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Ⅰ‐翡翠の環
購入
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瓜にミント、アザラン酒に塩肉、氷と白奴隷。
半年が暑く半年が寒い、極端な気候の暑いほうの時期――ハアルの時期によく売り買いされるもの、暑期の定番を示す言葉だ。前半はどこでも皆、後半は王族貴族富豪らの物言いで、特に高価なものになる。
特別な洞や部屋で保管しなければ暑期の頃には溶けてしまう貴重な氷と、冷たい空気を操り涼を呼ぶ、妖精憑きの特別奴隷。氷精憑きは白い髪と肌をしているから白奴隷だ。この時期はそれぞれの商人が精を出して、得意先を回って稼ぐ。
貴重な氷の中でも大きく、硬く、透明な物が選ばれて値を吊りあげられるように。白奴隷たちもその力が強く見目がよい物がより高値だ。逆に力が並程度であったり、見目が悪かったりすると値段は下がり、中古や貸出品になって年を重ねるごとにさらに値下がりしていく。奴隷商や主人からの扱いも当然雑になっていく。暑期が終わって寒期になっても裸で繋いでおいて凍え死ぬことがないので用無しの時期は酷いものだ。
俺は男で、顔は砂をかぶったような虫食い面で、もうずっと使いまわされてそこまで力が無い。多分元からそんな高値じゃなかっただろうけど、今は本当に安い。年々扱いが酷くなる。
去年は三回、奴隷商のところに出戻った。一番長く働いたのは広い氷室を冷やす大勢のうちの一人となったときで、そのときは話し相手がいたので割と気楽だった。一昨年は商人のとこのババアに貸し出されたりして、部屋の隅で縮こまってたり愛人とのお遊びを見せつけられたりして割と最悪だった。今年はどっちだろうか。
氷なら一度きりで溶けて消えられるというのに。俺たちのほうはそうはいかない。首輪をかけられて奴隷になったが最後、死ぬまで暑さしのぎに使われる。
また来てしまった競りの日、倉庫から出されて体を洗うよう命じられ、伸びていた髪を適当に切られて着替えさせられ、俺たちは市場に移された。同じように薹が立った白奴隷と一緒、安売り、期限付きの貸し出し、なんでも応相談の扱いもいつもどおり。
声がかかるまでは寝ていてもいい。どうせやることはない。呼ばれたら力を証明してみせればいいだけ。値や扱いの交渉はすべて奴隷商、主人たちの話だ。
競りが憂鬱で寝付けなかったのに早くから叩き起こされたから眠たくて、俺は丸めた裸の背が硬い柱につくのも構わずうとうとしていた。ら、早々に首輪が引っ張られた。
「ぐっ」
首を戒める鉄の環に、獣用のそれのように鎖や縄はついていない。環だけだ。だから軽くでも引っ張られるとすぐ首が締まる。主人はこんな扱いをしない。必要がないからだ。だから引っ張ったのは、主人ではなかった。
「いくらだ?」
顔を上げるより早く覗き込んできた金色の目に、ただでも詰まっている息が詰まった。他の奴隷たちも多分縮こまっている。
黒い髪の陰で聖なる光が俺を覗いている。
加護つき。若い――三十か四十の体格のいい男。身なりもいい。黒い髪を纏めて、被った帽子に銀刺繍。貴族とかの装い。そうだろう、俺たちが顔を見ただけで分かるだけの加護がついている。王族か領主か、そういう、偉い人間だ。
「商品だろう?」
「は、い……」
機嫌の悪そうな低い声。なんと俺自身に聞いているのだと気づいて、どうにか返事だけした。息が苦しい。値段は知らない。俺は売り物だが、売っているのは俺じゃない。
「旦那様、旦那様。首を絞めてます、放してやりませんと……おい早く!」
男の背後にこちらのほうを示して奴隷商を呼びつける、もっと若い男も居た。旦那様、とさらに宥められて、ようやく首輪を掴む手が離れた。
息を整える間もなく、主人が俺に立てと命じた。三十九。呼ばれたのは今日首輪につけられた木札、市で割り当てられた数字だ。記憶どおりのその番号を確かめることもなくのろりと立ち上がる。
「旦那、こいつをお買い上げで間違いないですか」
「そうだ。いくらだ」
他の奴隷たちが俺を見ている。
ああ、――不安。何かいつもと違うのは分かる。こんなのは変だ。
主人もどこか訝しげだ。それは、そうだ。俺は廉価の奴隷で、今周りに座り込んでいる他の奴隷との差なんて別にない。どれか、じゃなくて、こいつを、なんていうのは妙だ。
そうじゃなくても、こんなところにこんな人、来るのがおかしいんじゃないか。奴隷の買い付けなら後ろの男だけで十分だったはずだ。
なんて少し考えるだけの間にも加護つきの男は頷き続けて話を進め、言い値をさっきの、従者っぽい男に払わせて主人から首輪の鍵を受け取った。今度は主人に鉄の環の首輪を引かれ、数字札を外されあれこれと弄られる。俺はされるがままでいつも以上に話についていけなかったが、それは多分、主人――元主人も同じだった。いつもより高値がついた奴隷に嬉しいような不審なような、そんな感じ。
一方。新しい主人は。見上げると目が合った。首輪の鍵――鉄の棒がついた、装飾品にしては趣味の悪い紐を首にかけている。これで俺は完全に逆らえない。
主人はふと息を吐いて、俺の腕を掴んだ。
「行くぞ」
「ええっ?」
腕を掴まれて、引かれる。思わず声が出る。驚いて身が竦みつんのめっても構わず歩き出した後を慌ててついていく。一歩、二歩、三歩。いくら進んでもまだ腕は掴まれたまま。従者も慌ててついてくる足音がした。
そんな必要はないのに。ついてこいと言えば、俺はついていくしかないのに。鍵を持った主人、加護つきの人。どっちをとっても、妖精は逆らえない。
「……ああ、冷たい。白奴隷だものな。この時期は助かる」
主人がまた、妙なことを言う。俺が白奴隷なのはついでのような、そんな口振り。
半年が暑く半年が寒い、極端な気候の暑いほうの時期――ハアルの時期によく売り買いされるもの、暑期の定番を示す言葉だ。前半はどこでも皆、後半は王族貴族富豪らの物言いで、特に高価なものになる。
特別な洞や部屋で保管しなければ暑期の頃には溶けてしまう貴重な氷と、冷たい空気を操り涼を呼ぶ、妖精憑きの特別奴隷。氷精憑きは白い髪と肌をしているから白奴隷だ。この時期はそれぞれの商人が精を出して、得意先を回って稼ぐ。
貴重な氷の中でも大きく、硬く、透明な物が選ばれて値を吊りあげられるように。白奴隷たちもその力が強く見目がよい物がより高値だ。逆に力が並程度であったり、見目が悪かったりすると値段は下がり、中古や貸出品になって年を重ねるごとにさらに値下がりしていく。奴隷商や主人からの扱いも当然雑になっていく。暑期が終わって寒期になっても裸で繋いでおいて凍え死ぬことがないので用無しの時期は酷いものだ。
俺は男で、顔は砂をかぶったような虫食い面で、もうずっと使いまわされてそこまで力が無い。多分元からそんな高値じゃなかっただろうけど、今は本当に安い。年々扱いが酷くなる。
去年は三回、奴隷商のところに出戻った。一番長く働いたのは広い氷室を冷やす大勢のうちの一人となったときで、そのときは話し相手がいたので割と気楽だった。一昨年は商人のとこのババアに貸し出されたりして、部屋の隅で縮こまってたり愛人とのお遊びを見せつけられたりして割と最悪だった。今年はどっちだろうか。
氷なら一度きりで溶けて消えられるというのに。俺たちのほうはそうはいかない。首輪をかけられて奴隷になったが最後、死ぬまで暑さしのぎに使われる。
また来てしまった競りの日、倉庫から出されて体を洗うよう命じられ、伸びていた髪を適当に切られて着替えさせられ、俺たちは市場に移された。同じように薹が立った白奴隷と一緒、安売り、期限付きの貸し出し、なんでも応相談の扱いもいつもどおり。
声がかかるまでは寝ていてもいい。どうせやることはない。呼ばれたら力を証明してみせればいいだけ。値や扱いの交渉はすべて奴隷商、主人たちの話だ。
競りが憂鬱で寝付けなかったのに早くから叩き起こされたから眠たくて、俺は丸めた裸の背が硬い柱につくのも構わずうとうとしていた。ら、早々に首輪が引っ張られた。
「ぐっ」
首を戒める鉄の環に、獣用のそれのように鎖や縄はついていない。環だけだ。だから軽くでも引っ張られるとすぐ首が締まる。主人はこんな扱いをしない。必要がないからだ。だから引っ張ったのは、主人ではなかった。
「いくらだ?」
顔を上げるより早く覗き込んできた金色の目に、ただでも詰まっている息が詰まった。他の奴隷たちも多分縮こまっている。
黒い髪の陰で聖なる光が俺を覗いている。
加護つき。若い――三十か四十の体格のいい男。身なりもいい。黒い髪を纏めて、被った帽子に銀刺繍。貴族とかの装い。そうだろう、俺たちが顔を見ただけで分かるだけの加護がついている。王族か領主か、そういう、偉い人間だ。
「商品だろう?」
「は、い……」
機嫌の悪そうな低い声。なんと俺自身に聞いているのだと気づいて、どうにか返事だけした。息が苦しい。値段は知らない。俺は売り物だが、売っているのは俺じゃない。
「旦那様、旦那様。首を絞めてます、放してやりませんと……おい早く!」
男の背後にこちらのほうを示して奴隷商を呼びつける、もっと若い男も居た。旦那様、とさらに宥められて、ようやく首輪を掴む手が離れた。
息を整える間もなく、主人が俺に立てと命じた。三十九。呼ばれたのは今日首輪につけられた木札、市で割り当てられた数字だ。記憶どおりのその番号を確かめることもなくのろりと立ち上がる。
「旦那、こいつをお買い上げで間違いないですか」
「そうだ。いくらだ」
他の奴隷たちが俺を見ている。
ああ、――不安。何かいつもと違うのは分かる。こんなのは変だ。
主人もどこか訝しげだ。それは、そうだ。俺は廉価の奴隷で、今周りに座り込んでいる他の奴隷との差なんて別にない。どれか、じゃなくて、こいつを、なんていうのは妙だ。
そうじゃなくても、こんなところにこんな人、来るのがおかしいんじゃないか。奴隷の買い付けなら後ろの男だけで十分だったはずだ。
なんて少し考えるだけの間にも加護つきの男は頷き続けて話を進め、言い値をさっきの、従者っぽい男に払わせて主人から首輪の鍵を受け取った。今度は主人に鉄の環の首輪を引かれ、数字札を外されあれこれと弄られる。俺はされるがままでいつも以上に話についていけなかったが、それは多分、主人――元主人も同じだった。いつもより高値がついた奴隷に嬉しいような不審なような、そんな感じ。
一方。新しい主人は。見上げると目が合った。首輪の鍵――鉄の棒がついた、装飾品にしては趣味の悪い紐を首にかけている。これで俺は完全に逆らえない。
主人はふと息を吐いて、俺の腕を掴んだ。
「行くぞ」
「ええっ?」
腕を掴まれて、引かれる。思わず声が出る。驚いて身が竦みつんのめっても構わず歩き出した後を慌ててついていく。一歩、二歩、三歩。いくら進んでもまだ腕は掴まれたまま。従者も慌ててついてくる足音がした。
そんな必要はないのに。ついてこいと言えば、俺はついていくしかないのに。鍵を持った主人、加護つきの人。どっちをとっても、妖精は逆らえない。
「……ああ、冷たい。白奴隷だものな。この時期は助かる」
主人がまた、妙なことを言う。俺が白奴隷なのはついでのような、そんな口振り。
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