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第六章 グッバイ、旦那様。

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 少し休みたくて、真新しい家具に囲まれたまま眠りについた。明日仕事だとか、何時に起きなくちゃとか私を拘束するものは何ひとつない。目覚ましも掛けずに、身体が求める分だけ休もう。


(がたた)
 物音にため息をつきながら目を開ける。ここは一階ではなく二階で、しかもオートロック付き。音のするベランダに視線をやってから、ぞっと体中に鳥肌が立った。カーテンの向こうで何が起こっているかなんて、恐ろしくて見れるはずがない。

(コンコン)
 窓がノックされる。礼儀正しい犯人は、泥棒か変態か。ここに長年住んでいるけれど、これまで一度もこんなことなかった。どうして帰ってきたその日にこんなことが起こるのよ・・・、神様の意地悪。

(コンコン)
 再度叩かれて、これは泥棒が行う不在確認だと確信した。泥棒に入る前にピンポンダッシュするとか聞くし。私がどう戦えばいいの? どうしたら・・・。恐怖で涙が込み上げてきて、布団を手繰り寄せる。怖い、怖いよ。

「__ん」

 何か喋っている? カーテン越しに耳を澄ます。

「亜子ちゃん」

 私の名前、知っている。いいや、違う。この声を知っている。そう思った途端にバクバクと、更に心音が速まった。それもそうだ。だって・・・

「匠くん」

 ぽそりと呼んだ。自分の声が心に沁み込んでいって、私の決意なんてあっさりと崩れ落ちてしまいそう。どうやって登ったのとかどうして来たのとかそんなのどうでもよくて、匠くんがここにいることが嬉しくて仕方ないの。

(がたっ。キューッ、トン)
 私の名前を呼ぶ声が止まってしまった。それでも感じる、匠くんの存在に自然と手が動いていた。シャっとカーテンを開くと、窓にもたれて座っている匠くんの背中が見える。この寒空にコートも羽織らずに、スーツ姿のままで寒いはずなのに。カーテンが開いたことに気付いていない様子で、匠くんは夜空を見上げていた。

「好きです」

 そう呟いても、この声は届かない。それで構わないの。

「どうしようもなく、好きです」

 口に出せば出すほど、思い知るのはわかっている。でも止められなくて。今だけ、どうか許してください。


「亜子ちゃん」

 そう呼ばれて視線を上げると、変わらず匠くんの背中が見えるだけだった。

「好きだ」

 ガラス越しに聞こえる、少しくぐもった匠くんの声。私もそうだと、後ろから思い切り抱き着きたい。私の名を呼ぶ唇に触れたいよ。

 でも、だめ。


 今度は私のほうから、コンコンと二度窓をノックした。弾かれたように振り返った匠くんが私を見て泣きそうに笑うから、つられてしまわないように太ももに爪を立てる。

「亜子ちゃん」

 出来るだけ冷たい顔をして見せる。感情を見せないように、唇は横に結んだまま。

「何しに来たの?」

「約束、守りに来た」

「そう。なら言う。私は貴方に裏切られたこと、絶対に許さないよ」

「それは・・・僕が、一生をかけて償う」

 そんなプロポーズみたいな言葉言わないで。

「結構です。もう忘れるから。二度と来ないで」

 言っていること矛盾しまくりだ。それでも、私は匠くんから離れなければいけないの。匠くんの為にも、私の為にも。お願い。届かぬ背中を追うことはやめて、幸せになって。

「ごめん。そんなこと約束出来ない。亜子ちゃんがいないなんて耐えられない」

「___っ。忘れて。何もかも」

「嫌だ。忘れない。亜子ちゃんのお願いでも、聞いてあげられない」

「しつこいのっ」

「うん。わかってる」

「・・・」

「好きだ」

「・・・」

「亜子ちゃんが、好きだ」

「___帰って」

 グラッグラな心がその胸に飛び込みたいと暴れるから、震える手でカーテンを閉めた。涙が溢れて止まらない。匠くんの言葉が嬉しくて、苦しくて。沙也加さんの代わりを追うのはやめて。もう、前に進んで。お願い。


「また、来るよ」
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