こがねこう

綿入しずる

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十一歩 遊ぶ(前)

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 行脚の足止めがかかったように何もかもすべてが上手く運ぶということはなく、結局、夜は部屋に行く隙が出来ないままに更けていった。ナツタの役人たちがよく取り計らってくれて、急場凌ぎとは思えぬほどに華やかな宴が催されたのだ。俺たちは広間でそれぞれに接待されながら、ちょっと目配せしあって互いの役割に納まるしかなかった。先にああ告げておいてよかったと思う。ただ彼の機嫌を損ねてしまうかという心配は、宴の最中に割とあっさりと解消された。
「明日は市が立ちますよ。ええ、朝から昼くらいまで賑わいます。国都で暮らしてらっしゃる方には大したことないかもしれませんが……それなりのものではありますから、暇潰しにいかがでしょう」
 酌についた美人がそう教えてくれた。この賓館からも遠くない、東側の広場での定期市だという。俺が頷き話を振っていけば市のことは近くにいた者から一同へと伝わっていって、金の尾コノオにも伺いが立てられた。
 離れたところで灯りに照らされながら酒を嗜んでいた彼はそれはそれは優美に見えたが、ミツマタから明日の暇潰しの話が持ち上がっているのを教えられればぱっと表情を明るくしたのが分かった。座して知れぬが尾が揺れたかも知れない。などと考えて、笑いを嚙み潰して酒を呷った。
「――ススキ殿も見に行きたいそうですよ」
「ん、分かった。行きたい者で行こう。護衛は酒が過ぎんようにしておけ」
 金の尾はどうするか、とは改めて聞くまでもなかった。今度は逆に、話題が返ってきた俺のほうを確かめるススキの顔に書いてある。頷いてやると笑みを深め、隣り合う人々と小さく言葉を交わし始めた。
 寝るより先に国都からの伝文も来て、出立の日取りと順路も定まった。こちらの占いと都の占いの結果に相違はなく、巫覡の二人はこれでぐっすり眠れると安心していた。三日後、一度予定では外れていた村落を経由し、遠回りをしてセキボクに入る。伝えればナツタの者たちも多少ほっとした面持ちをした。
 ――明くる日も晴天で外出日和となった。
 買い物となれば女たちはやはり皆行きたがった。護衛にはセンリョウとオモト、うちからはマユミとイタドリがついていくことになって、あとは居残りの分の買い出しも請け負ったミツマタで、およそ半数。
 留守番の代表はオウチに頼み、彼にも何か買うものがないかと訊ねてミツマタが書き留める。剃刀と、何かの留め紐が切れたと、予算や色形について話す間に支度をしたススキたちもやってきた。
「尾、ちゃんと隠れてますよね? 頭隠して尻隠さずは頂けない。……子供の頃はどっちかと言えば尻尾ばかり気にして頭を出してましたが」
「髪も尾も大丈夫ですよ、ちょっと見たくらいでは分かりませんわ」
 日頃よりしっかりと着衣を確かめて、裾や額に手を当てるのにナラが笑う。
 公的な外出ではなく騒ぎにしたくもないので、一応は忍びのていである。朱とは逆の雰囲気の藍染めを纏い頭巾と笠を被って頭を隠した彼は、割に変哲の無い若者の姿と映った。岩偶ガグ被衣かつぎを被せられてしまえば、横からでは本当に女童と変わりない。
「そういう恰好をしているとただの若者にも見えるな」
 頷いて言うのに、見せるように裾を翻してこちらへと顔を向けると稀に見る美人だが。
「ふっふ、そうですか? 将軍も――」
 ススキは俺を上から下まで眺めて、今度は顎に手を当てた。
「いや何も隠せてませんね。とても只者には見えない」
 そこらで笑いが起こった。俺も今日は街歩きの軽装だが――外套を脱いだところでこの図体だ。言うとおり、町人のような雰囲気は出ていないだろう。
「貴方もかくれんぼなどは苦手でした?」
「子供の頃から他よりでかいから、そういう遊びは分が悪かったな」
「あんたが行ったら忍びになりませんよ、正直」
「そう言うな」
 容赦なく溜息を吐いて見せるマユミに俺は笑ったが、ススキははっとして些か慌てた様子で、再び口を動かした。
「でもアオギリ将軍は私の引率ですから。来てもらわないと、ね」
 同行を念押しするように言う。――触れてこそこないが、なかなか露骨な言い回しだった。その目で訴えられて、今更行かないとは言えないが。
「おうとも、任せてくれ」
 儀礼でも道中でも、何かあったときに責任を負うのが俺の役目だ。何より大事な金の尾の身であるから、目をつけておいたほうがいいだろう。……とは、自分でも言い訳のようだと感じるので口にはしない。
 ――男はそんなものでも、女たちは旅装より一段着飾った様子で華やかだ。兵を連れて歩くのとはまるで違う、いかにも楽しげな雰囲気に自然と頬は緩んだ。
 では行ってくると行脚の出立よりずっと気軽に賓館を出て暫し。役人の一人が案内してくれるのに従い道を辿っていけば、がやがやと賑わってくるのはすぐだった。牛を連れた乳売りや野草を籠に入れて売っているのが端で、奥にはもっと多く人が集まっている。広場の中央に据えられた大柱に市を知らせる旗が揚げられて、その周りに敷物や屋根を持ち寄った商人たちが店を構えて八方に道を成す。立ち売り歩き売りも様々に居て、煮炊きの煙が上るのも見えた。こうした活気のある生活感は久々だ。
「確かになかなか広いし、盛況ですね。いいことだ」
「こっち側が食い物、向こうが色々ってところです。あの辺り、派手な染め旗が見えたから今日は衣もありそうです」
 呟き評するマユミに案内の者が手振りで示す。振り向き見れば連れ出てきた者たちの顔は明るく、市の景色を見渡すススキは見るからに上機嫌だ。今日はいつもほどに豊かに揺れる裾ではないが――尾がどうというより、足取りや手振り、歩き方がそうなのだろう。端々から浮き立った気持ちが伝わってくる。何か買ってやるぞと彼や周りに言おうとしたところで、先を越された。
「ね、イタドリ君、なにか欲しい物あったら言ってくださいね。買ってあげますよ。小遣いくらいはあるんです。ちゃんと小銭にしてもらってますし。食べ物でもなんでも」
 当人に。体の前で斜に提げた荷袋を叩いて示すススキは買って与える側がやりたいらしい。年下と話すのは稀だと話していたし、気持ちは分かる。
「いえ俺は自分で……」
「あら、こういうときは遠慮しないのよ」
「そうそう、ススキ殿に何か頂く機会なんて滅多にないわよ」
「これも縁起物だから、ご厚意に甘えるのが吉です」
「――言うとおりだ。本人が言うのだから、菓子でも買ってもらえばいい」
 恐縮して返す小姓に空かさず援護のように言ったのはナラで、イチイやアズサ殿も促すのに彼はたじたじとなる。近頃は年上の女たちにもこうして可愛がられていて、何かと食い物を貰ったりしているが――まあ気圧され気味だ。俺が言えば飲み下すだろうと一言添えてやると、ススキは歯を覗かせて笑った。
「そうですよう。いつも色々してもらってますから、その分。皆さんも遠慮しないでください。この人数くらいはいけます」
「ま、催促ではなかったんですよ」
「んふふふ、まあ沢山買って頂くのは、そちらの御方に任しましょうねえ」
 張り切って応じたススキに女官が口元を押さえて、そこで俺の財布へと話が向いてくる。期待の眼差し、というよりは冗談めかした風ではあったが。
「任せろ任せろ。マユミも居るしな」
「俺はあんたの懐から出しますよ」
 胸を張って言うにも隣の腹心は辛辣だった。まあこういうときは確かに、言うなれば家の財布から出すものだが。少しくらいの買い物、人に振る舞うのは予定の内だ。
「そちらの別嬪さんがた、煮豆はいかが。うちのは甘いよ」
「おお!? 随分でかいなあ、覗いてきませんかい、旦那!」
「靴、靴、草履のお直し――……」
 ――緩い足取りで、人の合間を進んで市の中心に向かってぶらついた。先々で多くの声がかけられて、流れていく。商人にも客にも張りがある。明るくいい空気だった。
 出掛ける前に言われたとおり俺が誰より目立って好奇の眼差しもあったが、道は譲られるので歩きやすい。
「っあ、待って、シチがはぐれた……」
 そんな中で不意に上がった声にまた振り向くと、ススキの背が通行人の間に消える。横に控えていた護衛たちが慌てて動くのに皆が足を止めた。
「ススキ殿、」
 普段大人しい金の尾はさっさと駆けていってしまうが――俺には見える程度の距離だった。人の頭越しにすぐに目が合い、軽い歩調のまま回り込んで戻ってくる。岩偶の手を取っているのは親兄弟のようだ。護衛二人はほっと息を吐いた。
「そんなさっと離れるものじゃありませんよ、この人の横に居ればそうそう妙な気起こす奴はいないでしょうが……余所じゃ分かりませんからね」
「すみません、人混みってやっぱり歩き慣れないようで。前見えてないのかな」
 俺を示して窘めるマユミに笑って岩偶の顔を覗き込み、指先で被衣の端をちょいと捲る。それでは役目を果たせているのかも疑問だが……
「抱えるか?」
 腕を上げて問えばススキが瞬いて――皆色めき立った。違う。そうではなく。
「いや、岩偶をな」
 黙って金の尾を見上げるだけの彼女の身の丈は子供のそれだ。岩で出来ているなら重いのか、浮いているなら軽いのか。
 今度はマユミが一番に反応して、肩を竦めた。
「……人攫いみたいになりますね」
「こんなに目立つ拐かしがいるか。ちゃんと普通に抱えるぞ俺は」
「大丈夫大丈夫、もう手ぇ繋ぎましたので。万一見失っても私を追っかけてはくるんです。――ただ周りがびっくりするでしょうから、ね。ちゃんと連れてきますよ」
「それならいいが」
 笑ったススキが繋いだ手を持ち上げて示すので、結局そのまま進んで柱の袂に着いた。往来の無いところで改めてと顔を見合わせる。
「――さて、ではどうするか。あまり固まっていてもやりづらいな。お前たちは買い物があるだろう」
 言うとミツマタがさっと手を挙げた。
「自分は一人でさっと行ってきますかね。まず頼まれ物を済ませてきましょう」
「私たちは一緒に回ろうかと……」
 女たちも頷きあって続く。
「うん、それなら――そうだな、俺たちが居れば十分だろうから、二人は女官についていってやってくれ」
 マユミと目が合い、その意は明確に感じられたので彼ではなく護衛の二人を送り出すことにする。今日率先してついてきたのも、市の見物がしたかったのではなく俺の――俺とススキの見張りのつもりに違いなかった。
 皆また数度頷いた。
「は、承知しました。またこの辺りで合流でよろしいですか」
「そうしよう。まあ賑わっているが……俺が立っていればすぐ分かるだろう。ゆっくり見てくるといい」
「違いない。では行きますか」
 肩を揺らして笑ったオモトとセンリョウが女たちを連れていき、ミツマタが来た道を戻るのを見送って、軽く手を挙げたススキはこちらへと向き直った。逆側ではまだしっかりと岩偶の手を握っている。
「じゃあ私たちは買い食いでもしましょうか。この辺、なんかいい匂いしますし。味噌かな」
「御随意に。ついてきますよ」
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