蕾は時あるうちに摘め

綿入しずる

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麦と樫樽と梨と*

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 性行為の間は、ニビには案外考えることが多い。相手の好みの責め方、受け方。動き方。声や言葉も忘れない、吐息も重要。この辺りはまあ染みついているが。そしてニビは結構真面目に熱心に体を捧げるが――たまには他のことを考えてしまうときもある。
 町でも有数の豪奢な邸宅の一室、奥様の広い寝室の大きくふかふか、かつ華やかに飾られた寝台の上。まだ明るい日中に肉づきのよい女体を組み敷いて服を解くと立ち昇る匂いに、ふと過ぎる。
 何の、とはニビには判じられなかったが、香水や化粧のものだということくらいは分かった。そうするとここ二月ばかり定期的に会っている客のことを連想して、彼女の胸元に顔を寄せながら考えた。
 ――タドさんともしたいな。こうやって……
 まったく状況は違う。色気も飾り気もない薄暗い家で、この寝台より狭いテーブルを挟んで向かい合う客だ。それこそ匂いもまるで違う。胸の谷間からは女の匂いがする。柔らかな感触に誘われて、手も乳房へと這わせた。頬を撫でて呼ばれる。
 相手は若い娘ではなく堂々たる貴婦人である。集中していないと見透かされれば機嫌を損ねる。半分養ってくれているような上客相手にそれはまずいし、何より彼女の落胆する顔は見たくない。ニビは妄想を振り払い、ちゃんと目の前の彼女を見上げて、熱烈なキスをする。今日は激しい感じではなく、甘くじっくり触れ合うのがお望みだろう。そういう表情と触れ方だった。
 考えるのも大事だが、何より相手を見ることだ。そうすると上手くいく。会話も、セックスも。ニビはそれをよく知っていた。
 
 そういう雰囲気にしたくて、ニビは酒を持ち出した。
 毎回茶を淹れてくれるタドも多少は酒を飲む、飲むときはやはり香りのよい葡萄酒か麦の蒸留酒あたり、というのも適当な流れで聞き出していたので、普段は買わないような少しよい物を探してきて乾杯をねだった。そろそろ奉納祭の時期だからね、とタドはすんなり応じた。神に捧げるという名目の酒飲みの理由づけである。
 いつも茶を注がれているカップで、色ばかりは茶にも似た度数の強い酒を水割りにして杯を合わせる。含めば確かに日頃飲む物よりよい香りがしてまろやかに喉に滑るので、奮発した甲斐があったとニビは酔うより先に気分がよくなった。
「お祭り、忙しい人? それとも遊ぶ人ですか?」
「忙しくはないかな。多少……香水の需要は増えるけども。でも大体いつもどおりだ。遊ぶのは、呼ばれた宴会に顔を出すくらい」
 肩を竦めて笑うタドの返事は、大体彼の予想どおりだ。楽しみという風ではない。かといってこの話題を厭った様子はなかったので、そのまま話し続けた。
「なんか観たりは?」
「数年行ってないな。君は何が好きだい」
「劇かなー。あ、でも一番は乾杯の歌。振る舞い酒ありますし」
「君はもしや酒飲みだな?」
「タダ酒ほど美味い酒はないでしょ」
 祭の初日に開けられる樽の酒は、誰でも味見して祝う権利がある。歌って盃を交わしてその出来栄えを讃える。単に飲めるからというだけでなく、その雰囲気もニビの好みではあったが――言いきり、見せつけるようにまた酒を飲む様は間違いなくタドの評するそれだった。
 会話を楽しみ、互いに酌をする。梨を齧って酒気を和らげ腹を満たす。二杯、三杯とニビのほうが早く飲むのにつられてタドも二杯は飲んだ。見計らい、多少意識し視線を外したり合わせたりして、カップの中身がほんの数口まで減っているのに気づいたタドが瓶を持ち上げようとするのを断り、ニビは動いた。
 テーブルの下、爪先でタドの踝のあたりを探った。涼しくなってさすがに靴を履くようになったのであまり器用な真似はできないが、近いので擦り寄るのは簡単だ。
「ああ、ごめん――」
 呟くタドにぶつかったのではないと首を振り、杯を傾けながら、何度も。避けずそのままでいるので絡めるように足をひっかけて、ね、と切り出す。
「今日、泊まっていい?」
「いいよ」
「じゃ、ベッド行きましょうよ。タドさんも」
 案の定、これまでのようにあっさりと許可が下りるのにさらに詰める。もう眠ろう、と促しているわけではない。二人ともそれほどに酩酊してはいなかった。
「祭だからちょっとハメ外しません?」
 これまではこの場で座ったまま扱き合って済ませていた相手に、より分かりやすくするようにもう一言、目を見て。どうしたらいいかと動きかねている雰囲気ではあったが、誘いを嫌がった気配はなかったのでニビは足を引っ込め、今度は卓上で手を重ねながら立ち上がりタドをいざなった。いつもは一人で入っていた部屋に今日は家主も連れ込む。灯りも持ち込めば狭く壁が近い分、先程までより明るく感じられた。
「どーぞ」
 腰掛け、ランプを置いたタドを見上げ、シャツの前を開けて今日はいつもより開けっぴろげに胸を差し出す。早くもぷくりと膨らみ色艶を見せる乳首も、引き締まった腹部も露わになる。どこから触れるかどう触れるか、こういうとき選択肢は多くあるが、タドとはこうだ。こうすれば顔が寄ってくるのだから。
 思ったとおりに遠慮なく嗅ぎにきたその頭を抱え、ニビは後ろに倒れ込む。ばたと大きな音がして埃が立ったが気にしなかった。愉快がって笑い、人の頭を撫でまわして髪を乱す。
 一瞬は身を竦め出方を窺っていたタドではあるが、慌てるようなことはない。深く息を吸って悠長に、相変わらず素晴らしく好みの匂いを味わってから口を開いた。その頃には髪を束ねた紐も解けていた。
「君、酔ってる?」
「それほどでも」
 全然、酔ってなどいなかった。ニビは酒に強い。単に機嫌がよいだけだ。
 それでも体への影響は否めず、飲酒して少し体温が上がっている。懐は既によく香ったが、タドはそれ以上に引き出す方法を知っていた。酔った意識が彼を常より大胆にした。
「んっ」
 嗅ぐだけではなく、確かに触れるのに舌が這う。ぬるりと濡らしてニビの欲を膨らませる。
 口で探り、興奮と肌寒さに尖った乳首を見つける。感じさせるならここだろうと安直な思考で男にしては随分と膨れたそこを舐め上げると、あえかな声が上がる。単調な愛撫でも続ければ悦んだ。抱き込む手がタドの髪を乱して、押しつける。
「――もっと」
 くすぐったがるかの身じろぎも堪えず――その流れで、腿で客の股座を押し上げ刺激を与えつつニビがねだる。肌を嗅ぐのに夢中になりながらも応えて口を動かすのは、相手を食しているかの錯覚をタドに齎した。よい匂いがする花をつい口に入れた、あまり美味くはなかった、子供の頃の体験も不意に思い出された。
 その稚気とも大差のない所作で、肉の弾力を啄んで舐める。そうすると思ったとおりに匂いが増す。発情して肌から滲み出てくる。飲んだ酒の臭いが多少は邪魔をしたが、これほど近づけば気にするほどではなかった。気にする暇がない。
 タドの背を擦り、腰や尻も撫で、ニビの手は己に戻る。下に履いた物も緩めて脱ぎながら、腰に括った小さな革の物入れから軟膏の容器を取り出す動きは手慣れてさり気ない。手品のように男娼の掌に現れたそれを、タドも横目に見た。寝台まで誘導し、この状況で、男娼の持ち物。用途は明らかだ。タドは止めなかった。
 一度身を起こす間に長い指が中身を掬い取り、足の間へと持っていく。塗りこまれる。まず己の指を咥えて、ニビは甘い吐息を漏らした。
「……見ます?」
 艶めかしく笑い見上げて、足を広げつつ少し腰を浮かせてみせた。影になっていても十分見えた。勃起した陰茎も、指を呑む秘所も、何もかもが露わ。
 女陰とは違うその器官をそうして使うところを、タドは実際には初めて見た。だがあまりにも平然と抵抗なく指が入って動くので元からそういうものなのではないかと思えた。嫌悪などは一切感じなかったので、ただ待っていた。
 ニビが乾いた左手のほうで、タドのズボンを摘まんで催促する。前を寛げ取り出された陰茎にも潤滑剤を纏わせ勃たせ、たいして時間はかからず大きくなった物に、淡い茶色の瞳はなおさら機嫌よくその持ち主を見上げた。
「挿れて」
 解した尻を開いて示し、誘う。濡れてつややかな場所はやはりその為の場所に違いなかった。
「は……」
「ん……っ」
 押しつけ、受け入れ、互いの熱に息が漏れた。きゅうと締めつける快感の予感に気が逸るタドを、容易く根元まで受け入れてニビは両腕を伸ばした。再び身を重ね、胸に抱き寄せ腰を揺らしてより深くへと導く。
 本能のままにタドは動いた。息を吸って、ニビの匂いに、ニビに溺れる。より一層、沈み込むように身を擦り寄せ、結びついた腰を押しつける。
「あ――あ」
 それだけで少し満たされるものがあり、ニビの喉から声が溢れた。
 昨日他の客を抱きながらタドを思い浮かべ思ったのは、この位置だった。香水を薫らせて誘う婦人の様を自分に重ね、抱かれる様を想像した。欲したものが胸に、そして中にあって、それが心地よい。
 客にそう求められるのでニビは男相手でも抱くことが多いが、抱かれるのは別物の快感で大好きだ。とうの昔に仕上がっている体は久しぶりの刺激に昂った。ちゃんと腰を振ってもらっても、同性の責め方を知らないタドの動きではなかなか気持ちよいところには当たらないのが焦らされているようだった。もどかしくなって身を捩る。
 自分で姿勢を変え、内で膨れる前立腺に押しつけて。演技でもなく甘い声で求める。
「そこ、もっと、……そ、腹のほう、突いて――あ」
 また首筋を食んでいる人の耳に言えば、泊まってもいいかと問うたときと同じくニビの望みはすぐに叶った。動きが変わって性感帯を突いた亀頭に、そこだと教えるように喘ぐ声が響く。
「い、っく、あ、クる、あっ……!」
 達せば、じわと汗ばんだ肌が一際に香った。啜るほどに吸い込んで抱き、タドもまた果てた。
 もう一つ、二つ三つ、胸一杯に吸い込んで堪能し息を落ち着けて、ずっと乗っているのは重かろうと思い至って身を起こす。離れたところでも十分匂った。部屋に漂っている。
 酒と、この香りと、快楽と疲労感。積もった体がくらりとする。しかし乱れた髪を後ろへと掻き上げてみれば、明るくよく見えたのでタドは気づいた。瞬きを一つ挟んで、呟く。
「……足りなかった?」
 自らの下で喘ぎ絶頂を味わっていた、と思ったニビの腹は汚れておらず、性器は柔く垂れていた。
 先程までのあれは演技だったのか。こうして証拠が出てしまう男の身体では、あまりに粗末な詐称では。考え――もう口にしてしまったが見ぬふりをすべきだったのかと惑うタドに、ニビはふると首を振った。己の腹を擦って笑う。
「――んーん、中でイくと、あんま出ないんです。マラも萎えちゃう……ちゃんと、っていうかすごくイイんですけど……やっぱ抱かれるほうのイき方だからかな」
「……へえ?」
 タドにはまったくの初耳ではあったが、快楽の余韻を噛みしめるその声音は取り繕った嘘とは聞こえなかった。中、と言われた、まだ触れた他者の体内の温度がまた、蕩けたもののようにも思えたからかも知れない。
 その体温と同じ熱で、ニビは笑んだ。客の膝をつついて首を傾ぐ。
「気持ちよかったですよ。……タドさんは? 満足?」
「うん……いい匂いがする。とても」
 タドも少し――本当に僅かに口端を上げるだけの笑い方で頷いた。体も間違いなく最高だったが、何よりそれが至福で夢心地だった。
 ぶれない言葉に息を弾ませるようにニビが笑うとそれも体を通してタドに伝わる。匂いは幾らでも嗅いでいたい。が、ともかく、達して意識からも熱が散った今繋がったままの状態は気が引け、彼はのろりと動いて身を退かした。
 抜け出た物を惜しんでひくつく孔から白濁が滲む。ニビの指先が軟膏をそうしたように掬い取り、肌に広げて弄ぶ。そのまま萎えた陰茎を揉めばそこはまたすぐに反応して起き上がってくる。客の目が逸れないのでそのまま、見せつけるように育てた。タドはぼうと酔った意識で見入ってしまう。
 体液の青く臭うのがまた、異物ではなく馴染んでいくのが彼の性状を表すようだった。男娼。まさしく。
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