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一歩 踏み出す
しおりを挟む
「アオギリ将軍。話し相手になってくださいな」
一夜明け、朝一番の挨拶と共に申し込まれた。
四、五人は優に乗れる、俺よりも長く生きて四対脚を持つ大の黒脚にも怖じずに戯れ白い太縞模様の毛皮を撫でていた人は真正面に向き直り、そこは常人とも違わぬように見える薄茶色の目で俺を見上げた。旅装を整えた人々の中で、彼だけが変わらず儀礼の為の朱色を纏って目立つ。
声ははっきりとしていた。顔の下半分、口元を覆う布に遮られた様子もなくよく通る澄んだ声だ。金の毛先が風に揺れている。柔そうな髪は結い纏められないほどに短く、顔の横で遊んでいる。実り穂色だ。生えているという尾も同じ色をしていると聞くが。
「今日は門を出たらずっと人里を離れて進むでしょう。民の目もないし、あまり仰々しくなくてもいいと思うんです」
まだ年若い、俺よりも十歳下だという金の尾の男、ススキは、上とも下ともつかない微妙な立ち振る舞いと口振りで続ける。金の尾は特別だが偉くはない。将軍が従うものでも従わせるものでもないのでそれなりの扱いでいるようにとは言われていたが、成程そのようだった。
役場の庭に集まっていた出発前の行脚の一団が皆こちらを見る中で。姿勢はよく――俺を見上げるせいで余計に背筋が伸びているように見えた。
「こそこそ二人で話すとそれは怪しいでしょうから、皆さんにも聞こえるように普通に話せばいいんです。皆で話せば」
横についてきた小姓も部下も、都で編成されたほうの巫覡も護衛も、彼の世話係も。誰もが様子を窺っている。金の尾の言葉を探り、引率者の俺の反応を待っている。
後ろに控えた岩偶も、顔に描かれた一つ目でこちらを見据えている。女童の姿をした小間使い、岩を割って作られたつるりとした闇色の黒肌の顔にあるその大きな眼は監視の呪いに違いないが。
「ただの雑談ですよ。せっ……かく、宮の外に出てるんですから楽にしないと。黙々歩くんじゃ退屈でしょう。一般の方が見ているところではちゃんと黙りますので、ね」
「ふん……」
言い募る声に、とりあえず相槌を打った。
確かに少しは楽にしてやりたい。春の行脚は重要な務めではあるが気晴らしにもなるとは聞き及んでいた。曾祖父のときにも歩きついでに諸々の地方見物をして楽しんだという。
尾は生まれてから死ぬまで、ずっと宮に入れられて暮らすのだ。いかに立派な城の中での恵まれた生活とはいえど自由とは言い難いだろう。その貴重な外出、折角の遠出の機会が今なのだ。多少の望みは叶えたいと思う。
……それに、行脚の旅は長い。しんとして畏まって行列し続けるのでは誰も、俺だって息が詰まる。
喋るなとは言われていない。金の尾を守護して率い、占いのとおりに巡り、くれぐれも無事に連れ帰れと命じられたのみ。どのような旅にするかは任されている。同伴をする巫覡たちも物言わずに待っている。
責任者として率いる自分がよい顔をせずに黙っていれば、他も気兼ねして楽な会話になどならないだろう。
彼の言うとおり堂々とすればよい。ただの雑談なら結構。咎めなどないだろう。もし、たとえ何か怪しいことを言われても俺が靡かなければいいだけの話だ。そのときはそのときで窘めて、報告でもなんでもすればいいのだ。
「いいだろう。雑談なら」
結論して応じると、彼の肩から少し力が抜けたようだった。目を細めて笑う。
「やった、よかった。ありがとうございます。昨日から色々と考えてたんです。じゃあ行きましょう。皆さんよろしくお願いします」
「ああ。――皆支度は済んだか、出発するぞ!」
一際朗らかな声で喜んで、岩偶から杖を受け取り促すのに今度はすぐに応じることができた。赤い裾が揺れるのを横目に号令をかけると些か張りつめていた空気も解けて人々が動き出す。皆大方決められた位置につき列を組む。
護衛が先導に立ち、巫覡に執筆や医官、世話係、雑役と俺の配下を合わせて総勢二十名。騎は駆駒と俺のドトウ――煙髯で五頭。黒脚は白大縞と黒花柄の二頭。
歩き疲れるまではなるべく徒歩で往く。尾が歩いて土を踏みしめることが豊穣に繋がると信じられている為だ。特に占いで定め達せられた田畑は更なる儀礼を行い裸足で踏む。それ以外も歩けば歩くほどによい。
随伴の者は騎に跨るも輿に座るも自由だったが、こうなれば見下ろすのは気が引けた。話し相手にというなら猶更だろう。ドトウは小姓のイタドリに任せて空に放し、駆駒や黒脚の背には巫覡などに乗ってもらって、俺も隣を歩くことにした。
「こうして近づくとやっぱり大きいですねえ。黒脚みたい……」
などと言っても金の尾とは何を話すべきなのか。考える間に金の尾が呟いた。話しかけたというよりも独り言の風だったが、振り向くと目が合ってすぐに言葉が続いた。
「もしや失礼な言い方でしたか。すみません」
「いや、昔からよく言われる」
人相がよくないので睨んで見えただろうか。首を振って踏み出せば、怯んだ様子はなく彼の足もすぐに前に出たが。
黒脚は頑丈で強い生き物だ。灰の体に浮かぶ白黒の模様は様々だが、必ず黒く生まれる足は齢を重ねることで増え、荒野でも河川でも構わず歩いて荷や人を運ぶ。怖じぬ性質で軍でも重宝され、時には制圧にも使う。それに喩えるのは武人にとっては褒め言葉の部類だ。俺などは色も、ごつい風貌もどことなく近しいので本当によく言われる。
……あんな申し入れをしてはきたが、隣り合うにはもっと気安い相手がよかったのではなかろうか。普段から宮で親しんでいるだろう世話係の女や、年の近い者を横に呼ぶのがいいかも知れない。
と、考えていたのはまだ歩数を数えられそうな間で。こちらが間合いを測るうち、挨拶を済ませた見送りの役人たちから幾らか離れたところで金の尾は距離を再び縮めて見上げてきた。
「将軍は、セキボクに行ったことは?」
「いや、無いな。遠征したのはユウやガイのほうだ」
今回折り返し地点として目指す土地だ。国都から北東に位置するイン州の都。なかなかの都市だと聞かされている。
俺のこれまでの仕事はもっと西側のほうだった。
「夷狄ヤマセの征伐、双頭の荒龍の刎頚、ですね」
「――ああ」
彼の声が、特に思い起こす時間も置かずその功績を挙げたので少し驚いた。
数年前のことだ。今は完全にコンヨの支配下に入ったユウ州僻地の戦いも、ガイ州の谷で災害を引き起こす龍の首を落としたのも、兵たちと共に大いに褒め称えられた。それで賜った将軍位だ。荒っぽい功績ではあるが――まあ武人の誉れなぞそんなものだ。
金の尾とはいえ宮中に住む者ならば聞き知っていてもおかしくはないか。だがこの長閑な儀礼の道には、些か不釣り合いな話題とも思えた。
「是非是非、道中話を聞かせてください。武人の方の話は結構好きなんです。私が聞かせてもらう側であれば心配も減るでしょうし――」
ススキは社交辞令らしい響きのいい物言いをして、そう、こちらの気兼ねを見透かすかの言葉も添えたが。僅かに思案の間を挟むと道の横に広がった原っぱの景色に目を移した。
「でもまだ朝早いですし、まずはもう少し緩い話題からがいいですかね。お楽しみは後にとっておいて」
俺とも似た考えを呟く声も思案気だ。やはりさっきのは社交辞令だったかもしれない。俺に話を強いることもなく、雑談を提案した責任を引き受けるように自分で続ける。
「通り道は初めてですけど、セキボクには前にも行ったことがあるんですよ。温泉が湧いてるんです。青っぽい白い湯で、浸かると肌がつるっとして、夕方入ると眠る頃まで体がぬくくって」
それも昔に金の尾が見つけたと伝えられる。湯量が豊かで効能がよく、湯治でも栄えている。セキボクに行くのなら湯の花を土産に買って帰ってくるようにと母や妹に請われたのを思い出した。
「去年は私もガイの荒地のほうに行ったので大変でしたが、今年はいいですねえ。湯に浸かるの楽しみだなあ」
「荒地というとシガイの辺りか。砂地も多くて徒歩は苦労しただろう」
あまりにすらすらと語るので聞いてしまっていたが、俺も少しは答えておくべきだろう。そう考えて、隙を見て踏み込む。と、また視線が上がってきた。
「――ええ。あれ本当に大変ですよねえ、最初は物珍しくて楽しかったんですが、足がとられて倍は疲れる」
つい知った土地の話に戻してしまったのにも彼は構わず、話題の割にどこか嬉しそうに声を弾ませる。
「でも去年は芋や蕎麦が結構取れたらしいですよ。頑張って歩いた甲斐がありましたかね」
意気込むように杖先で地を叩いて鳴らす様は頼もしい。それでなんとなく、気が緩んだ。
――そうやって物静かだとばかり思っていた佳人はよく喋った。心地よい声色で、いっそ自分ではなく人を楽しませる為であるかのように明るい話題を、俺が少しの言葉を返すだけでも繋げていった。機嫌よく周りにも話を振った。
誰も咎めることはなかったし本当に毒気も感じさせぬ話題ばかりだったので、幾らか過ぎれば他の者たちも気が緩んできて返事をはっきりとして話し始めた。今朝まではそれぞれに畏まっていた集団が和気藹々として笑顔になった。雑役の中にイン州の出身者がいて話が弾んだ。セキボクの温泉は浸かるにも勿論いいが、湯気を使って蒸かした卵や野菜が名物なのだという。酒も美味いと聞けば楽しみだ。
行き先の土地の話、そこらで緑が芽吹き始めた草木の話、見かけた鳥や虫をきっかけにも話は広がって、なかなか尽きることがなかった。征伐や龍の話には辿り着かないほどに。
歩みもまた滞りなく、時折近くの住民や旅人の挨拶も受けながら進んで順調に次の町に至る。予定どおりに済んで、役場での迎え入れにも問題がない。
楽な道であったのもそうだが、一日過ぎてみれば確かに随分気楽だった。俺も初日は結構緊張していたものだと思い知らされた。助かったのかもしれない。
当初の想定とは違ったがまったく悪くはない。気安い旅のほうが俺だって有難い。皆、金の尾も楽しそうでよかった。
……そう、相手はかの金の尾だ。何か企みでもあるのでは、人を魅了するそういう力もまたあるのかもしれないと、思わずにはおれないが――……俺はどうもあの金の尾、ススキを気に入ってしまったようだった。
一夜明け、朝一番の挨拶と共に申し込まれた。
四、五人は優に乗れる、俺よりも長く生きて四対脚を持つ大の黒脚にも怖じずに戯れ白い太縞模様の毛皮を撫でていた人は真正面に向き直り、そこは常人とも違わぬように見える薄茶色の目で俺を見上げた。旅装を整えた人々の中で、彼だけが変わらず儀礼の為の朱色を纏って目立つ。
声ははっきりとしていた。顔の下半分、口元を覆う布に遮られた様子もなくよく通る澄んだ声だ。金の毛先が風に揺れている。柔そうな髪は結い纏められないほどに短く、顔の横で遊んでいる。実り穂色だ。生えているという尾も同じ色をしていると聞くが。
「今日は門を出たらずっと人里を離れて進むでしょう。民の目もないし、あまり仰々しくなくてもいいと思うんです」
まだ年若い、俺よりも十歳下だという金の尾の男、ススキは、上とも下ともつかない微妙な立ち振る舞いと口振りで続ける。金の尾は特別だが偉くはない。将軍が従うものでも従わせるものでもないのでそれなりの扱いでいるようにとは言われていたが、成程そのようだった。
役場の庭に集まっていた出発前の行脚の一団が皆こちらを見る中で。姿勢はよく――俺を見上げるせいで余計に背筋が伸びているように見えた。
「こそこそ二人で話すとそれは怪しいでしょうから、皆さんにも聞こえるように普通に話せばいいんです。皆で話せば」
横についてきた小姓も部下も、都で編成されたほうの巫覡も護衛も、彼の世話係も。誰もが様子を窺っている。金の尾の言葉を探り、引率者の俺の反応を待っている。
後ろに控えた岩偶も、顔に描かれた一つ目でこちらを見据えている。女童の姿をした小間使い、岩を割って作られたつるりとした闇色の黒肌の顔にあるその大きな眼は監視の呪いに違いないが。
「ただの雑談ですよ。せっ……かく、宮の外に出てるんですから楽にしないと。黙々歩くんじゃ退屈でしょう。一般の方が見ているところではちゃんと黙りますので、ね」
「ふん……」
言い募る声に、とりあえず相槌を打った。
確かに少しは楽にしてやりたい。春の行脚は重要な務めではあるが気晴らしにもなるとは聞き及んでいた。曾祖父のときにも歩きついでに諸々の地方見物をして楽しんだという。
尾は生まれてから死ぬまで、ずっと宮に入れられて暮らすのだ。いかに立派な城の中での恵まれた生活とはいえど自由とは言い難いだろう。その貴重な外出、折角の遠出の機会が今なのだ。多少の望みは叶えたいと思う。
……それに、行脚の旅は長い。しんとして畏まって行列し続けるのでは誰も、俺だって息が詰まる。
喋るなとは言われていない。金の尾を守護して率い、占いのとおりに巡り、くれぐれも無事に連れ帰れと命じられたのみ。どのような旅にするかは任されている。同伴をする巫覡たちも物言わずに待っている。
責任者として率いる自分がよい顔をせずに黙っていれば、他も気兼ねして楽な会話になどならないだろう。
彼の言うとおり堂々とすればよい。ただの雑談なら結構。咎めなどないだろう。もし、たとえ何か怪しいことを言われても俺が靡かなければいいだけの話だ。そのときはそのときで窘めて、報告でもなんでもすればいいのだ。
「いいだろう。雑談なら」
結論して応じると、彼の肩から少し力が抜けたようだった。目を細めて笑う。
「やった、よかった。ありがとうございます。昨日から色々と考えてたんです。じゃあ行きましょう。皆さんよろしくお願いします」
「ああ。――皆支度は済んだか、出発するぞ!」
一際朗らかな声で喜んで、岩偶から杖を受け取り促すのに今度はすぐに応じることができた。赤い裾が揺れるのを横目に号令をかけると些か張りつめていた空気も解けて人々が動き出す。皆大方決められた位置につき列を組む。
護衛が先導に立ち、巫覡に執筆や医官、世話係、雑役と俺の配下を合わせて総勢二十名。騎は駆駒と俺のドトウ――煙髯で五頭。黒脚は白大縞と黒花柄の二頭。
歩き疲れるまではなるべく徒歩で往く。尾が歩いて土を踏みしめることが豊穣に繋がると信じられている為だ。特に占いで定め達せられた田畑は更なる儀礼を行い裸足で踏む。それ以外も歩けば歩くほどによい。
随伴の者は騎に跨るも輿に座るも自由だったが、こうなれば見下ろすのは気が引けた。話し相手にというなら猶更だろう。ドトウは小姓のイタドリに任せて空に放し、駆駒や黒脚の背には巫覡などに乗ってもらって、俺も隣を歩くことにした。
「こうして近づくとやっぱり大きいですねえ。黒脚みたい……」
などと言っても金の尾とは何を話すべきなのか。考える間に金の尾が呟いた。話しかけたというよりも独り言の風だったが、振り向くと目が合ってすぐに言葉が続いた。
「もしや失礼な言い方でしたか。すみません」
「いや、昔からよく言われる」
人相がよくないので睨んで見えただろうか。首を振って踏み出せば、怯んだ様子はなく彼の足もすぐに前に出たが。
黒脚は頑丈で強い生き物だ。灰の体に浮かぶ白黒の模様は様々だが、必ず黒く生まれる足は齢を重ねることで増え、荒野でも河川でも構わず歩いて荷や人を運ぶ。怖じぬ性質で軍でも重宝され、時には制圧にも使う。それに喩えるのは武人にとっては褒め言葉の部類だ。俺などは色も、ごつい風貌もどことなく近しいので本当によく言われる。
……あんな申し入れをしてはきたが、隣り合うにはもっと気安い相手がよかったのではなかろうか。普段から宮で親しんでいるだろう世話係の女や、年の近い者を横に呼ぶのがいいかも知れない。
と、考えていたのはまだ歩数を数えられそうな間で。こちらが間合いを測るうち、挨拶を済ませた見送りの役人たちから幾らか離れたところで金の尾は距離を再び縮めて見上げてきた。
「将軍は、セキボクに行ったことは?」
「いや、無いな。遠征したのはユウやガイのほうだ」
今回折り返し地点として目指す土地だ。国都から北東に位置するイン州の都。なかなかの都市だと聞かされている。
俺のこれまでの仕事はもっと西側のほうだった。
「夷狄ヤマセの征伐、双頭の荒龍の刎頚、ですね」
「――ああ」
彼の声が、特に思い起こす時間も置かずその功績を挙げたので少し驚いた。
数年前のことだ。今は完全にコンヨの支配下に入ったユウ州僻地の戦いも、ガイ州の谷で災害を引き起こす龍の首を落としたのも、兵たちと共に大いに褒め称えられた。それで賜った将軍位だ。荒っぽい功績ではあるが――まあ武人の誉れなぞそんなものだ。
金の尾とはいえ宮中に住む者ならば聞き知っていてもおかしくはないか。だがこの長閑な儀礼の道には、些か不釣り合いな話題とも思えた。
「是非是非、道中話を聞かせてください。武人の方の話は結構好きなんです。私が聞かせてもらう側であれば心配も減るでしょうし――」
ススキは社交辞令らしい響きのいい物言いをして、そう、こちらの気兼ねを見透かすかの言葉も添えたが。僅かに思案の間を挟むと道の横に広がった原っぱの景色に目を移した。
「でもまだ朝早いですし、まずはもう少し緩い話題からがいいですかね。お楽しみは後にとっておいて」
俺とも似た考えを呟く声も思案気だ。やはりさっきのは社交辞令だったかもしれない。俺に話を強いることもなく、雑談を提案した責任を引き受けるように自分で続ける。
「通り道は初めてですけど、セキボクには前にも行ったことがあるんですよ。温泉が湧いてるんです。青っぽい白い湯で、浸かると肌がつるっとして、夕方入ると眠る頃まで体がぬくくって」
それも昔に金の尾が見つけたと伝えられる。湯量が豊かで効能がよく、湯治でも栄えている。セキボクに行くのなら湯の花を土産に買って帰ってくるようにと母や妹に請われたのを思い出した。
「去年は私もガイの荒地のほうに行ったので大変でしたが、今年はいいですねえ。湯に浸かるの楽しみだなあ」
「荒地というとシガイの辺りか。砂地も多くて徒歩は苦労しただろう」
あまりにすらすらと語るので聞いてしまっていたが、俺も少しは答えておくべきだろう。そう考えて、隙を見て踏み込む。と、また視線が上がってきた。
「――ええ。あれ本当に大変ですよねえ、最初は物珍しくて楽しかったんですが、足がとられて倍は疲れる」
つい知った土地の話に戻してしまったのにも彼は構わず、話題の割にどこか嬉しそうに声を弾ませる。
「でも去年は芋や蕎麦が結構取れたらしいですよ。頑張って歩いた甲斐がありましたかね」
意気込むように杖先で地を叩いて鳴らす様は頼もしい。それでなんとなく、気が緩んだ。
――そうやって物静かだとばかり思っていた佳人はよく喋った。心地よい声色で、いっそ自分ではなく人を楽しませる為であるかのように明るい話題を、俺が少しの言葉を返すだけでも繋げていった。機嫌よく周りにも話を振った。
誰も咎めることはなかったし本当に毒気も感じさせぬ話題ばかりだったので、幾らか過ぎれば他の者たちも気が緩んできて返事をはっきりとして話し始めた。今朝まではそれぞれに畏まっていた集団が和気藹々として笑顔になった。雑役の中にイン州の出身者がいて話が弾んだ。セキボクの温泉は浸かるにも勿論いいが、湯気を使って蒸かした卵や野菜が名物なのだという。酒も美味いと聞けば楽しみだ。
行き先の土地の話、そこらで緑が芽吹き始めた草木の話、見かけた鳥や虫をきっかけにも話は広がって、なかなか尽きることがなかった。征伐や龍の話には辿り着かないほどに。
歩みもまた滞りなく、時折近くの住民や旅人の挨拶も受けながら進んで順調に次の町に至る。予定どおりに済んで、役場での迎え入れにも問題がない。
楽な道であったのもそうだが、一日過ぎてみれば確かに随分気楽だった。俺も初日は結構緊張していたものだと思い知らされた。助かったのかもしれない。
当初の想定とは違ったがまったく悪くはない。気安い旅のほうが俺だって有難い。皆、金の尾も楽しそうでよかった。
……そう、相手はかの金の尾だ。何か企みでもあるのでは、人を魅了するそういう力もまたあるのかもしれないと、思わずにはおれないが――……俺はどうもあの金の尾、ススキを気に入ってしまったようだった。
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