こがねこう

綿入しずる

文字の大きさ
上 下
2 / 45

一歩 踏み出す

しおりを挟む
「アオギリ将軍。話し相手になってくださいな」
 一夜明け、朝一番の挨拶と共に申し込まれた。
 四、五人は優に乗れる、俺よりも長く生きて四対脚を持つ大の黒脚コキにも怖じずに戯れ白い太縞模様の毛皮を撫でていた人は真正面に向き直り、そこは常人とも違わぬように見える薄茶色の目で俺を見上げた。旅装を整えた人々の中で、彼だけが変わらず儀礼の為の朱色を纏って目立つ。
 声ははっきりとしていた。顔の下半分、口元を覆う布に遮られた様子もなくよく通る澄んだ声だ。金の毛先が風に揺れている。柔そうな髪は結い纏められないほどに短く、顔の横で遊んでいる。実り穂色だ。生えているという尾も同じ色をしていると聞くが。
「今日は門を出たらずっと人里を離れて進むでしょう。民の目もないし、あまり仰々しくなくてもいいと思うんです」
 まだ年若い、俺よりも十歳下だという金の尾コノオの男、ススキは、上とも下ともつかない微妙な立ち振る舞いと口振りで続ける。金の尾は特別だが偉くはない。将軍が従うものでも従わせるものでもないのでそれなりの扱いでいるようにとは言われていたが、成程そのようだった。
 役場の庭に集まっていた出発前の行脚の一団が皆こちらを見る中で。姿勢はよく――俺を見上げるせいで余計に背筋が伸びているように見えた。
「こそこそ二人で話すとそれは怪しいでしょうから、皆さんにも聞こえるように普通に話せばいいんです。皆で話せば」
 横についてきた小姓も部下も、都で編成されたほうの巫覡ふげきも護衛も、彼の世話係も。誰もが様子を窺っている。金の尾の言葉を探り、引率者の俺の反応を待っている。
 後ろに控えた岩偶ガグも、顔に描かれた一つ目でこちらを見据えている。女童めらわの姿をした小間使い、岩を割って作られたつるりとした闇色の黒肌の顔にあるその大きな眼は監視の呪いに違いないが。
「ただの雑談ですよ。せっ……かく、宮の外に出てるんですから楽にしないと。黙々歩くんじゃ退屈でしょう。一般の方が見ているところではちゃんと黙りますので、ね」
「ふん……」
 言い募る声に、とりあえず相槌を打った。
 確かに少しは楽にしてやりたい。春の行脚は重要な務めではあるが気晴らしにもなるとは聞き及んでいた。曾祖父のときにも歩きついでに諸々の地方見物をして楽しんだという。
 尾は生まれてから死ぬまで、ずっと宮に入れられて暮らすのだ。いかに立派な城の中での恵まれた生活とはいえど自由とは言い難いだろう。その貴重な外出、折角の遠出の機会が今なのだ。多少の望みは叶えたいと思う。
 ……それに、行脚の旅は長い。しんとして畏まって行列し続けるのでは誰も、俺だって息が詰まる。
 喋るなとは言われていない。金の尾を守護して率い、占いのとおりに巡り、くれぐれも無事に連れ帰れと命じられたのみ。どのような旅にするかは任されている。同伴をする巫覡たちも物言わずに待っている。
 責任者として率いる自分がよい顔をせずに黙っていれば、他も気兼ねして楽な会話になどならないだろう。
 彼の言うとおり堂々とすればよい。ただの雑談なら結構。咎めなどないだろう。もし、たとえ何か怪しいことを言われても俺が靡かなければいいだけの話だ。そのときはそのときで窘めて、報告でもなんでもすればいいのだ。
「いいだろう。雑談なら」
 結論して応じると、彼の肩から少し力が抜けたようだった。目を細めて笑う。
「やった、よかった。ありがとうございます。昨日から色々と考えてたんです。じゃあ行きましょう。皆さんよろしくお願いします」
「ああ。――皆支度は済んだか、出発するぞ!」
 一際朗らかな声で喜んで、岩偶から杖を受け取り促すのに今度はすぐに応じることができた。赤い裾が揺れるのを横目に号令をかけると些か張りつめていた空気も解けて人々が動き出す。皆大方決められた位置につき列を組む。
 護衛が先導に立ち、巫覡に執筆や医官、世話係、雑役と俺の配下を合わせて総勢二十名。騎は駆駒ククと俺のドトウ――煙髯エゼンで五頭。黒脚は白大縞と黒花柄の二頭。
 歩き疲れるまではなるべく徒歩で往く。尾が歩いて土を踏みしめることが豊穣に繋がると信じられている為だ。特に占いで定め達せられた田畑は更なる儀礼を行い裸足で踏む。それ以外も歩けば歩くほどによい。
 随伴の者は騎に跨るも輿に座るも自由だったが、こうなれば見下ろすのは気が引けた。話し相手にというなら猶更だろう。ドトウは小姓のイタドリに任せて空に放し、駆駒や黒脚の背には巫覡などに乗ってもらって、俺も隣を歩くことにした。
「こうして近づくとやっぱり大きいですねえ。黒脚みたい……」
 などと言っても金の尾とは何を話すべきなのか。考える間に金の尾が呟いた。話しかけたというよりも独り言の風だったが、振り向くと目が合ってすぐに言葉が続いた。
「もしや失礼な言い方でしたか。すみません」
「いや、昔からよく言われる」
 人相がよくないので睨んで見えただろうか。首を振って踏み出せば、怯んだ様子はなく彼の足もすぐに前に出たが。
 黒脚は頑丈で強い生き物だ。灰の体に浮かぶ白黒の模様は様々だが、必ず黒く生まれる足は齢を重ねることで増え、荒野でも河川でも構わず歩いて荷や人を運ぶ。怖じぬ性質で軍でも重宝され、時には制圧にも使う。それに喩えるのは武人にとっては褒め言葉の部類だ。俺などは色も、ごつい風貌もどことなく近しいので本当によく言われる。
 ……あんな申し入れをしてはきたが、隣り合うにはもっと気安い相手がよかったのではなかろうか。普段から宮で親しんでいるだろう世話係の女や、年の近い者を横に呼ぶのがいいかも知れない。
 と、考えていたのはまだ歩数を数えられそうな間で。こちらが間合いを測るうち、挨拶を済ませた見送りの役人たちから幾らか離れたところで金の尾は距離を再び縮めて見上げてきた。
「将軍は、セキボクに行ったことは?」
「いや、無いな。遠征したのはユウやガイのほうだ」
 今回折り返し地点として目指す土地だ。国都から北東に位置するイン州の都。なかなかの都市だと聞かされている。
 俺のこれまでの仕事はもっと西側のほうだった。
「夷狄ヤマセの征伐、双頭の荒龍の刎頚、ですね」
「――ああ」
 彼の声が、特に思い起こす時間も置かずその功績を挙げたので少し驚いた。
 数年前のことだ。今は完全にコンヨの支配下に入ったユウ州僻地の戦いも、ガイ州の谷で災害を引き起こす龍の首を落としたのも、兵たちと共に大いに褒め称えられた。それで賜った将軍位だ。荒っぽい功績ではあるが――まあ武人の誉れなぞそんなものだ。
 金の尾とはいえ宮中に住む者ならば聞き知っていてもおかしくはないか。だがこの長閑な儀礼の道には、些か不釣り合いな話題とも思えた。
「是非是非、道中話を聞かせてください。武人の方の話は結構好きなんです。私が聞かせてもらう側であれば心配も減るでしょうし――」
 ススキは社交辞令らしい響きのいい物言いをして、そう、こちらの気兼ねを見透かすかの言葉も添えたが。僅かに思案の間を挟むと道の横に広がった原っぱの景色に目を移した。
「でもまだ朝早いですし、まずはもう少し緩い話題からがいいですかね。お楽しみは後にとっておいて」
 俺とも似た考えを呟く声も思案気だ。やはりさっきのは社交辞令だったかもしれない。俺に話を強いることもなく、雑談を提案した責任を引き受けるように自分で続ける。
「通り道は初めてですけど、セキボクには前にも行ったことがあるんですよ。温泉が湧いてるんです。青っぽい白い湯で、浸かると肌がつるっとして、夕方入ると眠る頃まで体がぬくくって」
 それも昔に金の尾が見つけたと伝えられる。湯量が豊かで効能がよく、湯治でも栄えている。セキボクに行くのなら湯の花を土産に買って帰ってくるようにと母や妹に請われたのを思い出した。
「去年は私もガイの荒地のほうに行ったので大変でしたが、今年はいいですねえ。湯に浸かるの楽しみだなあ」
「荒地というとシガイの辺りか。砂地も多くて徒歩かちは苦労しただろう」
 あまりにすらすらと語るので聞いてしまっていたが、俺も少しは答えておくべきだろう。そう考えて、隙を見て踏み込む。と、また視線が上がってきた。
「――ええ。あれ本当に大変ですよねえ、最初は物珍しくて楽しかったんですが、足がとられて倍は疲れる」
 つい知った土地の話に戻してしまったのにも彼は構わず、話題の割にどこか嬉しそうに声を弾ませる。
「でも去年は芋や蕎麦が結構取れたらしいですよ。頑張って歩いた甲斐がありましたかね」
 意気込むように杖先で地を叩いて鳴らす様は頼もしい。それでなんとなく、気が緩んだ。
 ――そうやって物静かだとばかり思っていた佳人はよく喋った。心地よい声色で、いっそ自分ではなく人を楽しませる為であるかのように明るい話題を、俺が少しの言葉を返すだけでも繋げていった。機嫌よく周りにも話を振った。
 誰も咎めることはなかったし本当に毒気も感じさせぬ話題ばかりだったので、幾らか過ぎれば他の者たちも気が緩んできて返事をはっきりとして話し始めた。今朝まではそれぞれに畏まっていた集団が和気藹々として笑顔になった。雑役の中にイン州の出身者がいて話が弾んだ。セキボクの温泉は浸かるにも勿論いいが、湯気を使って蒸かした卵や野菜が名物なのだという。酒も美味いと聞けば楽しみだ。
 行き先の土地の話、そこらで緑が芽吹き始めた草木の話、見かけた鳥や虫をきっかけにも話は広がって、なかなか尽きることがなかった。征伐や龍の話には辿り着かないほどに。
 歩みもまた滞りなく、時折近くの住民や旅人の挨拶も受けながら進んで順調に次の町に至る。予定どおりに済んで、役場での迎え入れにも問題がない。
 楽な道であったのもそうだが、一日過ぎてみれば確かに随分気楽だった。俺も初日は結構緊張していたものだと思い知らされた。助かったのかもしれない。
 当初の想定とは違ったがまったく悪くはない。気安い旅のほうが俺だって有難い。皆、金の尾も楽しそうでよかった。
 ……そう、相手はかの金の尾だ。何か企みでもあるのでは、人を魅了するそういう力もまたあるのかもしれないと、思わずにはおれないが――……俺はどうもあの金の尾、ススキを気に入ってしまったようだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ポメラニアンになった僕は初めて愛を知る【完結】

君影 ルナ
BL
動物大好き包容力カンスト攻め × 愛を知らない薄幸系ポメ受け が、お互いに癒され幸せになっていくほのぼのストーリー ──────── ※物語の構成上、受けの過去が苦しいものになっております。 ※この話をざっくり言うなら、攻めによる受けよしよし話。 ※攻めは親バカ炸裂するレベルで動物(後の受け)好き。 ※受けは「癒しとは何だ?」と首を傾げるレベルで愛や幸せに疎い。

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

余命僅かの悪役令息に転生したけど、攻略対象者達が何やら離してくれない

上総啓
BL
ある日トラックに轢かれて死んだ成瀬は、前世のめり込んでいたBLゲームの悪役令息フェリアルに転生した。 フェリアルはゲーム内の悪役として15歳で断罪される運命。 前世で周囲からの愛情に恵まれなかった成瀬は、今世でも誰にも愛されない事実に絶望し、転生直後にゲーム通りの人生を受け入れようと諦観する。 声すら発さず、家族に対しても無反応を貫き人形のように接するフェリアル。そんなフェリアルに周囲の過保護と溺愛は予想外に増していき、いつの間にかゲームのシナリオとズレた展開が巻き起こっていく。 気付けば兄達は勿論、妖艶な魔塔主や最恐の暗殺者、次期大公に皇太子…ゲームの攻略対象者達がフェリアルに執着するようになり…――? 周囲の愛に疎い悪役令息の無自覚総愛されライフ。 ※最終的に固定カプ

王子様のご帰還です

小都
BL
目が覚めたらそこは、知らない国だった。 平凡に日々を過ごし無事高校3年間を終えた翌日、何もかもが違う場所で目が覚めた。 そして言われる。「おかえりなさい、王子」と・・・。 何も知らない僕に皆が強引に王子と言い、迎えに来た強引な婚約者は・・・男!? 異世界転移 王子×王子・・・? こちらは個人サイトからの再録になります。 十年以上前の作品をそのまま移してますので変だったらすみません。

【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】

彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。 「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」

年下男子は手強い

凪玖海くみ
BL
長年同じ仕事を続けてきた安藤啓介は、どこか心にぽっかりと穴が開いたような日々を過ごしていた。 そんなある日、職場の近くにある小さなパン屋『高槻ベーカリー』で出会った年下の青年・高槻直人。 直人のまっすぐな情熱と夢に触れるうちに、啓介は自分の心が揺れ動くのを感じる。 「君の力になりたい――」 些細なきっかけから始まった関係は、やがて2人の人生を大きく変える道へとつながっていく。 小さなパン屋を舞台に繰り広げられる、成長と絆の物語。2人が見つける“未来”の先には何が待っているのか――?

国王様は新米騎士を溺愛する

あいえだ
BL
俺はリアン18歳。記憶によると大貴族に再婚した母親の連れ子だった俺は5歳で母に死なれて家を追い出された。その後複雑な生い立ちを経て、たまたま適当に受けた騎士試験に受かってしまう。死んだ母親は貴族でなく実は前国王と結婚していたらしく、俺は国王の弟だったというのだ。そして、国王陛下の俺への寵愛がとまらなくて? R18です。性描写に★をつけてますので苦手な方は回避願います。 ジュリアン編は「騎士団長は天使の俺と恋をする」とのコラボになっています。

騎士が花嫁

Kyrie
BL
めでたい結婚式。 花婿は俺。 花嫁は敵国の騎士様。 どうなる、俺? * 他サイトにも掲載。

処理中です...