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最終章 おかえり、シンデレラ。

last-6 五十嵐啓太

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 遡るのは初めて身体を重ねた日。

 大事にしてやれなかった。「好き」と言われて爆発した欲望を前に、「セフレ」だと無慈悲なマテを受け入れるしかなかった。それでも積もり積もった想いが、己の手を制御しきれなくて。疲れて眠る愛しき人を抱えてベッドに寝かせる。綺麗な黒髪を手で梳きながら、二度目の寝顔がこんな状況だとは想像もしなかった。
 短くため息をついてから、リビングへと戻る。乱れた服が散乱していて、自分の理性の利かなさに呆れるしかない。拾い上げた服を畳んで事後のソファに乗せる。見渡した部屋は思っていたより綺麗で、日和の背後にちらつく男の姿を連想してしまった。

 誰が見たって分かる斎藤さんの想い、佐山部長の気持ちに当の本人は気付いていないのだろうか。それともすでに関係が・・・、考えるだけ時間の無駄か。もう子どもじゃない。片道一時間の距離で遠距離恋愛だと嘆いていた学生時代が笑い話になるくらい、俺たちは大人になった。気持ちが無くとも女性を抱けるくらいには濁った大人に。それは日和も同じだろう。俺は取引先の社長で、媚びを売らねばいけない相手だ。そうさせたのは誰でもなく、自分自身だから。

 身なりを整えてから、後ろ髪引かれる思いで部屋を後にした。このままここにいたら、全てが溢れてしまいそうだったから。俺は努力してここまできた。今は練習ではなく本番の舞台に立っている。ここで結果を出せなくてどうするというのだ。
 なあ、あの頃の俺?


***


 まだ肌寒い空の下でブレザーのポケットに手を突っ込んだ。桜が散って踏みしめられた姿は可哀想になるくらいに醜く汚れている。

「啓太! お待たせ」

「___お前手洗ったか?」

「もちろん指先ちょろりんしてきたって」

 後ろから飛びついてきた土屋に嫌な顔をしてみても伝わらないことは分かっている。土屋とは中学校の頃から塾友達という関係だった。それが晴れて今年の春からクラスメイトに昇格した。地元の友達がいない福一工に行っても大丈夫だと思えたのは土屋の存在のお陰だ。もちろん言ってはやらないけれど。

「あ、日和さんだ」

 廊下を歩きながらぽつりと言った土屋の言葉に視線だけを素早く動かす。向かいの校舎の二階廊下を歩いている姿に、ただそれだけに胸が高鳴る。

「そういや、啓太って日和さん知っているんだっけ?」

「___いや」

「そうだよな。お前地元ここじゃないもんな。でも・・・中学の時の文化祭来た事あったよな?」

「あぁ」

「その時に日和さんバンドやっていたけど覚えてない?」

「・・・」

 土屋の問いには答えないでおく。今でも鮮明に覚えている。中学一年のときに見た日和さんの姿に、俺の心は奪われてしまったのだから。


***


 見慣れない体育館の中は暗く、舞台のセンターに立つ司会者たちがバンド紹介をしていた。周りはうるさかったし、舞台のすぐ下まで人だかりがすごくて近付くことさえ出来なかった。知らない人ばかりだったし、体育館の後方で壁に寄りかかって座っていた。

 幕が開いた舞台上にはスポットライトに照らされた四人の女生徒が緊張した面持ちで立っていた。ドラムがリズムを刻み始まる演奏に、決して上手くはないベースやエレキギターの音が乗る。文化祭で発表する程度のものだから、そんなこときっとどうでもいいのだろう。

「日和―っ!」
「シホ!」
「奈々ぁ」
「せんぱーい!」

 舞台下で他の生徒たちが口々に名前を呼んでいる。きっと演奏しているみんなのことだと思う。別に知り合いもいないし、ただぼんやりと眺めていた。歌い始めたのはキーボードの人で、素人目にも上手いのがわかる。周りの生徒たちははやし立てるのを止めて聞き始めていて、体育館がひとつになる感覚がした。サブボーカルとして入ってきたのは舞台右前にいるエレキギターの人で、緊張しているのかハモリとしては声量があり過ぎる。他人の俺からしたらちょっとイタイ感じで、ふっと笑ってしまった。

「日和! 落ち着いて」
「大丈夫だぞ!」

 そこに飛んできたのは嘲笑う声ではなく応援の声で、それを聞いた日和と呼ばれた人はニカっと笑ってピースサインを返した。思春期のムシャクシャする時期の俺には、眩し過ぎる笑顔だった。

「啓太! ここにいたのか」

 隣に座った土屋に視線を移すのさえもったいなくて、俺はただ日和さんを見つめていた。

「おっ、日和さんだ」

「___有名人?」

「うん。人気の先輩」

「ふぅん」

 それから日和さんは緊張を跳ね飛ばし、上手くはなかったけれど楽しそうに歌っていた。それは見ていた生徒たちにも伝染して、皆が笑顔になっていた。それくらい人を惹きつける魅力のある人なのだと、眩しく思ったのを覚えている。

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