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第二十話 『思わぬ遭遇者』
しおりを挟むエルフの長老に会って話を聞く。
そう決めてからの行動は早かった。リアラにエルフの集落までの道を案内してもらう。
道中を歩きながら、懸念点をいくつか頭の中で列挙してみた。
・まず生贄の習わしについて知っている森人には出会わない様にしなくてはならない。つまりはディアナが言っていたリカードという名前の次期長と、その側近である。
・そして長老に会うには丸腰だと危険があるかもしれない。それについては森人のナイフを持ってきてはいるが心許ないのが本音だ。
・最後に、魔虫やオオムカデに遭遇する可能性。これについてはマクガフィンが言っていた通りだとするなら、魔虫は夜が明ければ活動が緩やかになると言っていたし、オオムカデは縦穴から離れたお陰で遭遇率は高くないだろう。
今一番気をつけないといけないのは、やはり森人と遭遇する事か。
俺はリカードたちについてリアラに尋ねてみた。
『リカードですか。懐かしい名前です』
「どういう人物なんですか?」
リアラは虚空を眺めながら思い出す様に口を開いた。
『幼馴染です。私にとっては弟の様な存在でした』
つまりはディアナの親世代と言うことだろう。
「なるほど。そういえば、リアラさんは何歳くらいでディアナを産んだんですか? あ、女性に歳を尋ねるのは失礼かもしれないですけど……」
『私は森を出たのは60歳の時です。そこから夫であるゼットに出会ったのが70歳間近でしょうか。そこからですので70歳の半ばくらいだと思います』
抽象的な表現が多いのは森人が長い年月を生きる種族だからだろうか。
「旦那さんはゼットさんって言うんですね」
俺がなんの気なしに相槌を打つと、リアラは瞳を輝かせた。
『ゼットは他人種を差別する事のない心優しい人物でした。私が奴隷としてキャラバンに乗っている時に、魔獣に襲撃を受けまして。偶然居合わせたのが彼でした。その時も奴隷の私に気遣って色々と話をしてくれたのを覚えています』
伴侶の事になると随分と饒舌になるリアラ。それほど深く愛し合っていたのだろう。
ディアナの父親であるゼットは、確かディアナが物心つく前に亡くなったとの事だが。
しまった。話が逸れた。リカードについて詳しく聞こうと思っていたのに。
考えを巡らせていると、黙って側を浮遊していたマクガフィンが近づいてくる。
『兄弟。やべえぞ。なんかいやがる。だいぶ近いぞ』
マクガフィンがいつもの軽薄な口ぶりを潜めて言った。
「お前、早く言えよっ…!」
『いや、すまねえ。どうやらお相手さん、かなりステルス能力が高えみてえだ。オレ様悔しいっ!』
身をよじって悔しさを表現するマクガフィン。それを無視して俺は警戒心を強める。
マクガフィンでも近くに来るまで察知する事が出来ない相手だ。
魔虫か、はたまた森人か。
もしも森人であるならば、少なくともディアナや他の森人たちよりも腕の立つ人物である事は間違いない。
先程、一番注意すべき事柄として決めた筈なのに、警戒が足りなかった。
額に汗が伝うのを感じながら、立ち止まって目を凝らす。前方から何者かが近づいてきている。勿論森人である。
「よお。こんな所で何してやがる?」
「お前……」
姿を現したのは、俺も知っている人物だった。
「シグルス……」
「おいクソ餓鬼。森を一人で出歩くなって言わなかったか?」
俺は口籠る。いつでも逃げ出せる様に注意を払う。
生贄の事についてシグルスは知っているのだろうか。
「何だお前。人を魔虫を見るような目で見やがって」
「お前……俺を捕まえに来たんじゃないのか?」
「捕まえる? 何の事だ?」
シグルスが目を丸くする。
──その返答が表すのはつまり。
「そうか……お前は知らないのか」
ひとまず胸を撫で下ろす。しかし、だからといって目の前の人物が安全であると決まった訳ではない。
俺はシグルスの動きに注意深く視線を向けながら会話を続ける。
「どうしてお前、こんな所にいるんだ?」
「そりゃこっちの台詞だ。てめえはディアナの所にいるんじゃなかったのか?」
「まず俺の質問に答えろよっ」
俺は切羽詰まった様に声を出してハッとする。自分でも驚く程余裕が無いみたいだ。
「ちっ。相変わらず礼儀のなってねえクソ餓鬼が。俺はそもそもこの近くに住んでんだよ。次はそっちの番だ。なんで夜明けにこんな所を一人でほっつき歩いてやがる?」
近くに住んでいる、という発言を聞いて違和感を持つ。シグルスは森人の集落に住んでいるのではないのか?
「それは……」
シグルスの質問にそのまま答えるべきなのか迷っていると、彼は人の悪そうな笑みを浮かべる。
「大方、何かしでかしてディアナの野郎に追い出されたんだろ?」
ニヤニヤと笑いながらシグルスは言う。
「当たりだろ?」と続けるシグルスに、なんと返すべきか迷う。
「お前は……本当に何も知らねえのか?」
「だから何の事だって聞いてんだろ。それより、森は危ねえ。迷っちまったならディアナの所まで連れてってやってもいいぜ」
シグルスは嘘をついていない。
少なくとも真実の神とやらに背いて苦痛に悶えるような様子は見せない。
「いや、ディアナのところには帰れねえ……」
「お前……一体全体、何しでかしたんだ? まあ、それもしょうがねえか。なんせ時期が悪いのも重なってるしな」
シグルスの言葉を聞いて、俺は疑問を抱く。そういえば彼は出会った時からずっと時期という言葉を多用していた。
「時期ってなんの時期なんだ?」
「冥の月さ。言い伝えだが、俺たち森人はこの月だけは狩りもしねえし、外にも極力出歩かねえ。なんせこれまで行方知れずになった森人が数多くいるからな」
行方知らず、とシグルスは言った。
まさか。
「オオムカデの事か……畜生っ。シグルス。行方不明になった人たちが何処に行ったのか、お前は知らねえんだよな?」
「知ってたらこうは言わねえだろ。それより、お前ディアナに追い出されたなら、行く宛てはあんのか?」
「とりあえず長老に会いたいんだよ。聞きたい話がある」
「それでこんな所にいやがんのか。やめとけ。魔虫に喰われてお終いだぜ。夜とは違って奴らも幾分大人しいが、だからといって人間の餓鬼を一人食い殺すくらいわけねえんだ」
「危険なのは承知してるけどな」
シグルスの言う事も尤もだろう。もう少し警戒するべきだったかもしれない。
「まぁなんだ。ディアナの奴に追い出されたなら、俺のところに来るか? 集落で寝泊りさせんのは無理だけどよ」
シグルスの思いがけない言葉に、俺は驚愕する。
乱暴者だと思っていたシグルスだったが、意外と面倒見がいい性格らしい。
「なんだよその顔は?」
「いや、お前って俺の事が嫌いなんじゃないの?」
「そりゃ、どっちかって言ったらな。けど、集落にいる人間嫌いの奴ら程じゃねえ。あいつら、ガキでも女でもお構いなしに人間ってだけで襲うからな」
もしかして、初めて会った時、シグルスが俺に突っかかってきたのは、集落にいるであろう森人たちの溜飲を鎮める為だったのだろうか。
考えすぎだろうか。いや、いま思い返してみると、シグルスは乱暴な物言いとは裏腹に、言ってる事は至極真っ当だ。
時期が悪い、と言っていたのも彼の言っていたことと、オオムカデによって殺された人たちの関係を読み解くとナーバスになっても仕方がない。
森を一人で出歩くな、というのは字面だけ捉えるなら危険な魔虫が多くいるから警告の意味だと考えるなら合点がいく。
俺はそこまで考えてシグルスを見る。俺の事なんて気にもしてない態度だ。大きく欠伸をしている。
「それじゃ、お言葉に甘えていいか?」
長老に会って話を聞く。そう決めたが、シグルスからも何か情報が手に入るかもしれない。それに俺はシグルスの事を誤解していた。もう少しこの人物について知りたいと思った。
「ああ。寝泊りする場所は貸してやるけどよ。あんまり荒らすんじゃねえぞ」
俺は頷いて歩き出したシグルスの後を追った。
***
案内されたのは、お世辞にも綺麗とは言えない場所だった。
あれから長々と歩き、漸くゆっくりできる場所にたどり着けたのはいいが。
「おう、適当に座れよ」
「座れって言われてもな……」
ディアナの家の倉庫の方がまだマシだ。扉を開けて小さな建物に入ったはいいが、中には様々な物が散乱しており、足の踏み場がない。
俺も特別綺麗好き、というわけではなかったが、これは流石に度を超えてる。
「なんだこれ?」
俺は部屋の隅にあった木箱に入っていた鉱石を手に取る。真っ黒な鉱石は初めは木炭か何かだと思ったが、手に取ってみてその重さに認識を改める。
「そいつは起爆岩だ。魔力を与えると爆発する。この小屋くらい吹っ飛ぶから注意しろよ」
シグルスの言葉に俺は鉱石の様なそれを取り落としそうになったが、慌てて両腕で抱く。
「なんでそんな危険なものを」
「ここは俺の住処であって、作業場でもあっからな。ここにある物で色々作ったりしてんだよ。あ、そこには矢の材料があるから踏むんじゃねえぞ」
小言を聞きながら辺りを見渡すと、一見して使い道の分からない様な物や、笛などの一目で用途が知れる物もある。
「物作りが趣味なのか?」
意外とシグルスは職人気質なのだろうか。イメージとかけ離れているが。
「趣味ってか、俺はこれで人間と取引してるからな」
ディアナも人間のいる場所に行って、獣の毛皮や牙などを売っていると言っていた。エルフと言えば森で完全に自給自足の生活をしているイメージがあったが、どうやら人間との交流に関してはそこまで排他的ではないようだ。
「なるほど、な」
「それより、そろそろ事情を聞かせろよ。なんでディアナに追い出されたんだ? そんで爺に何を聞きてえんだ?」
好奇心を表情に出しながら聞いてくるシグルス。
話すべきか迷った。何せ俺が知っている森人の一面は、知らない人によってはひた隠しにされてきた事実だ。
それを俺が自己満足で破っていいのだろうか。
「まぁ、話したくねえなら仕方ねえ。それよりもお前、ディアナから何か聞かされてるか?」
「何かって?」
意外とあっさりと引いたシグルスに肩透かしを喰らう。
「ミラはもうそろそろ別の集落に行く事が決まってるからな。昔っから病弱でよ。他の集落に行けば治療できる森人がいるらしいんだわ。長く離れ離れになるってのにディアナの奴、ミラのことを避けてやがんだよ」
シグルスの言葉に、俺は口籠る。
シグルスはそう聞かされているのだ。多分、ミラも同じだ。
それを聞いた瞬間、俺はやるせない気持ちになった。
「──おい? クソ餓鬼どうした?」
「クソ餓鬼じゃねえよ……俺には槙島千秋って名前がある」
「マキシマム?」
「二番煎じはやめろっ!」
俺はシグルスを見る。何も知らない彼のことを。
知らないままの方がいいのだろうか。何もかも知りたがった俺と違って、彼はこのまま何も聞かされないままでいた方が幸せなのかもしれない。
「ったく。それにしてもディアナの奴も無責任な奴だぜ。自分で保護するとかなんとか言ってたくせに、気に入らなかったら投げ出すなんてよ。お前も災難だったなぁ?」
その言葉を聞いて、俺は苛つく。
──何も知らないくせに。
「……」
だが、言葉にならなかった。それを責める事はできない。俺だって何も知らないのに、あの時、感情だけでシグルスを罵った。
そう考えると知らないままというのは酷く残酷な事なのではないか。
彼は嫌っている俺にさえ、こうして世話を焼いてくれる。先程から話してみると、俺の持っていたイメージとは大分違っていた。乱暴な雰囲気もあるが、柔和な一面も持っている。
こうしてディアナの事を悪く言うのも、不器用ながらに俺を励ましてくれてる様に感じる。
それを知ったことで、俺は第一印象だけで人を推し量った事を後悔する。
「シグルス。あのさ。お願いがあるんだけど」
シグルスは目を丸くした。俺自身、なぜ彼に突然こんな話をしようとしているのかはわからない。だが、何となく確信があった。
「──俺を長老の元に連れて行ってくれないか?」
俺は頭を下げる。彼が今、どんな表情をしているのかはわからない。
シグルスからすれば、俺は嫌いな相手だ。そんな奴の頼み事を聞くなんて、俺からしたら考えられない事だ。
だが、シグルスや、ディアナは違う。彼ら森人は俺とは違う。
彼は俺の頼み事を断らない。何故だかそう思った。
「いいぜ」
その返答に、俺は顔を上げる。
シグルスは何の気負いも無しに、自分の弓の手入れを始めている。
「いいのか?」
再度尋ねる。
彼は俺が森人の集落に行く事を望んでない筈だ。長老に会うというのは、それと同義である。
「お前が頼んだんだろ。なんの事情があんのかは知らねえが、そんだけ切羽詰まった表情で言ってくるなら仕方ねぇ。まあ、てめえが何かしでかした時に、一瞬で処理する事くらい訳ねえからな」
言っていることは物騒だ。つまり、俺が何らかの企みを持っていたなら殺す。そういう事だろう。
それでも俺は上げた頭をもう一度下げた。
「ありがとう」
思わず口をついて出た言葉に、シグルスはフンと鼻を鳴らす。
「そのかわり。ディアナと何があったのか聞かせろよ」
「まあ……それは長老に詳しい話を聞いてからになるけど。お前は知るべきだと思うから話すよ。今は無理だけどな」
「知るべき?」
「とりあえず時間がねえんだ。長老のところに連れて行ってくれ」
訝し気な表情のシグルスに心の中で謝る。今この場で俺が一連の事情を話しても穴だらけだ。知らない事や、まだわからない事が多くある。
例えば首元にあるこの石のこと。どうしてオオムカデがこの石を守護しているのか。そして森人が何故、この森に移り住んできたのか。
全て納得いく説明が出来るようになってから話すべきだ。
シグルスは壁に立てかけてあった槍を手に取る。先端が二又に分かれていて、その鋭い二対の穂先は、見るからに殺傷能力が高そうである。
それを背中に背負い、弓を肩に担ぐ。彼が森を歩く時の装備なのだろう。
「うっし。じゃあ俺に着いてこい。遅れやがったら置いてくからな」
「お手柔らかに頼むぜ。なんせ俺は自他共に認める貧弱高校生だからよ」
外に出ると太陽が上がってきている。この太陽がもう一度沈む時、ディアナは死ぬ。
俺は黙っていたマクガフィンとリアラに目配りすると、先を行くシグルスを追って歩き始めた。
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