家政婦、男娼、お嫁さん

綿入しずる

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 フィルマン・フィリベールは疲れていた。
 この町に赴任してから忙しかった。彼が特別忙しいというより、部署ごと皆が忙しなくしていた。官憲の仕事というのは忙しいのと暇なのと差が激しいものだ。
 ただフィルマンは皆よりもう少し疲れた感じだった。慣れない土地で、今回は官舎暮らし。小さいながらに家一つ与えてもらえるのは世間的には恵まれているが、単身のフィルマンは持て余していた。
 くたびれたのでさっさと休みたいとは思うのだが、面倒臭くて掃除洗濯を後回しにする結果家が段々荒れるので帰るのが嫌になってきて、飯を食いに飲み屋に入るとそちらに長居してしまう。今日も二杯三杯と追加で飲んでしっかり酔っぱらいだ。それなのにいまいち気分がよくない。そんな風に疲れをリセットできないで毎日繰り返している。街灯の並ぶ通りを歩く歩幅もとぼとぼと、体格の割に威勢がない。
 そうして下を向いて歩いていると道を少し行き過ぎた。はたとして顔を上げれば、照らされる掲示板が目につく。流れで貼り紙の文字を読む。年齢、仕事の経験。何かと思えば家政婦派遣の案内だった。
 そういえば此処はそういう斡旋所だったかも知れないと、フィルマンは思い出す。もう少し読むと名前などは伏せた状態で、十年のベテラン、得意料理はミートパイ、子供好き……等々、色んなアピールが書いてある。ミートパイは今さっき腹に突っ込んできたのであまりそそられないし、フィルマンには子守りは不要だが。ベテランというのはやはりよさそうだ。その分希望の給金も高いようだったが払えない額ではない。フィルマンは割と高給で、使う暇もあまり無かった為に金だけはあるのだ。
 ――なるほど。
 この町に来て半年、これ以上家の状況が悪化する前に、人の手を借りるべきかも知れない。世の中にはそういう手段があるのだ。
 そう、疲れたフィルマンが考えたとき。
「俺、家事できるよ」
 不意の声がするのに、彼は今度はそちらを向く。
 振り向けば若い男が立っていた。少年と言ってもよいくらいの、手足の長い――軟弱な印象のする若者だった。
「掃除も洗濯もやるし、料理もまあまあできると思う」
 逆に、男らしくがっちりとした幅のある体格のフィルマンに臆さず近づいて続ける。
 明るいところに出てくると顔も分かった。二重のぱっちりとした目が大きく、そのバランスがまた子供っぽい。柔らかそうにうねる紅茶色の髪を左右に分けて流し、滑らかな額を見せていた。
「あとついでに、イイこともできる」
「ついでに?」
 三言目でフィルマンはようやく聞き返す。道端でこんな時間に声かけをするのは家政婦ではなく男娼だ。ついでではなくそちらが本分だ。
「どっちがついででもいいよ、別に」
 本人は頓着しないで、生意気に応じた。それで、どう? と首を傾ぐ。
 フィルマンは貼り紙を見ていたのと同じ目つきで彼を見た。目つきが悪いのは元々、疲労の分増しだ。人間相手では睨むようだったが、若い男娼はやはり怯まない。
 ――男娼のアピールは、貼り紙よりずっと雑だったが。フィルマンにはそれくらいでもよかった。とりあえず。別にベテランでなくともよいのだ。家のことをやってくれるのなら誰でも歓迎だった。
 家事ができて、イイこともできる。酔っぱらいの頭には、成程魅力的な誘い文句だった。
 フィルマンは引き返して歩き始めた。足音がついてこないのに振り向いて、顎先で促す。
「家はこっちだ」
 断られたのだと思っていたのに呼ぶ声に男娼はきょとんとして、直後跳ねるように駆けだした。覇気のないフィルマンの歩みにはすぐ追いつく。道を戻って曲がり少し歩けば、官舎に着いた。
 フィルマンは寝室に直行した。灯りを点してどっかりとベッドに腰掛ける。ずっと追いかけてきた男娼は今度は声を待たず心得た動きで近づき屈み込んで、客のズボンの前を開いた。
「うわおっきい」
 出てくる物に媚びない素直な感想といった調子で声を上げる。色気がない。フィルマンの知っている娼婦とはなんだか雰囲気が違ったが――彼としては悪くなかった。元々豊満でセクシーな女性などより素朴で明るい年下がタイプだ。男を抱いたことはなかったが、機会が無かっただけだ。
 男娼は優しく手で揉みながら唇を押しつける。家事ができる、と言うのが嘘ではないことの証のように、手荒れもあって少し硬い、男の手だった。
 手はそんなものだし、愛撫もあまり上手くはない。ただ、可愛かった。両手で擦り、ちゅ、と幹やカリ首に吸いついて、舌を覗かせて舐める様は子猫のようだ。一生懸命で、そういう愛嬌がある。
 興奮してむくむくと育ってきたものを咥えこみ、またちゅっと吸い上げた。小さく鼻にかかる声を漏らしながら顔を揺すり、溢れてくる唾液を絡めて唇で扱く。
 フィルマンは快感に身を委ねながら、ぼんやり男娼の顔を眺め続けた。一心に俯いた顔はやはり少し幼い。さすがに成人、十六は過ぎて、二十歳前だろうと思われた。
「あー、出る……」
 やがて込み上げる射精感をぽつりと訴えて、何も堪えずに吐き出す。勢いよく溢れた白濁を口に受け止め男娼はまたくぐもった声を上げた。――ごくんと飲み込む。残滓も吸い上げ舐めるうち、フィルマンのまどろむ様子に顔を上げた。
「あの、ねえ。泊まって、いい感じ?」
 膝を揺すっての確認に閉じかけの瞼が上がる。一応、目が合った。
「家事するんだろ。うちで朝飯が食いたいんだ俺は」
 言ってほどなく、射精後の気怠さのままフィルマンは眠りに落ちた。静かな部屋に寝息が響く。
「……もー、自由な人だな……」
 着衣の乱れを適当になおしてやってぼやき、男娼は立ち上がる。
 勝手に洗面所を使って口を濯ぎ、ランプが照らす部屋が物だらけで荒れているのも見渡してから、やはりどこか猫じみた動きで、ベッドの空いたスペースに滑り込んだ。

「お。起きた」
 目覚めたフィルマンは部屋にある人の気配に驚き跳ね起きる。相手はもう動き回り、明るい部屋でいつか脱いだシャツを拾い集めている。
 フィルマンは驚いたが、彼のことを忘れてはいなかった。昨日酔った気分のまま引き入れた男娼だ。
 財布を取り出して、これくらいだろうと代金を押しつける。自分で出した他には減った様子が無かったのでまず安堵した。
「ねえ、食べ物も鍋も皿も見当たらないんだけど。これじゃさすがに朝飯作れないよ。……もう昼だけどさ」
 受け取った金をポケットに突っ込みながら男娼が言う。ああ、とフィルマンは昨日のやりとりを思い出した。寝落ちる直前ではない。外でした会話のほうだ。
 家事をするような話だった。それで、男娼は金品などではなくそちらを確かめたらしい。
 そういった物は初めの頃にちょっとは買ったはずだが――鍋は焦がして捨てた。皿も割ってしまった。それからろくに料理なんてしてない。向いていなかったのだ。
「ああ、じゃあ仕方ない、朝食はナシだ……」
 折角の休みだというのに、外に出ないと飯にはありつけなさそうだ。起きて早々にがっかりしながら、フィルマンはとりあえず寝室を出た。たっぷり寝たがまだ疲れていて色々と億劫で気が回らない。男娼は後回しだ。
 しかし顔を洗いに行くと目が覚めた。使いっぱなしで汚れていたはずの鏡周りは磨かれて、石鹸や剃刀が整然としている。
 鏡に疲れた男の顔が映る。はっきり映るだけに何やら余計ヨレヨレに見えた。休みだがちゃんと髭を剃る気になって、それでかなりマシになった。髭剃りのうちに男娼が洗濯籠にシャツなど放り込んで出て行った。
 もしやとキッチンを覗いてみれば同じく。言われたとおり食べる物使える物は全然ないが、散らかっていたゴミはひとまとめにされて、コップが洗われ、流しや調理台の掃除までされているのが分かった。片付いている。
 そうして寝室に戻ると、男娼は埃を払ったナイトテーブルの上に本を積んでいた。ベッドの上やそのへんに五冊もあったのだ。
 手を払って、フィルマンを見た。ブルーの瞳だった。少し片付いた部屋へもちらと視線を投げる。一方ずつ転がっているのが常だったスリッパはベッドの横で行儀よく並んでいる。
「あー……勝手にしてごめん? きれいにしたつもりだったけど……」
「買いにいくか、鍋」
 フィルマンは呟いた。
 まだ埃っぽくはあるが、寝ている間に家は大分見違えたように思えた。――やっぱり朝食も欲しかった。
「うん、それがいいと思うよ」
 聞いた男娼はにっと笑って頷いた。

 近所の雑貨屋でフライパンと皿が見つかったので買って、遅い朝食の材料を揃えて帰ってきた。フィルマンの家は立地がよく商店街が近い。料理をする気さえあれば買い物はどこかに食事に出かけるより早く済むのだった。
 ついて歩いて荷物持ちもしていた男娼は、揚々とキッチンに立った。
 事前のアピールのとおり、料理はまあまあ、だった。料理と言うにはささやかな、ハムと卵を焼いてパンを添えるだけの手のかからないもので、しかしちょっと焦がした。盛りつけも崩れている。
 それでもフィルマンには十分だった。彼ならもっと焦がすかも知れなかったので。
「ど?」
「上々だ」
「よかったあ」
 口に運ぶとすぐ訊ねるのに、妙な世辞は入れずにそれだけ答える。すると男娼は明るく笑う。子供が親に褒められたときのような反応だった。
「お前も食えよ」
 フィルマンの勧めにも素直に頷く。皿はまた割るかもと思ったので二枚買っていた。そちらにも、ハムエッグとパンが載った。
「あのさ、夜も作るよ。……このくらいの料理とかでいいなら、本当に雇ってくれない? いっぱいやるから住み込みがいいな」
 食べ始めながら言うのに、一方皿に溜まった卵の黄身をパンで拭いながらフィルマンは考えた。
 考える余地があった。
 普通、もっとちゃんとした、それこそ斡旋所などを通した人物を雇うべきだろう。そのほうが色々幾らか安心である。行きずりの男娼を家に住まわせるなんて、とんでもない。
「寝るとこ欲しいんだ。ベッドの隙間でいい。床でもまあ、なんとかなるかも」
 しかしこの男娼も、警戒するにはからっとしていた。
 フィルマンは無害な相手なら、他人と暮らすのも別に嫌ではない。この家は困らない程度には広い。
「卵はもっと固めがいい」
 フィルマンははっきり言った。
 二回目の目玉焼きも大体同じ具合だった。端はカリカリと焼けているがつつけば崩れていく黄身に注文をつける。
 男娼は一層明るく破顔した。
「分かった、任せて。ゆで卵もオムレツもできるよ」
 フィルマンはもう酔ってはおらず、寝起きでもなく、冷静な判断ができる状態だったが。家が片付いて人の作ったものが食べられるのに、完全に心が動いていた。
 さっき買ってきた卵を食べきるくらいまで試用期間ということにしようと思った。こういうのは普通書類にサインなんかするもんかなとも考えたが、ひとまず食事を終えることにした。
「俺はバジル。お兄さんは?」
 書類の求めではなく、握手に手が差し出される。指先が汚れていないか確かめて、フィルマンはその手を取った。
「フィルマン・フィリベール」
「フィフィ」
 仕事の癖でフルネームで名乗ると空かさず愛称にされる。あまりに屈託なく気安いので訂正する気が起きず、まあそれでいいと頷いておいた。
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