1 / 59
第一章 ハロー、旦那様。
1-1
しおりを挟む「僕と結婚していただけませんか?」
仕事終わりに何時ものコンビニで酎ハイを買って、店を出たところだった。そこまではいつも通りだったはず。
「・・・」
私の二の腕を掴んだその手からは、薄手のパーカー越しでも彼の熱が伝わってくる。
その手を指の先からゆっくりとなぞり見上げていくと、上質なジャケットにパリっと綺麗なシャツ。喉仏の色っぽい首筋を辿れば、薔薇のように艶のある綺麗な唇にくりっとした瞳。パーマのかかった柔らかそうな茶髪。「アイドルです」と言われても疑う人はいないであろう彼が、ザ・凡人の私に呆けたことを言っている。
「え・・・と」
「あっと・・・、びっくりさせてごめんなさい。今からお時間ありますか?」
先程までの真剣な眼差しと打って変わって、あどけなく笑った彼に胸がキュンとなってしまったのはここだけの秘密。自然な動きで腰に回された腕にエスコートされて、乗せられたのは黒光りする高級車の助手席だった。
正直何がなんだかわからなくて、化粧が落ちかけていることやパーカーにスキニーなんて田舎者まるだしの格好だとか、ホットケーキとパンケーキの違いはなんだっけとかとにかく混乱しまくっていた。
「突然ですみません。僕も驚いているのですが、とにかく・・・もう少し一緒にいてくれませんか?」
視線は前に向けたまま、そう言った彼が悪い人だとは思えなくて。「はい」と小さく返すと、彼は「ありがとうございます」と丁寧にお礼を返してきた。彼が運転中であればこちらは見放題も同然。その綺麗で可愛らしい横顔をちらちらと横目で盗み見れば、喜びを噛み殺した様に口角を上げられてドキリと胸がなる。彼を嬉しくさせているのは、私デスカ?
こんなイケメンにこれまでの人生で会ったことはない。テレビの画面越しであればイケメンは溢れているのに、リアルで見たとなれば破壊力抜群だ。冷静になってみれば、車内も微かに良い香りがするし新品のように綺麗。可愛い顔と「僕」呼びが尚更若く感じるけれど、運転しているという事は十八歳以上ではあるということ。
___いや、ちょっと待て。未成年はダメなんじゃないか。かっ、仮に十八歳だとしてこんな高級車に乗っているという事は親がお金持ちか、こんな見た目だけど実は二十代の若手実業家だったりするのか。出来れば犯罪にはならない後者を期待したいところ。
なんて、なに都合のいい事ばかり考えているんだ。こんな人が私に求婚だなんて裏があるに決まっている。というか本人も「驚いている」って言ってたし、もしかしたら後ろ姿を誰かと勘違いして声を掛けてしまったのかもしれない。そうだ、そうだ。二十七歳にもなって携帯ショップの派遣社員をして、帰って寝るだけのゾンビのような私に彼氏を通り越して結婚だなんて、そんなミラクルシンデレラストーリーあるはずない。
「やっぱり、僕も同じ血が・・・」
ぽそりと呟いた彼の声は上手く聞き取れなかった。ぐるぐると考えていた時の私の顔は、抜け殻みたいだったかもしれない。もう少しだけ、こんな素敵な人と一緒にいられるのなら・・・。ちらりと彼を見ると、シフトレバーを匠にギアチェンジして車は滑らかに走行を続けている。レバーに置かれた手は骨ばって男っぽいものではなく、爪の先まで綺麗でシルバーの腕時計がよく似合っている。
もう少しだけ一緒に居られるのなら、少しでも可愛く見られたい。束の間の夢の時間を思えば、不謹慎に心が躍る。彼氏も長らくいない枯れた日々に彼から一滴の水を貰えたら、明日からまた頑張れるかもしれない。
肩より少し下まで伸びた髪の、ゴムで縛った跡を手汗で湿らせながら少しでもマシに整える。このままどこか山の中に捨てられてしまったらとか、不安は全て頭の隅の隅に追いやってしまおう。目の前に垂らされた蜘蛛の糸は細い。途中で切れてしまうのだとしても、私はそれを掴んでみようと思う。
0
お気に入りに追加
168
あなたにおすすめの小説
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】婚約者を譲れと言うなら譲ります。私が欲しいのはアナタの婚約者なので。
海野凛久
恋愛
【書籍絶賛発売中】
クラリンス侯爵家の長女・マリーアンネは、幼いころから王太子の婚約者と定められ、育てられてきた。
しかしそんなある日、とあるパーティーで、妹から婚約者の地位を譲るように迫られる。
失意に打ちひしがれるかと思われたマリーアンネだったが――
これは、初恋を実らせようと奮闘する、とある令嬢の物語――。
※第14回恋愛小説大賞で特別賞頂きました!応援くださった皆様、ありがとうございました!
※主人公の名前を『マリ』から『マリーアンネ』へ変更しました。
竜人のつがいへの執着は次元の壁を越える
たま
恋愛
次元を超えつがいに恋焦がれるストーカー竜人リュートさんと、うっかりリュートのいる異世界へ落っこちた女子高生結の絆されストーリー
その後、ふとした喧嘩らか、自分達が壮大な計画の歯車の1つだったことを知る。
そして今、最後の歯車はまずは世界の幸せの為に動く!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる