蕾は時あるうちに摘め

綿入しずる

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懸想

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 娼婦の仕事の主軸は勿論性的な奉仕だが、結局は客とのやりとりすべてだ。小銭の代わりに手早く吐き出させて終わるのでなければそういう風になっていく。タドとは初めそうしていたように、ニビも体に触れるより会話に時間を割いて、その分酒を奢ってもらったり宿代を出してもらったりすることもよくあった。寂しい人の話し相手、愚痴の聞き役――恋愛相談、などというのも結構多い。特に男同士のこととなると他に相談できる者がいないし、身近ではない相手のほうが何かと隠さずに話しやすかったりするものだ。
 その夜もそんな流れだった。
 歓楽街の広場、飲食の屋台が寄り合っている賑やかさの中。客を物色していた視界に少し目立った。ニビと同年代、ただし歓楽街の似合わぬかちりとした格好で黒髪を纏めた育ちのよさそうな男が一人、やや困ったような雰囲気を纏って立ち飲みしながら行き交う者たちを眺めていた。視線の先には、年も外見恰好も問わず男ばかり。人を待っているわけではなさそうだ。その様にニビはぴんと来て声をかけた。勘は今日も的中した。
 自分は男が好きなのか分からなくて試しにきたが、そういった相手を探せる場所も男娼のいる店も知らずに途方に暮れていた、と打ち明けたその客を人目を気にせずに済む連れ込み宿へと促し。一旦それっぽい雰囲気は出してみたものの結局尻込みする様子だったので触れるのは止めにして、話を聞いた。
「……久しぶりに会った家族に、交際している相手とかはいないのかと訊ねられて。そのとき……友人の顔が浮かんだんだけど、今までは男とって考えたことなかったから自分でも意外で。それで確かめようと思った、かな」
「男が好きなのかを?」
「そう」
「でもそれ、そんなの確かめなくても……男はともかくその人のこと好きなんじゃないですか? 顔が浮かんだってことは」
「友人としては好きだけど、そのへんもよく分からないし……だから男が恋愛対象であるならばそうかなって」
 宿で提供している安い酒を傾けながら、客は躊躇わず経緯を説明した。きっかけのほうはともかく、少なくとも一点、肝心のところには答えが出ているように思え、大きく首を傾げたニビは今一度自らの言葉に置き換える。
「その人がどうかじゃなくて……えー、男が恋愛対象ならその人も入るんじゃってこと?」
「うんまあ、そうなるかな」
 歓楽街の夜遊びにも、色恋にも疎そうな客は随分迂遠なことを言う。同性を好いてしまって動揺している、というのはありがちだが、自分の好意さえ妙に客観的だ。ニビは思わず眉を寄せ唇を尖らせた。
「お兄さんなんか難儀な人だな……好きとか恋とかってもうちょっとぽーっとしたものじゃないの?」
 自分が近頃タドへと感じているもののように。そう、ぼやくと難儀な人は苦笑して、ややあって手にした瓶の口へと視線を落とした。
「俺もそう思うけど。やっぱりそういうのじゃないのかな」
 砕けた雰囲気を醸して話していたつもりが、客が大事な結論を軽く出しかけたのでニビは驚き、慌てた。それはいけない。
「待って僕はうっかり誰かの恋を終わらせたくないからよく考えて! 別に……まず、もし僕とか他の男が駄目でも、その人が駄目ってことにはならないでしょ。だからまず男がどうかっていうのは関係ないですって」
 色事とはまるで違う勢いでぎゅっと手を握る。本当に、今ので終わらせるのは勘弁だった。考えて出た答えならば一つのかたちだろうとは思うが、この青年はまだそこまでも行っていない雰囲気だ。
 元々、客となれば親身になって応援してやるほうがニビの性分だったが、この夜は自身のこととも重なった。恋する人など皆仲間に思える。そう上手くはいかないだろうが、全部成就してほしい。芽生えの前に摘むなど論外だ。
「僕は両刀だからかもしれませんけど、男だ女だって別に先に立つもんじゃないですよ。その人が男だっただけ。その人のことだけ単品で考えたほうがいいです絶対。顔が浮かんだり、一緒に居て楽しかったり嬉しかったりするなら……それは、きっと……そうじゃないかな」
 もっとじっくり考えろと諭して教える言葉は言うほど、明確に説明できるものではないように思え、よく分からなくなって声が曖昧に細っていく。そう、、ならこれもやっぱり恋だと、自分に返ってきて胸に詰まる。それまでは余裕と見えていた男娼の必死な様に客は束の間ぽかんとして手を握られたままでいて――ふと首を傾いだ。
「ニビさんはそういう相手がいる?」
 まっすぐ訊ねる声。
 宿の一室は急にしんとした。別の部屋で事を始めた男女の声が微かに聞こえる中で、ニビは窮して手を引っ込めた。
 今日の客の淡い色の瞳は青色だったが、こんな宿の薄暗さではタドの目も思い出されていけなかった。若くまったく似てはいない人にも見出してしまうあたりが重症だ。視線を余所へと逸らして、ようやく頷く。常々軽口はよく回るが、ここぞというとき彼は嘘を吐いてはぐらかしてはしまえないのだ。
「……まあ。います、が」
「その人は男? 好いていると気がついたのはどんなとき?」
 ――分かんない。なんとなく、気づいたら好きだった。
「……いや恥ずかしいから無理ですそういうの。他を当たってください」
「皆全然教えてくれなくて困ってるんだよ」
 からかいではない、参考にしたいと生真面目に問う言葉に浮かんできたのは誰かに言うにはあまりに赤裸々な想いで、さすがに逃げた。誤魔化され肩を叩かれた青年は残念そうではあったが、話題はすぐ場に似合いの猥談になって流れていった。
 体のことも明け透けに話しつつ、恋愛というよりも客との接し方を踏まえ――そうするとまたタドのことが過ぎるのは押し隠して人との距離を縮めるアドバイスめいたものも捻り出し。そうして暫し楽しく過ごした後、このまま寝ちゃおうと誘ってみたが、朝帰りは噂されるからと笑って客は辞した。それでも一泊の代金を置いていってくれたのでニビとしては上々の結果だった。相談できた事実だけでも少しは気が軽くなった様子だったのも、また会って話したいなと言ってもらえたのも。勿論、ニビも喜んで応じた。
「ふー……、……」
 ちゃんと切り替え、目の前の客のほうに集中していた。けれど一人になって息を吐くと再び考えてしまう。客として接する男をいつから好きだったか、どんなところが好きか。寝てしまえばよいのになんとなく持て余し座り込む。見慣れた連れ込み宿の一室はけっして広くないが、一人だと余剰に感じられるのが不思議だった。まだどこかで、まぐわう他人の声がする。
 結った髪を解いて手で櫛を入れる。貰い物のクチナシの香り、昼遅くに起きだしてつけたものがまだ十分に香った。タドがしたように項に垂らして、髪にも少し移すと動いたときに香って印象がよいのでそうしていた。一層に魅力を増した黒髪を抱きこむように前へと持ってきて、ニビはまた溜息を吐く。
 今の客とは違って彼のほうの恋はもう確かだ。しかしそれで終わる話ではない。気づいてからが本番だ。悩み煩いは尽きない。
 何かにつけて顔が浮かぶし、癖など思い出す。一緒に居て楽しいし、一緒に居たくなる。好きだ、恋だと自覚するほど、考えては欲が出て、溜息も出る。
 ――会いたくなっちゃうなあ……
 一人、笑みともどかしさの間に唇を結んで毛先を弄ぶ。予定で言えば会うのはまだだ。前のような誘いもない。会えばまた触れたくもなるなと思えば、立場が逆じゃないかとも悩む。でもそうやって上手く取り入り自分のペースに持ち込むのも稼ぎに必要で、他の客にもすることだから、と言い訳を始めている。
 思いは渦巻きわだかまって出口がない。あーあ、と声にもならない呻きを心中に、ニビはやっと、今夜の寝床へと横たわった。
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