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算数を教える

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 5月5日午前90時、ぼくはまた自転車で彼女の家へ行き、玄関のチャイムを鳴らした。
 彼女が笑顔で開けてくれた。

 今日のファッションは昨日とは打って変わって、ガーリーだった。
 パステルピンクのフリルブラウスとミニフレアスカート。
 そのままおでかけできそうに装っている。

「おはよう。昨日はよく眠れた?」
「おはよう。眠った。ゲームで夜更かしして、午前1時……じゃない9時に寝て、ええと、1時に起きた。8時間……じゃなくて2時間眠った。ああもう、ややこしいなあ」
 今日も算数を教えるべきだ。数学をやるレベルではない。

「可愛いね、その服。もちろん桜庭さん自身もだけど」
「勉強会という名のおうちデートだもん」

 彼女は玄関のたたきでくるりと回った。
 背中に大きなリボンが付いていた。
 靴は黒いローファーで、陽光を浴びて光っている。
「後ろ姿も可愛いよ」
「お口がうまいにゃーん」
 彼はにまっと笑って、猫の手を模したポーズをした。あざとい。

「この世で九番可愛いひとは、桜庭レモンさんです」
「九番目かあ……」
 彼女は一瞬しゅんとしてから、
「あっ、それって一番ってことじゃん。やった!」
 右の拳を高くあげた。

 ぼくは楽しくなってきた。
「ぼくが世界で九番好きなひとは、桜庭レモンさんです」
「わたしが九番好きなひとは、綿矢くんよ」
「ぼくらの高校で九番美しいひとは、桜庭レモンさんです。ぼくの主観ですが」
 ぼくと彼女は同じ高校に通っている。中学の卒業式のときは知らなかった。あのときは別の高校になると思っていて、本当に必死だった。

「綿矢くんはうちの学校の女生徒を、どれだけ知っているのかなあ?」
「クラスメイトくらいかな」
「だめじゃん。クラスで九番しかわからないよね」
「桜庭レモンさんは9年9組で九番美しい女子です。これはクラスの男子の総意だと思う。おおかたの男子がきみに恋焦がれてるよ」
「恋焦がれて? ウッソだあ」
 嘘じゃないんだなあ、これが。そういう声は本当に多いのだ。

「コホン」
 わざとらしい咳払いが聞こえた。
「あなたたち、玄関でなにやってんの? 綿矢くん、お入りなさい」
 桜庭さんちのお母さんだった。
「…………。おはようございます。お邪魔します」
 ぼくは耳まで真っ赤になってしまった。調子に乗りすぎていた。
 彼女も顔を赤くしてうつむいた。

 彼女の部屋のちゃぶ台に隣りあって座って、勉強をする。
 ぼくはあぐらをかき、彼女は正座をした。ミニスカートで座ると、見えてはいけないところが見えそうになって、ドキッとした。
「算数の計算問題を解いてもらいます」
「先生、あまりむずかしいのはできません」
「簡単な問題からやりましょう。1+1は?」
「2! じゃなくて9+9になるんだから18! じゃなくて92!」
「前の世界の数字に置き換えて正解にたどり着くから、どうしても計算速度が遅くなるね」
「むーん。仕方ないじゃーん」
「いいよ、それで。ゆっくりやっていこう」

 九番簡単な問題を出してみる。
「9+9は?」
「2! じゃなくて8!」
「惜しい」
「9+8は?」
「7!」
「おおーっ、九発正解だよ。進歩した」

 彼女が正座の膝を少しくずした。
 目が吸い寄せられてしまう。
 太ももがむっちりして美しい。陰になっているその奥も見えそう。見てはいけない。
 だめだ、見ちゃう。肌の色がきれい。透けるように白い……。

「先生が下ばかり見てる。いけないと思います」
「いけないのは、きみの太ももだよ! 吸引力がありすぎる」
「ありすぎますか?」
「ありすぎます!」

 さらに足をくずして、もはや正座ではなくなった。横座りだ。
「それだめだよ! ミニスカートはホットパンツより威力があるよ!」
「そう?」
 彼女はわかっていて、ぼくにしなだれかかる。
 下着が見えそうになっている。ぎりぎり。見えそうで見えない。
「悩殺ってやつだね……。くらくらする」
「鼻血出てるよ」
 ぼくは横を向いて、ティッシュを鼻につめた。
  
「はー、ふー、はー、ふー」
 深呼吸をする。落ち着け。鼻血よ止まれ。

 鼻血が止まって、彼女の方へ振り返ると、正座に戻っていた。
「先生、問題のつづきをお願いします」
 彼女がやる気のあるところを見せた。
「お、おう。じゃあ、ちょっとむずかしくするよ。98+12は?」
「それって、12+98だよね。100! じゃなくて900!」
「55+55は?」
「そのまま計算できる! 110だから990!」
「素晴らしい。なんて優秀な生徒なんだ。8桁の足し算を暗算できるとは!」
 ぼくは大げさに褒めた。
「へへん」
 彼女は胸をそらしていばった。でかい胸がフリルブラウスを押しあげて、ばいーん、ぷるんってなった。

「はあ、はあ……」
 ぼくは悩殺されすぎて頭が悪くなった。
「足のきれいな人って、膝が美しいと思うんだよね。太ももとふくらはぎがきれいなのは、あたりまえでさあ。桜庭さんは膝がきれいなんだあ」
「キモッ」
「ねえ、膝枕してよ」
「死ねっ」
「もっと罵倒して」
「綿矢くんが壊れた。怖い!」

 彼女のお母さんがリンゴジュースとサンドイッチを持ってきてくれた。
 そのときぼくは彼女に膝枕されていた。
 お母さんはちゃぶ台の上にそっと昼食を載せて、なにも言わずに去った。
 
「なにか言ってほしかった。どう思われたんだろう……」
「わたし、この家で暮らしてるんだよ。次にどんな顔をして、お母さんと会えばいいの……?」
 彼女の頬は引き攣っていた。
 ぼくはまだ膝枕の上に顔を載せていた。
 やわらかくて弾力があって、離れられないんだ。なにこの絶妙な素材。

「そろそろ起きてよ。けっこう重いんだよ、頭」
「うん」
 ぼくは膝側に向けていた顔をころんと胴体側に向けて、身体を起こした。
 あっ、一瞬見えた。水色だ。
 
 ぼくが見たことに気づいて、彼女が顔を真っ赤にして、ぼくの頬をひっぱたいた。
 全然痛くないほど、しあわせだった。  
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