ひとつのひ

綿入しずる

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後日談 手探り一つ進む日々 二*

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 仕事が終わったクノギがやってきた、いつもの書庫番の居室。寝台の上に向かい合って座り、スイはクノギの唇へと口づけた。
 恋人、という意識がそうさせるのか、二人が触れ合うとき先手をとって積極的なのはこれまでとは違いスイのほうだった。顔を寄せ挨拶のように口づけて胸元へと手を置き、服の前を開いてぺたりと掌を当てて、心音や鍛えられた体つきを確かめてみるのは気に入りだった。手は少しずつ下がり、ベルトや紐も引き解いて下着までずり下げる。それがいつもの順番だ。
 ときに真剣でときに楽しげなその様を見ているのは、クノギにとってはくすぐったくもどかしく、けれどとても嬉しくて楽しい時間だ。彼とそういう関係になったのだという実感が湧いてくる。
「……なに、舐めるのか」
「ん、うん」
 身を屈めるスイの頬を撫でながら訊ねると少し緊張したような声が返ってくるのも愛おしい。クノギは目を細めて、遠い顔にキスをする代わりにもう一度頬を擦った。
 胡坐を掻いたクノギの股座で既に少し持ち上がっている物を手にし、スイが顔を寄せる。
「――ん」
 雁首に、先端にと数度口づける、ただ触れるのではなくそれと分かる間を持った所作にクノギはびくりと体を揺らした。感触自体よりもその行為が刺激的だった。視線を伏せたスイは何度目かの口づけの後そのまま口を離さずゆっくりと咥えこむ。ぬるりと濡れた体温がクノギの陰茎を包んだ。
 順番を意識したそれは不自然で、その後頭を揺するように動かし始めるのも変わらず不慣れさが見える所作だったが――今のは明らかに誰かの入れ知恵が感じられた。
 スイがあの後も一人で外出していたのを、クノギは知っている。以前同様過度な詮索はしないようにと心掛けて理由を聞いてはいないが、先日の出来事を思えばニビと会っていたとしても不思議ではない。
 男娼の仕込みは心臓に悪いな、とぼんやり考える意識を払い、クノギは目の前の行為に集中する。
「……うん、気持ちいい」
 スイの額へと手を伸ばし、前髪を払うようにして撫でながら呟いた。他人の物を咥えたスイの表情はほとんど変わらないが、少しほっとしたような気配がある。
 未だ不慣れな口淫に口元は時折震え、眉が寄る。息苦しさに青い目が潤んでいる。技術としては拙く物足りなくとも、その苦しげな表情、精一杯の愛撫はクノギには十分だった。徐々に息が乱れてくる。
「――も、出すから。口離せ」
 やがて下腹に込み上げる射精感。口に出されるのは苦手な恋人へと声をかけたが、彼は離れるのではなくむしろ深く咥えこんだ。舌と上顎に擦りつけられる更なる刺激に、クノギも堪えることはできず吐精する。
「ん、――ふ、は……んん」
 口の中で跳ねる一物を感じつつ眉を寄せてそのまま飲みこもうとしたスイだったが、ほとんど喉には流れず仕損じる。諦めて口を離し大きく息を吸って咳払いをして呼吸を整え――どろりと精液と唾液で濡れた場所を見下ろして、再び顔を近づけた。
 射精後の気怠さの中、クノギが驚くうちに赤い舌が拭うように触れ精液を舐めとり、時折ちゅうと弱く吸いついてくる。
 達したばかりにも関わらず殴りつけるように性欲を揺さぶってくる鮮烈な光景だが。これまでのスイとはまた異なる振舞いに、クノギは慌てて再び彼の頭を掴んだ。先程とは違い止める動きだった。
「待て待て。何を吹きこまれてきたんだお前は」
 これも絶対、ニビからの入れ知恵だ。確信しての問いかけに、生臭い味にまた眉を寄せていたスイは顔を上げてもう一度息を整えた。
「……男は皆好きだって言ってた。俺は初めて聞いたけど」
 口の中には好ましくない味が広がっていて、本当に皆こんなことをしているのかと疑問にも思うが。やられるほうはとてもよい、興奮するのだと聞いたので頑張って続けたのだ。
 言外のそこまでなんとなく読みとって、クノギは息を吐いた。
「いやまあ、多少はそういう傾向はあるけど、無理にしなくていいっての……」
「でも……」
「……なんだよ?」
「貴方は他の人ともしていたわけだろう。もっと上手い人とか、ニビさんとか」
 スイの声は責める響きではなかった。むしろ逆に、内省するものだ。
 恋人になった男は自分とは違い、様々な人との経験があるだろう。自分の不慣れさも分かっているし――会うたびに行為はしているので回数ばかりは多いが、実は物足りないのではないか。
 十日前はそこまで考えていなかった彼だが、ニビと会って猥談などするうちに、房事もやはり奥が深いなんて生真面目に過ぎる感想と共にじわじわと気になってきたのだ。
 ちり紙をとって雑に股を拭うクノギにその懸念も深まる。努力はしてみたが今一つだったのではないか、と。透ける眉の下がった表情にクノギは溜息を吐き、一度下着を引き上げた。
「人をこんなさっさとイかせといて気にすることじゃねえよ」
 テーブルへと歩み寄り水差しから水を注いで、手渡しながらスイの横に座りなおす。スイは口を濯ぐようにして水を飲んだ。後味はまだ残っていて、絡む感覚にまた咳払いする。やはりあまり得意そうではない様に、今度はクノギが眉を下げた。
 頑張って何かしてもらうのは嬉しい。興奮するかと言えば、とてもする。だが無理にとは思わない。何より大前提として、スイが相手であればクノギは興奮するのだから。
「ニビとはたしかに寝たけど、それは欲で、アイツは商売だった。お前のことは好きなんだから、どんなに上手くても敵わない。前はこうなるとは思ってなかったからあれだけど……お前と寝てからは誰ともしてないし」
 向き合ってまっすぐに告げる言葉にスイの顔がじわと熱った。鈍い返事をしてもう一度水を飲む、その顔にクノギが問いかける。
「あと何聞いた?」
「えっと……扱くときに手の向きを逆にすると変化が出ていいとか?」
 偶然出くわしたあの場で言っていたように、他の客の情報を吹きこむようなことはしない男娼だった。自慰にも二人の行為にも使える豆知識的な話はいかにも言いそうなことで、きっとそれさえ真面目に聞いたのだろうなと二人の友人の様子を想像するとクノギは和むような脱力するような曖昧な心地だ。
 あとは、と思い起こして、スイはふと口元を綻ばせた。
「あと……相手がいるなら、やっぱり本人に聞くことですよ、ってさ。そうだよなあって思ったけど、いざ訊くのって難しいな」
「あー。あいつ根が真面目なんだよなあ」
 仕事柄猥談には乗るがこういうところは外さないのも、ニビらしさだった。それこそ揉め事を避ける意図もあるのだろうが、下から人生相談から、軽い調子ながらになんだかんだと律儀なのだ。スイの妙に真剣な猥談の相手も二回三回とこなしてくれる程度には。
 スイはぐと水を飲み干して、改めてとクノギの顔を覗きこむように首を傾ぐ。
「なんかしたいことないのか? 俺頑張るけど」
 頑張る、の響きがなんとも言えず胸に訴えて来るものがあって、正直それだけで何か叶えられた気分になったクノギだったが。折角言ってくれているのだからと少し考えて、思いつきを口にする。
「風呂に入りたい」
 それは恋愛や色事とは離れたただの欲じみた響きになって、はぐらかされた、冗談かと思ったスイはじとりと睨みつけたが。
「二人で一緒にって意味だよ」
「……そんなのでいいのか?」
 ぽそと小さく言葉を足すクノギにきょとんとする。大層恥ずかしいことを言ったように視線を余所へと外して首元に手を置く様を眺め、灯りのほとんど届かぬ暗がり、浴室の方向も見遣って返事を待つ。
「そんなのって言うな。憧れ……みたいな……あれなんだよ、俺としては」
 それはクノギにとってはもう十代の頃からの、恋人や家庭を意識する頃からずっと抱いていた夢の一つで。同時に、自分の恋愛対象が同性だと気づいたときから半ば潰えていた、理想の幸せのかたちだ。
 スイには今一つその情緒は理解がいかなかったが。クノギの照れた雰囲気は確かなもので、言ったとおり希望を叶えたい気持ちが強いのでそのあたりはすぐにどうでもよくなる。
 この建物に併設された浴室は足を伸ばせる程度の浴槽も洗い場もある。大人二人では手狭だろうが、無理ではないだろう。普通は使用人に支度をしてもらうが、特別な設備ではない。薪と水さえ用意してしまえばどうとでもなる。少しばかり面倒な力仕事にはなるだろうが、それくらいは。
 必要な要素を整理して、スイははっきりと頷きを返した。
「悪い悪い。いいよ、勿論。今日はちょっともう、難しいけど――今度準備する。此処のでもいいんだろ? 前にも風呂焚きやったことあるしできるよ。二人……いけるだろ。朝まで居られる日なら遅くに入ったっていいだろう」
 笑って、頷きを重ねて確認をする。
 あっさりと成った約束にクノギは逆に気難しい顔をして、やや置いて腕を伸ばし、スイの肩を抱いた。
「言ってみるもんだな……」
 抱き寄せながら、必死に自身の予定の記憶を手繰り寄せて都合のよさそうな日を考える。あまりに真面目な顔のままなので、間近で眺めていたスイは噴き出して肩を揺らして笑った。
「そんなにか?」
「そんなにだよ」
 たしかに言えば叶う願いではあったかもしれないが。そもそも好きな相手と一緒になれるなどと思ってもいなかったクノギとしては、今のこの時間だってとんでもない僥倖なのだ。
 けれど、スイはそのあたりの悩みはすっとばしてクノギが好きなのでこのあたりもなんとなく、そういうものらしい、という他人事な感じだ。
「他にはなんかないのか。もっと……」
 もう少し努力が必要なことでも、という調子の言葉を遮り、精液を舐めた口元にも構わず唇を押しつけ、クノギは恋人を布団の上に押し倒した。
「――とりあえず今はお前を抱きたいから話は後で。予定は戻ったら確認する」
 そうやって言われると際限なく欲が湧いてきてしまいそうで困る、などという幸福な悩みは、すぐに一番の欲にすり替わる。抱き締めて口づけて今の幸福な気持ちを伝えたい、と。今ならそれがすぐに叶うとも思えば、彼はまた一段と幸せだった。
 簡単に熱が戻って期待して見上げてくる青い目に、強いて言うならばその顔がもっと見たい――と思ったのはさすがに恥ずかしいので言わないでおいて、ただその願いを叶える為に、クノギは再び顔を寄せた。
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