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Ⅰ‐翡翠の環
追加短編 猫
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「そういえば、王宮には猫の家があると聞きました」
食べていた菓子を飲み込んで、噛む音がなくなったらなんだか急に静かになった。会話が途絶えているのが気になった。別に、主人と二人きりになってもずっと話しているというわけではないから、黙っていて悪いこともないはずだが――今はなんとなく、話をしたほうがいい気がした。隣に座る主人が俺が何か言うのを待っているような、そんな感じが。だから話題を探し、甘い紅茶で湿らせた口を開いた。
「猫に気に入られないと働けないんだそうです。王様が遊びにいらっしゃるし、時々お客様もあるから緊張する、と……ご主人様も来たことがあると言ってましたが」
この前、宴の仕事の最中に一緒になった奴隷から聞いた話だ。
初めて会った奴と話すとき、今までどんな仕事をしてきたか、というのは大抵聞くことで――王宮では、いつもはどんな仕事をしているのか、という感じで切り出された。俺のように余所から貸し出された奴隷や新入りの奴隷はあまり多くはなかったものの、あそこは王宮と一括りにしてしまえないほど広いから普段顔を合わせない者も多いらしく、話すのは方々で聞こえた。
中でも驚いたのは、馬車で行きかうようなあの広い敷地の何処かには猫を飼う為の家があって、その専属をやっているという自己紹介だった。
リーシャット様ならそこで見たことがあるよ、とも言われて、多少は気安い気になったものだった。
「ああ、あそこはこの部屋より広い」
「そんなに?」
「猫が二十はいるからな。……何なら増えたかも知れん」
返ってきた主人の答えには、話を聞いたときより驚く。
王様が猫好きで――沢山いるんだとは言っていたが、大きい生き物じゃないからそこまでとは思わなかった。何匹もがいるところを想像して部屋を見渡してみるが、そんなに多くを一遍に見たことがないからいまいち思い浮かばない。
目を戻した先で、主人が眉を上げて笑う。
「多いと思うか」
「まあ、はい」
家が広くたって、多いだろう。いや逆で、多いから家まで出来たのかもしれないが。頷くと、主人はもっと笑って肩を竦めた。茶を飲んで息を吐く。
「多すぎる。だが、幾らいてもよいそうだ。愛いものが多ければその分幸福も多かろうと仰る」
言ったのは、陛下だろう。主人がこういう言い方をするのは鸞か王かだ。あの立派な人が猫を撫でて言うところを思い浮かべると――そういうものかもな、と思える。ご主人様といい、偉い人、加護つきなんかは言ったことをそうと思わせる力を持っているんじゃないだろうか。なんかなんでも納得してしまう。主人はそうでもないようだが。
「ご主人様は……猫は嫌いですか」
もしかしてと問えば首は横に振られるけれど。
「いや。だが私は偶にでいいな。あそこに呼ばれると暫くはよくなる。いつまでも足元に何かいるような錯覚をする」
どうも苦笑いだ。嫌いってより、飽きたのかもしれない。二十匹もに囲まれたら。たとえば俺が甘い菓子をいくつも貰ったときのような。
「お前は? そこで働いてみたかったのか」
「……いえ、ただ驚いて。そんな場所があること、に」
答えるうちに主人の手が伸びてきて、顎の下をくすぐる。多分これは猫の世話係じゃなく、猫そのものの扱いだ。猫なら喉を鳴らしてみせるんだろうか、こんな戯れにどう反応したらよいのかはまだ分からなくて、俺は首を引っ込めそうになる。
王宮の色んなところの話を聞いたが、他で働くことなんて全然考えていなかった。もう此処に帰ってくるんだと決まっていたから、安心して。
「猫に気に入ってもらえてもご主人様ほどではないと思いますし……」
――打つほどではない軽さで指先が据えられる。それだけでどきりとして息が止まった。
「王くらいだぞ、私と猫を並べて許されるのは」
「もっ、申し訳ありません……!」
低い声で窘められる。口を滑らせたことに思い至り焦る。慌てて吸った息の所為で下手に大声が出るのにまた慌てる。
下げる頭の上をやはり猫扱いめいた掌が撫でていったのに、どう反応したらよいのかは分からずとも、心底ほっとした。
食べていた菓子を飲み込んで、噛む音がなくなったらなんだか急に静かになった。会話が途絶えているのが気になった。別に、主人と二人きりになってもずっと話しているというわけではないから、黙っていて悪いこともないはずだが――今はなんとなく、話をしたほうがいい気がした。隣に座る主人が俺が何か言うのを待っているような、そんな感じが。だから話題を探し、甘い紅茶で湿らせた口を開いた。
「猫に気に入られないと働けないんだそうです。王様が遊びにいらっしゃるし、時々お客様もあるから緊張する、と……ご主人様も来たことがあると言ってましたが」
この前、宴の仕事の最中に一緒になった奴隷から聞いた話だ。
初めて会った奴と話すとき、今までどんな仕事をしてきたか、というのは大抵聞くことで――王宮では、いつもはどんな仕事をしているのか、という感じで切り出された。俺のように余所から貸し出された奴隷や新入りの奴隷はあまり多くはなかったものの、あそこは王宮と一括りにしてしまえないほど広いから普段顔を合わせない者も多いらしく、話すのは方々で聞こえた。
中でも驚いたのは、馬車で行きかうようなあの広い敷地の何処かには猫を飼う為の家があって、その専属をやっているという自己紹介だった。
リーシャット様ならそこで見たことがあるよ、とも言われて、多少は気安い気になったものだった。
「ああ、あそこはこの部屋より広い」
「そんなに?」
「猫が二十はいるからな。……何なら増えたかも知れん」
返ってきた主人の答えには、話を聞いたときより驚く。
王様が猫好きで――沢山いるんだとは言っていたが、大きい生き物じゃないからそこまでとは思わなかった。何匹もがいるところを想像して部屋を見渡してみるが、そんなに多くを一遍に見たことがないからいまいち思い浮かばない。
目を戻した先で、主人が眉を上げて笑う。
「多いと思うか」
「まあ、はい」
家が広くたって、多いだろう。いや逆で、多いから家まで出来たのかもしれないが。頷くと、主人はもっと笑って肩を竦めた。茶を飲んで息を吐く。
「多すぎる。だが、幾らいてもよいそうだ。愛いものが多ければその分幸福も多かろうと仰る」
言ったのは、陛下だろう。主人がこういう言い方をするのは鸞か王かだ。あの立派な人が猫を撫でて言うところを思い浮かべると――そういうものかもな、と思える。ご主人様といい、偉い人、加護つきなんかは言ったことをそうと思わせる力を持っているんじゃないだろうか。なんかなんでも納得してしまう。主人はそうでもないようだが。
「ご主人様は……猫は嫌いですか」
もしかしてと問えば首は横に振られるけれど。
「いや。だが私は偶にでいいな。あそこに呼ばれると暫くはよくなる。いつまでも足元に何かいるような錯覚をする」
どうも苦笑いだ。嫌いってより、飽きたのかもしれない。二十匹もに囲まれたら。たとえば俺が甘い菓子をいくつも貰ったときのような。
「お前は? そこで働いてみたかったのか」
「……いえ、ただ驚いて。そんな場所があること、に」
答えるうちに主人の手が伸びてきて、顎の下をくすぐる。多分これは猫の世話係じゃなく、猫そのものの扱いだ。猫なら喉を鳴らしてみせるんだろうか、こんな戯れにどう反応したらよいのかはまだ分からなくて、俺は首を引っ込めそうになる。
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