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Ⅰ‐翡翠の環
鸞の庭ⅱ
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金の瞳の力が主人に劣らず強い。行くのだと言われれば抗えない、そんな力が眼差しにあった。
ええい、仕方がない。怒られるにしてもとりあえずこの子供を誰かに託さなければどうしようもない。向こうから見えやすいところに出て誰かを探そう。一人くらいすぐに見つかるはずだ。後はその人に頼めばいいのだ。
「ええと、お父様が戻っていらっしゃらないか、ちょっと見てみましょうか」
「うん!」
自分だけで外になんて便所に行くときくらいのものだから、正直扉を開けるだけでも落ち着かない。今日は一人ではないがむしろ大事な物を勝手に持ち出しているような不安な状況だ。大事な物――ご子息は連れ出したのではなくやってきたのだし、どうこうするつもりはまったく無いが、他の人が奴隷の俺にどう思うかは定かじゃない。
まあそれは部屋にいても同じかもしれない。でも誰かがそのへんを歩いていてくれればそれで済むし。決意して若様と一緒に外に出てそっと扉を閉めて――振り返るといない。一気に血の気が引いた。
「若様!」
慌てて見渡すと早くも回廊のほうへと駆けていた。急いで追いかける。
「大丈夫、父さまのお仕事の部屋もわかるよ」
俺を見上げた若様は自信満々に言って進み続ける。
俺も分かる。分かるが、この離れから程近いと言えるその場所は、奴隷にとっては距離以上に遠く離れている。そんなに軽くすぐに決めて走っていけるのが羨ましい。
「俺は本当は、行ってはいけないんですよ」
溜息混じりについ口を突いた言葉に、若様はきょとんとして立ち止まった。
「お庭の部屋にいないといけないの?」
「そうです」
「ずっと?」
おざなりに答えると金色の目と見つめ合う。主人と同じ色だ。
此処で生きるのだと、買われた日に言われた。そのときはずっとだとかは考えなかったし、ずっとではないのかもしれない。けれど。
瞬きの間だけ迷って頷く。
「……ええ、そうです」
分からない。主人次第だ。でも命令を撤回されていない今は、そうだと思う。まだそれでいいはずだ。
「じゃあずっとジャルサが守ってくれるね」
思いがけず優しい響きに今度は俺がきょとんとする。夢で見た美しい鸞の姿、あの穏やかな昼寝の時間が思い出された。
「うちのお庭はジャルサのお庭だから、ジャルサが守ってくれるんだって。守ってほしい大事なものはお庭に置くんだよ」
たしかにこの庭も、どこか雰囲気は似ている。なにより加護を受けた主人の部屋なのだから言い過ぎでもなさそうだ。俺なんかに加護の類があるかは別にしても……
「一人で行くから待っていていいよ」
いやそれはともかくだ。本当は部屋を出てはいけないし、若様の口振りはかなりはっきりとして利発そうだが、だからといってやはり放ってはおけるはずがなかった。
「そういうわけには……ちょっとくらいなら大丈夫です、お供しますから」
「んー、いいのに」
提案すると小さな手が俺の手を掴んだ。控えめに握り返しておく。ゆらゆらと振られているが、とりあえずこれで見失う心配はないだろう。
いつもは主人か誰かに連れられて歩くところ、子供の歩調を気遣いながら歩いて庭と回廊を見渡す。困ったことに見えるところには誰の姿もない。頼る相手をという当てが外れて、俺と若様は建物の内まで進み続けた。
そこにも、いつもは挨拶する使用人が並んでいる廊下にも人影はない。朝ではないから当然かもしれないが、いやに広々と見えた。この子が抜け出してきたいつもの部屋とやらは遠いのか、まさか誰も居なくなったことに気づいていないのかとさらに不安になるほど、探し回っている気配もなければ誰の姿もない。
「どなたか、いらっしゃいませんか」
声をかけてみても、いくつかある扉の中からも応答はなかった。若様が案外早く進むので、すぐに書斎の大きな扉の前にも着いてしまった。
たしかに間違いもなく若様の手は書斎の扉の取っ手を掴んだが。黙って開けるわけにもいかないと俺は慌てて口を開く。
「あ、の、失礼致します、ご主人様」
扉が開いて、しまう。声は足りたか分からない。慌てて近づいてきた気配はハリュールで、目が合った。その向こうにさすがに驚いた様子の主人が見えた。
「父さま!」
若様が俺の手を離して、ハリュールの横をすり抜け駆けて行ってしまう。驚いたが、さっきと違ってざわりとする心地はなかった。主人が立ち上がり小さな体を受け止めると息が抜けた。
「お前、何して……」
「若様が迷って離れにいらしたので……こちらまでお連れしました。申し訳ありません、どなたも見つけられなくて、仕方なく」
その息を吸って弁明する。言葉遣いだのの勉強がここで役に立つとは思わなかった。主人もハリュールも、俺がろくに屋敷の勝手を知らないことは分かっている。これ以上の説明は不要だろう。
主人が屈みこみ、子供の頬を撫でる。やっぱり似ている。並ぶと見るからに親子だ。
「久しいな脱走魔。お前が抜け出すと皆が困るんだ、弁えないか。どこかに行きたいなら頼むんだ。この口は話せるだろう」
どんな風に語りかけるのかと思っていたが、聞こえた声は案外俺たちに対するものとも変わりない感じがした。静かに窘める声に若様は不服そうだ。
「一人でも父さまの部屋に行けたよ」
「そこに私はいなかっただろう。お前は私に会いにきたのだから、失敗したんだ。どうすればもっと早く会えたのか考えなさい」
「……はい」
消沈した様子ながらすぐ返事をした子供に、分かればよろしいと頷き抱え上げる主人。小さく歓声が聞こえた。笑顔の子を見るその面持ちは普段と少し違う感じがしたけれど。
「――ハツカ、お前は部屋に戻れ。後で行く」
「はいっ――失礼致します」
不意にこちらを見た金色の目はいつもどおり、ご子息よりよっぽど威力があって俺はほぼ反射で返事をした。思い出して一礼して、扉を閉めるハリュールにも目礼する。
「やっぱりマルディア連れてきちゃだめだった?」
「……あれはマルディアじゃない。私のものだからお前にはやれないよ。お前たちにはワラクがいるだろう」
扉の向こうから聞こえる、私のもの、と紡ぐ声にどきりとした。首輪をつけたときと同じ、手に書いた文字の意味を教えてもらったときと同じ、強く言いきかせるのでもなく当たり前に、平然と言いきる。
俺はこの人のもの、と俺自身に納得させる主人の声だ。俺がうだうだと考えても仕方がないかと思わせる、決まりきったことを教える声。
「だから父さまのマルディアでしょ?」
出会ってから似ているところばかり見ていた若様の、困惑した声は対照的で――最後にハリュールが噴き出すのがちらと見えた。すぐに取り繕ったけど、笑ったと思う。静かに扉は閉じた。
マルディアというのはどうも俺と結びつく言葉ではないようだ。失敗したかもしれない。主人はどう反応しただろう。厚い扉が閉じきると声は聞こえなくなったので、俺は聞き耳を立てることもせず、無人の廊下を逃げるように戻った。
夕暮れの頃になってやってきた主人は一人きりだった。若様も、使用人も連れず。出迎えた俺と向き合って座りもせずに話し始めた。
「今夜は別の部屋で寝る。明日は起きたら顔を洗って待っていろ。誰か寄越す」
「はい、かしこまりました」
「ところで子供相手だからと不用意な発言はするな。奴隷など言葉一つでどうとでもなるのだからな。お前を子に下げ渡すつもりはない」
明日の予定について返事をする、とすぐさま淀みなくやってくる言葉に気圧された。どうもこっちが本題だ。不用意な発言と言われたらすべて不用意だった気がするが。
「あ……と、マルディアという言葉でしたら、すみません、意味を知らなくて」
やっぱりあれだろうかと小さく訊ねると主人の眉が寄って身が竦む。
「知らずに言ったのか。王宮では絶対にやめろ。分からんことは分からんで通せ。あれがもし王子だったら揉めたぞ」
「はい、申し訳ありません……」
たしかに子供相手でも貴族、俺を使う側の人間だ。適当な受け答えは軽率だったんだろう。
王宮でもあんな風に言いきられたら頷いてしまいそうだが、主人の不利益になるのだから気をつけないといけない。縮こまったまま見上げると、主人は溜息を吐いて再度口を開いた。
「子守役、子供の世話をする専属召使のことだ。子供部屋にもその役割で一人白奴隷がついている。あれにしたら白奴隷は皆そうだと思っているんだ。今回はそれだけで済んだが、欲しいだのそうだと言っただの言い出したら非常に面倒だ。子供を納得させるのはときに議決を得るよりくたびれる」
ゆっくりと発音を聞かせるように言ってから教えられる。言葉の意味はすぐだったが――勉強のときほど時間をかけ、自分の頭の中でよくよく情報を整理してやっと今話していたことまで繋がった。若様は白奴隷はすべて子守役だと思っていて、俺は子守役かと問いかけて、自分はそれに頷いてしまった。場合によってはそれで本当に子守役として連れていかれるところだったと、主人は言う。俺には絶対向かない仕事だ。危ないところだった。
なるほど、さっき主人の子守なんて聞いたからハリュールは笑ったのか。そこまですべて納得がいった。
子に下げ渡すつもりはないと、最初に言われたのも意味が通ってきて――
「……俺、王宮にも売られないんですね?」
なんだかすっかり力が抜けて、ようやくそれを確認することができた。また主人の眉が寄ったが、今度はあまり怖くはなかった。
「売られると思っていたのか?」
「どなたも、俺を王宮にどうするのか言って下さらなかったので……少し不安でした」
「……宴に奴隷の数が必要だからその間貸すだけだ。売れと言われても断る。心配するな、今後一切予定はない」
告げるとたしかに言ってないと思い至ったらしい。はっきりと横に首を振られて断言される。もうこの後、俺はこれを心配しなくていいのだと思ったら嬉しくて、頬の緩みが抑えられなかった。髪を撫でて主人は出ていったが、顔はしばらく緩んだままだった。
明日やその先の宴は緊張するが。久しぶりに主人を見送るのも憂鬱ではなく、いつもより遅い時間に火が入れられるランプを一人で眺めるのも、一人の食事も、眠るのに横たわったベッドの匂いも、すべてが悪い心地ではなかった。
ええい、仕方がない。怒られるにしてもとりあえずこの子供を誰かに託さなければどうしようもない。向こうから見えやすいところに出て誰かを探そう。一人くらいすぐに見つかるはずだ。後はその人に頼めばいいのだ。
「ええと、お父様が戻っていらっしゃらないか、ちょっと見てみましょうか」
「うん!」
自分だけで外になんて便所に行くときくらいのものだから、正直扉を開けるだけでも落ち着かない。今日は一人ではないがむしろ大事な物を勝手に持ち出しているような不安な状況だ。大事な物――ご子息は連れ出したのではなくやってきたのだし、どうこうするつもりはまったく無いが、他の人が奴隷の俺にどう思うかは定かじゃない。
まあそれは部屋にいても同じかもしれない。でも誰かがそのへんを歩いていてくれればそれで済むし。決意して若様と一緒に外に出てそっと扉を閉めて――振り返るといない。一気に血の気が引いた。
「若様!」
慌てて見渡すと早くも回廊のほうへと駆けていた。急いで追いかける。
「大丈夫、父さまのお仕事の部屋もわかるよ」
俺を見上げた若様は自信満々に言って進み続ける。
俺も分かる。分かるが、この離れから程近いと言えるその場所は、奴隷にとっては距離以上に遠く離れている。そんなに軽くすぐに決めて走っていけるのが羨ましい。
「俺は本当は、行ってはいけないんですよ」
溜息混じりについ口を突いた言葉に、若様はきょとんとして立ち止まった。
「お庭の部屋にいないといけないの?」
「そうです」
「ずっと?」
おざなりに答えると金色の目と見つめ合う。主人と同じ色だ。
此処で生きるのだと、買われた日に言われた。そのときはずっとだとかは考えなかったし、ずっとではないのかもしれない。けれど。
瞬きの間だけ迷って頷く。
「……ええ、そうです」
分からない。主人次第だ。でも命令を撤回されていない今は、そうだと思う。まだそれでいいはずだ。
「じゃあずっとジャルサが守ってくれるね」
思いがけず優しい響きに今度は俺がきょとんとする。夢で見た美しい鸞の姿、あの穏やかな昼寝の時間が思い出された。
「うちのお庭はジャルサのお庭だから、ジャルサが守ってくれるんだって。守ってほしい大事なものはお庭に置くんだよ」
たしかにこの庭も、どこか雰囲気は似ている。なにより加護を受けた主人の部屋なのだから言い過ぎでもなさそうだ。俺なんかに加護の類があるかは別にしても……
「一人で行くから待っていていいよ」
いやそれはともかくだ。本当は部屋を出てはいけないし、若様の口振りはかなりはっきりとして利発そうだが、だからといってやはり放ってはおけるはずがなかった。
「そういうわけには……ちょっとくらいなら大丈夫です、お供しますから」
「んー、いいのに」
提案すると小さな手が俺の手を掴んだ。控えめに握り返しておく。ゆらゆらと振られているが、とりあえずこれで見失う心配はないだろう。
いつもは主人か誰かに連れられて歩くところ、子供の歩調を気遣いながら歩いて庭と回廊を見渡す。困ったことに見えるところには誰の姿もない。頼る相手をという当てが外れて、俺と若様は建物の内まで進み続けた。
そこにも、いつもは挨拶する使用人が並んでいる廊下にも人影はない。朝ではないから当然かもしれないが、いやに広々と見えた。この子が抜け出してきたいつもの部屋とやらは遠いのか、まさか誰も居なくなったことに気づいていないのかとさらに不安になるほど、探し回っている気配もなければ誰の姿もない。
「どなたか、いらっしゃいませんか」
声をかけてみても、いくつかある扉の中からも応答はなかった。若様が案外早く進むので、すぐに書斎の大きな扉の前にも着いてしまった。
たしかに間違いもなく若様の手は書斎の扉の取っ手を掴んだが。黙って開けるわけにもいかないと俺は慌てて口を開く。
「あ、の、失礼致します、ご主人様」
扉が開いて、しまう。声は足りたか分からない。慌てて近づいてきた気配はハリュールで、目が合った。その向こうにさすがに驚いた様子の主人が見えた。
「父さま!」
若様が俺の手を離して、ハリュールの横をすり抜け駆けて行ってしまう。驚いたが、さっきと違ってざわりとする心地はなかった。主人が立ち上がり小さな体を受け止めると息が抜けた。
「お前、何して……」
「若様が迷って離れにいらしたので……こちらまでお連れしました。申し訳ありません、どなたも見つけられなくて、仕方なく」
その息を吸って弁明する。言葉遣いだのの勉強がここで役に立つとは思わなかった。主人もハリュールも、俺がろくに屋敷の勝手を知らないことは分かっている。これ以上の説明は不要だろう。
主人が屈みこみ、子供の頬を撫でる。やっぱり似ている。並ぶと見るからに親子だ。
「久しいな脱走魔。お前が抜け出すと皆が困るんだ、弁えないか。どこかに行きたいなら頼むんだ。この口は話せるだろう」
どんな風に語りかけるのかと思っていたが、聞こえた声は案外俺たちに対するものとも変わりない感じがした。静かに窘める声に若様は不服そうだ。
「一人でも父さまの部屋に行けたよ」
「そこに私はいなかっただろう。お前は私に会いにきたのだから、失敗したんだ。どうすればもっと早く会えたのか考えなさい」
「……はい」
消沈した様子ながらすぐ返事をした子供に、分かればよろしいと頷き抱え上げる主人。小さく歓声が聞こえた。笑顔の子を見るその面持ちは普段と少し違う感じがしたけれど。
「――ハツカ、お前は部屋に戻れ。後で行く」
「はいっ――失礼致します」
不意にこちらを見た金色の目はいつもどおり、ご子息よりよっぽど威力があって俺はほぼ反射で返事をした。思い出して一礼して、扉を閉めるハリュールにも目礼する。
「やっぱりマルディア連れてきちゃだめだった?」
「……あれはマルディアじゃない。私のものだからお前にはやれないよ。お前たちにはワラクがいるだろう」
扉の向こうから聞こえる、私のもの、と紡ぐ声にどきりとした。首輪をつけたときと同じ、手に書いた文字の意味を教えてもらったときと同じ、強く言いきかせるのでもなく当たり前に、平然と言いきる。
俺はこの人のもの、と俺自身に納得させる主人の声だ。俺がうだうだと考えても仕方がないかと思わせる、決まりきったことを教える声。
「だから父さまのマルディアでしょ?」
出会ってから似ているところばかり見ていた若様の、困惑した声は対照的で――最後にハリュールが噴き出すのがちらと見えた。すぐに取り繕ったけど、笑ったと思う。静かに扉は閉じた。
マルディアというのはどうも俺と結びつく言葉ではないようだ。失敗したかもしれない。主人はどう反応しただろう。厚い扉が閉じきると声は聞こえなくなったので、俺は聞き耳を立てることもせず、無人の廊下を逃げるように戻った。
夕暮れの頃になってやってきた主人は一人きりだった。若様も、使用人も連れず。出迎えた俺と向き合って座りもせずに話し始めた。
「今夜は別の部屋で寝る。明日は起きたら顔を洗って待っていろ。誰か寄越す」
「はい、かしこまりました」
「ところで子供相手だからと不用意な発言はするな。奴隷など言葉一つでどうとでもなるのだからな。お前を子に下げ渡すつもりはない」
明日の予定について返事をする、とすぐさま淀みなくやってくる言葉に気圧された。どうもこっちが本題だ。不用意な発言と言われたらすべて不用意だった気がするが。
「あ……と、マルディアという言葉でしたら、すみません、意味を知らなくて」
やっぱりあれだろうかと小さく訊ねると主人の眉が寄って身が竦む。
「知らずに言ったのか。王宮では絶対にやめろ。分からんことは分からんで通せ。あれがもし王子だったら揉めたぞ」
「はい、申し訳ありません……」
たしかに子供相手でも貴族、俺を使う側の人間だ。適当な受け答えは軽率だったんだろう。
王宮でもあんな風に言いきられたら頷いてしまいそうだが、主人の不利益になるのだから気をつけないといけない。縮こまったまま見上げると、主人は溜息を吐いて再度口を開いた。
「子守役、子供の世話をする専属召使のことだ。子供部屋にもその役割で一人白奴隷がついている。あれにしたら白奴隷は皆そうだと思っているんだ。今回はそれだけで済んだが、欲しいだのそうだと言っただの言い出したら非常に面倒だ。子供を納得させるのはときに議決を得るよりくたびれる」
ゆっくりと発音を聞かせるように言ってから教えられる。言葉の意味はすぐだったが――勉強のときほど時間をかけ、自分の頭の中でよくよく情報を整理してやっと今話していたことまで繋がった。若様は白奴隷はすべて子守役だと思っていて、俺は子守役かと問いかけて、自分はそれに頷いてしまった。場合によってはそれで本当に子守役として連れていかれるところだったと、主人は言う。俺には絶対向かない仕事だ。危ないところだった。
なるほど、さっき主人の子守なんて聞いたからハリュールは笑ったのか。そこまですべて納得がいった。
子に下げ渡すつもりはないと、最初に言われたのも意味が通ってきて――
「……俺、王宮にも売られないんですね?」
なんだかすっかり力が抜けて、ようやくそれを確認することができた。また主人の眉が寄ったが、今度はあまり怖くはなかった。
「売られると思っていたのか?」
「どなたも、俺を王宮にどうするのか言って下さらなかったので……少し不安でした」
「……宴に奴隷の数が必要だからその間貸すだけだ。売れと言われても断る。心配するな、今後一切予定はない」
告げるとたしかに言ってないと思い至ったらしい。はっきりと横に首を振られて断言される。もうこの後、俺はこれを心配しなくていいのだと思ったら嬉しくて、頬の緩みが抑えられなかった。髪を撫でて主人は出ていったが、顔はしばらく緩んだままだった。
明日やその先の宴は緊張するが。久しぶりに主人を見送るのも憂鬱ではなく、いつもより遅い時間に火が入れられるランプを一人で眺めるのも、一人の食事も、眠るのに横たわったベッドの匂いも、すべてが悪い心地ではなかった。
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