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第一章 ハロー、旦那様。

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「僕と結婚していただけませんか?」

 仕事終わりに何時ものコンビニで酎ハイを買って、店を出たところだった。そこまではいつも通りだったはず。

「・・・」

 私の二の腕を掴んだその手からは、薄手のパーカー越しでも彼の熱が伝わってくる。

 その手を指の先からゆっくりとなぞり見上げていくと、上質なジャケットにパリっと綺麗なシャツ。喉仏の色っぽい首筋を辿れば、薔薇のように艶のある綺麗な唇にくりっとした瞳。パーマのかかった柔らかそうな茶髪。「アイドルです」と言われても疑う人はいないであろう彼が、ザ・凡人の私に呆けたことを言っている。

「え・・・と」

「あっと・・・、びっくりさせてごめんなさい。今からお時間ありますか?」

 先程までの真剣な眼差しと打って変わって、あどけなく笑った彼に胸がキュンとなってしまったのはここだけの秘密。自然な動きで腰に回された腕にエスコートされて、乗せられたのは黒光りする高級車の助手席だった。

 正直何がなんだかわからなくて、化粧が落ちかけていることやパーカーにスキニーなんて田舎者まるだしの格好だとか、ホットケーキとパンケーキの違いはなんだっけとかとにかく混乱しまくっていた。

「突然ですみません。僕も驚いているのですが、とにかく・・・もう少し一緒にいてくれませんか?」

 視線は前に向けたまま、そう言った彼が悪い人だとは思えなくて。「はい」と小さく返すと、彼は「ありがとうございます」と丁寧にお礼を返してきた。彼が運転中であればこちらは見放題も同然。その綺麗で可愛らしい横顔をちらちらと横目で盗み見れば、喜びを噛み殺した様に口角を上げられてドキリと胸がなる。彼を嬉しくさせているのは、私デスカ?

 こんなイケメンにこれまでの人生で会ったことはない。テレビの画面越しであればイケメンは溢れているのに、リアルで見たとなれば破壊力抜群だ。冷静になってみれば、車内も微かに良い香りがするし新品のように綺麗。可愛い顔と「僕」呼びが尚更若く感じるけれど、運転しているという事は十八歳以上ではあるということ。
 ___いや、ちょっと待て。未成年はダメなんじゃないか。かっ、仮に十八歳だとしてこんな高級車に乗っているという事は親がお金持ちか、こんな見た目だけど実は二十代の若手実業家だったりするのか。出来れば犯罪にはならない後者を期待したいところ。

 なんて、なに都合のいい事ばかり考えているんだ。こんな人が私に求婚だなんて裏があるに決まっている。というか本人も「驚いている」って言ってたし、もしかしたら後ろ姿を誰かと勘違いして声を掛けてしまったのかもしれない。そうだ、そうだ。二十七歳にもなって携帯ショップの派遣社員をして、帰って寝るだけのゾンビのような私に彼氏を通り越して結婚だなんて、そんなミラクルシンデレラストーリーあるはずない。

「やっぱり、僕も同じ血が・・・」

 ぽそりと呟いた彼の声は上手く聞き取れなかった。ぐるぐると考えていた時の私の顔は、抜け殻みたいだったかもしれない。もう少しだけ、こんな素敵な人と一緒にいられるのなら・・・。ちらりと彼を見ると、シフトレバーを匠にギアチェンジして車は滑らかに走行を続けている。レバーに置かれた手は骨ばって男っぽいものではなく、爪の先まで綺麗でシルバーの腕時計がよく似合っている。

 もう少しだけ一緒に居られるのなら、少しでも可愛く見られたい。束の間の夢の時間を思えば、不謹慎に心が躍る。彼氏も長らくいない枯れた日々に彼から一滴の水を貰えたら、明日からまた頑張れるかもしれない。

 肩より少し下まで伸びた髪の、ゴムで縛った跡を手汗で湿らせながら少しでもマシに整える。このままどこか山の中に捨てられてしまったらとか、不安は全て頭の隅の隅に追いやってしまおう。目の前に垂らされた蜘蛛の糸は細い。途中で切れてしまうのだとしても、私はそれを掴んでみようと思う。
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