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第五章 どうしようもなく、好きな人。

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 匠くんはフロント責任者とカウンターの奥へと入って行ってしまった。流石に部外者の私が行くわけにはいかないとその背中を見送ると、沙也加さんにラウンジへと誘われた。向かいに座る沙也加さんは愛に溢れた視線を赤ちゃんに向けつつ、私を気にかけて話しかけてくれている。

「亜子さんはいつごろから匠くんと?」

「え、と・・・最近なんです」

「そうなんですね。でも匠くんが部屋にいれるくらいだから、亜子さんのこと相当大切にしているのね」

 いいえ、沙也加さん。匠くんにとって、貴女のほうがずっと大切な存在ですよ。もちろん口には出せないけれど。一応、笑い返しておいた。
 匠くんを見れば、沙也加さんに想いを寄せているのは一目瞭然。ということは、兄弟の皆はそのことに気付いているのだろうか。私でもわかるんだから、家族がわからないはずない。それを皆はどんな気持ちで見ていたんだろう。兄の妻を想う弟なんて、報われない。そしてそんな彼を想っている私も、報われない・・・か。

「貴臣さん」

 沙也加さんの嬉しそうな声に視線を上げれば、貴臣さんがこちらに向かって歩いてきていた。ここはランウェイか何かだろうか。歩く姿でさえ格好良い貴臣さんが沙也加さんに向ける瞳には、匠くんを好きな私でも羨ましくなる。

「部屋で待っていろと言っただろう?」

「ええ、ごめんなさい。お部屋は他の方に譲ってしまいました」

「・・・」

 沙也加さんの言葉に貴臣さんは無言で見つめ返してから、静かに「そうか」と言った。

「ここにいる理由はなくなった。行くぞ」

「はい。でも亜子さんが「大丈夫です。私がおります」

「天野さん。わかりました。では、亜子さん。また、お茶しましょうね」

 去って行く後ろ姿は気品が漂っていて、沙也加さんも良家の出身なんだろうと思う。そうでもなければ、こんなバケモノ会社の社長夫人なんて務まらない。それに貴臣さんは沙也加さんに絶対の信用をおいているんだろう。そうでもなければ部屋を譲った理由を聞くはず。なんなんだ。私って、ホント、大谷家とは釣り合わないだめな女。

「沙也加さんは普通の方ですよ」

「えっ?」

 斜め前に立ったままの天野さんがそう言ってにっこりと笑った。

「あのお二方も色んな事がありました。けれど今の姿を見れば、全て無駄ではなかったのだと思います。困難を乗り越えて深まる愛というものですかな。ははは」

「思い出話ですか? 僕も混ぜてください」

 真後ろからの声に振り返れば、匠くんが私を見下ろしていた。普通下からの角度は不細工になるはずなのに、綺麗な匠くんの顔は崩れを知らないらしい。

「貴臣様と沙也加さんは揉めましたなって話ですよ」

「ああ・・・」

 眉を下げて笑った匠くんを見て、天野さんをちょっと嫌いになった。好きな人が他の男とよろしくやりましたって言う話を、知っていたとしても言うべきではないだろう。塩を送る事と同じだ。天野さんは匠くんの気持ちに気付いていない一人・・・ということだろう。

「一冊物語を書けるくらいには揉めましたね」

「匠様は図中に飛び込む馬鹿野郎でしたが、ね」

「あ、酷いなあ。はは」

 二人の会話を聞いて、二人がどれほど身近な人間なのかわかる。ただの執事というか秘書というか、部下ではないんだ。大谷家と密接に過ごしてきた人。そして、きっと匠くんの想いに気付いた上で背中を押している。何も知らないのは私のほう、か。

 今日は匠くんの仕事の顔を見て、改めて好きだと思った。素敵だと。そして沙也加さんという存在の大きさに白旗を上げる。代わりのくせに、足元にも及ばない。それでも、馬鹿野郎だから。

 どうしようもなく匠くんが好きです。

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