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大人の今ⅳ
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接待、奉仕は搾取に似ていた。体が水分を欲していた。頭が重いのは、疲れと薬のせいだと思う。何を舐めさせられたのかは分からない。俺が聖堂で教えてもらったのは、極めて初歩的で、何かを間違えてもそう酷いことにならない薬草のことだけだった。薬部屋に居る祭司や仕者――たとえばエーミールやクロードなら、こうした物のことも分かるのかもしれないけど。俺はそっちには行かなかったから。
何か、は分からないけれど。麻薬と媚薬の相性は多分最悪なんだろう。胃液を吐き出してもまだ気持ち悪い。胃ごと吐きそうで目が回る。こういうのも何回かやってきたけど、やっぱり俺は麻薬とか、そういうのは駄目だ。
落ち着くまでは時間が要った。べたつく体を折り曲げて、いくらか冷たい床で冷やして浅く呼吸する。空気が薄い。窓を開けたいと思ったけど、此処にはない。仕方なく扉を少しだけ開けた。それで随分楽だった。薬は抜けやすいものだったようで、暫くすればまともに座っていられるようになった。
垂れ流して床を汚す誰のものか分からない体液が膝で粘つく。この中に自分のものもあるってことが割と不愉快だった。我ながら、よくまああんなので。子供を作るわけでもないっていうのに。
調子は悪いし、あちこちひりひりしたりぎしぎししたりで痛いし、暑いし臭いし最悪だ。自分で選んだ仕事とはいえ。あっちじゃこんなに酷くなかった。あそこは悪党の集まりでも整然としているところがあった。一口に聖堂と言ってもその実態は様々だと、俺はこの一年でよく分かっていた。
次は、もっと楽だといいな。それで、先だといい。お祈りの時間もまっとうに無いなんて、仕者としていいことなわけがない。折角教えてもらった色んなことも、こんなことばかりじゃ精液なんかと一緒に垂れ流して忘れてしまいそうだ。
「おい、生きてる……?」
奥の寝台に繋がれてたもう一人の体を揺すって、口元に手を当てる。部屋自体が熱くて湿っぽかったが、たしかに息が触れた感じがして、身じろぎもした。呻き声を出して震える。
見たことのない顔。もしかしたら仕者じゃなくて、どこかから連れてきた薬中か何かなのかもしれない。この聖堂にはそういうのも多いから。俺と同じぐらいどろどろにされていて、体にはまだ縄が食いこんでいた。
「死ななくてよかったな。……よかったのかな? でも、こんな死に方いやだろ」
隅の引き出しから刃物を探して、顎にかかって苦しそうな縄を切ってやる。仕者じゃないならと迷ったけど、どう見てもまともに立つことすらできそうにないから腕も足も全部自由にしてやった。気分が悪そうなので舌を押して吐かせてやって、背を擦る。他にすることは特になかった。清潔な布も水もないから体を拭ってやることもできない。そろそろ来る頃だと思うけど。
「貴方はなんで此処に居るの? 居たくて居るならいいけど、どうだかね」
返事らしい返事はなくても、呻き声が聞こえて目はこっちを見た。意識はあるらしい。目は灰色だった。あの人と同じだと思ったら途端にいいものに見えて、目尻にキスして額に手を当てる。
「……どうでも。女神様は見守っていてくださるよ」
あの人は。エーミールは、祭司長様は、父さんは。……皆、そう言っていた。俺もそうだと思う。どのような行いもすべて、神様が見ている。そうして慈しんでくださるだろう。だから我々は女神様のために働くのだ。
俺は愛のために此処に居るんだ。神様への愛と、あの人への愛。それで仕者をやって、こんなこともやってる。この行為もきっと神様とあの人の為になる。だから俺はこんなでも――なかなか幸せだと思う。愛されているときは愛したいと思った。愛しているときは愛されている実感がある。それはきっとあるべき形だからなんだろう。
――明るい真昼になお光り、我らを照らす八つ角の……
暗く、湿っぽく、不快な部屋の中。少しだけ開いた扉の向こうからどこかで誰かが讃美歌を歌っているのが聞こえて、それに合うように口を開いた。自分の声で向こうの歌は聞こえなくなってしまって、ちゃんと合わさっているのかも分からなくなる。それでも歌い続けて、知らない人の背や額を撫でた。
丁度歌い終わったところでやっと扉が開いて、祭司補様は部屋の惨状を見て肩を竦め、清拭のための布と着替えを渡してくれた。
「ご苦労だったな。戻っていい」
祭司補様は腕を捲りなおしながら素っ気なく軽く言う。労いの言葉はほんの一つまみ。それもあんまり優しさがない。すぐにこっちから視線を外して、寝台に転がっている人の体を拭い始める。俺は自分で勝手にやれってことだろう。
子供の頃は、と考えてしまって悲しくなった。今優しくされないのは――あの時以上にちゃんと頑張っても優しくされないのは俺が大人だからだろうか、なんて。馬鹿馬鹿しい。それでも愛や情を分かるのが大人ってやつだろう。甘やかすのと愛するのは違う。たまには、一緒だろうけど。
俺は気づかれないよう小さく溜息を吐いて拭くのをそこそこにして服を被った。どうせこれぐらいじゃ汚れが落ちないから風呂に行くし、適当でいい。
「廊下を汚すなよ」
「はい」
見向きもせずに投げられた言葉にすぐに答えて浴室に行った。あんまり人に見せたい恰好じゃないから急ぎたかったけど、普通に歩くので精々だった。裸足で歩く床の軋む音が、自分の体から出ているようでもある。
口をゆすいでたっぷりと水を飲んでから、ぬるま湯をもらって体をくまなく洗う。石鹸が酷く沁みたのであんまり使わないようにしたけど、それでも結構痛かった。疲れていたしそんなだったけど、あんまり適当にしすぎて肌がかぶれた時のことを思い出して、なるべく丁寧に洗って丁寧に拭いた。じっとりした髪も洗ったけれど、乾くまで拭く気にはならなかった。
水も飲んだし、薬もほとんど抜けた。体は大体清潔になった。それでもふらついた。壁を辿りながら戻って――窓を開けっ放しにしておいた部屋は明るくて、心地良い風があって楽園みたいに思えた。麻薬じゃなくて草の匂いがする。
庭に出て昔のように草を摘みたい。これは胃に良くて、これは熱に効いて、と優しく教えてくれた声が懐かしい。
皆元気かな、と考えながら寝台に俯せて疲労に任せて目を閉じるのは、それはそれは気分がよかった。
何か、は分からないけれど。麻薬と媚薬の相性は多分最悪なんだろう。胃液を吐き出してもまだ気持ち悪い。胃ごと吐きそうで目が回る。こういうのも何回かやってきたけど、やっぱり俺は麻薬とか、そういうのは駄目だ。
落ち着くまでは時間が要った。べたつく体を折り曲げて、いくらか冷たい床で冷やして浅く呼吸する。空気が薄い。窓を開けたいと思ったけど、此処にはない。仕方なく扉を少しだけ開けた。それで随分楽だった。薬は抜けやすいものだったようで、暫くすればまともに座っていられるようになった。
垂れ流して床を汚す誰のものか分からない体液が膝で粘つく。この中に自分のものもあるってことが割と不愉快だった。我ながら、よくまああんなので。子供を作るわけでもないっていうのに。
調子は悪いし、あちこちひりひりしたりぎしぎししたりで痛いし、暑いし臭いし最悪だ。自分で選んだ仕事とはいえ。あっちじゃこんなに酷くなかった。あそこは悪党の集まりでも整然としているところがあった。一口に聖堂と言ってもその実態は様々だと、俺はこの一年でよく分かっていた。
次は、もっと楽だといいな。それで、先だといい。お祈りの時間もまっとうに無いなんて、仕者としていいことなわけがない。折角教えてもらった色んなことも、こんなことばかりじゃ精液なんかと一緒に垂れ流して忘れてしまいそうだ。
「おい、生きてる……?」
奥の寝台に繋がれてたもう一人の体を揺すって、口元に手を当てる。部屋自体が熱くて湿っぽかったが、たしかに息が触れた感じがして、身じろぎもした。呻き声を出して震える。
見たことのない顔。もしかしたら仕者じゃなくて、どこかから連れてきた薬中か何かなのかもしれない。この聖堂にはそういうのも多いから。俺と同じぐらいどろどろにされていて、体にはまだ縄が食いこんでいた。
「死ななくてよかったな。……よかったのかな? でも、こんな死に方いやだろ」
隅の引き出しから刃物を探して、顎にかかって苦しそうな縄を切ってやる。仕者じゃないならと迷ったけど、どう見てもまともに立つことすらできそうにないから腕も足も全部自由にしてやった。気分が悪そうなので舌を押して吐かせてやって、背を擦る。他にすることは特になかった。清潔な布も水もないから体を拭ってやることもできない。そろそろ来る頃だと思うけど。
「貴方はなんで此処に居るの? 居たくて居るならいいけど、どうだかね」
返事らしい返事はなくても、呻き声が聞こえて目はこっちを見た。意識はあるらしい。目は灰色だった。あの人と同じだと思ったら途端にいいものに見えて、目尻にキスして額に手を当てる。
「……どうでも。女神様は見守っていてくださるよ」
あの人は。エーミールは、祭司長様は、父さんは。……皆、そう言っていた。俺もそうだと思う。どのような行いもすべて、神様が見ている。そうして慈しんでくださるだろう。だから我々は女神様のために働くのだ。
俺は愛のために此処に居るんだ。神様への愛と、あの人への愛。それで仕者をやって、こんなこともやってる。この行為もきっと神様とあの人の為になる。だから俺はこんなでも――なかなか幸せだと思う。愛されているときは愛したいと思った。愛しているときは愛されている実感がある。それはきっとあるべき形だからなんだろう。
――明るい真昼になお光り、我らを照らす八つ角の……
暗く、湿っぽく、不快な部屋の中。少しだけ開いた扉の向こうからどこかで誰かが讃美歌を歌っているのが聞こえて、それに合うように口を開いた。自分の声で向こうの歌は聞こえなくなってしまって、ちゃんと合わさっているのかも分からなくなる。それでも歌い続けて、知らない人の背や額を撫でた。
丁度歌い終わったところでやっと扉が開いて、祭司補様は部屋の惨状を見て肩を竦め、清拭のための布と着替えを渡してくれた。
「ご苦労だったな。戻っていい」
祭司補様は腕を捲りなおしながら素っ気なく軽く言う。労いの言葉はほんの一つまみ。それもあんまり優しさがない。すぐにこっちから視線を外して、寝台に転がっている人の体を拭い始める。俺は自分で勝手にやれってことだろう。
子供の頃は、と考えてしまって悲しくなった。今優しくされないのは――あの時以上にちゃんと頑張っても優しくされないのは俺が大人だからだろうか、なんて。馬鹿馬鹿しい。それでも愛や情を分かるのが大人ってやつだろう。甘やかすのと愛するのは違う。たまには、一緒だろうけど。
俺は気づかれないよう小さく溜息を吐いて拭くのをそこそこにして服を被った。どうせこれぐらいじゃ汚れが落ちないから風呂に行くし、適当でいい。
「廊下を汚すなよ」
「はい」
見向きもせずに投げられた言葉にすぐに答えて浴室に行った。あんまり人に見せたい恰好じゃないから急ぎたかったけど、普通に歩くので精々だった。裸足で歩く床の軋む音が、自分の体から出ているようでもある。
口をゆすいでたっぷりと水を飲んでから、ぬるま湯をもらって体をくまなく洗う。石鹸が酷く沁みたのであんまり使わないようにしたけど、それでも結構痛かった。疲れていたしそんなだったけど、あんまり適当にしすぎて肌がかぶれた時のことを思い出して、なるべく丁寧に洗って丁寧に拭いた。じっとりした髪も洗ったけれど、乾くまで拭く気にはならなかった。
水も飲んだし、薬もほとんど抜けた。体は大体清潔になった。それでもふらついた。壁を辿りながら戻って――窓を開けっ放しにしておいた部屋は明るくて、心地良い風があって楽園みたいに思えた。麻薬じゃなくて草の匂いがする。
庭に出て昔のように草を摘みたい。これは胃に良くて、これは熱に効いて、と優しく教えてくれた声が懐かしい。
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