家政婦、男娼、お嫁さん

綿入しずる

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 夜、帰ってくるとバジルはいなかった。家はいつものように片付いていたが暗かった。テーブルの上にメモがあり、食事はスープを作ってある、朝は朝食を作れるようちゃんと戻ってくると書き置きされていた。文字なのにどことなくいつもの調子を感じさせる言葉選びだった。
 フィルマンは呆然とした。掴んだメモを少し撫でて、考えを巡らせる。考えるほど、よくない結論が補強される。
 夕食も、多分朝食もある。嘘はついていないだろう。なんとなくそれは分かった。誤魔化して出ていくような性格ではない。だがバジルが夜に出かける理由は一つしか思いつかなくて、それは最早許容できなくて、フィルマンはスープを食べずに家を飛び出した。
 出会った場所を通り、迷って、飲み屋の辺りに行き、よく娼婦が客引きしている界隈を探し。
 フィルマンはどうにかバジルを見つけた。道の端で男と話していた。笑って路地に誘いこもうとする。
「バジル!」
「あれ、フィフィ……」
 大声に振り向く。通りすがりの他の人々も驚いて顔を向けたし、バジルと並んでいた客の男は動揺した。気の弱そうな雰囲気そのまま、揉め事の気配を感じとってさっさと逃げていく。今まさに事に及ぼうとした気分は挫かれたにしても、行きずりの男娼に執着はなかった。
 バジルも、その背を目で追ったが引き留めはしなかった。すぐにフィルマンに向き直る。
「……フィフィも出かけてたの? 家にスープもあるよ」
「知ってる。帰って、お前がいないから出てきた」
「そう……」
 誤魔化すのではなく純粋に、少し困った色合いで。フィルマンは険しい顔をしている。普通に外で見かけたから声をかけたのではないことは明らかだ。
「客とってたのか」
「うん。ほら、稼げるときに稼いどかないとって思って……フィフィは昨日したから今日はいいかなって。よくなかった?」
「ああ、よくない」
 フィルマンは溜息を吐いた。よくなかった。今日もしたかった、のではなく。そういう意味ではなくよくなかった。
 バジルは男娼で、これが仕事なのだ。フィルマンとするのも仕事だった。それは分かっていたが。
「服とか。――欲しいもんがあるなら買ってやるから、こういうのはやめろ」
 稼ぐ為、金が理由ならばそれでよいだろう。自分が出してやれば解決する。思って言いきる。
「買ってくれるの? ……家事手伝いにそこまで?」
 しかしさすがのバジルもそのまま喜ばず聞き返した。
 次には、期待を持って窺った。普通、家事手伝いにはそこまでしないだろう。男娼の仕事を止めに来るのも、何か意味があろう。
 二人は束の間見つめ合う。
 フィルマンは少し考えて、正直に答えることにした。
「……嫁さんみたいに思ってる」
「まず恋人からじゃないの」
 空かさず一言返る。それは非難ではなく、会話の流れのつっこみだった。おかしそうに笑いまで挟んで、まばたきし、バジルは首を傾げた。
「愛してるとか好きだとか飯がうまいとか掃除ありがとうって言ってもらったことない。金とか貰ってるから別にいいんだけど」
 それも――聞こえは悪いが文句や愚痴ではない。ただの事実の羅列だ。声はなめらかで、彼はそういうタイプだった。次のほうが、重要な本音である。
「そういうことじゃないならさ、言ってみてほしいな。なんか買ってくれるのもいいけど」
 バジルは笑って、懐くように言った。フィルマンの好きなバジルだった。そう言われれば、これまで何も言っていない。嫁さん呼ばわりもそうだが、何も。気づいて考え、フィルマンは口を開いた。
「お前がいると安心する。……それに助かるし」
 バジルは黙っている。もっと聞きたい、そういう顔だった。
「金を払わなくても……だと違うな、なんか逆っぽいな。ともかくそういうの抜きに家に居てほしいんだが。嫁さん、……候補みたいな」
「いいよ」
 ようやく返事があった。
「お嫁さんやってあげる。養ってよ」
 最初の夜と同じ雑さ、仕事内容の確認のようにバジルは言った。さっきはああ言ったが、世間一般的にという話であって、バジルとしては別に告白して恋人になってと順番を踏まなくてもよかった。そういう関係なら愛は囁いてほしかったが後からでも構わない。今聞いたので気分がよかった。
 案外二人には、それくらいでよかった。家事も、イイこともできる。お嫁さんにもなれる。そういう確認で十分だった。
「……ありがとう。これからよろしく」
 フィルマンはほっとして肩の力を抜いた。くたびれた。安心したら腹が空いてきた。辺りを見ればまだ明るく人通りがある。道を進めば飲み屋街だ。
「飯食いに行くか、たまには」
 提案しバジルの横に並ぶ。肩を叩いて促す。二人で歩き出しまた話し始める。
「スープはどうする?」
「明日食うから」
 ずっと家に置いてくれと言ったときの反応が微妙だったので今のうちに金を貯めたり次の客を作っておくべきかと思ったのだと、バジルは語った。フィルマンも毎晩盛るわけではないのでそういう夜は空き時間だなと考えた結果の行動が今日だった。フィルマンは納得する。振り返ればあの態度はどっちともとれて微妙だった。もっとはっきり返事をして、契約書でも作っておくべきだったと反省した。思えば何も約束らしい約束を交わさずに関係を続けていたのだ。さすがにそろそろ改めるべきだろう。嫁さんにするなら、尚更だ。
 飲み屋の料理は美味しいと沢山食べて、デザートのベリー・フールににこにこしているバジルは可愛かった。甘い物が好きなら今度土産を持ち帰るときは酒ではなく菓子にしようとフィルマンは思った。そういうことを考えるのは初めてだったが、これからどうにかなるだろう。
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