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十六歩 詣でる(前)
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あの後は役場のほうも気合が入り、民衆もよく弁えた。儀礼の場でも行き来の道でも問題は起きず、セキボク近郊での務めは恙無く済んだ。後は少し休み――この行脚の褒美として遊ぶ日を設けて――今度は国都のほうへと進路をとる、そういう日程が定まっていた。
早めに戻った夕餉前の時間。広間で寛ぎながらでは休日をどうするかという相談が始まると、誰よりも先にススキが言った。
「では是非、ミハカシ山に詣でましょう」
声は卓の向こう、少し離れたところから響いた。例の如く聞きやすい調子で寄ってくる声音だった。
ミハカシ山。セキボクから程近く、この賓館からも見える離れの一つ山は戦神ミハカシ――伝説の英雄が眠っているとされる神域にして廟である。天より降りて多くの戦を駆け、多くの龍や魔物を退治し建国の礎を築いた白頭の戦士。武人は勿論各地の民も皆知るほどに有名な神で、その所縁の地は訪れた者に武運を授けると言われている。ミハカシが最後に行き着き眠りについたかの山は名のとおりその最たるものだった。
「……お前も行きたいのか? 余分に歩かねばならんし、山だぞ。街のほうが好みではないのか」
やはり武人の端くれともなれば是非詣でたいもので、俺と配下の面々――中でもイタドリが特に熱心に行きたがっていて、叶えてやりたいとは思っていた。それを気遣っての言葉だろうと思った。
「いいじゃありませんか山登り。きっと景色綺麗ですよ。煙髯からもいい眺めでしたが、山からも格別に。金の尾の足の強さをお見せしますよ。もしかすれば貴方より早いかも」
話し合いという建前があるので今日のススキは憚らず流暢に喋った。冗談めかして笑う。
「前のときは麓までしか行かなかったので……それにほら、私は街中に出るよりそっちのほうがよいのではと思うんですよ。また騒ぎになったら大変ですし、山のほうならその心配はないでしょう。賓館で大人しくしているよりは出掛けたいです」
もう一押し二押しまで言い終えて場を譲るように茶を飲む。どこからも反対の声は無い。
行きたがるなら、彼の意向は優先したい。少し大変だろうというだけで危険な場所でもないので、ここまで言われて迷うことはなかったが。
「――では……女人禁制の地だからな、女たちはどうする」
「あ――岩偶も連れて行けないんですかね。娘のなりをしていますが……」
俺の確認に思い至って呟く声の調子は落ち、背後に控えるのを振り返る。顔を曇らせた彼に、考えるより先に横から答えが聞こえた。
「岩偶は平気ですよ。女童の形なだけでそれに性はありませんので。前にも神廟参詣の例があります。この前のように被衣か頭巾でも被せてやればよいでしょう」
サカキ殿が明瞭に言いきる。色々と聞いて出てきたはずの引率より詳しくて実に助かる。まずはほっと安心して、ススキの顔も明るさを取り戻したのを見た。
すると周りも頷いて話し始める。
「よかったですね。私たちは――」
「女は女でまた楽しんだらいいわよ。ねえ?」
「土産物でも探しに行こうかと……こちらの方から色々とお店を聞いたので」
「はい。余裕があれば行きたいと思っておりました。ですのでお気遣いなく」
先だって来たのは女官たちの声だ。年頃も勤める部署もばらばらながらすっかり仲も深まった女たちが示し合わせた調子で言うのは、もう遊ぶ準備も万端と見えた。まるで心配のなさそうなその様に笑って頷き、ではと皆を見渡す。
「皆しっかりしているし、放っておいたほうが楽そうだな。男も行きたい者だけ行けばいい――ミハカシ山に行きたい者を募って、後は街で過ごす。一応は朝までに大まかな予定は教えてもらうが、自由行動、それでいいか」
金の尾をどうするかと思っていたが、彼を連れていけるなら後は緩くいく。出掛けるも酒を食らって寛ぐも、羽目を外しすぎる者はいないだろうと思えば言いきれた。
「なら明日は私がこちらに留まって一応のまとめ役をしましょう。丁度此処には旧知も居るものですから、出てきてもらって付き合ってもらいますわ。向こうもこんな御殿に入れるなら喜ぶでしょう」
「ああ、それは有難いな」
サカキ殿も既に計画があったらしい。空かさずと述べるのは本当に、大いに助かる。当人も気負った風がなく名案だという調子なのが殊更に有難かった。行くだろう、どうすると残りの男たちが言い始めるのに、予定の決まった老齢の覡は落ち着いた様子で茶を啜り、続けた。
「行かれる皆さんは気張るとよろしい。山は平らなとことは違いますからな、足など挫かれませんように、お気をつけて」
「手前も同行しましょうか?」
「いやあレンギョウ殿は止めたほうが……」
怪我の心配に真面目な医官はすぐに声を上げたが、サカキ殿の返事は渋い。多少の手当てならば俺たちにも心得があるのでそう気遣わず明日は好きに過ごすのがよいと告げ――俺はそれぞれに広がり始めた会話を耳に入れながら、茶碗を傾けながら夕食を待つ。
部下たちと護衛の四名、剣を持つような者は皆行くことになった。賓館のほうにも伝えれば気遣って、街で遊ぶ者たちの護衛や案内は出してくれると言うので気兼ねなく行ける。イタドリが静かにそわついているのを微笑ましく見て、後は天気だけ気にすればよかった。
曇って少し冷えたが行動には支障ない日となり、皆起き出すと喜んで山歩き街歩きの支度をした。ミハカシの神廟参詣には幣物に酒や布をと頼んだところ、肉や魚も喜ばれますよと教えられるままにトガたちが買い込んできて、増えた荷に些か文句を言いながらも手分けして持った。
参詣において騎は禁じられているので、駆駒は麓の門に待たせて入る。緑に葉が揃った木々の中、山頂の神廟へと導くように白い石段が敷かれている。
そこで皆、サカキ殿の言葉の意味を知った。
「きっついな……」
「さすが綺麗にしてるもんだと思ったが、逆に普通の山登りより堪えるかもなあ」
何段あるのかと数えながら進んで百を過ぎたあたりで皆呟くようになって、何度目か。呻くトガにヤナギがぼやく。石畳の道でも長く続けば目を瞠るものがあるが、山に見事な階とは。思えば先日煙髯で見たときも白い道が緩く山を巻くように続いて見えたが、石段は本当に途切れず頂まで続くようだった。城や砦でもこうまで長く続くものはない。
「これ作るのもさぞ大変だったでしょうねえ。何処から運んできたんでしょう……」
首を傾ぐススキは今日はただの杖を突き――今のところその歩みは順調だ。その横を、頭巾を被せられた岩偶が斜面を物ともせずに上がっていく。下から見れば確かに浮いていて、裾も擦らずに進んでいくのだった。
「……そのへん切り出したんですかね」
「帰ったらサカキ殿に聞いてみるか」
「あの御仁なんでも知ってるからなあ」
「全部が本当かはちょっと疑わしいがな」
マユミが呟き視線を木立へと投じるが、すぐ傍にそれらしき岩肌はなく、近隣の地理も詳しくないので見当がつかなかった。この道程も承知の雰囲気だった知恵ある覡に訊ねれば確かに、答えが得られるやも知れぬ。……ともかく今頃はゆったりと寛いでいることだろう。
「明日歩けないかもしれません……」
「ははは。ほいほい歩かれると俺たちが困ります。皆無理です」
「アオギリ様以外は、かな」
さすがに弱音も零すススキに周囲の護衛たちが笑い、こちらを窺った。俺は、まあ。まだ平気だ。
「将軍ともあろうものが、これで音を上げるわけにはいくまい。――一人二人なら担いで降りられると思うが。まあ休み休み行こう。暮れるまでに賓館に戻ればいいんだからな」
「んはははは、期待どおりの返事ですねえ。頼もしい」
何なら衆目もないことだしまず担いできた幣物を代わってもいいのだが、それは彼らの矜持も許さぬようだった。イタドリも酒の甕を大事そうに抱えている。
「戻れば湯にも浸かれるし、一日は休む余裕がある」
――やがて俺が後尾につき、途中で休んで腰掛けながらも木々繁る静かな山を進んでいった。あれこれ言ってはいてもススキの他は鍛えた男たちであるから、役人があらかじめ教えてくれたよりも早く着きそうだった。
「人がおります」
そろそろかまだかと言っている中に、教える声がした。先頭を行っていたオウチの声だ。見遣れば幾らか上がった先、木の間に佇む人影がある。
白服の、体格のよい男だ。――鉾を携えている。
何か有事かと一瞬身構えてしまったが、こちらを見受けて真正面で捧げ持つのはどうやら神官の、杖を用いた礼の形だった。
「春の行脚、アオギリ将軍でおられるか!」
近づききる前に、向こうが声を張った。金の尾ではなく、前へと進み出た俺を見据えて言った。
「いかにも。行脚の引率を仰せつかり国都から参った。シマの家のアオギリと申す」
「アオギリ将軍、ガイ州で龍の首を落とした勇士! お噂はかねがね。――遠路、ご苦労様でございます。どうぞお越しください」
もう一度深々と頭を下げた男は、都で他の神――シュギョクやマソに仕える神官たちの普段着とも似た風体で、裾が四方に広がる長衣の上に飾帯を斜にかけている。が、さらによく見ればその先に下がっているのは佩玉や鏡ではなく小剣だ。成程、戦神ミハカシの神域ではそういうものらしい。
俺よりは少し歳だろうか。黒い髪を括った戦士のように厳つい彼に続いて、石段を登りきる。
「おお――……」
頂に至って視界が開ける。石段と同じ白さで敷き詰められた広場の先、白い廟は大きくもなく飾りも窓くらいしかない質素さで逆に驚くが、空気は山腹よりも一層に澄んで感じられた。人の気配が他にもあり、香の匂いがする。
「よう参られた。どうぞこちらへ」
「ようこそ、ご苦労様です」
「おお、噂どおりの丈夫だ。素晴らしい体をしておる」
呼ぶでもなく、こちらを見つけた人々が集まってくる。皆一様に、杖の代わりらしい槍や鉾の長柄を持ってぞろぞろと近づいてくるのは……俺たちには結構親しんだ風景ではあるが。ススキは少しばかり臆した風だ。ただ物々しさはどこにもなく、誰もが歓迎の様子で礼をして荷など持ってくれる。
そうやって連れられた先は広々とした堂だった。板張りの上に敷物をされて、揃いの服を着た神官たちと向かい合わせに座す。向こうも十人ほどの者たちが並んだ。若者から老いた者までいるが、皆兵卒のように鍛えた体つきをしていた。先程の男――シダと名乗った彼が長だった。
幣物を差し出し、改めて挨拶をする。行脚の道すがら参詣に訪れた、とは、連絡があったわけではないようだったが心得た様子だった。
「ようこそおいで下すった。ミハカシ様もお喜びになられる。一休みしたら御廟まで案内致しましょう」
「よろしく頼む。我々のような者はやはり英雄に憧れるもの。幾つか、所縁ある地を訪れたことはあるが……金の尾も言ってくれたので立ち寄りが叶った」
「ええ、ええ。すべての戦士を導いてくださるお方です。貴殿はミハカシ様のように勇猛に龍を倒したとお聞きし、如何な人物かと思っておりました。お会いできて嬉しく思います」
「そういえば、俺たちもまだ龍退治の話は聞けておりませんな」
後ろから水を向けるようにセンリョウが呟く。と、俄かに空気が震えた。
「是非とも伺いたい! 勇ましき話は何よりの土産ゆえ。我らが聞くのをミハカシ様に献じるものとして、お聞かせ願えませぬか」
神官は客人を相手する上面ではなく、熱心な様子で身を乗り出す。
こうして座り込んで休憩がてら。雑談の流れならどこかでそうなるだろうとは思っていたが早かった。言うとおりミハカシも龍退治の伝説を幾つか持つのだから、龍と対峙した者とあれば放ってはおけまい。神官たちは皆興味津々、背後に座った護衛の男たちやススキからも視線を感じる気がした。
ほんの二、三年前の仕事で、公の場でも酒の席でも何度も請われて話したものだ。忘れられもしない。自ら語るには自慢話の類とあって聞かれることもなければ話さずにいたが――神に献じられるならば披露のしどころだろう。大して長い話にもならないが、休憩くらいには丁度いい。
配られた飲み水の白い椀を捧げ持ち、口をつける。セキボクの賓館で冷えた水ばかり貰っていた喉には温い水だった。
「……無論あれはまたとない誉れではあるが、あまり楽しい雰囲気の話ではないからな。この行脚には似つかわしくないかと思って語らずにいた。何せ荒れた龍だ。……そうだな、今回連れている黒脚も丸呑みするほどに巨大な、山のような奴だった」
早めに戻った夕餉前の時間。広間で寛ぎながらでは休日をどうするかという相談が始まると、誰よりも先にススキが言った。
「では是非、ミハカシ山に詣でましょう」
声は卓の向こう、少し離れたところから響いた。例の如く聞きやすい調子で寄ってくる声音だった。
ミハカシ山。セキボクから程近く、この賓館からも見える離れの一つ山は戦神ミハカシ――伝説の英雄が眠っているとされる神域にして廟である。天より降りて多くの戦を駆け、多くの龍や魔物を退治し建国の礎を築いた白頭の戦士。武人は勿論各地の民も皆知るほどに有名な神で、その所縁の地は訪れた者に武運を授けると言われている。ミハカシが最後に行き着き眠りについたかの山は名のとおりその最たるものだった。
「……お前も行きたいのか? 余分に歩かねばならんし、山だぞ。街のほうが好みではないのか」
やはり武人の端くれともなれば是非詣でたいもので、俺と配下の面々――中でもイタドリが特に熱心に行きたがっていて、叶えてやりたいとは思っていた。それを気遣っての言葉だろうと思った。
「いいじゃありませんか山登り。きっと景色綺麗ですよ。煙髯からもいい眺めでしたが、山からも格別に。金の尾の足の強さをお見せしますよ。もしかすれば貴方より早いかも」
話し合いという建前があるので今日のススキは憚らず流暢に喋った。冗談めかして笑う。
「前のときは麓までしか行かなかったので……それにほら、私は街中に出るよりそっちのほうがよいのではと思うんですよ。また騒ぎになったら大変ですし、山のほうならその心配はないでしょう。賓館で大人しくしているよりは出掛けたいです」
もう一押し二押しまで言い終えて場を譲るように茶を飲む。どこからも反対の声は無い。
行きたがるなら、彼の意向は優先したい。少し大変だろうというだけで危険な場所でもないので、ここまで言われて迷うことはなかったが。
「――では……女人禁制の地だからな、女たちはどうする」
「あ――岩偶も連れて行けないんですかね。娘のなりをしていますが……」
俺の確認に思い至って呟く声の調子は落ち、背後に控えるのを振り返る。顔を曇らせた彼に、考えるより先に横から答えが聞こえた。
「岩偶は平気ですよ。女童の形なだけでそれに性はありませんので。前にも神廟参詣の例があります。この前のように被衣か頭巾でも被せてやればよいでしょう」
サカキ殿が明瞭に言いきる。色々と聞いて出てきたはずの引率より詳しくて実に助かる。まずはほっと安心して、ススキの顔も明るさを取り戻したのを見た。
すると周りも頷いて話し始める。
「よかったですね。私たちは――」
「女は女でまた楽しんだらいいわよ。ねえ?」
「土産物でも探しに行こうかと……こちらの方から色々とお店を聞いたので」
「はい。余裕があれば行きたいと思っておりました。ですのでお気遣いなく」
先だって来たのは女官たちの声だ。年頃も勤める部署もばらばらながらすっかり仲も深まった女たちが示し合わせた調子で言うのは、もう遊ぶ準備も万端と見えた。まるで心配のなさそうなその様に笑って頷き、ではと皆を見渡す。
「皆しっかりしているし、放っておいたほうが楽そうだな。男も行きたい者だけ行けばいい――ミハカシ山に行きたい者を募って、後は街で過ごす。一応は朝までに大まかな予定は教えてもらうが、自由行動、それでいいか」
金の尾をどうするかと思っていたが、彼を連れていけるなら後は緩くいく。出掛けるも酒を食らって寛ぐも、羽目を外しすぎる者はいないだろうと思えば言いきれた。
「なら明日は私がこちらに留まって一応のまとめ役をしましょう。丁度此処には旧知も居るものですから、出てきてもらって付き合ってもらいますわ。向こうもこんな御殿に入れるなら喜ぶでしょう」
「ああ、それは有難いな」
サカキ殿も既に計画があったらしい。空かさずと述べるのは本当に、大いに助かる。当人も気負った風がなく名案だという調子なのが殊更に有難かった。行くだろう、どうすると残りの男たちが言い始めるのに、予定の決まった老齢の覡は落ち着いた様子で茶を啜り、続けた。
「行かれる皆さんは気張るとよろしい。山は平らなとことは違いますからな、足など挫かれませんように、お気をつけて」
「手前も同行しましょうか?」
「いやあレンギョウ殿は止めたほうが……」
怪我の心配に真面目な医官はすぐに声を上げたが、サカキ殿の返事は渋い。多少の手当てならば俺たちにも心得があるのでそう気遣わず明日は好きに過ごすのがよいと告げ――俺はそれぞれに広がり始めた会話を耳に入れながら、茶碗を傾けながら夕食を待つ。
部下たちと護衛の四名、剣を持つような者は皆行くことになった。賓館のほうにも伝えれば気遣って、街で遊ぶ者たちの護衛や案内は出してくれると言うので気兼ねなく行ける。イタドリが静かにそわついているのを微笑ましく見て、後は天気だけ気にすればよかった。
曇って少し冷えたが行動には支障ない日となり、皆起き出すと喜んで山歩き街歩きの支度をした。ミハカシの神廟参詣には幣物に酒や布をと頼んだところ、肉や魚も喜ばれますよと教えられるままにトガたちが買い込んできて、増えた荷に些か文句を言いながらも手分けして持った。
参詣において騎は禁じられているので、駆駒は麓の門に待たせて入る。緑に葉が揃った木々の中、山頂の神廟へと導くように白い石段が敷かれている。
そこで皆、サカキ殿の言葉の意味を知った。
「きっついな……」
「さすが綺麗にしてるもんだと思ったが、逆に普通の山登りより堪えるかもなあ」
何段あるのかと数えながら進んで百を過ぎたあたりで皆呟くようになって、何度目か。呻くトガにヤナギがぼやく。石畳の道でも長く続けば目を瞠るものがあるが、山に見事な階とは。思えば先日煙髯で見たときも白い道が緩く山を巻くように続いて見えたが、石段は本当に途切れず頂まで続くようだった。城や砦でもこうまで長く続くものはない。
「これ作るのもさぞ大変だったでしょうねえ。何処から運んできたんでしょう……」
首を傾ぐススキは今日はただの杖を突き――今のところその歩みは順調だ。その横を、頭巾を被せられた岩偶が斜面を物ともせずに上がっていく。下から見れば確かに浮いていて、裾も擦らずに進んでいくのだった。
「……そのへん切り出したんですかね」
「帰ったらサカキ殿に聞いてみるか」
「あの御仁なんでも知ってるからなあ」
「全部が本当かはちょっと疑わしいがな」
マユミが呟き視線を木立へと投じるが、すぐ傍にそれらしき岩肌はなく、近隣の地理も詳しくないので見当がつかなかった。この道程も承知の雰囲気だった知恵ある覡に訊ねれば確かに、答えが得られるやも知れぬ。……ともかく今頃はゆったりと寛いでいることだろう。
「明日歩けないかもしれません……」
「ははは。ほいほい歩かれると俺たちが困ります。皆無理です」
「アオギリ様以外は、かな」
さすがに弱音も零すススキに周囲の護衛たちが笑い、こちらを窺った。俺は、まあ。まだ平気だ。
「将軍ともあろうものが、これで音を上げるわけにはいくまい。――一人二人なら担いで降りられると思うが。まあ休み休み行こう。暮れるまでに賓館に戻ればいいんだからな」
「んはははは、期待どおりの返事ですねえ。頼もしい」
何なら衆目もないことだしまず担いできた幣物を代わってもいいのだが、それは彼らの矜持も許さぬようだった。イタドリも酒の甕を大事そうに抱えている。
「戻れば湯にも浸かれるし、一日は休む余裕がある」
――やがて俺が後尾につき、途中で休んで腰掛けながらも木々繁る静かな山を進んでいった。あれこれ言ってはいてもススキの他は鍛えた男たちであるから、役人があらかじめ教えてくれたよりも早く着きそうだった。
「人がおります」
そろそろかまだかと言っている中に、教える声がした。先頭を行っていたオウチの声だ。見遣れば幾らか上がった先、木の間に佇む人影がある。
白服の、体格のよい男だ。――鉾を携えている。
何か有事かと一瞬身構えてしまったが、こちらを見受けて真正面で捧げ持つのはどうやら神官の、杖を用いた礼の形だった。
「春の行脚、アオギリ将軍でおられるか!」
近づききる前に、向こうが声を張った。金の尾ではなく、前へと進み出た俺を見据えて言った。
「いかにも。行脚の引率を仰せつかり国都から参った。シマの家のアオギリと申す」
「アオギリ将軍、ガイ州で龍の首を落とした勇士! お噂はかねがね。――遠路、ご苦労様でございます。どうぞお越しください」
もう一度深々と頭を下げた男は、都で他の神――シュギョクやマソに仕える神官たちの普段着とも似た風体で、裾が四方に広がる長衣の上に飾帯を斜にかけている。が、さらによく見ればその先に下がっているのは佩玉や鏡ではなく小剣だ。成程、戦神ミハカシの神域ではそういうものらしい。
俺よりは少し歳だろうか。黒い髪を括った戦士のように厳つい彼に続いて、石段を登りきる。
「おお――……」
頂に至って視界が開ける。石段と同じ白さで敷き詰められた広場の先、白い廟は大きくもなく飾りも窓くらいしかない質素さで逆に驚くが、空気は山腹よりも一層に澄んで感じられた。人の気配が他にもあり、香の匂いがする。
「よう参られた。どうぞこちらへ」
「ようこそ、ご苦労様です」
「おお、噂どおりの丈夫だ。素晴らしい体をしておる」
呼ぶでもなく、こちらを見つけた人々が集まってくる。皆一様に、杖の代わりらしい槍や鉾の長柄を持ってぞろぞろと近づいてくるのは……俺たちには結構親しんだ風景ではあるが。ススキは少しばかり臆した風だ。ただ物々しさはどこにもなく、誰もが歓迎の様子で礼をして荷など持ってくれる。
そうやって連れられた先は広々とした堂だった。板張りの上に敷物をされて、揃いの服を着た神官たちと向かい合わせに座す。向こうも十人ほどの者たちが並んだ。若者から老いた者までいるが、皆兵卒のように鍛えた体つきをしていた。先程の男――シダと名乗った彼が長だった。
幣物を差し出し、改めて挨拶をする。行脚の道すがら参詣に訪れた、とは、連絡があったわけではないようだったが心得た様子だった。
「ようこそおいで下すった。ミハカシ様もお喜びになられる。一休みしたら御廟まで案内致しましょう」
「よろしく頼む。我々のような者はやはり英雄に憧れるもの。幾つか、所縁ある地を訪れたことはあるが……金の尾も言ってくれたので立ち寄りが叶った」
「ええ、ええ。すべての戦士を導いてくださるお方です。貴殿はミハカシ様のように勇猛に龍を倒したとお聞きし、如何な人物かと思っておりました。お会いできて嬉しく思います」
「そういえば、俺たちもまだ龍退治の話は聞けておりませんな」
後ろから水を向けるようにセンリョウが呟く。と、俄かに空気が震えた。
「是非とも伺いたい! 勇ましき話は何よりの土産ゆえ。我らが聞くのをミハカシ様に献じるものとして、お聞かせ願えませぬか」
神官は客人を相手する上面ではなく、熱心な様子で身を乗り出す。
こうして座り込んで休憩がてら。雑談の流れならどこかでそうなるだろうとは思っていたが早かった。言うとおりミハカシも龍退治の伝説を幾つか持つのだから、龍と対峙した者とあれば放ってはおけまい。神官たちは皆興味津々、背後に座った護衛の男たちやススキからも視線を感じる気がした。
ほんの二、三年前の仕事で、公の場でも酒の席でも何度も請われて話したものだ。忘れられもしない。自ら語るには自慢話の類とあって聞かれることもなければ話さずにいたが――神に献じられるならば披露のしどころだろう。大して長い話にもならないが、休憩くらいには丁度いい。
配られた飲み水の白い椀を捧げ持ち、口をつける。セキボクの賓館で冷えた水ばかり貰っていた喉には温い水だった。
「……無論あれはまたとない誉れではあるが、あまり楽しい雰囲気の話ではないからな。この行脚には似つかわしくないかと思って語らずにいた。何せ荒れた龍だ。……そうだな、今回連れている黒脚も丸呑みするほどに巨大な、山のような奴だった」
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