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二 獅子の家
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やがて着いたハイダラ様の邸宅は、猫の家よりひっそりしていた。大きさは似たり寄ったりだと思うが、雰囲気が。古そうだからかも知れない。棕櫚の木が門の代わりに植わっている。
……そういえばハイダラという名前は、獅子に由来するのだそうだ。将軍らしい勇ましい名だと王様が言っているのを聞いた。だったら此処は猫の家ならぬ獅子の家だ。
これからは、此処で働くんだ。
「……よく来たな」
馬車を降ろされて、籠を受け取るうちに声がした。
ハイダラ様。――今日からは、ご主人様だ。
「お待たせいたしました。リーフは、こちらに」
下げ渡す猫の見送りは何度かやってきたけど、運んできたのは初めてだ。緊張しながら籠を差し出すと、いつも猫を持つよりしっかりと受け取られた。
「お前も中へ」
渡して終わりではないのだった。……まだ私が持ってたほうがよかったかも。返事をして、歩き出すハイダラ様の背を追いかける。
家の中も静かで、灯りが少ないから暗い。猫の家で言うなら私たちの部屋があるところくらいの感じだ。二階に上がる。突き当りの部屋まで行く。
扉を開いて見えたのは一見普通の部屋だったが、部屋の隅に箱に砂を敷いたトイレが急ごしらえっぽくも用意されているのが、此処をどうにか猫の部屋にしていた。後は、全部持ってきた。後ろから運び込まれる。
「此処がお前たちの部屋だ。道具は持たせると聞いたが……必要な物があれば言ってくれ」
もう一度、部屋を見渡す。寝台があって、床には薄い敷物が敷いてある。縦長の玻璃の窓が特徴的だ。
「そうですね……もっと棚などもあるとよろしいかと思います」
「棚か」
「登るのが好きなので……」
「……それは猫の話だな?」
「はい?」
他に何の話が? と思ったけど――私に訊いたんだ。猫と一緒に此処で暮らしていく奴に、何か生活に要る物はないかと。そういう確認だったのに、じゃあ、私が贅沢を言ったみたいになってしまった。
これまで部屋とか家具だとかはただ与えられた物を使うだけだったから、私の話とは考えもしなかった。
「はい、猫の話で御座いました。ええと、私のほうは何も。恐らくこれだけあれば平気かと……」
ちゃんと部屋があって、私が使ってもいいんだろう寝台もあるんだから十分だった。悩むより先に答えてハイダラ様の顔色を窺う。こちらを見る黒目がゆっくりと瞬いた。
「いや、そうだな、徐々にで構わないんだ。お前にも急なことだし」
静かに呟く。やはり突然乱暴になるような気配はなくて、ほっとする。
「猫に、棚か。――そういうものか。気がつく者がいてよかった。俺は経験も知識もない。世話はお前が頼りだ。よろしく頼む」
「はい」
そんな言葉までくれる。私はその為についてきたんだから、当然なのに。丁寧だ。――でも本当に、もう他の人もいないんだし一人でしっかりやらなきゃな。
「まず出してやろう」
ハイダラ様が籠を下ろした。留め紐を解いてそうっと蓋を開けてみる。
「リーフや、もういいよ、出ておいで」
声もかけてみるけど。ああ、耳が寝てる。怒ってるなあ。
「警戒しているな」
ハイダラ様も覗き込むとぴくんと動いたが、それまでだった。出てくるまでいかない。
「貰われた先ではすぐに出てこないことも多いと聞きました。手を出さずに待つようにと」
こういうときどうするべきかは教わってきた。いつもは猫を貰った本人や従者の人に伝えられるものだが、今回は私が行くことになったから全部私に叩き込まれた。普通の世話の仕方は覚えているのだから、特別なことだけ言えば済んだのは、多分向こうも楽だったろう。
ハイダラ様はなるほどと頷いた。
「……少しこうしていよう。いつものように」
言って、籠の横に座り込む。床を叩いて示されて、私も座る。
猫の家の再現だろう。けど、王様は居ないし、他の猫の気配もなくて静かだ。二人きりで座るのは勿論初めてで、部屋も――狭くはないけど広間ほどではないから、なんとなく距離まで近い気がする。リーフもやっぱり出てきてくれないし。待っているにしても、いつまでかかるのか。お茶やお酒もないのに座って何をすれば……
ちょっと考えて、はっとした。リーフは渡したけど、私のご挨拶をしていないぞ。まずい。
「ご主人様、本日より身を尽くしてお仕え致します。タラールと申します」
姿勢を正して呼びかける。今がそのときだったように平然と、手をついて頭を下げる。少し、久々に、首輪の重みを意識した。
「よしてくれ、今までのように……ハイダラと呼べ。皆そう呼ぶ」
顔を上げると、少し険しいお顔が見えた。何が嫌かは知れないが機嫌を損ねるのはよくない。とりあえず、呼びなおす。
「……ハイダラ様」
確かに猫の家でも何度かは呼んだ名だ。ご主人様、よりは私も馴染みがある。ハイダラ様は繰り返し頷いた。
「ああ、それがいい」
「はい」
それで会話は途切れる。そうだった、ハイダラ様はけっして口数が多くない。陛下にも、何か言われたら答えるって感じだった。だとしたらお一人の場合……静かにしていたほうがいいの? それとも、私も黙ってたらいけない?
猫の家でお客様相手に話すことと言えば、当然猫のことだ。猫の名前や、好きな触り方を教えて差し上げたり、お客様のお膝が気に入りのようですよと世辞めいたことを囁いたり。そうして陛下と猫と過ごす時間の間を取り成す。
でも、リーフは今こんなだし。猫の話は……
――最初、貰うのを断ったくらいだし……
「あの。ハイダラ様は猫が苦手でしょうか。でしたら……」
これまで、陛下の手前我慢していたのでは。そういう方もいる。陛下が居ない此処でならもう正直に話せるだろう。苦手なら、家では私に押しつけてしまえばいいと思った。
「いいや」
でも返事は即座。私が言い終わらないうちに、ハイダラ様は言いきった。
「慣れないだけだ。慣れるよう努力する。これからは特に。だから手伝ってくれ」
「……かしこまりました」
ハイダラ様こそ熱心な人だ。猫に、真面目だ。
そう言うなら私は従うまでだ。答えて、頭を下げるだけ。
きっぱり否定されたので会話もまた途切れてしまった。早くリーフが出てこないかなと思ったが、まだ籠の中で緊張して固まっている。今日は引っ張り出すわけにもいかないから、待つしかない。
代わりに荷物を解くことにした。リーフの嫁入り道具だ。クッションを敷いた小さな寝台に、包んだ物があれこれと詰まっていた。まず餌皿を出して割れてないか確かめる。綺麗な色で小鳥の絵の描かれた物だ。それに玻璃の水入れ。並べて、お次は金ぴかのブラシ。おもちゃもある。お気に入りの孔雀の羽根。――あ、おやつの干し肉も入ってる。普段ならこれを出せばすぐ寄ってくると思うけど、今日はどうかな。
「お前の物はないのか」
かかる声に顔を上げる。今度は私の話だと分かりやすかったので、迷わず胸に手を当てることができた。
「私はこれだけです」
猫の爪が引っかかって生傷が絶えないので、私たちのような身分でも上着を着ることが許されていた。しいて言うならこれが特別だろうか。袖は長く裾が短い、猫の毛がついても目立たない砂色の一張羅。他の服も、靴も、私たちは王様の前に出るからと奴隷の中でもいいやつを着ている。思えば、着替えはないけど……
ないな。
仕事も、着替えも食事も、誰かに言われたとおりにやってきたから、行けばどうにかなるんだろうと思っていたから、それも考えてなかった。私が行く準備なんてのは私も誰もしなかった。私はリーフのおまけに、皿とかと一緒に準備された側だ。
でもそっか、陛下に言われて急だったもんな。私もそうだけど、ハイダラ様のほうも同じだ。こっちでは何の用意もないんだろう。服が要りますと、さっき言えばよかった。
「用意してやらねばならんな。行ってくる。頼んだ」
私が口を開く前に、ハイダラ様が言って立ち上がった。慌てて頭を下げる。お見送りの間もなく、出ていった。
どうしようかなと思っても、嫁入り道具もそんなもので、包んでいた布を畳んで位置を整えてみたら終わってしまった。
リーフが顔を出した。今か、と思う間にぱっと飛び出して寝台の下に突っ込む。覗き込むと、やっぱり文句をつける顔でこっちを睨んでいる。
「これから此処で暮らすんだよ。リーフの部屋だ。今日からは私とあなただけだから、そんなに睨まないで」
四つん這いのまま囁いて。
「あなたはハイダラ様の猫になったんだよ。猫の家の猫じゃなくて、獅子の家の猫だ」
適当なことを言ってみる。リーフは下げ渡されたこと、どう思ってるのかな。大好きなハイダラ様とはいえ……王宮の猫のほうが、やっぱり偉くてよかっただろうか。でも響きは悪くない……いや、妙かな?
今度は寝台の下から出てこなくなってしまった。動かないリーフに諦めて、身を起こして、息を吐く。並べた皿が見えた。水入れが空じゃないか、と小言を言う上長の声の空耳がした。
「――騒いだら喉が乾いたろ。水を汲んでくる。……いい子にしていてよ?」
部屋を出て来た道を引き返した。やはり静かな家は迷うほどには入り組んでいない。一階に下りれば炊事場はすぐ見つかった。灯りが点いていて、人の気配がある。
「あの」
声をかけるとこちらを向いたのは女の人だった。使用人だろう頭巾に前掛けをした恰好で……四十くらい、かな。私を見て目を丸くする。
「まあ……」
「あ、ええと、猫と来た者です」
驚かせた。そういや私が来たことは伝わってるだろうか。何となく出てきてしまったけど、初めての場所で勝手に動いて――もしかしたら怒られるだろうか。
「ああ大丈夫よ、聞いているわ。ようこそ」
身構えたけど、女の人は優しく言った。柔らかい響きの歓迎の言葉に、ほっとして頭を下げる。
「タラールと言います、よろしくお願いします」
「アイシャよ。何か用?」
「飲み水を用意しに」
すぐ、水瓶から一杯汲み取られる。水差しじゃなく、陶杯に。……これは人間用だろう。
ああ。猫の、と言わなかったから。猫の家では猫のことばかりやっていたけれど、此処ではそうでもない。私に訊くし、私のことなんだ。次からはちゃんと言い添えないとな。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
とりあえずは、猫のだとは言わなかった。リーフだけの分なら一杯でも足りる。差し出されたのを受け取って、また二階に行く。
戻っても、リーフはまだ寝台の下に居た。
皿に水をあける。――折角杯に貰ったので、私も何口か分けてもらった。ふーと息が抜けた。
……そういえばハイダラという名前は、獅子に由来するのだそうだ。将軍らしい勇ましい名だと王様が言っているのを聞いた。だったら此処は猫の家ならぬ獅子の家だ。
これからは、此処で働くんだ。
「……よく来たな」
馬車を降ろされて、籠を受け取るうちに声がした。
ハイダラ様。――今日からは、ご主人様だ。
「お待たせいたしました。リーフは、こちらに」
下げ渡す猫の見送りは何度かやってきたけど、運んできたのは初めてだ。緊張しながら籠を差し出すと、いつも猫を持つよりしっかりと受け取られた。
「お前も中へ」
渡して終わりではないのだった。……まだ私が持ってたほうがよかったかも。返事をして、歩き出すハイダラ様の背を追いかける。
家の中も静かで、灯りが少ないから暗い。猫の家で言うなら私たちの部屋があるところくらいの感じだ。二階に上がる。突き当りの部屋まで行く。
扉を開いて見えたのは一見普通の部屋だったが、部屋の隅に箱に砂を敷いたトイレが急ごしらえっぽくも用意されているのが、此処をどうにか猫の部屋にしていた。後は、全部持ってきた。後ろから運び込まれる。
「此処がお前たちの部屋だ。道具は持たせると聞いたが……必要な物があれば言ってくれ」
もう一度、部屋を見渡す。寝台があって、床には薄い敷物が敷いてある。縦長の玻璃の窓が特徴的だ。
「そうですね……もっと棚などもあるとよろしいかと思います」
「棚か」
「登るのが好きなので……」
「……それは猫の話だな?」
「はい?」
他に何の話が? と思ったけど――私に訊いたんだ。猫と一緒に此処で暮らしていく奴に、何か生活に要る物はないかと。そういう確認だったのに、じゃあ、私が贅沢を言ったみたいになってしまった。
これまで部屋とか家具だとかはただ与えられた物を使うだけだったから、私の話とは考えもしなかった。
「はい、猫の話で御座いました。ええと、私のほうは何も。恐らくこれだけあれば平気かと……」
ちゃんと部屋があって、私が使ってもいいんだろう寝台もあるんだから十分だった。悩むより先に答えてハイダラ様の顔色を窺う。こちらを見る黒目がゆっくりと瞬いた。
「いや、そうだな、徐々にで構わないんだ。お前にも急なことだし」
静かに呟く。やはり突然乱暴になるような気配はなくて、ほっとする。
「猫に、棚か。――そういうものか。気がつく者がいてよかった。俺は経験も知識もない。世話はお前が頼りだ。よろしく頼む」
「はい」
そんな言葉までくれる。私はその為についてきたんだから、当然なのに。丁寧だ。――でも本当に、もう他の人もいないんだし一人でしっかりやらなきゃな。
「まず出してやろう」
ハイダラ様が籠を下ろした。留め紐を解いてそうっと蓋を開けてみる。
「リーフや、もういいよ、出ておいで」
声もかけてみるけど。ああ、耳が寝てる。怒ってるなあ。
「警戒しているな」
ハイダラ様も覗き込むとぴくんと動いたが、それまでだった。出てくるまでいかない。
「貰われた先ではすぐに出てこないことも多いと聞きました。手を出さずに待つようにと」
こういうときどうするべきかは教わってきた。いつもは猫を貰った本人や従者の人に伝えられるものだが、今回は私が行くことになったから全部私に叩き込まれた。普通の世話の仕方は覚えているのだから、特別なことだけ言えば済んだのは、多分向こうも楽だったろう。
ハイダラ様はなるほどと頷いた。
「……少しこうしていよう。いつものように」
言って、籠の横に座り込む。床を叩いて示されて、私も座る。
猫の家の再現だろう。けど、王様は居ないし、他の猫の気配もなくて静かだ。二人きりで座るのは勿論初めてで、部屋も――狭くはないけど広間ほどではないから、なんとなく距離まで近い気がする。リーフもやっぱり出てきてくれないし。待っているにしても、いつまでかかるのか。お茶やお酒もないのに座って何をすれば……
ちょっと考えて、はっとした。リーフは渡したけど、私のご挨拶をしていないぞ。まずい。
「ご主人様、本日より身を尽くしてお仕え致します。タラールと申します」
姿勢を正して呼びかける。今がそのときだったように平然と、手をついて頭を下げる。少し、久々に、首輪の重みを意識した。
「よしてくれ、今までのように……ハイダラと呼べ。皆そう呼ぶ」
顔を上げると、少し険しいお顔が見えた。何が嫌かは知れないが機嫌を損ねるのはよくない。とりあえず、呼びなおす。
「……ハイダラ様」
確かに猫の家でも何度かは呼んだ名だ。ご主人様、よりは私も馴染みがある。ハイダラ様は繰り返し頷いた。
「ああ、それがいい」
「はい」
それで会話は途切れる。そうだった、ハイダラ様はけっして口数が多くない。陛下にも、何か言われたら答えるって感じだった。だとしたらお一人の場合……静かにしていたほうがいいの? それとも、私も黙ってたらいけない?
猫の家でお客様相手に話すことと言えば、当然猫のことだ。猫の名前や、好きな触り方を教えて差し上げたり、お客様のお膝が気に入りのようですよと世辞めいたことを囁いたり。そうして陛下と猫と過ごす時間の間を取り成す。
でも、リーフは今こんなだし。猫の話は……
――最初、貰うのを断ったくらいだし……
「あの。ハイダラ様は猫が苦手でしょうか。でしたら……」
これまで、陛下の手前我慢していたのでは。そういう方もいる。陛下が居ない此処でならもう正直に話せるだろう。苦手なら、家では私に押しつけてしまえばいいと思った。
「いいや」
でも返事は即座。私が言い終わらないうちに、ハイダラ様は言いきった。
「慣れないだけだ。慣れるよう努力する。これからは特に。だから手伝ってくれ」
「……かしこまりました」
ハイダラ様こそ熱心な人だ。猫に、真面目だ。
そう言うなら私は従うまでだ。答えて、頭を下げるだけ。
きっぱり否定されたので会話もまた途切れてしまった。早くリーフが出てこないかなと思ったが、まだ籠の中で緊張して固まっている。今日は引っ張り出すわけにもいかないから、待つしかない。
代わりに荷物を解くことにした。リーフの嫁入り道具だ。クッションを敷いた小さな寝台に、包んだ物があれこれと詰まっていた。まず餌皿を出して割れてないか確かめる。綺麗な色で小鳥の絵の描かれた物だ。それに玻璃の水入れ。並べて、お次は金ぴかのブラシ。おもちゃもある。お気に入りの孔雀の羽根。――あ、おやつの干し肉も入ってる。普段ならこれを出せばすぐ寄ってくると思うけど、今日はどうかな。
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かかる声に顔を上げる。今度は私の話だと分かりやすかったので、迷わず胸に手を当てることができた。
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ないな。
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でもそっか、陛下に言われて急だったもんな。私もそうだけど、ハイダラ様のほうも同じだ。こっちでは何の用意もないんだろう。服が要りますと、さっき言えばよかった。
「用意してやらねばならんな。行ってくる。頼んだ」
私が口を開く前に、ハイダラ様が言って立ち上がった。慌てて頭を下げる。お見送りの間もなく、出ていった。
どうしようかなと思っても、嫁入り道具もそんなもので、包んでいた布を畳んで位置を整えてみたら終わってしまった。
リーフが顔を出した。今か、と思う間にぱっと飛び出して寝台の下に突っ込む。覗き込むと、やっぱり文句をつける顔でこっちを睨んでいる。
「これから此処で暮らすんだよ。リーフの部屋だ。今日からは私とあなただけだから、そんなに睨まないで」
四つん這いのまま囁いて。
「あなたはハイダラ様の猫になったんだよ。猫の家の猫じゃなくて、獅子の家の猫だ」
適当なことを言ってみる。リーフは下げ渡されたこと、どう思ってるのかな。大好きなハイダラ様とはいえ……王宮の猫のほうが、やっぱり偉くてよかっただろうか。でも響きは悪くない……いや、妙かな?
今度は寝台の下から出てこなくなってしまった。動かないリーフに諦めて、身を起こして、息を吐く。並べた皿が見えた。水入れが空じゃないか、と小言を言う上長の声の空耳がした。
「――騒いだら喉が乾いたろ。水を汲んでくる。……いい子にしていてよ?」
部屋を出て来た道を引き返した。やはり静かな家は迷うほどには入り組んでいない。一階に下りれば炊事場はすぐ見つかった。灯りが点いていて、人の気配がある。
「あの」
声をかけるとこちらを向いたのは女の人だった。使用人だろう頭巾に前掛けをした恰好で……四十くらい、かな。私を見て目を丸くする。
「まあ……」
「あ、ええと、猫と来た者です」
驚かせた。そういや私が来たことは伝わってるだろうか。何となく出てきてしまったけど、初めての場所で勝手に動いて――もしかしたら怒られるだろうか。
「ああ大丈夫よ、聞いているわ。ようこそ」
身構えたけど、女の人は優しく言った。柔らかい響きの歓迎の言葉に、ほっとして頭を下げる。
「タラールと言います、よろしくお願いします」
「アイシャよ。何か用?」
「飲み水を用意しに」
すぐ、水瓶から一杯汲み取られる。水差しじゃなく、陶杯に。……これは人間用だろう。
ああ。猫の、と言わなかったから。猫の家では猫のことばかりやっていたけれど、此処ではそうでもない。私に訊くし、私のことなんだ。次からはちゃんと言い添えないとな。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
とりあえずは、猫のだとは言わなかった。リーフだけの分なら一杯でも足りる。差し出されたのを受け取って、また二階に行く。
戻っても、リーフはまだ寝台の下に居た。
皿に水をあける。――折角杯に貰ったので、私も何口か分けてもらった。ふーと息が抜けた。
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