上 下
2 / 29

ゼロ戦とアメリカ共和国人

しおりを挟む
 わたしは天啓に従い、飛行機に乗ってハンガリーの首都ブダペストに向かっている。
 エコノミーの窓側の席に座っている。
 エコノミークラス症候群にならないよう、ときどき身体を動かす。
 窓の外を見ていると、隣にゼロ戦が飛んでいるのに気づいて、びっくりした。
 太平洋戦争で日本海軍の主力戦闘機として活躍したあのゼロ戦だ。
 写真や映像でしか見たことのないプロペラ戦闘機が、わたしが乗っているジャンボジェット機の横を飛んでいる。
 わたしは目をこすった。ゼロ戦の姿は消えない。
 幻覚ではないらしく、他の乗客にもそのゼロ戦は見えているようだ。
 大騒ぎになった。
「ご搭乗の皆様、本機はただいま旧日本海軍の航空戦闘機に酷似した未確認飛行物体に近接飛行されております。詳細は管制とも連絡を取り合って確認中です。攻撃は受けておりませんので、落ち着いてください。万が一に備え、シートベルトをお締めください」
 というような放送が英語で流れた。
 英語は一生懸命勉強したので、だいたいわかる。
 わたしたちの旅客機とゼロ戦はインド洋上空を飛んでいた。 
 わたしはゼロ戦のパイロットを凝視した。
 パイロットが目視できるほど近くにいるのだ。
 彼もこちらを見つめている。何度も確かめるようにこっちを見ている。なにがなんだかわかっていないようだ。
 ゼロ戦が現代の空を飛んでいるなんて、普通の状態ではあり得ない。
 タイムスリップしてきたのかもしれない。
 ゼロ戦が旋回し、機銃を撃ってきた。
 ジャンボジェット機は回避し、高空へと避難した。
 現代の航空機はゼロ戦の性能を遥かに凌駕している。
 わたしが乗っている飛行機は逃げ延びた。
 逃亡中、激しく揺れたので、吐きそうになった。
 世界は広く、なにが起こるかわからない。
 わたしは天啓に従って、思いがけない体験ができたことに感謝した。怖かったけれど。
 神はいる、と感じた。
 わたしは特定の宗教を信仰してはいないが、神はまちがいなくいる。
 神の啓示に導かれ、わたしは高空で世界の不思議に触れることができたのだ。 
 心の中が温かくなって、わたしは法悦に浸った。
「オーマイガー」と隣に座っていたどこの国の人かわからない金髪の中年男性が叫んだ。
「オーマイガー」とわたしも叫んだ。
「オーマイガー」
「オーマイガー」とふたりで連呼した。
 わたしは神の存在を確信した歓びで叫んでいるのだが、隣の人はゼロ戦から逃れられた安堵から叫んでいるようだった。
「あなたは日本人ですか?」と金髪の男性から英語で話しかけられた。
 繰り返すが、わたしは英語がだいたいわかるし、それなりにしゃべれる。
「はい」
「ワタシはアメリカ共和国人です。別の世界線からこの世界線へ来ました」
「はあ?」
 ゼロ戦との遭遇に引きつづき、妙なことに巻き込まれたかもしれない。
「ワタシが以前にいたパラレルワールドでは、アメリカ共和国と大日本帝国はまだ血みどろの戦争をつづけています。あまりにも人が死にすぎて、文明の進歩は止まり、原子爆弾は発明されていません。あのゼロ戦もおそらくパラレル転換をして、こちらの世界に迷い込んでしまったのでしょう」
 アメリカ合衆国ではなくて、アメリカ共和国?
 なにを言っているのだろうと思ったけれど、話を合わせてみた。
「日本はまだ戦争に負けていないのですか?」
「それどころか勝勢です。1941年の真珠湾・ロサンゼルス・パナマ同時奇襲攻撃で、我が国は一気に劣勢に立たされました。現在はアメリカ本土決戦をしているはずです。ワタシは半年ほど前にこちらの世界線に突如として遷移しました。少なくともそのときまでは、日本軍はアメリカ共和国軍を押していました」
 わたしは信じた。神が信じなさいと言っている気がしたから。
「その世界は日本人にとって住みやすい世界ですか?」
「オーノー! そうでもないのです。北海道はソビエト連邦に占領されています。そのソ連はナチスドイツに敗勢で、モスクワを奪われかけています。ドイツはベルリンを占領され、首都をローマに移転しました。誰にとっても生き地獄です」
 ふーむ、そうなのか。やはり戦争は悲惨なもののようだ。
「こちらに来られてよかったですか?」
「快適です。ワタシはかつていた世界のことを書き、作家としてデビューすることができました。いまは出版社の負担で、こちらの世界の取材旅行をしているところです。日本はいい国になりましたね」
 わたしにとっては全然いい国ではない。
「わたしの名前は東京都です。わたしにとってはまったくよい国ではありません。この名前のおかげで!」
「トキオミヤコ?」
「漢字で書くと、日本の首都と同じ名前なんです。からかわれ、いじめられて生きてきました」
「オーノー! お気の毒です。ワタシの名前はニューヨーク・ヤンキーですが、いじめられたことはないですね」
「その名前で?!」
「戦争で大変なので、名前なんかたいした問題ではなかったのです」
「よい世界のように感じます」
 わたしは心からそう思った。
「この飛行機はブダペスト行きですが、なぜ日本からハンガリーへ行くのですか?」
「ワタシがいた世界では、ハンガリーは消滅しています。ハンガリーだけでなく、東ヨーロッパはドイツとイギリスとソ連の激戦地となり、すべての国がなくなりました。ぜひ見てみたい地域なのです」
 わたしはその世界を想像してみた。
「太平洋戦争だけでなく、第2次世界大戦がまだつづいているのですね?」
「もうその名称では呼ばれていません。世界最終戦争というのが通称になっています。世界人口は5億人を切りました」
 よい世界だと思ったのは取り消す。やっぱり嫌な世界だ。
「こちらの世界は天国です」と彼は言った。
 ミスターニューヨーク・ヤンキーと話していたら、時間が短く感じられた。
 奇妙で楽しい空の旅となった。
 こんなに楽しく他人と話したのは初めてかもしれない。
 やはり天啓に従って正解だった。
 わたしの神への信仰は深まった。
 ミスターが別の世界線からやってきた人だという話も信じた。
 ブダペスト空港に到着し、ニューヨーク・ヤンキーと別れた。
 書き忘れていたが、今日は4月1日だ。
 空は快晴だった。
 わたしは神について考えながら、安宿を求めて空港のトラベルインフォメーションへ向かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが集団お漏らしする話

赤髪命
大衆娯楽
※この作品は「校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話」のifバージョンとして、もっと渋滞がひどくトイレ休憩云々の前に高速道路上でバスが立ち往生していた場合を描く公式2次創作です。 前作との文体、文章量の違いはありますがその分キャラクターを濃く描いていくのでお楽しみ下さい。(評判が良ければ彼女たちの日常編もいずれ連載するかもです)

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

色々な人のくすぐり体験談(小説化)

かふぇいん
大衆娯楽
色々な人から聞いたくすぐり体験談を元にした小説を書いていきます。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

処理中です...