、アメリカ共和国?
なにを言っているのだろうと思ったけれど、話を合わせてみた。
「日本はまだ戦争に負けていないのですか?」
「それどころか勝勢です。1941年の真珠湾・ロサンゼルス・パナマ同時奇襲攻撃で、我が国は一気に劣勢に立たされました。現在はアメリカ本土決戦をしているはずです。ワタシは半年ほど前にこちらの世界線に突如として遷移しました。少なくともそのときまでは、日本軍はアメリカ共和国軍を押していました」
わたしは信じた。神が信じなさいと言っている気がしたから。
「その世界は日本人にとって住みやすい世界ですか?」
「オーノー! そうでもないのです。北海道はソビエト連邦に占領されています。そのソ連はナチスドイツに敗勢で、モスクワを奪われかけています。ドイツはベルリンを占領され、首都をローマに移転しました。誰にとっても生き地獄です」
ふーむ、そうなのか。やはり戦争は悲惨なもののようだ。
「こちらに来られてよかったですか?」
「快適です。ワタシはかつていた世界のことを書き、作家としてデビューすることができました。いまは出版社の負担で、こちらの世界の取材旅行をしているところです。日本はいい国になりましたね」
わたしにとっては全然いい国ではない。
「わたしの名前は東京都です。わたしにとってはまったくよい国ではありません。この名前のおかげで!」
「トキオミヤコ?」
「漢字で書くと、日本の首都と同じ名前なんです。からかわれ、いじめられて生きてきました」
「オーノー! お気の毒です。ワタシの名前はニューヨーク・ヤンキーですが、いじめられたことはないですね」
「その名前で?!」
「戦争で大変なので、名前なんかたいした問題ではなかったのです」
「よい世界のように感じます」
わたしは心からそう思った。
「この飛行機はブダペスト行きですが、なぜ日本からハンガリーへ行くのですか?」
「ワタシがいた世界では、ハンガリーは消滅しています。ハンガリーだけでなく、東ヨーロッパはドイツとイギリスとソ連の激戦地となり、すべての国がなくなりました。ぜひ見てみたい地域なのです」
わたしはその世界を想像してみた。
「太平洋戦争だけでなく、第2次世界大戦がまだつづいているのですね?」
「もうその名称では呼ばれていません。世界最終戦争というのが通称になっています。世界人口は5億人を切りました」
よい世界だと思ったのは取り消す。やっぱり嫌な世界だ。
「こちらの世界は天国です」と彼は言った。
ミスターニューヨーク・ヤンキーと話していたら、時間が短く感じられた。
奇妙で楽しい空の旅となった。
こんなに楽しく他人と話したのは初めてかもしれない。
やはり天啓に従って正解だった。
わたしの神への信仰は深まった。
ミスターが別の世界線からやってきた人だという話も信じた。
ブダペスト空港に到着し、ニューヨーク・ヤンキーと別れた。
書き忘れていたが、今日は4月1日だ。
空は快晴だった。
わたしは神について考えながら、安宿を求めて空港のトラベルインフォメーションへ向かった。
エコノミーの窓側の席に座っている。
エコノミークラス症候群にならないよう、ときどき身体を動かす。
窓の外を見ていると、隣にゼロ戦が飛んでいるのに気づいて、びっくりした。
太平洋戦争で日本海軍の主力戦闘機として活躍したあのゼロ戦だ。
写真や映像でしか見たことのないプロペラ戦闘機が、わたしが乗っているジャンボジェット機の横を飛んでいる。
わたしは目をこすった。ゼロ戦の姿は消えない。
幻覚ではないらしく、他の乗客にもそのゼロ戦は見えているようだ。
大騒ぎになった。
「ご搭乗の皆様、本機はただいま旧日本海軍の航空戦闘機に酷似した未確認飛行物体に近接飛行されております。詳細は管制とも連絡を取り合って確認中です。攻撃は受けておりませんので、落ち着いてください。万が一に備え、シートベルトをお締めください」
というような放送が英語で流れた。
英語は一生懸命勉強したので、だいたいわかる。
わたしたちの旅客機とゼロ戦はインド洋上空を飛んでいた。
わたしはゼロ戦のパイロットを凝視した。
パイロットが目視できるほど近くにいるのだ。
彼もこちらを見つめている。何度も確かめるようにこっちを見ている。なにがなんだかわかっていないようだ。
ゼロ戦が現代の空を飛んでいるなんて、普通の状態ではあり得ない。
タイムスリップしてきたのかもしれない。
ゼロ戦が旋回し、機銃を撃ってきた。
ジャンボジェット機は回避し、高空へと避難した。
現代の航空機はゼロ戦の性能を遥かに凌駕している。
わたしが乗っている飛行機は逃げ延びた。
逃亡中、激しく揺れたので、吐きそうになった。
世界は広く、なにが起こるかわからない。
わたしは天啓に従って、思いがけない体験ができたことに感謝した。怖かったけれど。
神はいる、と感じた。
わたしは特定の宗教を信仰してはいないが、神はまちがいなくいる。
神の啓示に導かれ、わたしは高空で世界の不思議に触れることができたのだ。
心の中が温かくなって、わたしは法悦に浸った。
「オーマイガー」と隣に座っていたどこの国の人かわからない金髪の中年男性が叫んだ。
「オーマイガー」とわたしも叫んだ。
「オーマイガー」
「オーマイガー」とふたりで連呼した。
わたしは神の存在を確信した歓びで叫んでいるのだが、隣の人はゼロ戦から逃れられた安堵から叫んでいるようだった。
「あなたは日本人ですか?」と金髪の男性から英語で話しかけられた。
繰り返すが、わたしは英語がだいたいわかるし、それなりにしゃべれる。
「はい」
「ワタシはアメリカ共和国人です。別の世界線からこの世界線へ来ました」
「はあ?」
ゼロ戦との遭遇に引きつづき、妙なことに巻き込まれたかもしれない。
「ワタシが以前にいたパラレルワールドでは、アメリカ共和国と大日本帝国はまだ血みどろの戦争をつづけています。あまりにも人が死にすぎて、文明の進歩は止まり、原子爆弾は発明されていません。あのゼロ戦もおそらくパラレル転換をして、こちらの世界に迷い込んでしまったのでしょう」
アメリカ合衆国ではなくて、アメリカ共和国?
なにを言っているのだろうと思ったけれど、話を合わせてみた。
「日本はまだ戦争に負けていないのですか?」
「それどころか勝勢です。1941年の真珠湾・ロサンゼルス・パナマ同時奇襲攻撃で、我が国は一気に劣勢に立たされました。現在はアメリカ本土決戦をしているはずです。ワタシは半年ほど前にこちらの世界線に突如として遷移しました。少なくともそのときまでは、日本軍はアメリカ共和国軍を押していました」
わたしは信じた。神が信じなさいと言っている気がしたから。
「その世界は日本人にとって住みやすい世界ですか?」
「オーノー! そうでもないのです。北海道はソビエト連邦に占領されています。そのソ連はナチスドイツに敗勢で、モスクワを奪われかけています。ドイツはベルリンを占領され、首都をローマに移転しました。誰にとっても生き地獄です」
ふーむ、そうなのか。やはり戦争は悲惨なもののようだ。
「こちらに来られてよかったですか?」
「快適です。ワタシはかつていた世界のことを書き、作家としてデビューすることができました。いまは出版社の負担で、こちらの世界の取材旅行をしているところです。日本はいい国になりましたね」
わたしにとっては全然いい国ではない。
「わたしの名前は東京都です。わたしにとってはまったくよい国ではありません。この名前のおかげで!」
「トキオミヤコ?」
「漢字で書くと、日本の首都と同じ名前なんです。からかわれ、いじめられて生きてきました」
「オーノー! お気の毒です。ワタシの名前はニューヨーク・ヤンキーですが、いじめられたことはないですね」
「その名前で?!」
「戦争で大変なので、名前なんかたいした問題ではなかったのです」
「よい世界のように感じます」
わたしは心からそう思った。
「この飛行機はブダペスト行きですが、なぜ日本からハンガリーへ行くのですか?」
「ワタシがいた世界では、ハンガリーは消滅しています。ハンガリーだけでなく、東ヨーロッパはドイツとイギリスとソ連の激戦地となり、すべての国がなくなりました。ぜひ見てみたい地域なのです」
わたしはその世界を想像してみた。
「太平洋戦争だけでなく、第2次世界大戦がまだつづいているのですね?」
「もうその名称では呼ばれていません。世界最終戦争というのが通称になっています。世界人口は5億人を切りました」
よい世界だと思ったのは取り消す。やっぱり嫌な世界だ。
「こちらの世界は天国です」と彼は言った。
ミスターニューヨーク・ヤンキーと話していたら、時間が短く感じられた。
奇妙で楽しい空の旅となった。
こんなに楽しく他人と話したのは初めてかもしれない。
やはり天啓に従って正解だった。
わたしの神への信仰は深まった。
ミスターが別の世界線からやってきた人だという話も信じた。
ブダペスト空港に到着し、ニューヨーク・ヤンキーと別れた。
書き忘れていたが、今日は4月1日だ。
空は快晴だった。
わたしは神について考えながら、安宿を求めて空港のトラベルインフォメーションへ向かった。
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