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Ⅰ‐翡翠の環

定位置ⅰ

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 王宮の広間は当然のように広くて、その上天井はすごく高くて、青く彩られていたので最初は空かと思ったほどだ。これは奴隷の数が必要なわけだ。
 氷精憑きネ・モ・ヒエムだけでなく、火精ラーブの特別奴隷が火を灯すところを見たし、幻精ソニムが芸をやるのも見た。とんでもない数があちこちに居て気配が追えない。
 その中でも俺は多分、目立っていた。翡翠の首輪、リーシャットの、と囁く声は奴隷の中でも宴の最中の客の中からも、何度も聞いた。
 王宮に貸し出された俺は久しぶりに多くの白奴隷アラグラルの一員として迎え入れられた。力の漲った幼いくらいに若い奴隷もいれば、俺のように生き残って小手先の器用さを評価されている奴、見た目の良さで買われている奴、色々いた。
 皆鉄の環よりは上等な物を着けていたし、俺に仕事を教えてくれた同じ年頃の奴隷は銀細工に石の嵌った綺麗な首輪をしていたが、翡翠の環を着けられたようなのはさすがに見かけなかった。
 外の、しかも大臣の奴隷だということで面と向かっては何もなかったが、声は聞こえてきた。
 羨ましい、いくらの奴隷なのか、不相応、顔に似合わない。一体どうやって取り入ったのか――というのは、俺が聞きたい。まあでも、結局やっぱり、主人が悪趣味なだけだろう。最初からだったんだからそうとしか思えない。俺の努力などではなくて、運だ。
 そんな感じで言われはしたが、俺は夜会のときほど憂鬱ではない。一応、氷を作れる上等な奴隷として此処に居るわけだし、付け焼刃でも色々と教えていただいたから前よりはどういう振舞いをしたらよいのか分かっていて安心している。自信があるかというとそうでもないが。
 仕事を通して仲良くなった子もいる。すぐ会わなくなる、いつもの関係だが――屋敷に戻ったら他の奴隷とは上手くやれるだろうか。主人は会わせてくれるだろうか。あの綺麗な子。他の奴も綺麗だろうか。
 仕事や場所を覚え、元の生活に戻ることも合間合間に考えながら、広間に訪れた多くの貴族の視線を浴びながら、俺は三日間働いた。ひそひそと俺についてを言う声は夜会とは違って話しかけてはこないので、何も聞こえていないふりをしてやりすごすだけでよかった。
 七の宴と呼ばれる宴は暑期ハアルの大祝宴で、七日から三日三晩かけて行うものだという。目まぐるしいほど明るくて賑やかで、毎年やっているなんて思えぬほどたくさんの食べ物と酒とが振る舞われていて、大きな香炉でふんだんに香が焚かれている中、日に何度も歌や楽を聞いた。
 俺は冷房をやりながら呼ばれるたびに氷を作り、氷菓シャルバートも何度も作った。俺は冷やしているだけだが、混ぜる菓子職人は大変そうだ。他にも煮詰めた蜜で氷の上に細工を作っていたりして、俺たちの口には入らなくても、見ているだけでも面白かった。
 何度か、主人が色々な人と話しているのを遠くに見かけた。こうして大勢で建物を冷やしているからか他の白奴隷は連れておらず、若様や、奥様やお嬢様なのだろう人やハリュールが横に居た。
 何度か、目が合った。主人も俺を見ていた。距離があったし勿論、奴隷が客に話しかけることはできない。主人も話しかけてはこなかった。だが居ると分かっただけで少し安心するのが不思議だった。
 ――早く帰りたいなあ。
 ぼんやりと考えながら、深い夜に似た青色のカーテン越し、月か星のようにぽつぽつと透ける灯りを眺める。
 広間を見渡せる二階の回廊の一角、屋敷の書斎の椅子と同じようにカーテンで囲った冷房役の長椅子には今俺一人で、こそこそと話す相手も居ない中眠ってしまうことのないように努力して目を開け姿勢を保っていた。さっき盛大に拍手が聞こえて目が覚めたが、その後は穏やかな楽が奏でられて、音がしているのに眠気を誘うようだ。
 王宮での仕事は交代制にはなっていたが出ているときは力を使いっぱなしで、最終日ともなるとさすがに疲れてきた。いつが終わりなのか、奴隷で、初めて使われている俺には見当もつかない。まだかまだかと思いながら時間が過ぎるのを待つ。
 また目を閉じかけて、はっとする。誰か近づいてきた。よかった。居眠りしているところを見られたら後で鞭が入るかもしれない。
 なんて、気配が通りすぎるのを待っていたら椅子の前で立ち止まる。カーテンが揺れた。
 紗を引いたのは奴隷の誰かや使用人ではなく、青地に銀糸を織ったジャルサを思わせる礼装の主人で。こっちを覗き込み口を開く、唐突な夢のような姿を俺はぼうと眺めた。
「ハツカ、終わりだ。帰るぞ」
 ああ、久しぶりの主人の声だ。
「――はいっ。終わった……んですか?」
 返事を忘れるところだった。
 慌てて答えて立ち上がって出てみれば下の広間はまだ人で溢れている。終わっているんだろうか。皆様がお帰りになったら俺たちも終わりだ、と監督役は言っていたが――
「まだ遊び足りない方々が残っているだけだ。最後まで付き合っていると朝までかかるからな。許可もとったから案じるな。ついてこい」
 三日三晩やったのに、足りない人なんているのかと唖然とする。どうあれ俺の最優先は主人だからいいと言うなら無論帰るけれど、朝まで付き合わされる他の奴隷たちは気の毒だった。
 力を引っ込めながら、踵を返した主人を追う。最初はちゃんと三歩後ろを保って歩き始めたが、主人は俺に構わず進むし、回廊を離れて入りくんだ通路に入っていくので、途中からは離れたり近づきすぎたりしながら頑張ってついていくことになった。
 俺が仕事の為に案内されたときは控室からぐるぐると歩きまわった覚えがあるのに、階段を降りて気づけば外で、そこからも木立の細い道をするすると進んで庭に出て、ほとんど人に会わないで馬車のほうまで辿りついてしまった。距離は短かったが、息が切れた。
 何度か乗った屋敷の馬車ではない、同じ見目の車が何台も並んでいて、主人は特に探すこともなく一つを呼び寄せて乗り込んだ。俺は引っ張り上げられ、そのまま主人の胸へと押しつけられた。ぎゅうと抱き締められて頭の上で溜息が聞こえる。
「……帰ったら風呂だな」
 主人も相当お疲れと見えた。すぐ寝たいくらいだが、風呂らしい。俺も付き合わなければならないだろう。ちょっとげんなりした。性奴隷の仕事はないといいが……多分ないだろう、この分なら。
 宴の香の匂いに混ざって懐から微かに主人の匂い、屋敷の部屋の匂いがする。
「……お疲れ様でした」
 数日ぶりの体温の上、なんて答えるべきか迷って結局それだけを口にした。俺の髪を梳きやや置いてもう一度溜息を吐いた主人は、俺を横に置いて座りなおした。俺も姿勢を整える。
「出してくれ、リーシャットだ」
「畏まりました」
 言いつけると滑らかに馬車が動き出す。
「疲れただろう、寝ていろ」
 と主人はいつものように言うしたしかに疲れてはいるが。あれからというもの俺は、馬車に乗ると心配で眠るどころか目を閉じてもいられない。今日はハリュールも居ないし護衛も居ないようだし、何かあったら俺が動かないとと思ってなおさらだ。
 見れば、主人のほうはすぐに目を閉じていた。鸞が教えてくれるからいいんだろうか。でも、そう思っても俺には無理だ。
 すぐに微睡み始めた主人を羨みながら、俺は目を開け続け、今度はカーテンではなく主人を眺めながら揺れる椅子の上で眠気に耐え始めた。
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