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第七話 『生い立ち』

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 集落の出入り口を前に、俺たちは見知った顔を発見して足を止める。向こうは俺たちを探していた様で、目が合うと小走りで近づいてくる。

「ディアナお姉ちゃん!」

 それはシグルスの妹であるミラだった。彼女は目の前まで走ってくると、少し息を切らせて言った。

 ディアナとは違って体力が無い子なのだろうか。

「もう行っちゃうの? もう少しいればいいのに」

「ミラ。私もやらねばならない事がある。申し訳ないがまた今度だ」

 ディアナは柔らかい表情を浮かべた。俺の前では見せたことも無い微笑みを浮かべ、彼女は目の前の少女の頭を撫でる。

「もう、久しぶりだっていうのに。あ、そういえばさっきは兄さんがすみません」

 ディアナの隣に立っていた俺に、ミラが頭を下げる。

「いや、此方こそなんかお兄さんの逆鱗に触れちゃったみたいで。ミラちゃん? が謝らなくてもいいよ」

「ありがとうございます。そういえばお兄さんはなんていうお名前なのですか?」

「俺はま……千秋って言うんだ。呼び捨てで構わないよ」

 苗字まで言おうとして、長老との会話が蘇る。

「チアキさんですね! わかりました。私はミラです。同じ森で暮らす身としてよろしくお願いしますね」

 花が開く様な笑顔を浮かべるミラ。

 幼女趣味はなかったが、その棘の無い態度に俺は感動して涙ぐむ。

「ど、どうされましたチアキさん!?」

「いや、ごめん。なんか尊いなって」

 オロオロとしている様は兄のシグルスとよく似ている。この世界に来てから、人の優しさに触れた経験が皆無だった俺は、純粋な善意に心から感激する。それが社交辞令であったとしてもだ。

「よし。ミラちゃん。俺の事はチアキお兄ちゃんと呼んでくれていいんだゼっ!」

 俺は涙を拭って、鼻下を擦ると意気揚々と言った。

「いえ。それは遠慮しておきます」

 真顔で却下された俺は口をあんぐり開けたまま絶句した。そんな俺を見て、ディアナは最早恒例となったため息をつく。

「下らない事を言ってないで早く帰るぞ」

「また来てねディアナお姉ちゃん。兄さんも口ではああ言ってるけど、久しぶりに会えて喜んでる筈だから」

「ああ……。またな」

 踵を返したディアナは、未だに放心状態の俺の頭を叩く。

「いてっ!」

「なに惚けてるんだ。さっさと帰るぞ。お前には薪を割ってもらう仕事がある」

「あんまり頭叩かないでくれる? 馬鹿になったらどうすんの?」

「それ以上に下があるのか?」

 ディアナの毒舌に先程とは別の感情で泣きそうになりながら俺はミラに手を振った。集落を抜けるまで此方に手を振り返してくれるミラに顔が綻ぶ。

「いやぁ。ミラちゃん可愛いなぁ。それにしても、あんだけ純粋な笑顔を向けてくれるという事はもしかして俺の事っ!?」

「ミラはあれでもそろそろ百歳を超える。あまり失礼な態度は取るなよ」

「まさかの一世紀!? 逆の方で歳の差開きすぎだろ!?」

 俺が小声で百歳、と呟いているとディアナはぴくりと耳を動かす。

「ディアナさんや。センサーが動いてますよ」

 長い耳が猫のように動く様を見て、俺は思わず老婆の様な口ぶりになってしまった。長い耳が上下に揺れ動くのは、何とも言えない感動がある。

「せんさあ? よくわからないがそこで止まれ」

 俺は疑問を浮かべながらもその場で静止する。

 すると、頭上の木から何か大きな物が降ってきた。

「な、なに!? 敵襲!?」

 俺は慌てて仰反ると、上から降ってきた人物を見る。

「うげっ」

「シグルス。何の用だ。最早長に話は通した。お前に何か言われる筋合いはない」

 姿を現したのは先程妹に連れてかれたシグルスだった。僅かに釣り上がった目と、整った顔立ちは知識人めいた印象を受ける。だが、全体的に剣呑な雰囲気がそれを台無しにしている。

「そこの人間はもうどうでもいい。それよりディアナ。俺はてめぇに用があんだよ」

 シグルスは不躾に指を指す。

「どうでもいい? お前はあれ程反対していただろう。何故だ?」

「ふん。人間が我が物顔で森をうろつくなんてのは、確かに鼻につくけどよ。長が言うならしゃあねえ。大目玉は俺も食らいたくはねえからよ」

「さっき既に吹っ飛ばされてたけどな……」

「あぁ!?」

 俺はたじろぎながらも先程のシグルスの醜態を目にしているからか、強気に鼻を鳴らす。ディアナの後ろに隠れながらだが。

「いちいち恫喝するな。それで、私に何の用だ?」

 ディアナが問いかけると、シグルスは舌打ちをして言った。

「俺が聞きてえのは一つだけだ。──なんでか知らねえがお前、最近ミラの事を避けてやがんだろ?」

「何のことだ……?」

「惚けてんじゃねえ。俺の耳の良さは知ってんだろ? ミラがてめぇに逢いに行く時に、いつも姿を隠してんのは知ってんだよ」

「そうか」

 ディアナは隠す気も無いのか、核心を突かれた様に押し黙る。

「なんで意図して避ける様な真似をしやがる? あいつにはもう時間がねえんだぞ。てめえを慕ってくれる奴もてめえにとっては邪魔だってのか? やっぱ"半分"だと情も無くなっちまうか?」

 シグルスが鋭い目つきでディアナを詰めるのを見て、俺はなんとも言えない気分になった。目を伏せたディアナは俺が昨日から見ていた姿とは全く別物だった。

「おい待てよ。なんの事情があんのか知らないけどそんな強く言ったらディアナが可哀想だろうが」

「人間のクソ餓鬼は黙ってろ!」

「っ! 餓鬼でも分かるくらいあんたの言い方は横暴だって言ってんだよ! もうちょい優しい言葉使えねえのか? てか、話を聞いてればミラちゃんミラちゃんって。お前シスコンかよ!」

 悲しそうな表情を浮かべるディアナが見ていられなくなって俺はシグルスに言い返す。

「てめぇ……」

「人には人の乳酸き……いや、違うわ。人には人の事情ってもんがあるだろうがっ。それをディアナがはなっから悪いみてえに言いやがって」

 喋っている内にどんどんと気が大きくなっているのに気づいてはいたが、止められなかった。

「別に……一言も悪いとは言ってねえだろうが。意味わかんねえ事ばっか言いやがって。そもそもてめえは無関係だろうが」

「無関係じゃねえだろ。言っちまえばディアナは俺の保護者だぞ。つまり俺の母親みてえなもんだ。母ちゃんが悪く言われてるの見て黙ってられるかっ」

 自分で言っていて、それは無理があるだろうと思ったが、とりあえず今は押し黙らずに言い返す事が大事だと思った。

「訳わかんねえ奴だな……ったく。とりあえずなんか事情があんならミラにちゃんと話しとけよ。今日は一先ずクソ面倒くさえ餓鬼がいるから引いてやるけどよ」

「ああ。ミラにはいずれ話す」

 ディアナの言葉に満足したのか、シグルスはため息をついて頭を掻いた。

 そしてその目に俺の姿を捉える。

「おいクソ餓鬼。てめえは後で覚えとけよ。せいぜい森では一人で行動しねえこったな」

 鋭い視線を向けられ、足が震えた。が、俺は踏ん張って言い返す。

「余計なお世話だっつうの。俺は自他共に認める貧弱ゆとり高校生だぞ。誰になに言われてもディアナにひっついてくぜ」

 シグルスは呆れた様子だった。興が削がれたのか、興味を無くした様に集落へと歩いていく。その背中にディアナは弱々しい視線を向けていた。

「ったく。なんだってんだよアイツ。まるで獣だぜ」

 俺はシグルスがいなくなったのをいい事に文句を漏らす。実際シグルスを目の前にしたら言えないだろう。ファーストコンタクトのせいで恐怖心が刻み込まれている。

「ほら? さっさと帰ろうぜ、っと。道わかんねえわ」

「ああ」

 心ここにあらず、といった表情のディアナが歩き出したのを後ろからついていく。

 そのまま何となく空気が重い気がして、会話も無く帰路についていたが、今まで押し黙っていたディアナが唐突に口を開いた。

「さっきは済まないな」

 出会ってから初めて謝罪を口にしたディアナに、俺は仰天して足を止める。

「いや、てか別に謝られる事は……」

「私は半分だ」

「半分?」

 そういえば先程もシグルスが言っていた。

「ああ。私はエルフと人間の間に産まれた」

「へえ……」

「見ろ。私はそのせいで髪の毛が白くなっている。他の森人たちとは違う」

「そういえば他の森人たちは皆綺麗な金色の髪の毛だったな。長老を除いてだけど」

 ディアナの髪の毛は金、と言うよりも銀色に近い。陽を浴びると金色に見えなくも無いが、暗い場所で見ると白色が強く見える。白金色と言うのが一番近い。

「集落の者たちの中には、混じり物と呼んで他人種との間に産まれた者を嫌う者たちもいる」

「そっか。まあ……俺にはよくわかんねえけど」

「元々私の母親は集落を出て人間の街に行っていた。その際に奴隷にさせられて人間の間で売買されてきた」

 いきなりどぎつい話題を聞かされて俺は表情が固まる。

 異世界ファンタジーならではだが、まさか奴隷までいるとは。

「奴隷となった母を買ったのが人間だった私の父親だ」

「それは何というか……」

 壮絶な生い立ちを聞いて、俺は言葉に詰まる。

「憐む必要はない。父親は顔も知らないが出来た人間だった。奴隷となった私の母親を解放して、生まれ故郷であるこの英霊の森で二人で暮らす事を選択した」

「優しい人だったんだな」

「エルフを奴隷にする為に身を拐う人間は多い。その人間たちは密猟者と呼ばれている。昔よりも減ってきてはいるがな。だから年齢を重ねたエルフ程、人間を嫌っている者が多い」

 ディアナと初めて出会った時、あれ程警戒心を露わにしていたのはその様な理由があったのか。

「今、両親は? 父親の顔を見た事がないって……」

「物心つく前に父親は亡くなったと聞かされている。母親は病で亡くなった。今住んでいる場所は、父親が建てた物だ。いつか三人で暮らす為にな」

「そっか。ごめん。デリカシーが無い事聞いちまったな」

「言った通り私は森人にも、人間にもなり切れない。中途半端な存在だ」

 自嘲する様に告げたディアナに、俺は何も言うことが出来なかった。

 そもそも何も知らない俺では、落ち込んでいるであろうディアナを励ます言葉が浮かんでこなかった。気休めで何かを言うことは出来たかもしれないが、それもまた違うと感じた。

「だが、だからこそ。私にとって偏見の目を持たないミラは何にも変えがたい大切な存在だ。私はあの子を守る為ならなんだってする」

 決意を新たにした様に、ディアナは沈んでいた瞳に力を宿す。

「どうして出会って一日のお前に、こんな事を話しているのだろうな」

「あー。なんていうか、俺は」

「──何も言うな。……さあさっさと帰るぞ。お前が思っていたよりも歩くのが遅いせいで、これじゃ着くまでに夜になってしまう」

 ディアナはそれまでの暗い空気を吹き飛ばす様に空元気にも見て取れる表情で言った。

 俺は口をついて出そうになった発言を飲み込む。そして、歩き出したディアナの背中に返事をした。

「もうちょい手加減してくだせぇ」

「却下だ」

 足取りの軽くなったディアナについていく。出自を聞いて、ディアナがどうして自分の面倒を見てくれると言ったのかが少し理解できた気がした。

「ふぅ。まあ人間も捨てたもんじゃないって証明しないとな……」

 彼女はきっと、自分が人間なのかエルフなのか、という葛藤に常に苛まれて来たのだろう。その結果、森人として生きていく事を決めた彼女だが、俺を助けてくれたのは彼女の中に眠るもう一つの血がそうさせたのかもしれない。

「何を言ってる。さっさと歩け」

 ディアナの言葉に背中を押されながら、俺は疲れた足に喝を入れて先を急いだ。
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