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二十歩 帰る*
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最後の儀礼が済んだ。これで後は移動のみ、二日歩いて着く予定だ。
行脚の者たちもヒサギを宮へと送る側も、皆の気負いが一段緩んだ。隙が出来たなと思った。これを逃せばもう機がないと思い、賓館に戻り、別れる前にススキに声をかけた。
「今夜部屋に行く」
一言、それだけ。用など言わなかった。朱の覆いの下で頷く彼に俺も頷いて、それぞれ務めに戻った。
本日、百十番から百十三番の田畑にて儀礼奉る。すべて滞りなく。計八十二箇所、金の尾ススキの足跡として申し上げる……――ミズヒキと二人で、感慨深い思いで報告を認め都へと飛ばした。
行水を早々と済ませ、夕餉の席も礼を欠かぬ程度に酒を貰い話をし、先に下がったススキを追うような気分でお開きにした。部下たちはマユミも皆も察した風だったが、不満はおろか揶揄も飛んではこない。むしろ触れずに、しかし気を配って俺の身を空けたように感じられた。
一応の体裁をとるべく酒と肴を支度してもらい、それを持って金の尾の部屋に向かった。様々な町の賓館を見てきて、此処は質素な部類だなと分かるようになっていた。多くはない部屋数、最低限の設備、飾り気は無く少し古い。床が軋んで音を立てた。
静かに戸を叩く。すぐに開いて――俺の他には誰も居ないのを窺って、それから手が伸びた。するりと腕を撫で下ろし手を握ってくるのにもう躊躇は起こらなかった。引かれるままに部屋に入り、閉ざした扉を背に口づけを受ける。柔い唇が押しつけられる。温い体が寄せられる。
緊張が解けて、そこでようやく笑い合った。
「……待たせた」
「ええ、少し待ちました。まだすぐには明けぬのに、過ぎた心配をするものですね」
小さく冗談めかし笑む口を食んで抱き寄せる。室内で風は無く、立ち止まったのに広がって揺れる白い裾が不思議に映る。
触れ合ったままどちらともなく、向かい合わせに用意された椅子ではなく寝台へと足を向ける。小さな酒瓶や乾き物の包みはなげやりに置き、既に壁際、命じられるのを待つ位置で佇む岩偶を横目に灯りが点る奥に進む。
押し倒された。――無論、彼の力で俺など倒せるわけもないので、押す力に合わせた。薄い布団の上で抱き上げて見上げる。灯りの色を受けて瞳も金色だった。
「アオギリ将軍、」
酒など飲まずとも、呼ぶ声の切なく甘い響きで十分だ。頬を撫でれば掌にも口づけがある。数日前の黒脚の陰よりはっきり触れて髪を梳く。すぐにまた身を寄せてきて擦り寄り、首を噛むのは獣の戯れるようだ。吐息を感じる。軽く、尖った歯が当たる、その愛咬の小さな刺激に熱が込み上げる。
これまでよりも一層に積極的な触れ方をするススキの体を弄り上着を脱がせていくと、贈った青い組紐を身に着けているのもちらと見えた。解くのが惜しく、ただ辿って、裳のほうの合わせ目を探して内へと手を差し込んだ。
「っ……」
すぐ、肌に触れる。ススキが身を竦めたが俺も些か驚いた。より慎重に動いて足の様子を窺えば前とは違い、内には下着しか着ていない。いつものように着込んでいると思っていたが――行く、と言ったからだろうか。少なからずの興奮を宥めつつ、改めて内腿を擽るともう一つ小さく震えた後に甘噛みが再開される。彼も俺の着衣に手をかけた。引っ掻くように胸や腰を辿って見つけた帯や留め紐を外していく。
裾の中でもぞもぞと手を動かして、彼の下肢から頼りなく薄っぺらな布を取り払う。尾にも触れたが今日はまったく臆さなかった。それよりも触れたいばかりで、何より尾も彼の体ならば怯んで触れないでいるのは損なことだと思えた。
柔肌と常ならざる毛並みを一緒に感じるのは本当に特別なことだろう。今己は、金の尾の体に触れている。
「触れていいか」
尻を割って訊ねる。彼の身は強張ったが頷きばかりは即座に返されたので、遠慮なく指の腹で噤んだ皮膚を揉む。と、そこは少し柔く、潤んでいる。覚えのあるぬめり。
――もう驚くというより心臓に悪い。房薬が仕込んである。
「はしたなかったですか……」
窺う声は擦れてか細い。
「は――歯止めが利かなくなると不味いんだ、分かっているか?」
「来てくださると言うから、ぁ――」
欲求を抑えつけて手はゆっくりと動かすが、尻に痕でも残しそうだ。指先なら易く入った。ぬるりと呑んで、きつく締めつけて声を上げる。嬌声は一等甘い。
まだ都まで歩く、そこだけは自制が出来た。ただ少しでも深く触れて近づきたい、心身を繋げてみたいと、俺も彼も思っている。
「っん、――ん、ぅあっ……あ……ッ」
指の節まで沈めてよいところを探し、縋って身悶えするのを抱き締める。彼からも腰が寄せられ――勃った物が押しつけられる。その熱さに、自身の陽物もすぐに膨れ上がった。
「……ススキ」
呼んで接吻を請う。熱を帯びて殊に美しい顔に見惚れて、息を乱す唇を塞いで舌を絡めた。声がくぐもるのをそこで感じた。吐息を交わし熱を分け、やがて昂り極まる彼の快感までもを身のすべてから感じて酔い痴れた。我に返った頃にはどちらの物ともつかぬ精が腹を濡らしていた。それに興奮し追い立てるように、もう一度扱いて絞り取った。
快感に打ちのめされて息を整えた後も、暫く身を重ねていた。黙って互いの心臓が打つ、息で膨らむ胸を感じた。丸く形のよい頭や背を撫でてぼんやりとする間も心地よかった。
まだぴたりと寄り添っているのに、乱れた着衣の端がさざ波のように擦れていく。尾が動いたのだ。
「……もう一度、尾にも触れてもいいか」
「遠慮なくどうぞ。貴方ならどこに触れたっていいんですよ」
改めて服を掻き分け、肌を撫でるのと同じに触れた。撫で、奥に肌と同じ体温があるのを指先に感じながら毛に沿って流す。滑らかで豊かな手から零れるほどの毛並みは、触れていてもそこに在るのが疑わしいほど見事な手触りだった。
「……よい尾だな、これは」
「そうですよ。あまりお見せしませんけど、気に入ってるんです」
一振り、尾が逃げるのではなく揺らいで、再び掌に沿う。ススキは深く息を吸って顔を上げた。
「もっと触ってください。貴方のことを少しでも覚えて帰るから」
ねだって、彼の手も胸や喉に、それこそ形を確かめるように宛がわれて動いていく。
「大きな体。んふふふ、此処で眠ったら気持ちよさそうですねえ。貴方の匂いがするし、顔もよく見える」
事を交えた後など汗臭いのではと思ったが、彼が気に入るなら一晩くらい布団の役は吝かでない。ススキの肌もしっとりと汗ばんでいるが嫌な臭いなど欠片もなかった。しかし香や化粧の粉の匂いでもない……鼻を意識して頭の片隅で考える内に、俺を見つめる目が細められた。
「全部好きだな……」
泣きそうに見えたその顔と、短く、飾らず零される好意の言葉に堪らなくなる。どうにか伝える手立てを求めて、喘ぐように返事を絞り出した。
「俺もお前が愛しい」
唇が触れる。夜が更けていくのを惜しみ、長く口づけた。
……瞼の裏にも金色が残っている気がする。
多くの旗や幣を掲げた壮麗な門を潜り賑わう大路を進み、一行はとうとう元の城へと戻り着いた。よく戻られた、よくぞ参ったと労い導く声に従い、見慣れた敷地を進んで発ったのと同じ広場に至る。イナとヒサギを連れたウカからの者たちが先に奥へと連れていかれるのを視界の端に、行脚の身分証の最後の確認を受けて並んだ。
金の尾が歩み寄り、一人ずつ、鳴杖を頭上で鳴らして祝う。何か、花が降るような音がすると思った。
目を開け顔を上げると視線が通った。相も変わらずしっかりと俺を見据えて、それから伏せて、今度は彼が頭を下げる。一礼、行脚の一同に向け。一礼、帝の坐す正殿に向け。
そうして下がっていく。岩偶と、会釈した世話係のナラと共、出迎えの者たちに連れられていくその背を見送る。輝く鳴杖の穂と朱色が揺れて遠ざかる。
――ああ、呆気ない。
無事巡って送り届けた。務めを終えた感慨と安堵があるが、しかし空虚も感じられた。視線をも遮るように境の門が一つ閉じられたのを合図に向き直る。皆の顔が見返した。
「さて――随分長く歩いたが、懐かしの都、馴染みの土地だ」
巫覡に執筆、医官や護衛に雑役、部下や小姓に騎と黒脚まで、全員を見渡して口を開く。やはり散々、前の晩や道中にも行脚の道を振り返ってあれこれと話をし、それぞれへの礼は済ませていた。これが最後の最後、結びとして大勢に向け、引率としての号令だ。
「よい旅だった。思いがけぬこともあったが、大きな怪我や病なく無事皆を連れ帰れたことに俺も安堵している。世話になった。家に戻りまずゆっくり休んでくれ。此処や街中で見かけた折には気兼ねなく声をかけてくれれば嬉しい。金の尾の祝福もあろうが、俺からも皆の幸運を祈らせてもらう。――皆、ご苦労だった」
「お疲れ様でございました」
「お疲れ様でございました、またいずれ」
「世話になりましたな。まこと、よい旅でした。またお会いしましょう」
二月近く共に過ごしたのもこれで解散だ。口々に言い合い、晴れやかな表情で頭を下げては荷を持って家や仕事場へと向かっていく。見送り、後は諸々の道具や黒脚たちを戻すという雑役たちに挨拶をして、自分の行李などを受け取った。
「あと一息だ。行きますか」
マユミが呟くのに頷く。通りに迎えの荷車が来ているのをさっき見つけていた。出ていけばすぐ近くで待っており――久しぶりに顔を見る家の者たちが手を挙げるのに笑って応じる。
「おかえりなさいませ。長旅、ご苦労様でした」
「ああ、戻った。出迎え助かる。家のほうは変わりないか」
「ええ、いつもどおりです」
「おうマユミ、子らが恋しがっていたぞ」
「――今回は土産を買ってくると約束したからなぁ」
「また素直じゃないねお前は」
改まった場から出てくると皆から疲れが滲み始める。そんな七人に迎えが加わればがやがやとして、まあ寂しくはない。車を牽く、こちらも馴染みの顔触れの駆駒を撫で、イタドリからドトウの手綱を受け取った。もうすぐ家だと教えてやればこれもどことなく嬉しそうだ。
「戻ってくるといつもに増して賑やかだな、都ってのは」
「イタドリ、無理に持つな。行きより重いからな、どれ……」
そうやって後は何度も通った、我が家に続く道を行く。戻れば休みも宴会もある。二日三日も余韻を味わって、その後は少しずつ溜まった仕事を片付けていかねばならないだろう。
一段と美しい春が去っていく。多くの花の時期が過ぎた国都で、元の生活が待っている。
行脚の者たちもヒサギを宮へと送る側も、皆の気負いが一段緩んだ。隙が出来たなと思った。これを逃せばもう機がないと思い、賓館に戻り、別れる前にススキに声をかけた。
「今夜部屋に行く」
一言、それだけ。用など言わなかった。朱の覆いの下で頷く彼に俺も頷いて、それぞれ務めに戻った。
本日、百十番から百十三番の田畑にて儀礼奉る。すべて滞りなく。計八十二箇所、金の尾ススキの足跡として申し上げる……――ミズヒキと二人で、感慨深い思いで報告を認め都へと飛ばした。
行水を早々と済ませ、夕餉の席も礼を欠かぬ程度に酒を貰い話をし、先に下がったススキを追うような気分でお開きにした。部下たちはマユミも皆も察した風だったが、不満はおろか揶揄も飛んではこない。むしろ触れずに、しかし気を配って俺の身を空けたように感じられた。
一応の体裁をとるべく酒と肴を支度してもらい、それを持って金の尾の部屋に向かった。様々な町の賓館を見てきて、此処は質素な部類だなと分かるようになっていた。多くはない部屋数、最低限の設備、飾り気は無く少し古い。床が軋んで音を立てた。
静かに戸を叩く。すぐに開いて――俺の他には誰も居ないのを窺って、それから手が伸びた。するりと腕を撫で下ろし手を握ってくるのにもう躊躇は起こらなかった。引かれるままに部屋に入り、閉ざした扉を背に口づけを受ける。柔い唇が押しつけられる。温い体が寄せられる。
緊張が解けて、そこでようやく笑い合った。
「……待たせた」
「ええ、少し待ちました。まだすぐには明けぬのに、過ぎた心配をするものですね」
小さく冗談めかし笑む口を食んで抱き寄せる。室内で風は無く、立ち止まったのに広がって揺れる白い裾が不思議に映る。
触れ合ったままどちらともなく、向かい合わせに用意された椅子ではなく寝台へと足を向ける。小さな酒瓶や乾き物の包みはなげやりに置き、既に壁際、命じられるのを待つ位置で佇む岩偶を横目に灯りが点る奥に進む。
押し倒された。――無論、彼の力で俺など倒せるわけもないので、押す力に合わせた。薄い布団の上で抱き上げて見上げる。灯りの色を受けて瞳も金色だった。
「アオギリ将軍、」
酒など飲まずとも、呼ぶ声の切なく甘い響きで十分だ。頬を撫でれば掌にも口づけがある。数日前の黒脚の陰よりはっきり触れて髪を梳く。すぐにまた身を寄せてきて擦り寄り、首を噛むのは獣の戯れるようだ。吐息を感じる。軽く、尖った歯が当たる、その愛咬の小さな刺激に熱が込み上げる。
これまでよりも一層に積極的な触れ方をするススキの体を弄り上着を脱がせていくと、贈った青い組紐を身に着けているのもちらと見えた。解くのが惜しく、ただ辿って、裳のほうの合わせ目を探して内へと手を差し込んだ。
「っ……」
すぐ、肌に触れる。ススキが身を竦めたが俺も些か驚いた。より慎重に動いて足の様子を窺えば前とは違い、内には下着しか着ていない。いつものように着込んでいると思っていたが――行く、と言ったからだろうか。少なからずの興奮を宥めつつ、改めて内腿を擽るともう一つ小さく震えた後に甘噛みが再開される。彼も俺の着衣に手をかけた。引っ掻くように胸や腰を辿って見つけた帯や留め紐を外していく。
裾の中でもぞもぞと手を動かして、彼の下肢から頼りなく薄っぺらな布を取り払う。尾にも触れたが今日はまったく臆さなかった。それよりも触れたいばかりで、何より尾も彼の体ならば怯んで触れないでいるのは損なことだと思えた。
柔肌と常ならざる毛並みを一緒に感じるのは本当に特別なことだろう。今己は、金の尾の体に触れている。
「触れていいか」
尻を割って訊ねる。彼の身は強張ったが頷きばかりは即座に返されたので、遠慮なく指の腹で噤んだ皮膚を揉む。と、そこは少し柔く、潤んでいる。覚えのあるぬめり。
――もう驚くというより心臓に悪い。房薬が仕込んである。
「はしたなかったですか……」
窺う声は擦れてか細い。
「は――歯止めが利かなくなると不味いんだ、分かっているか?」
「来てくださると言うから、ぁ――」
欲求を抑えつけて手はゆっくりと動かすが、尻に痕でも残しそうだ。指先なら易く入った。ぬるりと呑んで、きつく締めつけて声を上げる。嬌声は一等甘い。
まだ都まで歩く、そこだけは自制が出来た。ただ少しでも深く触れて近づきたい、心身を繋げてみたいと、俺も彼も思っている。
「っん、――ん、ぅあっ……あ……ッ」
指の節まで沈めてよいところを探し、縋って身悶えするのを抱き締める。彼からも腰が寄せられ――勃った物が押しつけられる。その熱さに、自身の陽物もすぐに膨れ上がった。
「……ススキ」
呼んで接吻を請う。熱を帯びて殊に美しい顔に見惚れて、息を乱す唇を塞いで舌を絡めた。声がくぐもるのをそこで感じた。吐息を交わし熱を分け、やがて昂り極まる彼の快感までもを身のすべてから感じて酔い痴れた。我に返った頃にはどちらの物ともつかぬ精が腹を濡らしていた。それに興奮し追い立てるように、もう一度扱いて絞り取った。
快感に打ちのめされて息を整えた後も、暫く身を重ねていた。黙って互いの心臓が打つ、息で膨らむ胸を感じた。丸く形のよい頭や背を撫でてぼんやりとする間も心地よかった。
まだぴたりと寄り添っているのに、乱れた着衣の端がさざ波のように擦れていく。尾が動いたのだ。
「……もう一度、尾にも触れてもいいか」
「遠慮なくどうぞ。貴方ならどこに触れたっていいんですよ」
改めて服を掻き分け、肌を撫でるのと同じに触れた。撫で、奥に肌と同じ体温があるのを指先に感じながら毛に沿って流す。滑らかで豊かな手から零れるほどの毛並みは、触れていてもそこに在るのが疑わしいほど見事な手触りだった。
「……よい尾だな、これは」
「そうですよ。あまりお見せしませんけど、気に入ってるんです」
一振り、尾が逃げるのではなく揺らいで、再び掌に沿う。ススキは深く息を吸って顔を上げた。
「もっと触ってください。貴方のことを少しでも覚えて帰るから」
ねだって、彼の手も胸や喉に、それこそ形を確かめるように宛がわれて動いていく。
「大きな体。んふふふ、此処で眠ったら気持ちよさそうですねえ。貴方の匂いがするし、顔もよく見える」
事を交えた後など汗臭いのではと思ったが、彼が気に入るなら一晩くらい布団の役は吝かでない。ススキの肌もしっとりと汗ばんでいるが嫌な臭いなど欠片もなかった。しかし香や化粧の粉の匂いでもない……鼻を意識して頭の片隅で考える内に、俺を見つめる目が細められた。
「全部好きだな……」
泣きそうに見えたその顔と、短く、飾らず零される好意の言葉に堪らなくなる。どうにか伝える手立てを求めて、喘ぐように返事を絞り出した。
「俺もお前が愛しい」
唇が触れる。夜が更けていくのを惜しみ、長く口づけた。
……瞼の裏にも金色が残っている気がする。
多くの旗や幣を掲げた壮麗な門を潜り賑わう大路を進み、一行はとうとう元の城へと戻り着いた。よく戻られた、よくぞ参ったと労い導く声に従い、見慣れた敷地を進んで発ったのと同じ広場に至る。イナとヒサギを連れたウカからの者たちが先に奥へと連れていかれるのを視界の端に、行脚の身分証の最後の確認を受けて並んだ。
金の尾が歩み寄り、一人ずつ、鳴杖を頭上で鳴らして祝う。何か、花が降るような音がすると思った。
目を開け顔を上げると視線が通った。相も変わらずしっかりと俺を見据えて、それから伏せて、今度は彼が頭を下げる。一礼、行脚の一同に向け。一礼、帝の坐す正殿に向け。
そうして下がっていく。岩偶と、会釈した世話係のナラと共、出迎えの者たちに連れられていくその背を見送る。輝く鳴杖の穂と朱色が揺れて遠ざかる。
――ああ、呆気ない。
無事巡って送り届けた。務めを終えた感慨と安堵があるが、しかし空虚も感じられた。視線をも遮るように境の門が一つ閉じられたのを合図に向き直る。皆の顔が見返した。
「さて――随分長く歩いたが、懐かしの都、馴染みの土地だ」
巫覡に執筆、医官や護衛に雑役、部下や小姓に騎と黒脚まで、全員を見渡して口を開く。やはり散々、前の晩や道中にも行脚の道を振り返ってあれこれと話をし、それぞれへの礼は済ませていた。これが最後の最後、結びとして大勢に向け、引率としての号令だ。
「よい旅だった。思いがけぬこともあったが、大きな怪我や病なく無事皆を連れ帰れたことに俺も安堵している。世話になった。家に戻りまずゆっくり休んでくれ。此処や街中で見かけた折には気兼ねなく声をかけてくれれば嬉しい。金の尾の祝福もあろうが、俺からも皆の幸運を祈らせてもらう。――皆、ご苦労だった」
「お疲れ様でございました」
「お疲れ様でございました、またいずれ」
「世話になりましたな。まこと、よい旅でした。またお会いしましょう」
二月近く共に過ごしたのもこれで解散だ。口々に言い合い、晴れやかな表情で頭を下げては荷を持って家や仕事場へと向かっていく。見送り、後は諸々の道具や黒脚たちを戻すという雑役たちに挨拶をして、自分の行李などを受け取った。
「あと一息だ。行きますか」
マユミが呟くのに頷く。通りに迎えの荷車が来ているのをさっき見つけていた。出ていけばすぐ近くで待っており――久しぶりに顔を見る家の者たちが手を挙げるのに笑って応じる。
「おかえりなさいませ。長旅、ご苦労様でした」
「ああ、戻った。出迎え助かる。家のほうは変わりないか」
「ええ、いつもどおりです」
「おうマユミ、子らが恋しがっていたぞ」
「――今回は土産を買ってくると約束したからなぁ」
「また素直じゃないねお前は」
改まった場から出てくると皆から疲れが滲み始める。そんな七人に迎えが加わればがやがやとして、まあ寂しくはない。車を牽く、こちらも馴染みの顔触れの駆駒を撫で、イタドリからドトウの手綱を受け取った。もうすぐ家だと教えてやればこれもどことなく嬉しそうだ。
「戻ってくるといつもに増して賑やかだな、都ってのは」
「イタドリ、無理に持つな。行きより重いからな、どれ……」
そうやって後は何度も通った、我が家に続く道を行く。戻れば休みも宴会もある。二日三日も余韻を味わって、その後は少しずつ溜まった仕事を片付けていかねばならないだろう。
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