白銀の君を待っている

綿入しずる

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白銀色の人の思い出

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 あれは――十七年前。たしか五歳になった頃。
 父に連れられて城での社交に参加した。町の頂にあるセルェ城からはこの美しい港町が一望できる。それを一度抱え上げ窓から見せてもらったが、俺は本当はもっと長く見ていたかった。その上、父や兄が人と話し始めて退屈していたので、勝手に歩いて子供の背丈にも丁度いい窓を探しにいった。そうして空ばかり見える窓を伝っていくうちにバルコニーに辿り着き、扉にどうにか手が届いたので勝手に開けた。その日は催しには使わなかったんだろう。広い場所も賑わってはいなくて――一人だけ、居た。
 夕暮れの空を眺める横顔。銀の髪が滝のように、見事に流れるのに俺は釘づけになった。ふわあ、と声が漏れた。
 すごくすごく綺麗な人。美人は知っていても、見惚れるっていうのは初めての経験だった。その人もやってきた俺を見つけて、にこりとした。それがまたとってもすっごく綺麗で。
「やあこんばんは、小さい人」
 声まで素敵だった。穏やかな風に包まれたみたいな感じがした。
「こっ、こんばんは……はじめまして……」
「はじめまして。散歩かな」
「お父さんと、お兄ちゃんと、おでかけ」
「でも一人だな」
「ん……どっか行っちゃった」
「では少し待ってみようか」
 そういう場所に出始めた頃だったので、もじもじして服のボタンなど握りながらもどうにか多少は受け答えができた。提案には考えもせず頷いた。この人と話してみたくて、父たちのことは完全に後回しにした。頭がいっぱいで罪悪感もなかった。
 銀色の人は座り込んで俺と目を合わせた。近くで見ても、どの角度から見てもとんでもないくらい綺麗だった。丸くない猫の目のような瞳も長い睫毛も眉も明るい銀色で、服も銀の布で、特に飾りはなかったが城に相応しい衣装に見えた。頭の横で、髪を飾る宝石だけが空と同じ不思議な色をして赤い。服の裾や髪の毛先が床を擦るのを気にかけずに動いて、広がったそれがまた、夕日に照らされて光の波のようだった。
 ぽーっとしている俺にその人は、今日の風は賑やかだとか、この町は上から見ると狼の形をしているとか、そんなことをのんびりと話し始めた。それをきっかけに俺もバルコニーに来た理由を思い出し、二人で、手すりに乗り出して狼の形を確かめた。見たかった景色は最高にきらきらに輝いていた。サンキローのほうが頭で、灯台のある崖のあたりがピンと尖った耳、尻尾は浜辺。足は三本しかないが確かに狼に見えた。俺は、これも社交のマナーなどと一緒に勉強の最中だったので、港や浮かぶ船、水路についてを綺麗な人に語って聞かせた。甚く関心してくれたので俺は得意になり、全部指さし町のありったけの知識を披露していった。
「そなたは賢いな。それにとても勉強熱心らしい」
「うん、いっぱいがんばってる」
「将来が楽しみだな」
 綺麗な人が優しく頷きながら聞いて、教師よりいっぱい褒めてくれるので、俺は完全にのぼせた。
「しょうらい、立派になって、あなたみたいな人とケッコンをしたいなあ」
 ……マセた子供だった。ちょっと前に招待された母の友人の結婚式が楽しくって、誰もが幸せそうで素敵だったので、そのイメージが強く頭に残っていたのもある。いずれ貴方も素敵な人と結婚するのよと教えられて、思えばその頃からそんな関係を夢見ていたのだ。それで初めて人を口説いた。
 それが憧れの従姉あたりだったら照れ笑いして、成長してから笑い話にされるような可愛い失恋にしてくれたんだろう。でもその人はぱちりと瞬き輝く瞳で言った。
「それは我でもいいのか?」
 嬉しそうに笑って、確かめる。了承ととれる返事に俺は舞い上がった。声が上擦る。
「できるの?」
「できるとも。するか?」
 美しい人はにこにことして、俺の頬を包んで顔を覗き込んだ。綺麗な顔がいっぱいに広がる。
「ほんとう?」
「ああ。――支度をするから、一月ほど待ってくれるか。迎えに来る」
「じゃあ約束!」
 人間でも隣人でも、知らない人と約束なんてしちゃいけないと教わっていたが、そんな忠告は素晴らしい出会いによって小さい頭から抜け出していた。俺は迷わず、大喜びで頷いた。自分はこの人と幸せになるんだと思ったらもう幸せだった。
「ああ、約束だ。お前のところのやり方を教えてくれるか。人は、結婚のときどうする?」
「ケッコンの約束は、指輪をするんだ。ここに」
 それも得意げに教えた。左手の薬指だ。婚姻の証に一つ贈り、愛の印として交わすと聞いていた。互いの指に嵌め合う幸せな新郎新婦の姿を思い出していた。
「指輪がよいのか。ではこうしよう。お前の名前は?」
「ネイト、です。……ネイト・カームーア」
「――ネイト。我が名はアリアンティアナン」
 指輪を取り出す代わり、その人は名乗りと共に長い銀の髪を一本抜いて、俺の指にくるくると巻きつけた。仕上げにふうっと息をかける。ときめきとくすぐったさに思わず笑う間にそれは見事な、綺麗な白銀の指輪になった。花を結んで遊んだのじゃない、そういうのを着けるのは初めてだった。
「これでもうお前を見失わぬ」
 呪いなんかじゃない。俺はあの日、結婚の約束をした。アリアンティアナンと。
「――お父さんたちに言ってくる!」
「ああ。我も長に報告をしてくる。待っていろよ、ネイト」

 ……これはあの指輪だ!
 なんで忘れていた? こんな大事なこと。普通ならあんな印象的な出来事を忘れるわけがない。なんだっけ、まだ何か――その後はどうしたんだった?
 そうだ、もう一人会った。
 俺は指輪を自慢しに、結婚の報告をしに城の中へと戻ったが、俺が居なくなったことに気づいた父は慌てて探し回っていたので同じ場所にはもういなかった。俺は大勢増えてきた知らない大人たちにちょっと怯みながら、家族を探し始めたはずだ。そう、それで……今度はどこか、部屋の壁際に立っていた人に呼び止められた。
「坊や、その指輪はどうしたの」
 彼女は俺の顔と共に、じっと、指輪を貰った左手を見つめていた。
 見上げた人はまた綺麗だったが、アリアンティアナンとは違い年頃でいうと少女だった。そして銀色ではなく真逆に黒かった。黒い肌に黒い髪、黒いドレスを着ていた。青い宝石の首飾りが灯りを反射してきらきらしていたのまでやっと思い出す。それまでのことがなければ彼女にも見惚れていたかもしれない。だが俺はまだ興奮が冷めきっていなくて、その余裕はなかった。聞いてもらったのも嬉しかった。
「こんやくゆびわだよ! 俺もケッコンするんだ。すごく、すごくステキな人とだよ!」
「そう――さすがに、幾らなんでもまだちょっと早いのではない?」
 手を差し出して見せつけ、自慢の口調で答えた子供に少女は困った様子で首を傾いだ。俺がそれ以上何か言うより早く、彼女のほうが決めた。
「……やっぱりの白銀の若君の気配。彼のたてがみ。あの一族は自由が過ぎていけないわ。結婚は、大人になってからがいい。少し猶予を設けましょうね」
 手を握られ――逆の手が頭を撫でた。するとたちまち、とろんと眠くなり瞼が落ちて……確かその後は気づいたら父さんたちと一緒だった。叱られたり安心されたりという記憶ももう曖昧だが――薬指の婚約指輪は消えて、それきりもう思い出せなかった。
 誰だか分からないが、あの人に魔法をかけられたんだ。魔法使いか、隣人か、分からないけど。ああそれより――そんなことで今日まで忘れていた! アリアンティアナン。俺は貴方と約束をしたのに!
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