上 下
2 / 23

第一話 『昼蜘蛛は縁起がいいのでは?』

しおりを挟む

 目を覚ました時、俺は大の字で仰向けに転がっていた。

「うへ、え、あ?」

 飛び起きて、自分の体を確認する。両手で腹部や、胸部を弄ってみるが何も異常はない。

 つまり怪我をしていない。

 だが、着ていたTシャツとデニムが異様にズタボロになっている。

「う、おえ!」

 辺りを見回すと、まるで血液の池の様な物が出来上がっていた。その血溜まりから鼻をつく様な生臭い香りが漂っている。

 思わずえずいた俺は地面の血溜まりに両手をついて嘔吐した。だが、胃に内容物が入っていないのか、粘っこい唾液だけが吐き出される。

「う、はぁはぁ」

 慌ててその場から離れる。

 さっきのアレはなんだったんだろう。

 俺は間違いなくB級映画さながらのどデカイ昆虫共に生きたまま喰われた筈だ。

「夢……?」

 自分で口に出してから疑問が浮かび上がる。

 ──ならどっからどこまでが夢で、どっからが現実だ?

「この森にいるって事はここが異世界なのは間違いないよな……」

 公園の入り口に走っていて、視界を開けたら真っ昼間の森の中。

 立ち上がって辺りを見回しても、やはりついさっきいた森の中で間違いない。

 そこまで考えて嫌な光景が頭によぎった。喰われる前に視界に映っていた化物の顔がフラッシュバックする。

 複眼を機械的に揺らしながら咀嚼するアリの姿。それを思い返して体が否応なく恐怖に震える。

「とりあえず離れねえと……」

 ここに留まるのは危険だと思い、とりあえずは森を抜けるために歩き出す。

 だが、随分と先が見えない。背の高い木々が立ち並んでおり、先程の開けた場所とは違い進むにつれてどんどんと薄暗くなっていく。

「はぁ、はぁ」

 三十分くらいは歩いただろうか。依然として辺りには目立つ物も無ければ人の気配もない。

「異世界召喚っていうと、こういう時に誰かの悲鳴とかが聞こえてきたりするんだけどな……」

 多分これは一種の願望の様な物だ。

 先程の恐怖体験のせいで、随分と独り言が多くなった気がする。孤独感で押しつぶされそうだ。

「てか、さっきのあれはなんだったんだ。未来予知とか、そういうのか?」

 手のひらで地面をついた時に付着した血液。それを見やる。

「でも未来予知とかだったら、あれだよな。あの血痕はなんだって話になるし……」

 腕を組んで思案する。少しでも冷静に振る舞わないと気が触れてしまいそうだった。

「こうなりゃ最後の手段。誰かー! 誰かいませんかー!」

 森の中で大声を上げる。

 もうこの際だ。体裁とか、テンプレートとか度外視だ。ひとまず他の人間と出会わない事には何も始まらない。

 そのまま長い間叫び続けていたが、一向に声は返ってこない。帰ってくるのは痛ましい沈黙のみだ。

「……いってえ」

 スニーカーはボロボロで履けた物ではなかった。今は靴下のみだ。それでも歩みを進めるごとに、鋭い小石や、尖った木の枝が足の裏に突き刺さる。

「はぁ、なんだってんだよ。ナビゲーターっぽい奴とかいねえのか?」

 また独り言を繰り返してしまうが、そこである事に気がついた。

「……そういえば、こういう時ってスマホに何か特殊な機能が備わってたりするよな? あれ? もしかしてそれ系のやつ!?」

 すぐにポケットを弄る。スマホが入っていた右側のポケットはどうやら無事だった様で、寧ろ今まで気づかなかった事が奇跡な程に、その物質は重みと期待感を俺の手にもたらした。

「やったっ……! これで、これでやっと進展が!」

 とりあえずは先程のスプラッタ現場からある程度は離れる事ができた。

 俺は近くにあった木の根本に腰を下ろす。

「頼むぜ……」

 そしてボタンを押してスマホを起動する。

「特に変化はねえな……」

 何度押しても変わりはない。いつもと同じだ。起動しなくなったまま放置されている膨大なアプリケーションがあるだけで、変化は見られない。

 いや、一つだけ変化はあった。

「圏外……」

 携帯料金の未払いをした事はない。それに他に端末の機能におかしな所は見当たらない。

「いや、まあ、な。わかってたけどな。 異世界なんだから圏外なのは理解してたけど……え? 何にもないの!? これで終わり!?」

 俺は携帯をスクロールさせて、何か変な所は無いかと事細かに観察する。

「……やってられっかこんなの! ふざけんな! チートの一つや二つ貰わなきゃ割に合わねえってんだよ!」

 苛立ちと焦燥感で、寄りかかっていた木を蹴飛ばす。

「あ?」

 すると何かが頭上から降ってきた。それは高い所にある枝からブラブラと紐の様な物でぶら下がっており、バレーボール大の毛玉の様な物だった。

「?」

 近づいて何なのかを確認しようとした。

 そして理解する。

 毛玉の様だと思っていたそれは、木の枝から糸でぶら下がっている巨大な蜘蛛だった。脚を丸めた姿は、図鑑で見たタランチュラによく似た姿をしている。

 もっとも、サイズは桁違いだが。

「え? ちょ」

 その蜘蛛が、木に脚をつけると此方に表情を向ける。

 二つの水晶の様に大きな目がこちらを捉える。それに連なる様に斜めに幾つもの小さな目が並んでいる。

 まるで時間が止まった様な感覚だった。

 昔テレビで見たヤシガニを彷彿とさせるサイズ。鋭く尖った口元の牙。毛むくじゃらの体。連なる目。表情の無い顔。

 ──声を上げてはいけない。

 俺は緊張感からぎこちない動きで木から離れる様に後退する。

 だが、その蜘蛛は木をスルスルと軽快に降りて地面に着地すると、こちらが動いた分だけ距離を詰めてくる。

 頬を汗が伝う。

 蜘蛛の足元がぴくり、と動いた瞬間、俺は脱兎の如く駆け出した。

「うわぁぁぁあ!! 助けてえぇ!!」

 もはや恥も外聞もない。そもそもこの森には人がいるのかも定かではないが、叫ばずにはいられなかった。

 駆け出した俺の肩に、僅かに重みを感じた。

 蜘蛛が乗っている。

「ひいい!」

 俺は手でそれを振り払う。そして、蜘蛛が体から離れると同時に肩に刺す様な痛みが走った。

 引っかかった蜘蛛の牙によって、肩口に盛大に裂傷が出来ていた。

 だらだらと腕を伝って流れ落ちる血液。

「……いてぇ」

 今もなお、走る自分の後方より捕食者が迫ってきているのがわかる。

 もちろん振り向く余裕など無いが。

「いい加減に、あきらめろやっ……」

 短くない逃走劇で足に疲れが溜まってきているのがわかる。靴下のまま走った足の裏は、見るのが怖くなるくらいに痛みと痺れを訴えている。

 ──こういう定番物だと身体能力が上がってたりするもんじゃないのか。

 納得の行かない状況に頭の中を支配するのは混乱だった。

「うう、うぷっ」

 不意に視界が揺れた。疲れ、とはまた別の違和感を覚えた。何故か踏み出した足の感覚が随分と薄くなっている。

 麻痺毒、という単語が頭に浮かび、ぞっとする。

 無我夢中で走っていたせいか、大きい木の根っこに足が引っかかった。

 転倒した俺は立ち上がろうと地面に手をついた。だが、ジワジワと感覚が無くなっていく手足には思うように力が入らない。

 後方からパタパタと地面を走る音が聞こえてくる。

「あう、あ」

 喉が閉じてしまった様に声が出ない。僅かに残る体力で後ろを覗き見ると、あの蜘蛛がこちらを見つめている。食事の前に食器を舐める様に、自らの牙を長い脚で撫で付けている。

 どうやら毒が回るのを待っている様だ。一定の距離を保ったまま観察している蜘蛛から逃げるために、身体を地面に擦り付けながら動く。

 恐怖と苦しさで涙が溢れてきた。

 ──なんで俺がこんな目に。

 意識が遠のいていく。体全体の感覚はとっくのとうになくなっている。

 ──誰か。誰でもいい。助けてくれ。

 意識を失う前に霧がかる視界に映ったのは、蔦で編まれた様な靴を履いた真っ白な足だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】

ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった 【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。 累計400万ポイント突破しました。 応援ありがとうございます。】 ツイッター始めました→ゼクト  @VEUu26CiB0OpjtL

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

チートがちと強すぎるが、異世界を満喫できればそれでいい

616號
ファンタジー
 不慮の事故に遭い異世界に転移した主人公アキトは、強さや魔法を思い通り設定できるチートを手に入れた。ダンジョンや迷宮などが数多く存在し、それに加えて異世界からの侵略も日常的にある世界でチートすぎる魔法を次々と編み出して、自由にそして気ままに生きていく冒険物語。

エラーから始まる異世界生活

KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。 本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。 高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。 冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。 その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。 某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。 実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。 勇者として活躍するのかしないのか? 能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。 多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。 初めての作品にお付き合い下さい。

異世界漂流者ハーレム奇譚 ─望んでるわけでもなく目指してるわけでもないのに増えていくのは仕様です─

虹音 雪娜
ファンタジー
 単身赴任中の派遣SE、遊佐尚斗は、ある日目が覚めると森の中に。  直感と感覚で現実世界での人生が終わり異世界に転生したことを知ると、元々異世界ものと呼ばれるジャンルが好きだった尚斗は、それで知り得たことを元に異世界もの定番のチートがあること、若返りしていることが分かり、今度こそ悔いの無いようこの異世界で第二の人生を歩むことを決意。  転生した世界には、尚斗の他にも既に転生、転移、召喚されている人がおり、この世界では総じて『漂流者』と呼ばれていた。  流れ着いたばかりの尚斗は運良くこの世界の人達に受け入れられて、異世界もので憧れていた冒険者としてやっていくことを決める。  そこで3人の獣人の姫達─シータ、マール、アーネと出会い、冒険者パーティーを組む事になったが、何故か事を起こす度周りに異性が増えていき…。  本人の意志とは無関係で勝手にハーレムメンバーとして増えていく異性達(現在31.5人)とあれやこれやありながら冒険者として異世界を過ごしていく日常(稀にエッチとシリアス含む)を綴るお話です。 ※横書きベースで書いているので、縦読みにするとおかしな部分もあるかと思いますがご容赦を。 ※纏めて書いたものを話数分割しているので、違和感を覚える部分もあるかと思いますがご容赦を(一話4000〜6000文字程度)。 ※基本的にのんびりまったり進行です(会話率6割程度)。 ※小説家になろう様に同タイトルで投稿しています。

クラス転移で神様に?

空見 大
ファンタジー
空想の中で自由を謳歌していた少年、晴人は、ある日突然現実と夢の境界を越えたような事態に巻き込まれる。 目覚めると彼は真っ白な空間にいた。 動揺するクラスメイト達、状況を掴めない彼の前に現れたのは「神」を名乗る怪しげな存在。彼はいままさにこのクラス全員が異世界へと送り込まれていると告げる。 神は異世界で生き抜く力を身に付けるため、自分に合った能力を自らの手で選び取れと告げる。クラスメイトが興奮と恐怖の狭間で動き出す中、自分の能力欄に違和感を覚えた晴人は手が進むままに動かすと他の者にはない力が自分の能力獲得欄にある事に気がついた。 龍神、邪神、魔神、妖精神、鍛治神、盗神。 六つの神の称号を手に入れ有頂天になる晴人だったが、クラスメイト達が続々と異世界に向かう中ただ一人取り残される。 神と二人っきりでなんとも言えない感覚を味わっていると、突如として鳴り響いた警告音と共に異世界に転生するという不穏な言葉を耳にする。 気が付けばクラスメイト達が転移してくる10年前の世界に転生した彼は、名前をエルピスに変え異世界で生きていくことになる──これは、夢見る少年が家族と運命の為に戦う物語。

性転換スーツ

廣瀬純一
ファンタジー
着ると性転換するスーツの話

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

処理中です...