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十七歩 持ち帰る
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セキボクでは一生分ではというほどの贅沢をさせてもらったが、なんだかんだこれくらいの宿が落ち着く、などと大声では言えぬ本音も挟みながら西へと進みまた一休みと相成った。
未だ行脚の途中ではあるが国都への戻りの道となり、皆土産物の話をよくするようになっていた。行きは荷が増えると困るのであまり多くの買い物はできなかったが、帰りはそれなりだ。俺たちの場合は帰りも黒脚を使える平坦な道なので多少の買い込みは目を瞑れる。そうそう無いだろう遠出の旅先で、幾らか手当てとして出ている分もあるので皆なかなか羽振りがよい。
「皆して湯の花なんて買うから荷物が重くて増えてるってのに、この後もあるからな。もしかしたら行きより大変だ」
「でもねえ、買うわよねぇ」
「買うなあ。まあま、折角来たんだから。困ったら酒は飲んで減らそう」
「土産にならないじゃないの」
……荷を積み下ろしする雑役たちが眉を下げて笑い合うのも聞いていたが、黒脚も駆駒もこれくらいでへこたれるものではないはずだ。むしろ湯の花を多く積んでいる姿を見ては、この為の黒脚だという感じがしていた。
セキボクでまた紅を買ってしまった、面白い玩具を見つけた、高値だがよい道具があった、買ってきてもらった菓子は美味だったのであれを持ち帰れたらよかったが、と話は弾み――誰に買っていくのだ、何がよいだろうか、元気にやっているだろうかと家族や朋友を思い浮かべもする。
マユミが妻子に、オウチが夫に好みの物を探している。ハシバミは両親と友人に買ってもう済んだと言う。姉が四人も居るトガがそれぞれに何か買わねばと悩む様子や、ヤナギがこそこそと少し忍んで女物を買うのも見ていた。イタドリが真剣に悩みながら買い物をするのを横で見てやり小遣いも出して、自分まで買った気になったりもした。
己も何かと買う先が多い。母に兄妹――エンジュにはとりあえず酒を買ってあるからよいとして――その伴侶に甥や姪。けっして外せぬ友人が五人、世話になっている方々にも……使用人たちには食い物がよいだろうから、もっと国都に近づいてからにするか――しかし此処まで出てきて近場の品で済ますのは勿体ないか、などと悩む。それに共に土産を眺めている中にも、贈りたい相手がいる。これがまた難しく決まらない。州都でも結構買い物をしたがようやく半分は済んだかというところだ。
街へ出て物を見る機会も数度あったが、助かることに賓館でも特産品や土産物の商いがある。役所に選ばれた商人だけが出入りし品を並べて見せてくれるもので、これも復路になってから数が増えた。セキボクでは大部屋の中が軽く市のようになったものを目の当たりにしていたが、他所では多くても四、五件ほどの持ち込みのようだ。
今日は賓館の一室に茶と組紐、陶器の商いが来ていた。丸一日休みなので売る側も買う側もゆったりと構えて余裕があり、儀礼の段取りなどの確認を済ませて身の空いた午後に覗きに来ると客は俺だけだった。試しにと茶を飲ませてくれるので明るい部屋の中は心地よい香りが漂っている。
イン州のほうではよく飲むという調合茶は味もよかったし包みも少し凝った風で、然程重くないのがよかろうと纏めて注文をした。他の者も皆同じ考えをしているか、売れ行きがよいようで店主は幾らかまけてくれた。
艶の美しい組紐は秋染め春織りで今年初出しの縁起物だけを用意したと言い、ほとんどが一色のみか二色の取り合わせ、その代わり、国都でよく見る紐よりもやや細いのを活かし端が玉や飾りに結い留められているのが特徴だそうだ。
そして存在感を持ってずらりと揃っているのが焼き物の数々だ。東の地らしくこの辺りは青磁が盛んだ。此処から少し北の町の名がついて、ロウキと聞けば俺でも分かる名窯である。美しく玉に似ると都でも広く愛されている。今日は大物の壷や皿ではなく、茶碗を主に買いやすい物が並べられていた。
さて、今日こそこれと言うものが見つかるだろうか。品揃えよりも俺が決められるかだ。この先によい品があるとも限らぬし、そろそろ何か案でも思いつきたいものだが……
「おや将軍」
本腰を入れて見始め、暫くしたところで思い浮かべる人の声が実際響いて肩が揺れる。
「ああ、見に来たのか」
休日のススキはそこらの者とも大差なく少し気安い雰囲気の簡素な恰好をしているが、無論金の髪と整った容姿には変わりなく――商いに来ている者たちがその姿を見て居住まいを正すのが感じられた。
金の尾が買ったとなればやはり評判になるらしく、セキボクでは彼への売り込みが最も熱心だった。ただ彼も慣れたもののようで、商人の言葉に対する受け答えはまったくそつなく、要らぬ品に関してもするりとかわして愛想よく離れるので何一つ心配せずともよかった。むしろ勢いに押され気味のナラを助けているときもあったようだ。今日は彼女もおらず、岩偶だけを連れて気軽に覗きにきた雰囲気だった。
「何かいいものございましたか。値切るの結構得意ですよ、やりましょうか?」
人々に労いと挨拶を述べた彼は、寄ってきたと思えば口元に手を添えてこそりと――しかし揚々と言う。それは金の尾の彼がねだれば、色んな意味で簡単にいきそうだが。
「今済んだ。茶を買ったところだ」
「お茶はいいですね、特色が出て飲み比べが楽しいし。この辺りだと合歓でしょうか」
「そう聞いた。五種混ぜてあるそうだ」
以前にもこの州に来たことがある彼は多少詳しい。土産選びとて毎年のことで――金の尾は皆沢山持ち帰るのだと話していたから、貰う側も慣れているに違いなかった。
そうして既に持っている品も多いのでは、と思うとまた悩む。何かは渡したいが、今一つ、彼には何をと決めるきっかけが無かった。共にこういう場に立っても何を見るにも楽しんでいるように映る。どうせなら気に入る物にしたいが、欲しい物を持ってこいと言うのではまるで趣きがない……
「――ロウキ、綺麗な色ですね」
茶売りはまた味見を用意してくれているが、ススキは澄んだ青色の陶器を見てまずそちらへと吸い寄せられていった。済んだと言いながらも彼に並び、俺も置かれた茶器を改めて見下ろす。
「……こういう色は好きか?」
……彼はどうしても金色、そして朱色の印象がついてくるが。好みはと探ると頷きながら見渡し眺める間を置いて、端に目を留めた。
「そうですねえ、……特に、あの色がいいな」
細い指が、少し濃く落ち着いた色味を指差す。売る老婆の手が光の差す窓側へと茶碗を一つ持っていって見せるのに、またよく確かめる時間があった。玉というには青みが出て深い。
「素敵だな。でも焼き物はな……」
独り言の調子でぽつと呟く。
「焼き物は?」
人前ゆえにか少々控えめな声音で発されたそんな声も、騒がしくない部屋ではよく聞こえた。訊けばススキは顔を上げて笑い、首を振る。
「まだ子供の頃に……あれは親と離れて初めての行脚だったから、十歳のときですね。旅先で綺麗な碗を見ましてね、父母にと思ってなかなか奮発して買ったんですが、帰るまでに不注意で一つ割ってしまって」
すらと述べられる躊躇の理由は、こうした物の購入を考える際には誰しもが考えることだった。器や酒の甕など、どうしても壊れ物だ。雑役も皆丁寧な仕事ぶりではあるが、短い距離ではないと心配は増すだろう。他からも迷う声はよく聞いていた。
「悔しくって泣いたものです。あれからどうにも、焼き物は怖くて買えずにいて……ちゃんと包んでくれるとは分かってるんですけどね。他の尾も無事に持ち帰ってくるし」
「ロウキは割れづらいんですよ。この辺りでは代々、何代も受け継いで持つもので、それで売れづらくて困るっていう話があるくらいです。これは若い職人が作ったもので……少し変わっておりますが、またよい色でしょう」
しかし彼の懸念は一段根が深そうだ。俺たちが話すのを聞いて微笑んだ人が手にした碗をそのまま、どうぞと差し出すのにも手を出すのを迷う気配があり――そっと慎重に受け取り顔の高さに上げる。見つめて、また呟く。
「ああ……これは一際、本当に綺麗。いい碗ですね」
どうやら気に入った雰囲気だった。なめらかに言葉を紡いで店の者との会話も楽しむいつもの調子ではなく、真剣に碗を検分している。
「……」
口を開きかけるが、その思い悩む横顔に買ってやろうかと気安く言うのは違う気がした。そうして買ってしまえば持ち帰るだろうが、猶更割るのを心配しそうだ。それにこういうのは流されるより自ら決心するべきだろう。
……ああしかし、それならどうだろう。思いついた。そういうことならそうしよう。さっき、見覚えがある。
「俺にもいい碗に見えるな。ゆっくり見るといい」
一応声をかけ、頷くのは視界の端に、逸る心地で部屋の逆側を向いて色とりどりに並ぶ組紐を見遣った。ついさっきの記憶と違わぬ位置にすぐ見つかった一本を手に取る。そこだけ急にぱっと目立って見えた。改めて確かめても色は美しく、並んだ目も見事に揃って申し分ない。そちらはとりわけて上品で御座いますよとの説明も後押しをした。――ちらと窺いまだススキが手にしている茶碗を確かめ、ではまずこれをと包んでもらう。ついでに、紐の先が蜻蛉の形になったものは遊び心も縁起のよさもやはり気に入りそうだと、色を選んで妹夫婦に揃いにして買った。
やり遂せる間に背後で茶碗の購入を決意するのも聞こえ、それぞれ幾つかのやりとりをした後、何気なくまた隣に並んだ。目が合って笑い合う。
「決心したか。よかったな、いい物が見つかって」
「はい。悩みましたけど……」
では一休みがてらと次を待ち構えていた茶売りが味見の一杯を勧めるのを、俺はさっきも貰ったので腹が水っぽいと笑って断り、ススキが飲んで尾の宮の皆に買おうと人数を指折り数えるのを見守った。組紐のほうも最後に軽く眺めて――セキボクでも見かけたがやはり飾り結びがよくできていて面白いと目を細める彼が、どれか欲しいとか買うとか言わぬかと気にしていたが、特に物を選ぶことはないままに終わった。
共に部屋を出る。箱に納められた碗を受け取り大事そうに両手で腹の前に抱えた彼は、嬉しそう……と思いきやどこか硬い表情をしている。緊張を解すつもりで笑いかけ、意識して軽い声を作った。
「まだ心配か。先に荷に詰めてもらうか」
この後も行脚の道だ。手ずから運ぶわけではない。しっかり積み荷の中に納めてもらえば多少気が抜けるだろう。
ススキはやけに重々しく頷いた。もう一つ意気を込めるように息を吸う。
「あの――アオギリ、ご迷惑でなければ。これは貴方に」
紡がれた声に足が止まる。思いがけない申し出と、俺を見上げるススキの表情があの夜にも似ているのに、少し呆けてしまった。
「きっと貴方なら、貴方は物を大事にするから、割らずに持ち帰るでしょう」
彼はどこか、願をかけるように言う。胸を掴むかの声に何か答えるより先に手が伸びていた。
「俺にか? いいのかそれは」
「少し大きい物でしたが貴方の手には丁度よさそうだと、思ったら……もうこれしか考えられなくなってしまって」
「俺もお前に買った」
箱を受け取りしかと持って見せ、それから空いた胸の辺りに買ったばかりの包みの一つを押しつける。ようやく買えた次にはいつ渡そうかと頭を悩ませるところだったが、後まで隠しておける気分ではなかった。
「……今ですか! 気づかなかった……」
「かなり集中してロウキを見ていたからな」
箱を持つ形のまま浮いていた手が、それも両手で掴むのを見届けて離す。驚いてくれて少しよかった。それだけで贈り物としては役目を果たしたように思える。
「……これと同じ色をしている。碗もいいが、それならまず壊すことはなかろう。案じず持ち帰れると思ってな」
開いて中を確かめる彼に、なるべく何気ない調子で説明をする。
山藍色。青く並んだ器とは違い、もっと色があった中から買った。さっきの、この碗のやりとりがなかったらまた選べずに機会を逸していたかも知れぬ。長さがあり服の上の飾りでも荷を纏めるのでも、まあ何にも使える。端は小さく三葉に結んで留められている。
紐を見つめるススキの顔を暫く眺めた。碗のように見入り、瞬きを一度。思い出したように息を吸う。
「……ありがとう、ございます。嬉しい……着けていていいですか、貴方に頂いたとは言いませんので」
「言ってもいい。俺がお前を好いていることなど皆分かっている」
気遣って慎重に言うのに、俺のほうはほっとして多少口が滑る。照れた様子で俯いた彼はそのまま下を向き、紐を広げて、碗を持つのとは違う気負いのない所作で腰に巻き結わえた。
「――どうでしょう。もっといい服着てればよかったな」
一歩二歩離れ、先程までの強張りが嘘のように軽やかに、くるりと慣れた調子で裾を翻して回って見せる。そうすると普段着なのだろう服も束の間華やいで、その上で示すように青い紐が揺れた。白い手が掬い上げて流すのもなんとも優美だった。
「春の色だな。よく似合う。喜んでくれたならよかった」
同意を求めて岩偶と目を合わせ――彼女は何も言わないが、もう一度頷いた。
「へへ、ありがとうございます。とても嬉しい。本当に、とっても」
「これもありがとう。無事持ち帰って、長く使わせてもらう」
「……よろしくお願いします」
破顔してまた掴んだ紐の先へと視線を落とす人に、胸が満ちると同時にもどかしくもなる。託された箱が嬉しいがほんの僅か重い。
あれほどにも真剣に選ぶところまで見せてもらった。茶碗を取り出して眺めれば、明るい春の日に照らされた横顔を思い出すことだろう。……そのとき俺自身はどんな顔になるだろうか。
土産など買うようになって、徐々に行脚の終わりを意識している。この楽しい旅は終わる。春の間に帰らねばならない。
その限りでもと思ったが、何ができるだろうか。もっとそうして笑うところが見たい。喜ばせたい。好きな色もようやく一つ知って、まだ彼のことをろくに知らない。
箱を身に寄せるとススキは微笑んだ。俺も今は笑い返して、周りの買い物や積み荷の様子など話しながら、再び歩き出した。
未だ行脚の途中ではあるが国都への戻りの道となり、皆土産物の話をよくするようになっていた。行きは荷が増えると困るのであまり多くの買い物はできなかったが、帰りはそれなりだ。俺たちの場合は帰りも黒脚を使える平坦な道なので多少の買い込みは目を瞑れる。そうそう無いだろう遠出の旅先で、幾らか手当てとして出ている分もあるので皆なかなか羽振りがよい。
「皆して湯の花なんて買うから荷物が重くて増えてるってのに、この後もあるからな。もしかしたら行きより大変だ」
「でもねえ、買うわよねぇ」
「買うなあ。まあま、折角来たんだから。困ったら酒は飲んで減らそう」
「土産にならないじゃないの」
……荷を積み下ろしする雑役たちが眉を下げて笑い合うのも聞いていたが、黒脚も駆駒もこれくらいでへこたれるものではないはずだ。むしろ湯の花を多く積んでいる姿を見ては、この為の黒脚だという感じがしていた。
セキボクでまた紅を買ってしまった、面白い玩具を見つけた、高値だがよい道具があった、買ってきてもらった菓子は美味だったのであれを持ち帰れたらよかったが、と話は弾み――誰に買っていくのだ、何がよいだろうか、元気にやっているだろうかと家族や朋友を思い浮かべもする。
マユミが妻子に、オウチが夫に好みの物を探している。ハシバミは両親と友人に買ってもう済んだと言う。姉が四人も居るトガがそれぞれに何か買わねばと悩む様子や、ヤナギがこそこそと少し忍んで女物を買うのも見ていた。イタドリが真剣に悩みながら買い物をするのを横で見てやり小遣いも出して、自分まで買った気になったりもした。
己も何かと買う先が多い。母に兄妹――エンジュにはとりあえず酒を買ってあるからよいとして――その伴侶に甥や姪。けっして外せぬ友人が五人、世話になっている方々にも……使用人たちには食い物がよいだろうから、もっと国都に近づいてからにするか――しかし此処まで出てきて近場の品で済ますのは勿体ないか、などと悩む。それに共に土産を眺めている中にも、贈りたい相手がいる。これがまた難しく決まらない。州都でも結構買い物をしたがようやく半分は済んだかというところだ。
街へ出て物を見る機会も数度あったが、助かることに賓館でも特産品や土産物の商いがある。役所に選ばれた商人だけが出入りし品を並べて見せてくれるもので、これも復路になってから数が増えた。セキボクでは大部屋の中が軽く市のようになったものを目の当たりにしていたが、他所では多くても四、五件ほどの持ち込みのようだ。
今日は賓館の一室に茶と組紐、陶器の商いが来ていた。丸一日休みなので売る側も買う側もゆったりと構えて余裕があり、儀礼の段取りなどの確認を済ませて身の空いた午後に覗きに来ると客は俺だけだった。試しにと茶を飲ませてくれるので明るい部屋の中は心地よい香りが漂っている。
イン州のほうではよく飲むという調合茶は味もよかったし包みも少し凝った風で、然程重くないのがよかろうと纏めて注文をした。他の者も皆同じ考えをしているか、売れ行きがよいようで店主は幾らかまけてくれた。
艶の美しい組紐は秋染め春織りで今年初出しの縁起物だけを用意したと言い、ほとんどが一色のみか二色の取り合わせ、その代わり、国都でよく見る紐よりもやや細いのを活かし端が玉や飾りに結い留められているのが特徴だそうだ。
そして存在感を持ってずらりと揃っているのが焼き物の数々だ。東の地らしくこの辺りは青磁が盛んだ。此処から少し北の町の名がついて、ロウキと聞けば俺でも分かる名窯である。美しく玉に似ると都でも広く愛されている。今日は大物の壷や皿ではなく、茶碗を主に買いやすい物が並べられていた。
さて、今日こそこれと言うものが見つかるだろうか。品揃えよりも俺が決められるかだ。この先によい品があるとも限らぬし、そろそろ何か案でも思いつきたいものだが……
「おや将軍」
本腰を入れて見始め、暫くしたところで思い浮かべる人の声が実際響いて肩が揺れる。
「ああ、見に来たのか」
休日のススキはそこらの者とも大差なく少し気安い雰囲気の簡素な恰好をしているが、無論金の髪と整った容姿には変わりなく――商いに来ている者たちがその姿を見て居住まいを正すのが感じられた。
金の尾が買ったとなればやはり評判になるらしく、セキボクでは彼への売り込みが最も熱心だった。ただ彼も慣れたもののようで、商人の言葉に対する受け答えはまったくそつなく、要らぬ品に関してもするりとかわして愛想よく離れるので何一つ心配せずともよかった。むしろ勢いに押され気味のナラを助けているときもあったようだ。今日は彼女もおらず、岩偶だけを連れて気軽に覗きにきた雰囲気だった。
「何かいいものございましたか。値切るの結構得意ですよ、やりましょうか?」
人々に労いと挨拶を述べた彼は、寄ってきたと思えば口元に手を添えてこそりと――しかし揚々と言う。それは金の尾の彼がねだれば、色んな意味で簡単にいきそうだが。
「今済んだ。茶を買ったところだ」
「お茶はいいですね、特色が出て飲み比べが楽しいし。この辺りだと合歓でしょうか」
「そう聞いた。五種混ぜてあるそうだ」
以前にもこの州に来たことがある彼は多少詳しい。土産選びとて毎年のことで――金の尾は皆沢山持ち帰るのだと話していたから、貰う側も慣れているに違いなかった。
そうして既に持っている品も多いのでは、と思うとまた悩む。何かは渡したいが、今一つ、彼には何をと決めるきっかけが無かった。共にこういう場に立っても何を見るにも楽しんでいるように映る。どうせなら気に入る物にしたいが、欲しい物を持ってこいと言うのではまるで趣きがない……
「――ロウキ、綺麗な色ですね」
茶売りはまた味見を用意してくれているが、ススキは澄んだ青色の陶器を見てまずそちらへと吸い寄せられていった。済んだと言いながらも彼に並び、俺も置かれた茶器を改めて見下ろす。
「……こういう色は好きか?」
……彼はどうしても金色、そして朱色の印象がついてくるが。好みはと探ると頷きながら見渡し眺める間を置いて、端に目を留めた。
「そうですねえ、……特に、あの色がいいな」
細い指が、少し濃く落ち着いた色味を指差す。売る老婆の手が光の差す窓側へと茶碗を一つ持っていって見せるのに、またよく確かめる時間があった。玉というには青みが出て深い。
「素敵だな。でも焼き物はな……」
独り言の調子でぽつと呟く。
「焼き物は?」
人前ゆえにか少々控えめな声音で発されたそんな声も、騒がしくない部屋ではよく聞こえた。訊けばススキは顔を上げて笑い、首を振る。
「まだ子供の頃に……あれは親と離れて初めての行脚だったから、十歳のときですね。旅先で綺麗な碗を見ましてね、父母にと思ってなかなか奮発して買ったんですが、帰るまでに不注意で一つ割ってしまって」
すらと述べられる躊躇の理由は、こうした物の購入を考える際には誰しもが考えることだった。器や酒の甕など、どうしても壊れ物だ。雑役も皆丁寧な仕事ぶりではあるが、短い距離ではないと心配は増すだろう。他からも迷う声はよく聞いていた。
「悔しくって泣いたものです。あれからどうにも、焼き物は怖くて買えずにいて……ちゃんと包んでくれるとは分かってるんですけどね。他の尾も無事に持ち帰ってくるし」
「ロウキは割れづらいんですよ。この辺りでは代々、何代も受け継いで持つもので、それで売れづらくて困るっていう話があるくらいです。これは若い職人が作ったもので……少し変わっておりますが、またよい色でしょう」
しかし彼の懸念は一段根が深そうだ。俺たちが話すのを聞いて微笑んだ人が手にした碗をそのまま、どうぞと差し出すのにも手を出すのを迷う気配があり――そっと慎重に受け取り顔の高さに上げる。見つめて、また呟く。
「ああ……これは一際、本当に綺麗。いい碗ですね」
どうやら気に入った雰囲気だった。なめらかに言葉を紡いで店の者との会話も楽しむいつもの調子ではなく、真剣に碗を検分している。
「……」
口を開きかけるが、その思い悩む横顔に買ってやろうかと気安く言うのは違う気がした。そうして買ってしまえば持ち帰るだろうが、猶更割るのを心配しそうだ。それにこういうのは流されるより自ら決心するべきだろう。
……ああしかし、それならどうだろう。思いついた。そういうことならそうしよう。さっき、見覚えがある。
「俺にもいい碗に見えるな。ゆっくり見るといい」
一応声をかけ、頷くのは視界の端に、逸る心地で部屋の逆側を向いて色とりどりに並ぶ組紐を見遣った。ついさっきの記憶と違わぬ位置にすぐ見つかった一本を手に取る。そこだけ急にぱっと目立って見えた。改めて確かめても色は美しく、並んだ目も見事に揃って申し分ない。そちらはとりわけて上品で御座いますよとの説明も後押しをした。――ちらと窺いまだススキが手にしている茶碗を確かめ、ではまずこれをと包んでもらう。ついでに、紐の先が蜻蛉の形になったものは遊び心も縁起のよさもやはり気に入りそうだと、色を選んで妹夫婦に揃いにして買った。
やり遂せる間に背後で茶碗の購入を決意するのも聞こえ、それぞれ幾つかのやりとりをした後、何気なくまた隣に並んだ。目が合って笑い合う。
「決心したか。よかったな、いい物が見つかって」
「はい。悩みましたけど……」
では一休みがてらと次を待ち構えていた茶売りが味見の一杯を勧めるのを、俺はさっきも貰ったので腹が水っぽいと笑って断り、ススキが飲んで尾の宮の皆に買おうと人数を指折り数えるのを見守った。組紐のほうも最後に軽く眺めて――セキボクでも見かけたがやはり飾り結びがよくできていて面白いと目を細める彼が、どれか欲しいとか買うとか言わぬかと気にしていたが、特に物を選ぶことはないままに終わった。
共に部屋を出る。箱に納められた碗を受け取り大事そうに両手で腹の前に抱えた彼は、嬉しそう……と思いきやどこか硬い表情をしている。緊張を解すつもりで笑いかけ、意識して軽い声を作った。
「まだ心配か。先に荷に詰めてもらうか」
この後も行脚の道だ。手ずから運ぶわけではない。しっかり積み荷の中に納めてもらえば多少気が抜けるだろう。
ススキはやけに重々しく頷いた。もう一つ意気を込めるように息を吸う。
「あの――アオギリ、ご迷惑でなければ。これは貴方に」
紡がれた声に足が止まる。思いがけない申し出と、俺を見上げるススキの表情があの夜にも似ているのに、少し呆けてしまった。
「きっと貴方なら、貴方は物を大事にするから、割らずに持ち帰るでしょう」
彼はどこか、願をかけるように言う。胸を掴むかの声に何か答えるより先に手が伸びていた。
「俺にか? いいのかそれは」
「少し大きい物でしたが貴方の手には丁度よさそうだと、思ったら……もうこれしか考えられなくなってしまって」
「俺もお前に買った」
箱を受け取りしかと持って見せ、それから空いた胸の辺りに買ったばかりの包みの一つを押しつける。ようやく買えた次にはいつ渡そうかと頭を悩ませるところだったが、後まで隠しておける気分ではなかった。
「……今ですか! 気づかなかった……」
「かなり集中してロウキを見ていたからな」
箱を持つ形のまま浮いていた手が、それも両手で掴むのを見届けて離す。驚いてくれて少しよかった。それだけで贈り物としては役目を果たしたように思える。
「……これと同じ色をしている。碗もいいが、それならまず壊すことはなかろう。案じず持ち帰れると思ってな」
開いて中を確かめる彼に、なるべく何気ない調子で説明をする。
山藍色。青く並んだ器とは違い、もっと色があった中から買った。さっきの、この碗のやりとりがなかったらまた選べずに機会を逸していたかも知れぬ。長さがあり服の上の飾りでも荷を纏めるのでも、まあ何にも使える。端は小さく三葉に結んで留められている。
紐を見つめるススキの顔を暫く眺めた。碗のように見入り、瞬きを一度。思い出したように息を吸う。
「……ありがとう、ございます。嬉しい……着けていていいですか、貴方に頂いたとは言いませんので」
「言ってもいい。俺がお前を好いていることなど皆分かっている」
気遣って慎重に言うのに、俺のほうはほっとして多少口が滑る。照れた様子で俯いた彼はそのまま下を向き、紐を広げて、碗を持つのとは違う気負いのない所作で腰に巻き結わえた。
「――どうでしょう。もっといい服着てればよかったな」
一歩二歩離れ、先程までの強張りが嘘のように軽やかに、くるりと慣れた調子で裾を翻して回って見せる。そうすると普段着なのだろう服も束の間華やいで、その上で示すように青い紐が揺れた。白い手が掬い上げて流すのもなんとも優美だった。
「春の色だな。よく似合う。喜んでくれたならよかった」
同意を求めて岩偶と目を合わせ――彼女は何も言わないが、もう一度頷いた。
「へへ、ありがとうございます。とても嬉しい。本当に、とっても」
「これもありがとう。無事持ち帰って、長く使わせてもらう」
「……よろしくお願いします」
破顔してまた掴んだ紐の先へと視線を落とす人に、胸が満ちると同時にもどかしくもなる。託された箱が嬉しいがほんの僅か重い。
あれほどにも真剣に選ぶところまで見せてもらった。茶碗を取り出して眺めれば、明るい春の日に照らされた横顔を思い出すことだろう。……そのとき俺自身はどんな顔になるだろうか。
土産など買うようになって、徐々に行脚の終わりを意識している。この楽しい旅は終わる。春の間に帰らねばならない。
その限りでもと思ったが、何ができるだろうか。もっとそうして笑うところが見たい。喜ばせたい。好きな色もようやく一つ知って、まだ彼のことをろくに知らない。
箱を身に寄せるとススキは微笑んだ。俺も今は笑い返して、周りの買い物や積み荷の様子など話しながら、再び歩き出した。
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※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
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