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三章 地獄編
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しおりを挟む私が今日芹沢本家で泊まる部屋は、瑠璃や秘書の野口さん、それに桜子が泊まる棟とは違う場所だった。
そこは屋敷の手入れをされた庭の一番奥にあった。離れの部屋、というよりもほぼ一軒家。トイレもお風呂も付いていてこじんまりとした和風の平屋建だ。
その離れの寝所兼居間となっている部屋で、二人分の布団を敷いていた二十三時、七緒さんがようやくあらわれた。七緒さんは会社から直接こちらに車で向かったらしく、まだスーツ姿だ。
「……寝ていても良かったのに」
今日一日仕事してから田舎まで何時間も車を走らせてきたはずなのに、疲れた顔も見せずに七緒さんは言う。
「さすがに私だけ先に寝るわけには」
ちょっと眠いのは事実だけど、有休を取り一日中瑠璃と(途中からは桜子が参加して)遊んでいた手前、先に寝るのは罪悪感がある。
もちろんそれだけではない。
桜子の事を話せば、私の話を───前世という昔の私の話をしなくてはいけない。
おそらくすでに瑠璃から色々聞いているに違いない七緒さんを前に、どう伝えれば……どこから伝えればいいのか本人を前にしても未だに悩んでいた。
「四ツ谷家の彼女の事なら、円乗寺さんから聞いてる」
「そ、そうですか。……あの、毎回兄が大変ご迷惑おかけします……」
桜子こと四ツ谷玲子さんがここに来たのは、そもそも篤あっての事だ。あの『玲子様』を刺客のように使う兄が本気で怖い。というか、篤も知っているのだろうか? 玲子さんの前世───それと私の前世を。さすがに桜子だって不用意に前世の話なんて口にしないとは思うけど、兄のあの顔にコロッと騙されて何か余計な事を言っていないか不安……。
「それで、私の話は……もう何か聞いてる?」
「聞いてるって、何を?」
「瑠璃から、私の……その」
───怖い。
自分の話をするのがこんなに怖いなんて思わなかった。
過去の話をする時、過去の話を、気持ちを思い出さないはずがない。でもそれはきっと八重の気持ちで、今の私の気持ちではないはずだ。
「……大丈夫、聞くよ」
七緒さんは、敷いたばかりの布団の上に突っ立たままでいる私の手を取るとそう言った。私はその手を強く握る。
「……あの、私、……私はずっと前、生まれる前の記憶があって」
「うん」
七緒さんも手を握り返してくれる。とても温かい手だった。
「ずっと昔───私は、中村八重という名前でした。……もう瑠璃から聞いて知っていると思うけど、三国圭は八重の弟の中村道雄で……今日ここへ来た四ツ谷玲子さんは、八重の親戚の樒桜子だったの」
「そう」
「今まで隠してたわけじゃなくて、昔の事は、その、現世とはぜんぜんまったく関係無いからで……」
それに、ここが小説の中の世界だという事も知られたくなかった。前世までは信じられても、さすがにここが実は本の中の世界なんですよ、というのは皆の理解の範疇を超えてしまう気がする。
「現世とは関係無い割には、彼らはずいぶん関わってくるようだけどね」
「彼ら?」
「中村道雄君に樒桜子さん。昔の関係を、彼らが今でも引きずる理由があるんじゃないかな?」
「引きずってるかな。普通に見えるけど」
「普通 ? ……君の行くところ行くところについてくる事が? 俺の隙をつくように君を視る事が?」
行くところ行くところについてくるのは、間違いなく道雄の事だろうけど、視るってなんだろう?
どちらにしろ、七緒さんが気に障っているのはわかった。距離感の近い家族を持つと(篤を含む)、家族外に迷惑をかけている場合がある事を忘れないようにしないと。もちろん七緒さんも私と結婚している家族だけど、それに慣れろとは言えないし。
「ごめんなさい。 私からちゃんと注意するから……二人とも、ほら、一度死んでるから、ちょっと神経質になっているのかもしれないし」
正直、自分も含め皆がいつ死んだのかわからない。ただ記憶は十代しかないから、私は二十歳前あたりに亡くなったのではないだろうか。
「そう」
七緒さんはそれだけ答えると、しばらく私の顔をじっと見つめる。
「君は死んでしまって……辛くはなかった?」
「いいえ、なにも」
妙な事を聞くな? と思うものの、即答する。
前世の死んだ頃の記憶が曖昧な事もあるし、この世界に転生してやばいと思いはしたものの、七緒さんに出会えてこうして手を繋げているこの状況の方が百倍も幸せで、わざわざ過去に死んでしまってそれが辛かったかどうかかなんて振り返るはずもない。
「それに今は、その、七緒さんがいるから……」
今、私の目の前にいる夫となった人は、ネクタイに歪みもなく第1ボタンまでしっかり留めていて、そこに真面目な性が出ている。
スーツをすらっとした体型で着こなしていて、どこにいてもひとつの絵のようだし、整った顔には仕事用のチタンフレームの眼鏡がかけられていて───もはや眩しくて正直三秒以上は直視出来ない。
……前世の私が成仏したかどうかでいうと、たぶんまったく成仏していない。何故なら七緒さんを前にして、今まさに鼻血が出そうだからだ。
それになんだろう、すっごく良い香りもする…… 柑橘系のフレグランスかな? いつもそんな香りしないのに。
くんくんと嗅ぎたいのを耐えていると、頰に手が伸びてくる。そのまま顔のラインをなぞるように顎の下に伸びた人差し指は私の顔を上向きに固定する。顔に落ちてきた影に、私は目を閉じた。
「……ん、……ふ、ぁっ」
七緒さんとキスをしていると、いつの間にかいつも貪られるようなキスになる。
息を乱され、気がつくと洋服すら半分くらい脱がされていた。なのに七緒さんのスーツに乱れすらないのが癪で、私はキスをしながらネクタイに手を伸ばして緩ませる。
「ずっと俺のそばにいてくれる?」
「それ、このタイミングなら私が言うセリフじゃ……」
「そうだった」
クスクスと笑いあい、私たちは再び唇を重ねた。
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