ご主人様の枕ちゃん

綿入しずる

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Ⅱ‐回青の園

模様替え

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第十の月 十二日
今日も色んなところで掃除を手伝った。
色んな場所に行ったから、三日前よりずっと屋敷の中が分かるような気になった。
この前の医者先生の居た場所も分かった。もし呼んでこいと言われたら走っていけると思う。西側の通路を二本行って最初の扉だ。緑色の飾りが下げてある。
離れや寝室のもようがえも手伝った。布や家具を変えるとあんなにふんいきが変わるものなんだ。新しい、別の部屋になってしまったみたいだった。
ハアルにもまた同じことを思うだろうか。


 主人が不在の三日間、暑期ハアル寒期バラドの区切りの日は大掃除の日と定められているのだという。屋敷に限ったことではなくどの家も大体その頃なのだが、屋敷の場合は主人が居ないうちに慌ただしいことを済ませる為に、十日から、と日取りが決まっているのだそうだ。
 俺もあちこちに行かされた。とはいえ掃除もそんなに経験があるわけでもなく足手まといなので、水を汲んだり道具を用意したり、持つ物を持って誰かの後ろについていくくらいで、あとは忙しそうにしている人々の邪魔にならないようにとさっさと退散して別のところに行くばかりだった。だから風呂に入って離れに戻るのだと言われたときは、向こうはもう掃除が終わったのだとばかり思っていたのだが、
「わ……」
 離れに連れ戻された俺は入って目を丸くした。見慣れていた風景が様変わりしている。
 揺れる紗のカーテンは陽射しを遮るほど厚い藍色の布へ。敷物は厚く柔らかく、場所によっては毛足の長い物へ。俺にはほとんど見慣れない雰囲気だったが、寒期に適した部屋作りなのだろうとは察しがついた。合わせてなのか、テーブルや椅子などの家具も物が変わっている。方々に散らばった使用人たちはそれらを磨き上げている最中だったが、まだ物が運び込まれている風でもあった。俺が居ては邪魔ではないのかと思う間に、奥から声がかかった。
「――ああ、来たわ。こちらへいらっしゃい!」
 しゃんと姿勢よく立っていたのは侍女長のナフラ様だ。目が合って、手招きされる。呼ばれているのは俺だと気づいて慌ててそちらへと歩み寄った。
 部屋の奥、ベッドは物が取り払われてすっきりしていた。寝台の上に敷布団だけが置かれて、その他のクッションなどは一切見当たらない。部屋と空間を仕切る為のカーテンも、ついたても、今はない。
 その代わりベッドの周り、床にはたくさんの包みや箱が置かれていた。覗くと様々な色柄の布や、クッションや紐が納められていて、今からこれらが取りだされるのだろうとは知れた。
「部屋の模様替えよ。付き合って頂戴な」
「はい」
 もようがえ。あまり馴染みのない言葉だったが、仕事となれば否はない。返事をして次の指示を待つ俺に、ナフラ様は笑って、近くに置かれた椅子を指差した。
「ああ、何かしてってわけではないの。居てくれればいいのよ。ちょっと待って、まだそこに座っていて」
「分かりました……?」
「お客様なんかは入らないから流行は気にしなくていいけど、それもまた難しいのよねえ。腕が鳴るったら」
 ナフラ様の言葉は独り言のようだった。言われたとおりに椅子に座って、俺は彼女と、彼女が見据えたベッドを眺めた。
 二、三指示が飛ぶ。と、控えていた侍女たちが動き回って包みを解いて布なんかを取り出し、見る間に寝床が整えられていく。シーツに掛け布団、毛布、何枚も布が重なっていって、クッションも元のようにいくつも用意された。薄く透けるカーテンで仕切られていたところは、たっぷりとして滑らかな、深い藍色の幕が下がって紐で纏められた。
 青く落ち着いた空間は、そこだけ夜のようだ。
 それらが終ると再び呼ばれて、ベッドに行くように命じられる。俺はおずおずといつものように端に腰掛けた。
「いつも座っているのはそこ?」
「はい」
「じゃあそこでいいわ。ちょっとそのままでいてね」
 何を持つでもない、部屋を冷やすでもない。掃除と物の出し入れの為に扉が開け放たれた部屋はむしろ寒いくらいに涼しい。ただナフラ様と、他の使用人たちの視線を受けて緊張し、姿勢をよくして固まった。
「毛布はそれでないと駄目なのよ……クッションのカバーはそれじゃないわね、なんだかちぐはぐだわ」
 やはり俺に対してではなく呟いて、考える間。ナフラ様の声は少しして先程のように指示になって、俺の周りで人が動き始めた。てきぱきとクッションや布が取り換えられていく。そしてまた、同じようにベッドを眺めて考える間があった。
 どうも模様替えというのは、色形の取り合わせの問題らしい。仕事の主旨は分かった。どうして俺が呼ばれたのかは分からないが。
 もう一度、たまに場所を譲ってどける他は座っているだけの俺のほうをちらと見て、
「まだなんとなく浮くわね。意外にカーテンの色が合わないかしら……でも部屋のほうも全部変えるわけにはいかないし……そうねえ……」
 床に残った布を確かめて思案するのはさっきより長い時間がかかった。
「そこ、アンサ織に変えましょう。そう、花格子柄の……」
 カーテンはそのまま、敷いている布の一枚を取り換えるのに俺は慌てて立ち上がる。薄紫の地の織物が場の雰囲気を少し変えた。俺にとっては、気がする、程度のものだけど。そういう意味のあることなんだろうと思う。
「留め紐と装飾も明るくしてみましょうか。探して。白か灰か、まあ銀でもいいわ。――あとそうだわ、この子の部屋着も用意があるわね? ついでに見立てておきましょう。何枚か持ってきて頂戴」
 この子、と示されたのは俺だが、はいと応えるのは俺ではなくて他の召使たちだ。一人が衣装箱に行って、ただの布ではなく服に仕立てた物を抱えて戻ってくる。
 立つように言われ――脱がされるかと身構えたが、着ている物の上から羽織らされた。それでも十分な余裕のある大きさのガウンだった。灰色の、手触りの柔らかい、なんだかふかふかした織物でできている。綿でも入っているか、薄い布が何枚か重なってるのかもしれない。
「……俺はこんなに厚着をしなくてもいいのではないでしょうか」
 俺は氷精憑きネ・モ・ヒエムだ。この部屋が今涼しいのだとは分かるが、だからといって震えることはない。一番寒い時期の夜中、外に放り出されてもそうだし、逆に熱湯を浴びせられても火傷をしない。俺たちにとって気温、温度とはそういうものだ。そのへんの熱や冷気よりも、氷精ヒエムのほうが強い。
 だからこんな格好は今までさせてもらったことがないし――必要ない、無駄になるのではと思う。ぽつと呟くと、ナフラ様は一等おかしそうに笑う口元を押さえた。
「それはね、貴方ではなく旦那様の為の厚着なのよ。薄いほうが好みだったら旦那様にそう言ってごらんなさい」
 薄いほう、と言われてうっかり想像してしまったのは前に着せられた夜会の服のような物で、つい首を振ったが。次に宛がわれたのは薄手の白い羽織りだった。柔らかく肌には沿うが、以前のあれのように透けたりはしないし、形も普通だった。さっきのガウンと大差ない前で合わせて帯で留める物だ。
 正直どちらが好みとかは分からなかった。ならまあ、言われたとおりの物を着ていればいいだろう。ナフラ様の言うとおり、これも俺が貰うのではなく、俺に合わせて主人が用意させているに過ぎないのだから尚更だ。
 他にも何枚か、貫頭衣や裾の長い物など色々取りだされて、似合うの似合わないのと選別されていったが、その基準もやはりよく分からない。
「ん――いいのではないかしら。ねえ」
 そんなことをしているうちにベッドのほうが出来上がったらしい。藍色のカーテンに合わせた似たような色味の敷き布が重なって、厚みのある布団と柔らかそうな毛布、灰色や紫のクッション。言っていたとおりカーテンの留め紐や房飾りは白っぽい物に替えられていた。さっきよりも少し明るい、月や星の見える夜の色という感じがした。
 俺はそこにもう一度座って、何かの確認を受けた。ナフラ様が改めて全体を見渡して頷くと皆がふうと一仕事終えた風に息を吐く。なんだか俺も息が抜けた。楽な仕事だが、どうしたらいいのか分からないのはやっぱり困る。
「灯りはこちら? そちらにも吊るしますか?」
「閉じたら暗くなるわ。読書をなさるから二つにして頂戴。香炉は手前に」
 天井から綺麗に磨かれたランプと香炉が吊るされた。仕上げに香を焚くといつもの香りがして、此処がちゃんと離れだと思えて少し落ち着くが。ベッドの周りも、敷物や家具を取り換えた辺りもまるで様変わりしてしまって、間違って別の建物に入ったようにさえ感じられる。変わらないのは書き物机の周りくらいだ。
 これが寒期の為の部屋なんだ。風通しがよかった暑期とは全然違う。此処に自分がいるのが不思議だ。
 ――と、考えていたんだけれど。
「あとは枕ちゃんと旦那様が、お好きに使いやすいようになさるわ」
 そう呼ばれて、ようやく俺にもぴんときた。俺は枕で、このベッドの一員で、さっき散々宛がわれた服はそう、枕のカバーか。ナフラ様は俺も合わせてベッド周りを整えないといけなかった。それでこの場に居ろと言われたんだ。なるほど。
 此処に足りないのは、あとは主人だけだ。俺は用意されたベッドと一緒に主人を待っていればいい。服も主人が好きなように言いつけるだろう。
 そう思うと落ち着かないなりに嫌な感じではなく、少し待ち遠しいような気分になった。待ち遠しいも何もすぐ明日になって主人は帰ってくるだろうけど。
「さて、まだ終わりじゃないわ。――これを全部向こうに持っていかなきゃならないの。手伝ってくれるかしら」
「はい、かしこまりました」
 此処でご主人様と過ごす寒期の日々。今までとはまるで違う、暑期までの時間。
 考えると、言いつけられて残りのクッションの包みを抱え上げるのさえ、なんだか楽しくなった。
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