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第五章 どうしようもなく、好きな人。
5-6
しおりを挟む匠くんの背中をじっと見つめる。一緒にいないときだっていつでも思い出せるように、髪の一本まで記憶していたくて。
「困ったな。そんなに見つめられると」
キャメル色の革靴を履いた匠くんが、私の視線に気づいて困ったように笑った。今日はモスグリーンのスーツで、厚手のそれは皺ひとつない。なんとセンスがいいんだろう。匠くんは自分に似合うものをわかっていて、何をしていたってスマートで底抜けに格好良い。
「んー・・・、亜子ちゃんは今日予定ある?」
「え? と。ないよ。なあんにも。私、だめだめニートだし」
そう言ってから、未だ寝起きのラフな部屋着の裾を引っ張って見せる。
「そう言われると、僕にも大いに責任があるね。・・・一緒に行こうか?」
「___いいの?」
「いいよ」
結婚してもうすぐひと月が経とうとしていた。飼い主と犬の立場はすっかり逆転していて、私はひたすら匠くんの帰りを待ち焦がれる犬になっている。そんな日々の中で、初めての提案に飛び上がってしまいそうなくらい嬉しかった。匠くんの仕事姿が見られる。そして、何より一緒にいられる・・・。その事実がじんわりと心に沁みて、なんだか目頭が熱くなった。本当、馬鹿みたいに匠くんが好きで、依存している。
「着替えておいで?」
「わ、あっ、と、五分だから。待ってて」
「置いて行かないよ」
くすくすと笑いながら、匠くんは履いていた靴を再び脱いでリビングに向かった。それを確認してから自室に駆け込んでクローゼットを開く。並んだ服たちは匠くんの隣に不釣り合いなものばかりで、その場に立ち尽くす。そうだ、私、枯れてたんだった。ここにはひと月前までの私が詰まっている。
「僕は亜子ちゃんらしくて好きだけど」
後ろから抱き締められて、匠くんが部屋に入ってきていることに気付いた。
「これじゃ、だめ」
「肌を露出しないでいてくれるのは、旦那として嬉しいよ。僕だけが亜子ちゃんの肌を堪能出来るんだから」
「私にそんな価値ないよ」
「___僕の亜子ちゃんを、そんな風に言わないで?」
甘い声には匠くんの優しさが明一杯込められていて、気を使わせてしまっている自分が情けなくて。沙也加さんのことを思い出す。あのときはワンピースにカーディガンを羽織っていた。沙也加さんを真似れば、匠くんの隣にいられるかな。
匠くんの腕が緩まり自由になった身体で、タンスの引き出しを引く。そこにはだいぶ前に買った、友達の結婚式に着て行ったワンピース。ストンと落ちるタイプのこれならば、多少緩んだ体型でもバレないはず。
ボルドーのカーディガンを着れば、即席沙也加さんの出来上がり。化粧ポーチは鞄に押し込んで、リビングで待ってくれていた匠くんに声をかける。
「ごめん、お待たせ。行こう?」
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