燕飛ぶのは帰るため

綿入しずる

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「お前なら酋燕にも乗れるんじゃないか」
「しゅえ?」
「知らんか、天騎てんきの一番早いのだ。身が軽くて、ずっと掴まってられるような奴じゃないと乗れん。特別な手紙や荷を届けるのに御上が使うんだ」
「ふーん」
 昔から高いところが好きで、木登りなんかは大得意だった。家の荷運びに使う駆駒が暴れたのを落ち着けるまで掴まっていられた俺を見て、近所のおじがそう言ったので、興味を持った。
 伝手を辿って詳しい人によく聞いてみると、その酋燕に乗る仕事は命がけで危ないがその分すごい額が頂けるものだという。ついでに帝の為に働くのでとても名誉な仕事なんだとも。そう聞いたら試してみたい。心配する家族を押し切りまず州都まで試験に行った。読み書きと、計算、行儀作法のちょっとしたものができればいい。俺は大丈夫だった。何人か集まった中で俺が一番体力があって手足も強かったので、推されて都に連れていかれることになった。
 華やかで賑やかな町に見惚れていられたのはほんの一日ほど。それからは厳しく鍛えられ、でかい鳥にしがみついて生きる日々が始まった。
 天騎と言う中でも足でもって駆ける騎は宙に浮く力があるので乗り手が落ちても大体助けてくれるが、酋燕にその能はない。図体こそでかいがあくまで鳥で、羽ばたくだけだから。しかも抜きんでて早いので、その勢いにも耐える必要がある。
 命綱の緒をかけてはいるのだが、命綱と言ったって無いよりはという程度のもので、落ちたらその後はない。体勢を立て直す訓練も受けたが簡単なことではなく、鳥のほうも、体から離れてしまった乗り手は飛ぶのに邪魔で、振り払いたがるのだ。
 都での選抜の最中にも何人か落ちた。試験に、ではなく、地に。大怪我も死人も珍しいことではなく、今年は何人になるだろうかというものだった。途中で諦めて、鳥の世話などするほうに回ったり、別の騎に乗ることにした奴もいた。それだと、貰える俸禄は比べ物にならないほど下がる。どうしても大金が必要な者、出世したい者が食らいつくようにして燕乗になる。そんな中に俺も残った。
 金は別に、あればそりゃ嬉しいが、ないと困るというほど窮してはいなかった。家族は皆、無理せず帰ってくればいいよと度々言ってくれていた。折角都まで出て戻るのか、恥ずかしいじゃないかと一人意地になったのは、ちょっとあるが。
 けれどそれ以前に俺は、酋燕に乗るのに魅せられていた。
 落ちるわけにはいかないと必死でしがみついていたのが、より速く飛びたくなったのはいつだったか。鳥と一体となって空を貫くのは気分がいい。めでたく燕乗を拝命し貴い御方の文など届け始めた頃には、もっと飛びたいという思いはさらに強まった。恐ろしく速い生き物に命がけで乗って、大事な品を運ぶ緊張感。その昂りと言ったらなかったのだ。爽快で、誇らしく、最高の心地がする。
 伝令の命に見合わぬ恋文や贈り物など届けさせられるときもあるにはあるが。……マキが聞いたら怒り狂うだろうな。

 鳥舎の戸を肩で押しやり進めばさっきも見た顔がこっちを見た。運んできた、重い甕をすぐに見つけて騒々しくなる。酒を寄越せと捲し立てる。
「よっこい、せっ。はいはい待ってな」
 酋燕は酒飲みだ。こうして酒や、醸した果物やる必要がある。丹餌えさを食わせて腹は満ちているはずだが、やっぱり酒は別腹だ。見ればいつでも喉を震わせてねだる。びびび、びりりり、びい。濃い黄色の嘴を開けて、甘えるときは燕の雛とおんなじ声だ。あとは喉の赤さや尾羽のほうは燕の雰囲気があるが、色は茶色で身の丈は俺の倍ほどもあり全然小鳥じゃない。羽根の一枚で顔くらいある。
「待って待って。いいのやるから。ショウ」
 甕の酒に、持ってきた瓶の中身も垂らしてやる。この前マキが家で飲む分も貰ってくれた、美味い酒だ。柄杓で混ぜて掬う。その間もびいびい言う。
 これはショウライという立派な名前で、命を賜るときはこいつもちゃんと呼ばれるが、それ以外は大体ショウと言って済ませる。俺はほとんどこいつと飛ぶので、世話も俺がするのが多い。燕乗もいつも人不足だが、鳥だって貴重なものでなかなか見つからないから今九羽しか居ないのだった。此処で控えていたり、戦があれば砦に待機したり、色々だが――俺とショウライはよく飛ぶので、帝のお声がかかればすぐ動けるよう此処だ。
 待ちかねて開きっぱなしの大口に一杯、放り込んでやる。酒の香りが一段と強く散る。
「――美味い? 美味いなあ。これはマキが用意してくれたやつだからな、特別だぞ。お前だから分けるの。ちょっとだけな」
 お前は俺の半身のようなものだから、特別にくれてやる。……他の奴には絶対やらないが、こいつにだってこれで終わりだ。なんだっていい――とまでは言わないみたいだが、別に他の酒でも満足するんだから。
「ちゃんと帰ってこいってさ」
 酔うことなどまったくなくごくごく飲み干す口に注いでやり、頼んだぞと顔を掻く。
 マキは毎度それを言う。見送りに来られなくたって、あいつがそう思っているのは感じるくらい。……ああ言ってもらえるのが嬉しくないわけじゃない。ちょっと心配しすぎでうるさいときがあるくらいで、なんたって俺はマキの為に飛んで帰るのだから。
 前からそうだ。特にあの日から。よく、覚えている。

 マキと知り合って少し経つと、休憩時間に会うだけじゃなく外に遊びにも行くようになった。そんな仲が一年ほど続いた。そのときもいい酒が手に入ったから一杯やろう、美味い料理を出してくれる店があるから、なんて約束をしていた。肴は何が好きだなんて話も楽しくして仕事に戻った先、勅が発されて呼ばれた。
 出るときはいつもの気負いと覚悟しか持たなかった。当然普通に帰ってくるつもりで挨拶などしなかったし――そもそもまだそういう間柄でもなかったから、飛んだところで行き帰りの日取りの連絡もいかない。それくらいのものだった。だから俺もマキについては、帰ったら飲みに行くのが楽しみだな、くらいしか思ってなかった。鼻歌まじりに、けどしっかりと装備の点検をして兜を被った。
 それがその日は、飛ぶ間に雨に濡れたのが最悪だった。挙句急な風に煽られ体勢が崩れた。捻られた鳥の体の上で手綱から手が滑って、あ、と思ったときには突風に引っ剥がされた。いつもは鳥の一部になっていた己が身が、離れて浮いた。
 腰に巻く緒を頼りに姿勢を戻せ。酋燕を地に下ろせ。声など上げてはいけない。舌を噛む。
 色々教わりはして、宙づりの丸太の上で訓練はしたが、両足両手全部離れては絶望的だ。ただでも至難、しかも揺れる丸太どころではなく、邪魔な錘になった乗り手を嫌がり暴れる酋燕の上に戻るなど。
 そうかこれで死ぬのかと思った。下は岩場だ。兜なんか無駄だろう、頭がぱっかり割れるだろうか。鳥も一緒に落ちるだろうか。こいつは一羽で戻れるのか、戻らなかったらどうするんだろうか、咎は無いはずだが。仕事でなら死んでも褒賞が出るはずだし。この至急の文はどうするんだろう。妙にのんびりそれを思った。
 マキと約束をしたのにな。折角仲良くなった。これからってときに。
 それも思った。
 あいつは泣いてくれるだろうが――誰がそれを慰める?
 そこまで一気に思って、死ねるか、と思って。
 それで緒を手繰りしがみついていた。どうやったかは覚えていないが、どうにかやって、鳥のほうの体勢も正して降り立った。足どころか酷く擦り剥けた手までを地について、それで追いついて恐ろしさと、色んなものへの執着が蘇ってきた。何よりマキに会いたくて堪らなかった。
 帰ってすぐ、マキに会った。あいつに会う為に落ちずに帰ってきたと思った。だから例の料理屋に行くのも待たず伝えた。
 俺と匹偶ふうふになってほしい。すぐじゃなくも、考えてくれ。――と。マキは考えて、やがて頷いてくれた。
 一度死にそうになったことは――かっこ悪いし、言うだけであいつが気を失いそうだからまだちゃんと言えてないけど、出るたび、帰るたびに俺の手を握るマキを見ては誓うのだ。
 お前の為に戻ってくるよ。こんな怖がり、置いておけないじゃないか。

「なあ」
 びー。と返事らしきものがある。甕と、甕の口より大きい嘴を往復する。
 俺はマキのことが大好きだ。大好きなマキは俺を心配するし、怖がりだし、それにモテる。黒髪から覗く目元は涼やかで、顔がよくて背も高く、真面目で穏やかで人当たりがいい。ちょっとビビりすぎではあるが、居ると場が和んでいいと評判である。実は血筋もよくて、お妾の子だとはいうが名前と門のある家の出だ。女からも男からも好かれる。
 鳥に乗るのはやめられなかったが……そんな奴を長く一人にしてはおけない。俺は燕乗らしくさっさと帰る。とっとと祝言を挙げたのだって、そういうのから守る為だ。俺に何か――マキが心配しているようなことがあったとき、御上から頂ける禄物がちゃんとあいつにも行くようにというのもあるが。一番は単純に、こいつは俺のもんだぞと言いたかっただけだ。でも相変わらずちやほやされている。
 少しはとっつきづらい見た目になるようにもじゃっと髭でも生やして欲しいが……いやだめ、また一緒に歩いたときに兄弟かとか、下手したら親子かなんて言われるのも嫌だ。それに別に、多分髭面も悪くない。髭のいい男になるだけだ。
 俺のマキ。心配だからすぐ帰るぞ。勿論無事に、お前が笑ってくれるように。
 ショウライに酒を飲ませながらそんなことばかり考えていたら、向こうから他の奴とやってきたのがマキに見え――いや、本当にマキだ。目が合うと和らぐように笑うからにやけてしまうが、こっちまで来るなんて。
 甕を掴み、ざば、と雑に酒の残りを入れてやったらちょっと跳ねた。でも気にせず、置いて振り向く。
「なんかあったか?」
「いや仕事、点検だ。今年は北側から内厩の修繕をするって話で。だから酋燕のほうも」
 マキがやっている仕事は宮城の清掃や設備の補修、その差配である。俺たちもなにかと世話になる。聞けばああまたそんな頃かと合点は行くが。
「ええ、お前が見て回るの? ビビりに務まるか?」
 厩舎の類ということは、当然生き物がいる。でかいやつが。人を――滅多に突かず噛まず、乗るの以外は怖くもないこの鳥はともかく、他には牙や爪のある獣もいるのに。まあこうやって誰かが案内して一緒に回るんだろうが、腰でも抜かさないか心配だった。
「見るくらい平気だよ。や、ショウライ。久しいね」
「マキ殿は穏やかだから、騎を驚かせるようなことはしないでしょうしね」
「……吠えられたら分からんけどな。駆駒でも怯むんだぞこいつ」
「おいザクロ、恥ずかしいことを言うなよ」
 いや――案内の人間のほうも心配だな。来てくれるのは嬉しいけど、此処は若い女も多いから特に。色目を使ったらただじゃ置かないぞ。
 まあ使ったところでマキは靡かないだろうけど。今は厩舎の様子でもなく完全にショウライのほうを見ている。
 ショウライはもう酒も無いのにびりびり鳴いて、触れる手を待っている。こいつもマキにはよく懐く。さすが俺の半身。頭を押しつけて俺が撫でるよりもっと嬉しそうに見える。その手も俺のだからな、お前だから許すんだぞ。
「何もなければ今日は一緒に帰るか?」
 俺が鳥に酒をやっていたのは臭いで分かっただろう。これは労いってことになってるから最後の仕事だ。ならと聞いてくれるのに、心の中で牽制やら嫉妬やらしまくっていたのがバレたようで気恥ずかしい。でも、うん。そう、誰が懐いたって、一緒の家に帰るのは俺だ。
「――うん、俺はもう終わる。待ってるよ」
「俺も今日はこれで切り上げるから……じゃあいつものところで」
 待ち合わせが久しぶりで、帰るだけなのにそれもなんだか嬉しい。帰り道、何か寄れないだろうか。菓子屋はもう閉まったよなあ。
 ひとまず、では点検を、などと畏まって始める前に、軽くなった甕を持ち上げて同僚に挨拶がてら釘を刺す。
「じゃあお疲れ。マキをよろしく」
「はい、お疲れさんです」
 マキはちょっと恥ずかしそうにしたが、これくらいは言っておかないと。
 ひらと手を振り駆けだした。今日は絶対、このまま飛ばずに帰るのだ。
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