橘言

綿入しずる

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 またと言われたとおり、タチバナにはその後繰り返しお呼びがかかるようになった。
 寝所では、粗相はしなかったが気に入られるほどのことは何もなかったと思う。タチバナの声は褒められるもので、見目も割に優れたほうではあったけれど、相手は帝。美姫など幾らでも抱えられようもの。どうしてタチバナが呼ばれるのか、当人にも周りにも分からなかった。
 それであの話がよかったのだろうと言われるようになりました。鬣に住みつく精霊の話。あれが実は意味深長であったのだろうと。噂は広まり、いつしか橘言とまで。ああその頃はまだ、嘘話だったとは知られておりませんでしたが。
 後宮の湯殿でタチバナを待つのはいつも同じ顔でした。その者は髪を丁寧に洗い身を解した。それを陛下が好むので。時間がかかり、話す隙もあった。
「一晩で終わりと言いましたのに」
 勝手に、口が開いた。嫌味を言ったタチバナに、彼も言い返しました。
「名誉なことでありましょう」
 帝に侍るのを嫌がったと思われて、告げ口されてはまずい。恐れて、タチバナはもう言わなかった。大人しく身を任せ、少しずつ身支度にも、その者と過ごすのにも慣れました。
 帝はいつも寝台にタチバナを待たせて、訪れます。それが帝の寝所の作法でした。そうしてほとんど最初のときと同じように、タチバナに触れて、身を押し開きました。
 それで一息つくと仰せになるのです。
「何か一つ話をせよ。嘘でよい」
 寝台の上であるのに姿勢よく座ってしまわれるので、タチバナも濡れて熱る体を起こして向かい合います。そこで庭のときよりは少しましな緊張の中で、言葉を探す。
 初めは、思いつくままに喋った。ではまた精霊の話は如何でしょうと始めて、昔寝物語に乳母に聞いたような話をした。誰にも姿が見えないが、雨が降ると地面が濡れないのでそこに居るのが分かる者の話でした。それが居るところは避けて通らねばならない。通ってしまうと、精霊を背負って運ぶことになって重くて苦労するのです。精霊はそうやって旅をして、少しずつ集まって合わさり大きくなるのだそうです。大きくなってどうなるのかは、さて。
 けれど背負って雨に濡れなくなるなら少しよいかもしれませんと子供の感想そのままの下手な結びを致しました。陛下は、本当にそう思われたのか分からない御顔で面白いと褒めて、奥の間へと下がられました。
 二度目があれば、三度目もありました。四度も、五度も。
 何度も呼ばれて毎度請われるので、タチバナは予め話を用意してから行くようになりました。考えるのは段々と達者にはなりましたが、そうするとなんだか逆に、上手くない感じもして……何か面白い顛末を考えたり、もっともらしく意味を織り込んだりするようなのは早々に諦めた。気に入られたのはあの話なのだから、あのくらい、普通であれば聞き流すほどの話のほうがよいのだろうと思ったのでした。
 きっと。
 陛下は何の取り留めもない話を求めておられた。政などの話ではなく、堅苦しいことも血腥いこともなく、教訓などは含まず、ただ、ある事物について教えるだけの何気ない話を。為になる話でなくてよい。美しければなおよいのだ。嘘でも、よいのだ。嘘であるほうがむしろ、よかったのかも知れない。美しいだけの意味のない嘘があることが、――救いだったのでは。
 美しい嘘、やさしい嘘。誰を欺く為でもない、一時心を慰む景色を広げる為のことば。
 それを喜ばれたのではないでしょうか。陛下は日々政の場で交わされる重大な話に、そこに潜む臣下たちの思惑に疲れていらっしゃったのだと思います。
 ……そうしたことは察するほかありませんでした。帝は口数の少ない方で、胸の内は語らずじまいでした。
 短い話を一つ二つ聞けばもう満足してくださって、それで大抵は帰ってしまわれるが、何度目の夜かに共寝を命じられた。
 白い帳の内で帝と共に眠るのはいつでも夢の出来事のようでした。隣で一夜を明かすと陛下も確かに息をする人の身であることが感じられて、逆に不思議な心地となるのでした。
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