ご主人様の枕ちゃん

綿入しずる

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Ⅰ‐翡翠の環

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 久しぶりに主人に抱えられての、昼寝の時間。横たわったのは勿論離れのあのベッド、主人の横だったはずなのに、さらさらと触れ合う葉擦れの音がやけに近く真上から降ってくるのに目を開けると、外で、一人だった。
 庭の景色にも似ているがどうも違う。見渡しても建物の影はなく、回廊も離れもまるで見えない。そして水の匂いがする。
 夢、かな。眠ってからどれだけ経ったかは分からないけれど、こういうのはきっとそうだ。
 だったら勝手に歩き回ってもいいだろう。屋敷の外に出るわけでもないし――首元に触れるとちゃんと首輪はあった。
 水の匂いと音のする方に歩いていく。此処はとても気持ちがいい。力に溢れていて、空気が澄んでいて、体が軽く感じられる。
 脈の近くだろうか、と考えて、自分がおかしくて笑ってしまった。寝たのはリーシャットの屋敷だ。動いていないんだから、脈の近くに決まっている。これはただの夢なんだから。
 それでも広々、気兼ねなく歩けるのは貴重だ。奴隷は夢の中が一番自由だ。それに夢なら、寝過ごさなければ怒られることもない。ちゃんと主人の元へと戻してもらえる。
 繁った草を蹴りながらなだらかに坂になっている地面を上って進んでいくと、とても大きく立派な木が白い花を咲かせているのが見えた。石段のように重なり合った白っぽい岩の上を流れる、清らかな水を吸い上げるようにして立って枝を広げている。
「わ――」
 俺は楽園みたいな景色の、木の下に居るものに気づいた。
 とても綺麗な青色。金の嘴と爪。首の長い大きな、美しい鳥。ジャルサだ。座り込んで目を閉じている。飾りのように長い尾羽が草と共に風に揺れている。
 もっと近くに寄って見てもいいだろうか。畏れ多いけど、夢なら。夢だろうか、これ。
 首輪に触れ息を詰めて立ち止まって、数歩前へ出てみる。鸞に動きはない、と思ってまた数歩。距離はかなりあったがそうして近づく。間に遮る物は何もなく鸞が目を開けたら見つかってしまう。
 犬とか鶏とかにはけっこう懐いてもらえるほうだったけど。偉い鳥はどうだか知れない。もしかしたら怒られたりとかするだろうか。そこらの人より偉い、加護を与えるほどの力の有る存在だ。怒らせたら俺なんかどうなるか分からない。でももう少し。
 どきどきしながらも綺麗な青色に吸い寄せられて歩いていった。その先で、俺は鸞よりも信じられないものを目にした。
 蹲った鸞に寄りかかって、寝ている人が居る。黒い髪を結わえた男。他ならぬ俺の主人だ。
 上等な絹織物のような艶のある綺麗な羽の、一等ふかふかの胸のあたりに寄り掛かって、主人が眠っている。大体さっきベッドで見たままの姿で。
 まさか鸞をベッドにする人がいるなんて。
 呆気にとられていると、鸞の頭の冠のような羽が開いて目も開いた。金色、主人と同じ色が俺のほうを見た。動けなくなった俺を丸い目がじっと映す。
 金の嘴の奥から涼やかに澄んだ鳴き声がした。鈴のような、玻璃を合わせたときのような、そんな響きを持つ声が小さく。何かが怒ったときのような身の竦む声ではなかったが、勿論意味は分からず俺は呆けて聞き惚れるだけだ。
 起こされたのか今度は主人が目を開けた。まったくいつもの起き抜けと同じ動作で枕に――今日は鸞の羽に埋めていた顔を上げ、俺を見つける。手が上がって俺を招いた。いつものように。
「……ハツカ、来い」
 鸞も見ているので迷ったが、俺にとっては主人の命令が一番だ。いいのかなと思いながらも勇気を出してそっと歩み寄って屈みこむと、遠慮なく引き寄せられた。
「うわっすみませ……!」
 よろめいて羽に手をついてしまい慌てる俺をよそに、主人はまた目を閉じている。寝始めたときと同じように俺を胸に引き寄せて涼をとりながら、鸞の羽に身を預けて。
 鸞も俺の手くらいでは痛くも痒くもないのか、まだこちらを見ているが気分を害した様子もない。ただ俺を見て、主人を見守って、ほとんど動かず布団のような役割をしている。俺は主人の上からそれを見た。
 すごい。なんて夢みたいな夢だ。どうだろう、夢だろうかこれ。
 昼寝の中で昼寝をする。しかも鸞をベッドにして。こんな不思議で不遜な夢は見たことがない。
 しばらくはどきどきしていたが、主人の体温と寝息があまりにいつもどおりなせいかやがて落ち着いて、夢の中なのに眠くなってきた。普通の人はこんな所で眠れるわけがないとさっきは思ったのに、時折囁くように聞こえる鸞の声があまりに綺麗で心地よすぎるからかもしれない。
 心地いい。此処はとても安らかだ。
 眠ってしまってもいいのか迷いながらも、俺も主人に従うように、抗えない睡魔に目を閉じた。

 目覚めたらちゃんとベッドの上だった。主人も横に居て、先に起きていた。巻物を読んでいるのか俺の上あたりを眺めている。明るいからまだ昼間だろう。
「お前もいたな」
 夢について言いたいが、夢だから。どう切り出したらいいのか迷う俺に主人が呟いた。
「時々いらっしゃる。話に聞くよりもずっと美しいだろう」
 淡々と言う声が鸞についてを言っているのだと、数秒遅れで気がついた。それはもう、見目も鳴き声も想像していたよりずっと綺麗だったけど。
「夢じゃないんですか」
「夢と言えば夢なのだろうが――ああ、お陰で気分がいい。よく寝た」
 なんともあっさり言って、いつもの所作で起き上がる主人に俺も身を起こして場所を開け――立ち上がる主人が、手に青い羽を持っているのを見た。
 夢で見たのと同じ綺麗な青色。ふわふわの、多分寝ていた胸のあたりの。
 呆然とする俺に構うこともなく、主人は迷わずに歩いて棚へと歩み寄り、一番上の、黒い木と宝石で出来た綺麗な箱に羽を入れた。
 加護の強さを思い知った。あんなに強い光が見えるわけだ。物語で聞くのは生まれたときに会いに来たとか、王の戴冠のときに来たとか、そういうのなのに。時々とか。しかもあんな風に寝てしまうとか。
「さて、不在の間どうしていたか聞かせてもらおうか」
 主人は水差しとグラスを手に戻ってきた。俺の手に持たせて、もう夢ではなく現実のことを言う。俺は急いで言葉を探した。訊かれたらこう答えようと考えていたことは色々あったのに、すごい夢を見たのもあっていざ訊かれると飛んでしまった。
 水を冷やしながら横に抱えられるのも数日ぶりだ。なんだか最初のようだ。
 でも――俺も大概慣れてしまったのか、なんとなく落ち着きもする。この屋敷での俺の居る場所は壁際や部屋の隅ではなく、このベッドや決められた椅子、主人の傍なんだろう。
「立ち振る舞いや言葉遣い、あと食事の作法と……ご主人様についても教えていただきました。読み書きは単語を少し読めるようになりました」
 主人は俺の短い報告では満足せず、何を教わったのか、また不在の間に会った多くの人についてを細かく述べさせた。ほとんど以前の食事の感想と同じで、優しくしてくれたとか少し怖いとか、そんな程度のことしか言えなかったものの、聞いてもらうと話しやすい。
 俺は主人の体温を横に、ハリュールが仕事の話をしにやってくるまで、勉強の時間のように口を動かして答えつづけた。
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