こがねこう

綿入しずる

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二十三歩 目指す

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 あれきりになったとしても、それは納得できる立場だった。
 春の夢から覚め、ヒサギとイナさんのことを知らせねばと口実にした手紙の返事があっただけでも僥倖だと思わねばならないと、思っていた。いつ途切れてしまうかと怖くなりながらも、次の返事も書かずにはおれず。書いては返事を待たずにはおれず。そうして落ち着けないでいたところに近郊の水源が涸れたと請願があり、田仕事に障りがあると急いで向かった。何か勘違いでもされないよう、手紙を人に預ける際には一応、留守の言伝も頼んだ。帰ってきたら返事がちゃんと机に置かれていて、ああまだ繋がっていると喜んだ。
 もしかすればまた会えるかもしれない。会えば声をかけてくれるかもしれない。宮に遊びに来てくれるかもしれない。そんな期待は勿論していた。文のやりとりでも続くなら話していたとおり、秋の庭が色づいたら見物を誘ってみようと思った。とっておきの茶と菓子を用意してもらって持て成そうと思い描いて、まだ緑に眩しい枝を眺めた。
 煙髯エゼンの髯の芯を使った細工を贈ってくれる約束も、違える人ではないだろう。だから久しぶりに髪を伸ばしっぱなしにしてみたりした。……煩わしく思ったら切ればいい。
 一年くらいはどうにか親しくできたらいい、いや本当は、もっと長くがいい。ずっと、たまにでいいから会える人であってほしい。そのくらいは思っていた。でもこれは、これは――ここまでは思ってもいない。
 久しぶりというほどでもない。十余年はただ眺め続けていた相手だ。半年足らず、なんてこともないはず。けれど待っていた。会えなくなったのがこんなにも寂しく、会えたのがこんなにも嬉しいのは思った以上だった。
 宮の門を潜った彼が、どれほど近づいても己では埋められなかった距離を詰めた。恐ろしいことを言わせてしまったと思っての身震いは、それとも喜びが過ぎた為だったか。アオギリの目を見ると不安など消えてしまった。きっと上手くいく。――そんなことあるんだろうか。けれど信じてしまう、そういうひと。

 先程はヒサギの寝顔を覗いていたサハリ様は、こちらを見て同じように目を細めた。
 これほど美しい人は他に居ない。宮中の生活、金の尾コノオの皆で見慣れた目にも一等、絶世の美女だ。金の光の中から抜け出てきたような佳人。今日は夏らしく淡い色の衣を重ねて、束ねた髪の中に蓮花の飾りをまるで活けるように挿している。それは大振りな見事な一品だったが実に自然に身につけられて、彼女の美しさを引き立てていた。
 今日はまず私と話がしたいと仰って、天気がよいからと庭に設えられたあずまやへと誘われた。無論二人きりとは言えぬほどすぐ近くに侍女や護衛も控えていた。シチの横には姫の連れる岩偶ガグがまるで姉妹のように並んでいる。その様を見るといつも思い出す。自分も一緒にいる子が欲しいと陛下に願ったのだと笑う、幼い姫宮の姿。
 まだ蕾も見当たらない庭に、姫好みの花のような茶の香りが漂う。
「……それが将軍から頂いた髪飾り?」
「はい、」
 私と話といえば、やはりそのこと。十日ほど前の出来事はその日のうちに後宮にまで知れ渡っていたそうだ。隣へと頭を傾げて、久々に少し纏めて飾っている髪を見せる。着けているのを忘れそうなほど軽い物だがしっかりと留まっている。サハリ様は暫く観察して――目が合うとまた一段と綻ぶように笑う。口元を覆うと共に、裾も軽く揺れた。尾が揺らいだに違いなかった。
「ふふ、似合ってる。どこかあの方らしい雰囲気があるわね」
「……会ったのですか?」
「ええ、行脚の労いを、アキラと共に。貴方のよい人なら一目見てみたいと思って。結局そのときは、顔はよく見えなかったけれど」
「それは驚いたでしょうね、将軍も」
 姫宮からの直接の労い、それも世嗣と共になら顔を上げられなかっただろう。私たちが特に親しく、内々の席ではこうして隣り合うことも許されているだけで、そういう御方だ。
 ――やはり、愛しかった?
 帰ってすぐの頃、私も労っていただいた。そのときはそう尋ねられた。
 私が引率の将軍を好いていることを、彼女はもう知っていたのだ。行脚より以前、支度に張り切る様を見られているし、岩偶を通して私たちの処遇を確かめている方だ。金の尾たちの間では概ね受け入れられていることだった。ウカの町での件が不問であるのも、どうやら折よく居合わせて揉み消してくださったように思われる。
 ああそうか、それならアオギリの顔なども見ていたのか。あの人は道中、私の隣に居てくれたのだから。
「そうね、わたくしはともかく、アキラは迫力があるもの。――けれど将軍にも驚いたわ。あんなに真正面から切り込んでいくなんて、さすがの一言。なんだかとても嬉しくて、気持ちがよかった。すっとしたわ」
「はい――私もそれはもう驚きましたが、……それを上回って嬉しくて」
 ……アオギリを誉める声が嬉しく誇らしく、尾が振れそうなのをこそりと上から押さえ落ち着けて茶を飲んだ。普段飲んでいるものよりずっと高級なものは味もよい。薫りが自分の内に満ちて、すっと、抜けていく。
 まっすぐに見つめて微笑んだ顔、告げた声、一生忘れないだろう。
 行脚を共にした将軍が金の尾に求婚した。金の尾もそれを受けた。という大変に衝撃的な話題は、今や城内どころか都中へと広がりつつあるらしい。宮の総長からはお叱りも受けたが譲りはしなかった。もう決めて頷いてしまった。結局、婚姻の申請自体はあの日のうちに治部の長に受け取られた。アオギリの調べたとおり咎める法や命令が無い以上は突き返すわけにはいかず、留め置かれているようだ。それでひとまずあの日は終わり、アオギリは再訪の約束をして去った。
 今は揃って大人しく帝の勘考を待っていた。呼ばれれば何処へでも参じて気持ちを述べるつもりでいるが、事を荒立てるようなことはしない。本意ではない、のもあるが、それが得策だと思う。あくまでこれは、彼と共に過ごしていく為の手立て。婚姻が絶対というわけでもない。推し進めようとして窮するのは本末転倒だ。
 それに己の身はともかく、父母や仲間たちにまで累が及んでは。それだけは避けたかった。
 占いと詮議が繰り返され意見は割れて、これこそが金の尾の企みではとも囁かれる始末だが――
「先日、この事に関しお言葉を頂いたと。ありがとうございました」
 今この世には、金の尾の姫君があらせられる。帝の愛娘を意識すれば下手なことは言えぬと、反対派は弱っている。賛成側とて大方は姫と帝の顔色を見ている。そこに更に一言、意見を述べられたと聞いた。サハリ様とアキラ様、お二人は我々の婚姻を薦める側に立つと立場を公言してくださった。
「あら、それは当然よ。私が言わず誰が言うの。私もいずれと思えば猶更」
 また、銀の目を細めてサハリ様は微笑んだ。
「いずれ」
「いずれ、よ。陛下はまだ誰も決めてくださらないし……まだ誰も見つからない。色んな方とお会いしたけれど、ときめかないわ」
 少女らしく笑い、しかし誰よりも品よく茶を飲む。王族の姫ともなれば確かにもう婚約者などいてもおかしくはないのだが、彼女も金の尾ゆえに、そしてやはり帝の愛の深さゆえに、なかなか難しい話であるようだった。
「私のことはいずれ。まずは貴方から。ずっとあの方を想っているの、応援したかったの。アキラも喜んでいたわ」
 私は自分のことで手いっぱいだが姫様は先を――いずれの将来の話だけではなく、大局を見据えている。私たち金の尾の為にか、彼女自身の為にか。ただ御父君と姉姫様の為であることは間違いなさそうで、ならば悪いことにはならぬだろうと皆で話している。今は彼女の振る舞いが一番、伝説に聞く先達の金の尾に近しいように思われた。
 そのサハリ様がまずと言うならば、私への応援であると同時にそういう策なのだろう。御恩に報いる為にも臆せず進もうと思う。いずれその歩みも大きな道になるのだろうから。
 膝の上で、なんとも柔く美しい手が自分の手に重なった。爪の先まで花弁のよう。
「新しい一歩よ。応援するから、踏み出して」
「あの方とならできるように思います」
「……いいわ、そういう話がもっと聞きたい。ススキ、沢山話して頂戴」
「ええ勿論、御望みとあらば。けれど長くなりますから、先に他の者も呼びませんか。皆も姫様に話したいことがあるようですよ」
「貴方も皆にも聞かせたいのね。ではそうしましょう」
 美しい呪文かの響きで囁いていた声が嬉しそうに弾んだ。そのまま冗談めかして侍女を呼ぶ。
 王の血筋に現れた尾。私たち金の尾も人ではないようだとはよく言われるが、その目で見ても人ならざる、特別な存在に見える。けれど年頃の方らしく色恋の話が大好きだ。恋詩のこと、王族貴族のこと、女官たちのこと。誰それの見合いや逢引の噂話から――誰に聞くのか閨の艶めいた話題まで。ひそひそと年の近い私やシュユ姉さんに耳打ちして、頬を染め瞳を輝かせる。金の尾は子を成せぬから、下手に胤など撒かれずに済む、だから逆に自由に恋などしてみてもよいのではなどとかなり恐ろしいことも言う。帝が聞いた日には卒倒するのではないか。いつか彼女も誰かと婚約したと報告なさるのか、誰かにときめいて相談でもしにくることがあるのか。
 ――まず今日は本気で、私に根掘り葉掘り聞くつもりと窺えた。こちらとしてもそう来るだろうと聞こえのよい話を用意してある。
 ただ……
 あれから結構な日数が経ったというのにまだ、アオギリのことを考えると気もそぞろになって尾などがそわそわする。皆にご機嫌だと後ろ姿で指摘されては締まりなくにやけてしまうような有様で、上手くやれるかは分からない。私も尾を持つ者、このような場で育った者なりに振舞いたいものだけれども。
 蝶が飛び立つように離れる手に顔を上げる。金の髪の中で咲く白蓮を眺め考える。……まず改めて、髪留めの話をしよう。そうすれば誰かがこの立派な飾りにも話を向けてくれるだろう。装飾品や芸術品の話になればその後も盛り上がる。
 姫宮は当然、それは見事なものだけれど。国都の中枢ともなれば皆装いに抜かりなく、下働きの雑役とて簪など挿している。城の華々しい人たちがそうして着けこなす様を見るたび、慣れていない自分の髪が気になってきてつい触れる。つるりとした輪の形、紐や、金属とも違う、滑らかだが冷たくはない細い芯が確かにある。あの日触れた物は本当にこれと同じだったのか。もっと柔らかかった気もする。
 次はもっと華やかな物も贈ろうかとアオギリは言ってくれたけれど、私には絶対、これが丁度よかった。ずっと着けていたいと思ったらそうしていられるし、とても丈夫だと聞いていたのも安心できてよかった。龍を斃したときも着けていたと笑う、あの人とお揃いなのはそれは嬉しい。行脚で話したのがこれに結びついたと思えば眺めているだけで胸がいっぱいになる。離れても傍に居てくれるようで心強い。
 ――待てば、次はすぐ、また会える。
 秋になって庭が見頃になったら会おうと約束した。そのくらいの時期になれば婚姻の可否は置いても落ち着きどころは見えて、城や宮の者も対応しやすくなるはずだという彼の見立てだ。決めたことは譲らぬし無理もするが、心証よくして周りを味方にするにも余念がない。アオギリ将軍らしい作戦だと思う。
「ねえ、将軍のどこが好きなの?」
「……大きいところですかねえ、まず」
 想いながら、その日を待つ。今は待つ時間さえも愛おしく幸せだった。
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