5 / 77
Ⅰ‐翡翠の環
綿詰めⅱ
しおりを挟む
人の気配に目が覚め、はっとした。スパイスの匂いがする。食事の時間らしい。
あれほど緊張していたのに慣れないことに疲れたのかいつもより深めに眠ってしまったようだった。気づけば横になっていて慌てて起き上がる。載っていた布団が落ちて急いで拾い上げ元の場所に戻した。気づかれなかったのか、寝ていたことや布団を落としたことへの怒鳴り声はない。部屋はちゃんと適温にできていた。
しかし改めて振り向けば、歓声を上げてしまいそうだった。祭の日みたいだ。
いつの間にか室内の灯りのすべてに火が入れられていた。きらきらと明るく眩しい。ついたての陰から覗くと、主人と目が合い怯む。食事を運んできた召使がいなくなるとテーブルへと俺を手招く。
寄ってなにか冷やす物があるのかとテーブルの上を眺めていたら、腕を軽く引っ張られた。長椅子の内側、主人の横まで近づくと腰を抱えて膝の上へと座らされる。尻の痛みは引いていた。
スプーンで粥を掬って差し出された。口元に。冷ませ、という意味ではないだろう。
「食え。腹が減ったろう」
「あ、はい……」
味付けのされた黄色い粥。肉や野菜も入っている。どう見ても奴隷の食事ではないが。
うろたえる俺に主人が言うのでとりあえず返事をして――恐る恐る顔を寄せてスプーンを咥えると香りが鼻を突き抜けて色んな味を感じた。
いつも食べている物とはまるで違う。いつもはほとんど塩気だけの粥やパンで、こんなに複雑な食べ物ははじめてかも知れない。目が覚める感じがした。飲みこんでも味と香りがする。
「どうだ」
「香りが、強くて……味がします。……塩気と、あと甘くて、と、おいしいです……」
「……なるほど」
「あ」
我ながらたどたどしい感想の間にスプーンで掬った粥を、主人は今度は自身の口へと運んだ。思わず声を上げてしまう。
「――なんだ?」
「っいえ、なんでも」
奴隷が食べた食器で食べるなんて、と思ったが――今更だった、グラスも使っていたし、接吻までしたのだから、俺の顔と同じで気にならないのだろう。本当に変わり者の主人だ。俺は視線から逃げようと身を竦めたが、あまりにも近くて多分無駄だった。
一口、自分の口へ。一口、次は俺の口へ。そうされるものだから、俺は主人の動き、食べるところを見ていなければならなかった。主人の側も俺を見ていた。
膝の上で主人の手で、主人に見られながら主人と同じ料理を食べる。具の入った粥は噛むたびに違う味がする。情報が多くていっぱいいっぱいだ。姿勢を保つ努力をして、噛んで飲みこむ、息を吸って、次を待つ。
主人と共に食事をするなんて、性奴隷とはこういうものなんだろうか。他で見たのとは何か違う気がするが詳しいわけでもなし――それに違ったとしてどうせ、俺はこの主人に従うしかないんだけど。
粥が終って、白桑の実は摘まんで直接口に運ばれた。指を噛まないようにと一層緊張したが、甘くておいしい。これは食べたことがあったが、口にしたのはいつぶりだろう。甘いものだって、隠れて花を咥えたときか、祭の日の施しで飴を貰ったときか。
食事がどうにか終わっても、主人はなかなか放してくれなかった。口元を布で拭われた後、指先でも拭われた。揉んで、さらに顔の他のところにも指で触れられる。どうも虫食い痕を辿っているようだ。首と鎖骨、胸のあたりにも触れて、首輪を弄ってようやく手が離れる。
ずっと見られて触れられて、何をされるのかとどきどきしたがそれだけだった。食事の片付けが来る前に俺は解放された。
「少し出る。お前は此処で大人しくしていろ」
「はい」
言われて、俺は出ていく主人を見送り、元居たベッドへと戻った。部屋の隅にすべきかとも思ったが、さっき居ろと言われたのはそこだったから。疲れはとれていたし、また寝入る失態は避けねばと目は開けていた。
そのうち召使がぞろぞろと六人もやってきて、片付けついでに俺を見ていった。皿の枚数に不釣り合いに多いから、見に来たんだと思う。ついたての向こうから見えたのは若い女ばかりだった。俺はいつものように俯いてやりすごした。
俺には特になにも言いつけず、食器の片付けについてぽつぽつ言う以外は何も話さずに出ていったが、出た先で急に声が聞こえはじめたのは、多分俺の話だろう。新しい奴隷は虫食い顔、どうして主人の部屋に居るのかしら、なんて。
部屋の灯りが輝くのやカーテンが揺れるのを眺めて過ごして時間は過ぎた。夜の鐘が聞こえてきていくらか経ってから、主人は戻ってきた。
寝間着に着替えて髪を解いた主人は俺を脱がせて、似たような一枚のさらさらの服に着替えさせて寝支度を言いつけた。本当の便所は外の少し離れた場所、顔と口を洗って、横になった主人にそろりと近づくとやはり布団の中に引きこまれた。
昼寝のときとは違って横に抱えられた。下は柔らかく、肌に当たる布もなめらかで、すぐ近くにある体温は奴隷仲間ではない大きな体で、ふんわりとよい匂いがする。
今回も、それだけだった。尻を触られたりはしなくて、ただ寝るだけらしい。
「……あの、部屋は、冷やしたままで?」
寝そべった俺を落ち着けたところで何か巻物を読み始めた主人に問いかけると、こちらは見ずに頭に手を置かれた。引き寄せられるのに従って、主人の胸に額をつける。
「いや、もういい、休め。お前も寝ろ」
「はい、分かりました……」
返事をして、命じられたので目を閉じた。閉じた瞼の向こうで主人が読み物をしている。灯りが消えて――主人も起きているのを止めたらしい。俺を抱え込んで、少しして寝息が聞こえ始めた。
そこで俺はほんの僅かだけ力が抜けたが、目は開けないようにしていた。そんなに眠くもないと思ったが、やることがないのでそうしているうちに眠ってしまった。
あれほど緊張していたのに慣れないことに疲れたのかいつもより深めに眠ってしまったようだった。気づけば横になっていて慌てて起き上がる。載っていた布団が落ちて急いで拾い上げ元の場所に戻した。気づかれなかったのか、寝ていたことや布団を落としたことへの怒鳴り声はない。部屋はちゃんと適温にできていた。
しかし改めて振り向けば、歓声を上げてしまいそうだった。祭の日みたいだ。
いつの間にか室内の灯りのすべてに火が入れられていた。きらきらと明るく眩しい。ついたての陰から覗くと、主人と目が合い怯む。食事を運んできた召使がいなくなるとテーブルへと俺を手招く。
寄ってなにか冷やす物があるのかとテーブルの上を眺めていたら、腕を軽く引っ張られた。長椅子の内側、主人の横まで近づくと腰を抱えて膝の上へと座らされる。尻の痛みは引いていた。
スプーンで粥を掬って差し出された。口元に。冷ませ、という意味ではないだろう。
「食え。腹が減ったろう」
「あ、はい……」
味付けのされた黄色い粥。肉や野菜も入っている。どう見ても奴隷の食事ではないが。
うろたえる俺に主人が言うのでとりあえず返事をして――恐る恐る顔を寄せてスプーンを咥えると香りが鼻を突き抜けて色んな味を感じた。
いつも食べている物とはまるで違う。いつもはほとんど塩気だけの粥やパンで、こんなに複雑な食べ物ははじめてかも知れない。目が覚める感じがした。飲みこんでも味と香りがする。
「どうだ」
「香りが、強くて……味がします。……塩気と、あと甘くて、と、おいしいです……」
「……なるほど」
「あ」
我ながらたどたどしい感想の間にスプーンで掬った粥を、主人は今度は自身の口へと運んだ。思わず声を上げてしまう。
「――なんだ?」
「っいえ、なんでも」
奴隷が食べた食器で食べるなんて、と思ったが――今更だった、グラスも使っていたし、接吻までしたのだから、俺の顔と同じで気にならないのだろう。本当に変わり者の主人だ。俺は視線から逃げようと身を竦めたが、あまりにも近くて多分無駄だった。
一口、自分の口へ。一口、次は俺の口へ。そうされるものだから、俺は主人の動き、食べるところを見ていなければならなかった。主人の側も俺を見ていた。
膝の上で主人の手で、主人に見られながら主人と同じ料理を食べる。具の入った粥は噛むたびに違う味がする。情報が多くていっぱいいっぱいだ。姿勢を保つ努力をして、噛んで飲みこむ、息を吸って、次を待つ。
主人と共に食事をするなんて、性奴隷とはこういうものなんだろうか。他で見たのとは何か違う気がするが詳しいわけでもなし――それに違ったとしてどうせ、俺はこの主人に従うしかないんだけど。
粥が終って、白桑の実は摘まんで直接口に運ばれた。指を噛まないようにと一層緊張したが、甘くておいしい。これは食べたことがあったが、口にしたのはいつぶりだろう。甘いものだって、隠れて花を咥えたときか、祭の日の施しで飴を貰ったときか。
食事がどうにか終わっても、主人はなかなか放してくれなかった。口元を布で拭われた後、指先でも拭われた。揉んで、さらに顔の他のところにも指で触れられる。どうも虫食い痕を辿っているようだ。首と鎖骨、胸のあたりにも触れて、首輪を弄ってようやく手が離れる。
ずっと見られて触れられて、何をされるのかとどきどきしたがそれだけだった。食事の片付けが来る前に俺は解放された。
「少し出る。お前は此処で大人しくしていろ」
「はい」
言われて、俺は出ていく主人を見送り、元居たベッドへと戻った。部屋の隅にすべきかとも思ったが、さっき居ろと言われたのはそこだったから。疲れはとれていたし、また寝入る失態は避けねばと目は開けていた。
そのうち召使がぞろぞろと六人もやってきて、片付けついでに俺を見ていった。皿の枚数に不釣り合いに多いから、見に来たんだと思う。ついたての向こうから見えたのは若い女ばかりだった。俺はいつものように俯いてやりすごした。
俺には特になにも言いつけず、食器の片付けについてぽつぽつ言う以外は何も話さずに出ていったが、出た先で急に声が聞こえはじめたのは、多分俺の話だろう。新しい奴隷は虫食い顔、どうして主人の部屋に居るのかしら、なんて。
部屋の灯りが輝くのやカーテンが揺れるのを眺めて過ごして時間は過ぎた。夜の鐘が聞こえてきていくらか経ってから、主人は戻ってきた。
寝間着に着替えて髪を解いた主人は俺を脱がせて、似たような一枚のさらさらの服に着替えさせて寝支度を言いつけた。本当の便所は外の少し離れた場所、顔と口を洗って、横になった主人にそろりと近づくとやはり布団の中に引きこまれた。
昼寝のときとは違って横に抱えられた。下は柔らかく、肌に当たる布もなめらかで、すぐ近くにある体温は奴隷仲間ではない大きな体で、ふんわりとよい匂いがする。
今回も、それだけだった。尻を触られたりはしなくて、ただ寝るだけらしい。
「……あの、部屋は、冷やしたままで?」
寝そべった俺を落ち着けたところで何か巻物を読み始めた主人に問いかけると、こちらは見ずに頭に手を置かれた。引き寄せられるのに従って、主人の胸に額をつける。
「いや、もういい、休め。お前も寝ろ」
「はい、分かりました……」
返事をして、命じられたので目を閉じた。閉じた瞼の向こうで主人が読み物をしている。灯りが消えて――主人も起きているのを止めたらしい。俺を抱え込んで、少しして寝息が聞こえ始めた。
そこで俺はほんの僅かだけ力が抜けたが、目は開けないようにしていた。そんなに眠くもないと思ったが、やることがないのでそうしているうちに眠ってしまった。
52
お気に入りに追加
160
あなたにおすすめの小説

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。
カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。
今年のメインイベントは受験、
あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。
だがそんな彼は飛行機が苦手だった。
電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?!
あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな?
急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。
さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?!
変なレアスキルや神具、
八百万(やおよろず)の神の加護。
レアチート盛りだくさん?!
半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。


男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる