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一章 邂逅編

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 私は小説の一節を思い出す。




・・・・・・・・・・・・・・・


「これでデータは全てだ。無駄にするな」

 見るからに不機嫌そうな芹沢さんは、武庫川さんに分厚い書類でも入っていそうな茶封筒を渡した。

「やっぱり七緒君は仕事が早い」

 受けとった武庫川さんは、芹沢さんの態度とは対照的に飄々と言う。

「データ取りはやっぱり七緒さんですよね。僕には出来ないですよ、対象に薬盛って情報吐かせるとか」

 笑顔でチクリと言う中村君の言葉に、芹沢さんは無表情だ。武庫川さんは無邪気に中村君の言葉に同意する。

「七緒君は、こう見えて結構手荒だよね」
「…………お前が言うな」

 確かに。
 武庫川さんこそ手荒だ。
 橋をひとつ落としたり、島ひとつ半壊させたりと物理的な意味で。
 それを無かったかのように処理する芹沢さんがいなかったら、今まで一体どれだけニュースで世間を騒がせる事になるのかと思うと頭が痛い。

 武庫川さんと芹沢さんの間に過去何があったのか知らないけど、いつも不機嫌ながら芹沢さんが手助けしてくれるという事は、心底嫌ってるわけではないはず。
 だから武庫川さんも芹沢さんを揶揄うような事を言わなければいいのに。


・・・・・・・・・・・・・・・



 ……そうだ。
 小説の中で『データ取り』が芹沢七緒の仕事だとあった。


 調査対象者の、書類上以外の事…それは例えば好きな食べ物や嫌いな物、趣味思考行動パターンを調べる時は、中村君よりも直接接触して得る芹沢七緒の方がより詳しい、とどこかの巻で記載があった。

 なんらかの術をかけて聞き出す事はもちろん、最終手段で薬を盛って聞き出すこともある。もちろん最後にはまた術をかけ直して薬を飲まされたこと自体、無かった事にする。

 一賀課長が言っていた『データ』は、聞いた事のある言葉ではなく、小説で読んで知っていた言葉だったんだ……。













 スマホの電話の着信音で意識が浮上する。


 目を開けると、部屋はまだ薄暗いがカーテンの隙間がうっすらと青白い。どうやらもう朝のようだ。
 毛布に包まりながら、いつものように枕元にあるはずのスマホを手だけで探す。
 いつもとはベッドのシーツの感触が違う気がするけど、まずは電話を探す事が優先だ。

「……あれ? 無い、無い……どこ……」
「ほら」

 横向きに寝ていた私の背後から手が伸びてきて、スマホが顔の前に差し出される。それを受け取り電話に出た。

「………はい、もしもし……」
『寝てた? おはよう』

 馴染みのある声。兄の篤だ。ただ、少し不機嫌そう。

「おはよう……なに、朝からどうしたの」

 友人たちと泊まりでゴルフに行っている篤は、日曜の昼過ぎにマンションへ帰ってくる予定だったと記憶している。なのに朝から電話をかけてくるなんて、何かあったのだろうか。

『佐保、お前今どこにいる?』
「どこって」

 よくよく見ると見覚えのないカーテン。どこだここ。

『GPSで確認すると、××××××ホテルって出るんだけど』

 ××××××ホテルは昨日仕事で出席したパーティー会場のあるホテルの名前だ。
 ……室内は、昨晩見た部屋だ。これはまさか、昨晩気を失ってそのまま泊まったということだろうか。
 そしてそれよりもGPSと聞こえたのは気のせいかなぁ? 帰ったら絶対問い正す。

『ホテルに泊まってるの?』

 不機嫌そうな篤の声がいっそう低くなる。

「あーうん、そう、飲み過ぎちゃって」
『…………一人?』
「そうだけど?」

 嘘だ。
 一人じゃない。
 寝ぼけていてスマホを普通に受け取ってしまったけど、私の背後に、スマホを渡した人物がいる。間違いなくだろう。
 今振り向いたら動揺しそうなので、あえて振り向かずに会話を続ける。

『……ならいい。今日は帰りの高速が渋滞しそうだから、遅くなると思う』
「わかった」

 そう言って電話を切った。
 あの口調だと篤は絶対納得していない。電話だと単にらちが明かないから追求しなかっただけで、これは帰ったら面倒そうだ、と嘆息する。

「今の、お兄さん?」

 篤も面倒だけど、背後にはもっと面倒な問題があった。
 聞かれて、私は覚悟を決めて振り向く。

 そこには、細身のチタンフレームの眼鏡をかけた一賀課長ーーーいや、芹沢七緒がいた。


芹沢七緒ホンモノだ!)


 眼鏡姿は会社でも見た事はない。
 ということは普段はコンタクトなのだろうか? と些末な事が気になる。いや今はそんな事を気にしている状況じゃないけど。

 私は慌ててベッドから抜け出た。
 一瞬だけ自分の服装を確認すると、スーツのジャケットは脱いでいて、ブラウスとスカート姿だった。
 着衣に乱れはない。
 昨晩のアレは何だったんだろう、夢? と一瞬だけ思い出すけど首を振った。違う、今はそれを考える時じゃない。
 一賀課長は昨日着ていたシャツとズボン姿で、ベッドに腰掛けてそんな私の様子を見て笑っている。



 私は昨日まで認識していなかった事がある。
 それは時間軸だ。
 私が知る、あのホラー小説の世界では、芹沢七緒は29歳だった。
 そして、おそらく芹沢七緒である一賀課長は今、27歳だ。
 会社の人間の年齢なんて逐一覚えていないけれど、これは先日瑠璃が言っていたので間違いないだろう。

 つまり、私が知っている小説と二年の差がある。
 カードキーが落ちているのを見た時点で、勝手に小説一巻目あたりだと思っていたけど、カードキーを町中佐保が拾ったという話は、二巻で武庫川晴雨と主人公の会話で出てくるだけだ。拾われたのがいつだったのかは会話では特定されていない。
 つまり一巻より前、という可能性は大いにあった。まさか二年も前とは思わなかったけど。

 小説開始まであと二年もあるのに、芹沢七緒に早くも接触してしまってどうする。
 私は密かに頭をかかえた。

「体調はどう?」

 そう聞く声は一賀課長のものだ。けれど、彼の眼鏡姿に釘付けの私にはそれがまるで別人の声に聞こえる。

「体調は……大丈夫です」

 これが前世なら一晩寝ただけで復活するような薬などないだろう。そもそも自白剤的な薬って所持しただけで違法だったような?
 今世ここがある意味ファンタジーだから出来る薬なのかもしれない、なんて考えると本気で恐ろしい。

「良かった。昨日の薬は悪夢を見やすいやつだったから、効きすぎてしまったようで悪かったね」

 謝るところは絶対にそこじゃない。
 とたんに一賀課長に対する警戒感が高まる。眼鏡をしているから余計にだ。

「それで聞きたいんだけど、なぜ俺がだと知っていたのかな」

 ものすごく普通に聞いてきた。
 それはまるで、突然質問を投げつけて動揺させ、私の一挙手一投足からわずかな情報を引き出そうとでもするようだ。表情は穏やかだけど、眼鏡の奥の眼は鋭い。


「芹沢七緒の名前を知っていただけで、課長の事だとは知りませんでした。顔も知らなかったし。……それに、同じ名前だと最初から知っていたら警戒してパーティーなんて一緒に行っていません」

 そう言うと、一賀課長の眉間が寄る。
 え、何か変な事言った? 
 大切な事だからもう一度言おう。

「課長の名前が、七緒だなんて知らなくて」
「俺は知ってたけどね、君の名前」

 いえ、私の名前なんてどうでもいいんですけど。モブですし。
 この人、意外に負けず嫌いなのか。

「君に俺の名を教えた人間は、君に何を教えた?」
「何を……というと?」

 私の言葉に一賀課長は少し考えてから、長い指をパチンと鳴らした。
 すると、部屋の天井のライトが一つ、パン! と音をたてて割れた。

 まさかの超常現象を目の当たりにして、密かに感動する。なんだっけ、サイキックって言うの?
 武庫川晴雨はこれと同じ力で建物壊したりするんだっけ。なんて凄まじい……怖っ。

 もう一度指をパチンと鳴らすと、今度は蝶のような、光をまとったフワフワしたものがどこからともなく一羽やってきて、私の周りをひらりひらりと舞う。

 小説の中で出てくる、芹沢七緒が伝言を伝えるのに使う式だ。現代では電子メールが主流で連絡手段としてはあまり出番はないらしいが、電波のない場所では使えるのだ。
 というのも、物語の進行上、小説の中では主人公たちは頻繁に圏外の場所に出向いていたから、この蝶の出現率は高い。

 この式は術者の好みで色々な形に擬態出来る。他の術者から見た時に、差出人を分かりやすく判別するためで、芹沢七緒は蝶の形で武庫川晴雨は、蛍(というかただの球体)だった気がする。

「……本当に課長は、芹沢七緒なんですね」

 蝶を見つめながら思わずそう言うと、一賀課長はなぜか微妙な顔をして私を見ていた。

「君は、怖くないの?」
「おばけとか幽霊よりは、ぜんぜん」
「……たいして変わらないんじゃないかな」

 そう言う一賀課長に対して、私は全力で首を振る。
 この世界で私が一番怖いのはだ。それはつまり幽霊などのオカルトであって、照明を壊すようなサイキッカーの事ではない。
 力の出どころがはっきりしている、いわゆる小説で言うところの『術者』をすごいと感じても、怖くはない。実際目で見てもやはりそうで、式の蝶なんてとても綺麗で怖さは一欠片も感じなかった。

 私が武庫川晴雨を怖いと感じるのは、サイキッカー的な要素よりもオカルト要素を含んだ人物だからだ。準主役なのに、考えていることがイマイチ分からないのも理由かもしれない。

「……私も質問していいですか?」

 私の言葉に一賀課長は目でその先を促す。

「わざわざ私に薬を盛らなくても、一賀課長ならば知りたいことくらい私から聞き出せたのでは?」

 芹沢七緒といえば対象者になんらかの術を使って情報を引き出す、というやり方がセオリーだ。それでも欲しい情報が得られなければ薬を盛って吐かせる、というのが最終手段だったはず。小説そのままであればだけど。


「君にはエンミが効かなかったから、薬を使ったまでだ」
「エンミ?」
「例えばこんな風に」

 ベッドをはさんで向こう側にいたはずの一賀課長が、いつの間にか回り込んで近くに来ていた。そうして、私の顔をのぞきこむ。

「目を合わせれば一瞬で、君の意識を奪って思い通り…………のはずなんだけどね?」

 見つめられると、言われて初めて気がつく程度の妙な違和感はあった。少しボーっとしたけど、それだけだ。

 そして、エンミという言葉を理解した。
 どこかで聞いたか、あるいは本を読んで知っていたか。なんにしろ小説ではその言葉が出ていなかったのは、本筋とは関係ないからだからだろうか。

 エンミとはーーー魘魅えんみ

 ーーー確か、まじないや呪う、みたいな意味があったような。
 え、私、呪われた?
 そう聞くと、一賀課長は不適切な術を使う総称だと教えてくれた。一応、彼の中でもこれは不適切、という線引きはあるらしい。

「部署も違うし話をする機会もあまりないから、じっくり術をかけるなんて事は会社では出来ないしね。だから金曜日に君に接触した。……携帯やスマホの電源を落とすのは、意外に簡単なんだよ」

 ということは、都合良く調子がおかしくなったスマホは、一賀課長のせいだった?

 映画でも、幽霊の登場するシーンで、部屋の照明の電気が切れたりする。そういったものはあくまで演出のひとつだけれど、実際、霊的なものは電気系統に影響を及ぼしやすい。そして同じように、術者も電気とは相性がいいーーーと小説に書いてあった。
 するとさっきの部屋の天井のライトが割れたのも、電気を逆流させて割った、とかそんな所だろうか。

 スマホさえおかしくならなければ、と思っていたけど、それこそが罠だったなんて。

「パーティーを口実にするなら、二人だけでいてもおかしくないし、いつでも術をかけられるし。結果的には薬を使う事になったけど、ホテルならばと俺がそのまま泊まっても不自然はないだろう?」

 まさか最終的に薬を盛る事まで考えてパーティーに連れてきたのかと思うと、薄ら寒い気持ちになる。

 陰険メガネ。

 ああ、珠名清子にそう呼ばれている理由がだんだんわかってきた……。

「……それで、課長の知りたいことは聞き出せたんですか」
「残念ながら。薬といっても強い酩酊状態になるだけだから、最初から警戒心が強い君みたいな人間には意味が無かったよ。……君のお兄さんの事は沢山聞いたけど」

 言われてみれば、兄の愚痴を話して聞かせていたような記憶がうっすらある。
 そんな風に昨晩の事を思い出していると、一賀課長はふっと笑った。

「まあ、芹沢七緒を知っているなら話が早いんだ。君は武庫川晴雨も知ってるね」

 いきなり断言するように言われて、私は目をそらした。
 知ってるもなにも、それはもっとも忌避している人物だったから。
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