竜灯岬の守り人

綿入しずる

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 僕の――家の仕事は、この岬を守ること。家は町長だってへこへこ頭を下げるような、古くから続く由緒正しい、英雄の血筋だ。しまってある家系図は僕の身長と同じだけある。
 英雄、だったのは最初の一人だけで、僕も父さんも、剣とか槍とか、訓練すらしたことがない。でも別に問題はない。攻めてくる魔物とか、そんなのがいるわけじゃないから。海獣が舟を小突くのだって、巨鳥が空を舞うのだって、何年に一度あるかってほどだ。百年以上前にはよその国が攻めてきたこともあるらしいけど、最近はそんなの聞きもしない。
 誰からとか、何からか守るんじゃなくて……この場所を見守って、受け継ぐのが家の仕事なんだと思う。
 アルカンノムの岬守り、竜灯岬りゅうとうみさきの守り人、と他の人は僕らを呼ぶ。そう言うとちょっとかっこいいけど、その実態は、岬の塔に住み続けて精霊の声を聞き、時に灯台の様子を見て、一年に一度だけ儀式をする、だけ。ぱっとしない。
 海の声を聞いて、宥めて、荒れないように願う。何事もないように頼む。塔の上に置かれた銀水晶の灯りを見守る。それが僕らの仕事。大切だけど密やかで、感謝はされるけど羨ましがられはしない。
 守り人だなんて、名前は物語に出てくるみたいなのに、やることは地味で正直退屈だ。しかも母さんがかっこつけて、僕に有名な騎兵の名前なんかつけて本を読んで聞かせたりなんてしたから、子供の頃はそっちに憧れていた。……いや、諦めたつもりで、実は今も。
 どうせ守るなら、僕もノード兄さんみたいに、竜騎兵になりたかった。でも此処から離れられないんじゃ、訓練だってできやしない。
「今年は忙しい?」
 きれいに洗ったカップにお茶の束を入れて、沸かしたお湯を注ぐ。少し揺らしてからテーブルの上、兄さんの前に差し出した。花の香りがする、お客様用の一番いいお茶だ。
「いいや、ちょっと持て余しているぐらいだ。無論何事もないのは良いのだけれど。うちの隊長なんかは、今から武術大会に気合入れているほどさ。まだ二月も先だっていうのにね」
 カップを受け取った兄さんは肩を竦めて言う。僕は薬缶を布巾の上に置いて、高い天井を見上げた。丸い鉄格子で囲んで吊るしてあるガラス球、水晶灯はつるりと綺麗だ。真昼間の今は当然、灯りをつける必要はない。部屋の中も、塔の先でも。
「ふーん……鉱山は?」
「無論、平穏無事さ。水晶守護隊がいるんだから心配はいらない」
 そうだろう。黄水晶の光は昨日もちゃんと、このガラス球に流れてきた。カルツァイ鉱山で何か起きていたら――あそこの水晶脈が途絶えて力が流れてこなくなったら、水晶灯だってただのガラスのままだ。部屋や町を照らしてはくれない。
 塔の上だけは別の水晶だから大丈夫だけど。でも、居間もこの台所も、玄関も、蝋燭を出さなきゃ真っ暗だ。
 そうなるにはまだ早い。灯りを落とす祭までは、あと三日早い。それだって一晩限りのことだから、水晶脈を守る竜騎兵にはまだまだ、ずっと頑張ってもらわないと。
「ん、来たね」
 庭を通り抜けてきたガルテナが、開け放した台所の戸口に顔を出す。こっちを窺って首をゆらゆら揺らしているので、水晶灯から離れたところに吊るしてあった干魚を外して投げてやる。上手く口で掴まえて齧るその姿には、歴戦の竜兵だという威厳は感じられない。なんかちょっと、犬とか猫みたいな。
 僕より、兄さんよりずっと年上で、父さんより年上なんだって。聞いても信じられない。
 自分用に安いお茶を用意しながらごつい尻尾を揺らすのを眺めていたら、視線に気づいたのか顔を上げた。ごう、とふいごのような声で鳴いて僕を見つめ返してくる。
「やっぱり僕も竜騎兵になりたかったな。リリでも、カルツァイでも、どこでもいいから」
 独り言すると、兄さんが緩く首を振った。
「坊ちゃんはなれないよ」
「……知ってるって」
 僕には岬守りの仕事がある。
 此処を離れるわけにはいかないから、騎兵になるなんて夢のまた夢だ。コスタが機織りをして、カウトが漁師をやるように。僕は此処で守り人をやってくしかないと生まれたときから決まってる。知ってる。
 薄く入れたお茶を手にしてちょっと乱暴に椅子に座った僕に、兄さんは困ったように笑った。
「別にお役目があるからって話ではなくて。無論それも大事だけれど――たとえ此処でのお役目が決められていなかったとして、坊ちゃんは、竜とは一緒にはなれない」
「才能がないってこと?」
「いいや。君にはむしろ、凄い才能があるんだ」
 冷ましたお茶に口をつけ、兄さんは指を立てる。頬杖ついた僕はそれを見上げて、次に出てくる言葉を待った。
 大体予想はついてるんだ。
「君は生まれたときに偉い竜と契約しているから、他のどの竜も畏れ多くて君の竜兵に名乗りを上げることはできない。君は王家と同じ契約を受け継ぐ、千年竜の親友だ」
 兄さんは本当に予想通りに勿体つけたような声で言った。僕はつい、はっきりと溜息を吐き出してしまう。
「……そういう話はいーよ。契約したのは僕じゃなくて、ご先祖様でしょ」
 うち、アルカンノムの岬守り一族は、代々一つの約束を受け継いでいる。
 昔々、ラズハ王子が黄金の竜ガータと契約をしてこの国を造った。その少し前から始まる建国伝説は、国民なら誰もが知っている。だからこの国はラズハ・ガータ。人と竜の約束の名前だってことも。兄さんとガルテナが一緒に竜騎兵になれるのも、竜は人の友達だっていうこの約束があるから。
 王家の人々、今は女王陛下がガータとの約束を継承しているように。岬守りの家が――僕が受け継いでいるのは、兄さんが言ったのは、そのガータがいた頃にいたもう一頭の竜の話だ。僕の先祖が契約して一緒に戦ったという、白銀の竜。
 その竜は国を造るための戦いを終えて、ご先祖様とその子孫と、この岬を守ることにした。今もすぐ近くの海で僕らを見守っている、という話。だから僕らは竜の家来である精霊の声を聞けるのだとか。
 でも、契約したのは先祖であって、僕じゃない。僕は一度もその竜に会ったことないし、それどころか、姿を見たことだってないんだ。何かやりとりするのは、年に一度の儀式、祭のときだけ。そのやりとりだってなんだか漠然としたものだ。会ったり話をしたりというわけじゃない。
 そんなの、いくら相手が有名な竜だって意味ないだろう。意味のない約束だ。
「……僕はガルテナのほうがいいな」
 そうしたら乗せてもらって、颯爽と走ることができただろう。一緒に過ごせただろう。
 つまらなくなって呟くと、兄さんが慌てて立ち上がった。戸口でガルテナが目を真ん丸くして、尾を地にべたりと寝かせている。ぐううと喉の奥で鳴き声をさせるのは、初めて見る姿だった。
「おいそんなこと言うな! 海が荒れたらどうする」
 兄さんが言ったけど、海は相変わらず、静かなものだった。ちょっと静か過ぎるぐらいだった。特別な竜なんて、今はもう住んでないんじゃないかと疑ってしまうほど。
 百年前からずっと、この時期海が荒れることはない。
「ほら別の話をしようじゃないか。今年水晶守護隊に来た奴の話とか、聞きたいだろう?」
 立ち上がったときとは逆にゆっくり椅子に腰を下ろして、ノード兄さんは早口に話題を切り替えた。そのとき丁度、僕を呼ぶ坂の下のおばあさんの声が聞こえたので、僕は入れ替わりに立ち上がる。
 ――兄さんとガルテナが来ると嬉しいけど、悔しくなってしまうから困る。兄さんも僕の仕事を誇れと言うけれど、そうそう、割り切るのは簡単じゃない。
 急ぎ足で玄関まで行くと、おばあさんがほいと大きな籠を差し出した。今日のお昼は挽肉オムレツのサンドイッチと、スグリのジャムと、ビスケット。なかなか良い出来と説明して、ちゃんと騎士様の分も入っているわとつけ加える。端に干し肉が突っ込んであるのはガルテナの分だろう。
「いつもありがとうございます。今日はもう少し暑くなるみたいだから、あんまり働きすぎないでください」
「あらぁ、まだまだ大丈夫よ」
 良い子でお礼を言って、カウトに言ったのより丁寧にこれからの天気を伝える。朝に海の精が「今日はお日様が元気でじりじりする」なんて言っていたから、これから少しの間、夏に戻ったような暑さになるはずだ。
 もう一度お礼を言って、ぎっしり中身が詰った籠を持って台所へと戻る。少し遅めの昼ご飯だけど、兄さんが来たからいいタイミングだ。
 海は夜まで静かで、目を閉じて息を潜めてみても、精霊の声さえ少なかった。

 波の音が聞こえる。集中してみなくても、それは歌っているように聞こえた。なんだか慰めているようにも聞こえて気に食わない。とうとう目が開いてしまった。
 少し暑く、寝苦しくて、体温の移ってないところとか壁に体を押しつけてみたが、あまり意味はなかった。開けている窓からの風もほとんど無い。静かに息を吐いて、そうっと床に足を下ろす。
 真夜中の青い暗さの中、手探りで部屋を進んで、本棚の隅っこから紙切れを取り出した。古い古い羊皮紙で、端は擦り切れてインクは擦れている。慎重に窓辺に持っていく。
 窓の外には、黄水晶の光を灯した水晶灯でぽつぽつ明るい街と、銀色の光に照らされた海が見える。銀色の光の根元は僕の上、この塔の一番上の、大きな銀水晶。何もしなくてもちゃんと海を照らしている。
 直接照らされない僕のところは暗いけど、物を見るのに困るほどではなかった。外の薄明かりで照らした羊皮紙に、昔の絵が浮かび上がる。
「……」
 そこには竜がいる。細い体に、ヒレのような細くまっすぐの翼を四つも生やした竜。ガルテナよりずっとすらりとした見た目の、角や大きな爪のない竜だ。
 僕の――先祖が契約した、灯台の明かりと同じ色をした銀色の竜。
 その名はノーファ、英雄スタラと共に戦い、王子ラズハと黄金の竜ガータを助けた、海の雄々しき守り神……。
 ――これが私たちの竜だよ、ライン。
 父さんが初めてこの絵を見せてくれたのは僕が四つの時。その時僕は、素直に誇らしかった。とても偉い竜が僕の竜で、かけがえのない親友なのだと。でもいつからかそう素直に、胸を張ったりできなくなった。
 ノード兄さんは前に言っていた。竜騎兵は、竜兵と騎兵が揃ってこそ。契約したら一生離れることはないと。
 お互いに相手のことを深く知って、助け合わなければいけない。恋人なんかよりよほど深い付き合い、なんて話もある。物語でも、主役は竜に語りかける。我が親愛なる友よ、なんて。お互いがお互いを、何よりの友達だと思っているのが、竜兵と騎兵、合わせて竜騎兵だ。
 それじゃ、僕とノーファは違う。僕は、ノーファのことは誰かから聞いた分しか知らない。
 契約契約と言うけど、会って直接言葉を交わしたこともない竜だ。ノーファが契約したのは僕の先祖で、僕じゃない。僕が竜をちゃんと知らないのと同じように、彼は僕のことを知らないんじゃないか。
 僕らは本当に、ノーファの友達だろうか? 彼はそう思っているだろうか?
 絵の線を指でなぞる。当然、動き出したりはしない。瞬きすらしてくれなくて、僕は馬鹿馬鹿しくなった。
 もう子供っぽいこと考える年じゃないよな。僕も。
 カウトにも言ったし、コスタに馬鹿にされないうちに、僕も割り切って岬守りをやるべきだ。竜がどう思っていようと、僕も岬守りで、祭の日はやってくる。
 ……でもやっぱり、ガルテナと一緒にいる兄さんが、竜兵と一緒にいる騎兵が羨ましい。
 未練がましく考えると、いきなり下から強い風が巻き上がって、手から羊皮紙を奪うような動きをした。僕は慌てて絵を後ろに隠す。
「やめろよ、これ大事な物なんだから」
 言って聞き入れられることはあまりないと知りながら、思わず注意する。ひゅうと風鳴りが聞こえて、僕は暑いのを気にするより先に、窓を閉めた。
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