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最終章 おかえり、シンデレラ。
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しおりを挟む明日になれば今年の最後を飾るイベント尽くしの一か月が始まる。今日は何でもない日の予定だったのに、たくさんの人に背中を押されてここに立っているのだ。渋谷駅前の花壇にはたくさんの人が座っていて、友達数人で喋っている学生や恋人を待つ愛らしい女性の姿も多い。そんな中私は、誰を待つこともなく時計を見つめていた。間もなく十九時を迎える。邪魔にならないように出来るだけ隅に避けて、白い息を吐きながらスクリーンを見上げた。
ポーン。前回と変わらない異質な機械音と、画面には真っ赤な布の隙間から背景の白がチラリと覗いている様子が映し出されている。ゆっくりとカメラが動き出し、立っている男性にピントが合う。グレーの光沢生地のタキシードに身を包んだ五十嵐社長は、鋭い視線をこちらに向けながら口元に人差し指を当てている。まるで見ている全員に「しーっ」と言っているみたい。
五十嵐社長の写真は持っていないから、ずっと記憶の中の彼しか見ていなかった。だからこんな鮮明に映る五十嵐社長に、私の心臓は簡単に鼓動を速めてしまっている。近付いてくるカメラを五十嵐社長の手が動かし、真っ白な床だけが映されて真ん中に文字が浮かぶ。
私には心を捧げた相手がいます
画面がグラつき再び映し出された五十嵐社長の前には、椅子に座って目隠しされたままの私がいた。王子様のように片膝をついた五十嵐社長がカメラに向かって「しっし」と離れるように指示を出せば、滑るように遠のいてから再びピントが合う。五十嵐社長は真剣な表情で私を見つめてから、顎を掴んで見つめ合うように顔を動かした。あそこに映っているのは間違いなく私なのに、第三者として見る私たちの様子は想像していた姿ではないように思えて仕様がない。
五十嵐社長は顔を私に近付け、キスする寸前で苦笑するように口元を歪めて止まった。それはそうだ。キスした覚えはないのだから。五十嵐社長は私の手を持ち上げ、中指の先を噛んで色っぽく手袋を外した。ファンサービスもいいところで、カメラはしっかりとアップでその表情を捉えている。ちらりと見えた赤い舌が控えめに行ってもエロい。全裸でスクランブル交差点を歩くようなものだ。控えて欲しい。
そう思っているうちに指輪をはめられていて、目元の布がはらりと落ちるところだった。やっと私の目元のアップになる。スローモーションかのようにゆっくりと瞬きして、濃密な睫毛が映し出されていてほっとした。五十嵐社長の表情にカメラは向かずに、私の瞳から涙が零れたのを見れば喜びの涙にしか見えない。王子様の仮面を被ったままの五十嵐社長が指輪に口づけをして、私と見つめ合う横顔が徐々に遠くなっていく。そしてピントがボケてCMが終わった。
率直に言ってしまえば、失敗作だ。マスカラベースのCMだとは到底思えない。五十嵐社長というアイドルのCMだと言うなら・・・、それでも失敗作。アイドルはファンたちに夢を見させてあげなければならないのに、こんなプロポーズみたいな映像マイナスでしかない。何の意図があってこんなものを撮ったのだろう。こんなもので喜ぶのは、私しかいないじゃない。
「感想は?」
全然気づかなかった。隣に立つ、見上げる程スタイルの良いイケメンの存在に。
「___失敗作です」
「はっ。辛辣だな」
「正直者なので。こんなのCMとは言えません」
「あぁ。これは売るためのCMじゃないからな」
複雑な心境で顔を合わせることに戸惑いつつ、盗み見るようにチラチラと隣を伺い見る。黒いロングコートを着ているくらいしか分からない。
「じゃあ、何のために?」
「お前がそう受け取ったように、周りも同じように思っただろう」
「抽象的過ぎて分かりません。今くらい、ちゃんと説明してください」
「私が出た理由は話題を集めるため。それは前回で目的を果たしている。今回は諦めろと大々的に示すためだ。私は一般人でアイドルではない」
「それで・・・こんな嘘を」
返事が無くて、確信に迫りすぎたのだと悟る。私の心を蝕む悪い虫が顔を出し、心臓を這いまわるから気持ち悪い。視線を足元に落としたとき、ぐっと腰を掴まれ正面から抱き締められた。頬が五十嵐社長の程よい胸板に当たり、耳をすませば心音まで聞こえてくる。
「知っているか? 今やうちのマスカラベースは二十代までの女性の五人に一人が持っているシェア率を誇る。新CMをここまで先延ばしにした理由は、育毛効果を実感してもらうための最低限の期間を置く必要があったからだ。初めはCMの話題性で買う人がほとんど。しかし効果を実感した今、他の商品に目移りする人間は少ないだろう。つまり俺が広告として前に出る必要がなくなったということだ。皆の謎のイケメンは、誰かのイケメンになって良いということ。分かるか?」
「___分かりません」
「こんなに人が多い中で、お前を容易に見つけられるということ。それは俺の特殊能力か、それとも・・・」
欲しい言葉がお預けされて、思わず顔を上げていた。それは五十嵐社長の思うつぼで、予想通りの行動だったらしい。見下ろしてくる瞳が、満足げに細められているから。
「あれをプロポーズだと思うな」
「え?」
「どれほど俺の時間を奪ったと思う? 俺の学生時代の青い想いを独り占めして知らん顔か? 腐って枯れてしまったと思っていた恋心は、お前に再会してあっという間に息を吹き返した。何年分もの俺の痛みと、重みを全てお前に背負わせてやる。覚悟はいいか?」
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