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第五章 引き裂くのは運命か、それとも定めか。
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しおりを挟む壁に背中を預けたまま、脚の間に割り込んだ長い脚に助けられてやっと立てている。つま先立ちの足は攣りそうだし、両手は体重を支えるために目の前の男の両二の腕を掴むので精一杯だ。口内に入っていた指は抜かれているが、代わりに唇の形を確かめるように左右に撫で上げてきている。俯くことは許されなくて、添えられた手で上を向かされていた。されるがままな私とは対照的に、見下ろしてくる美形は余裕な笑みを零している。
「ずっと想い続けてきたわけではない。一途に純潔を守ってきたわけでもない。お前を腰砕けにするくらい容易いぞ?」
「___え?」
得意げな顔をしていた五十嵐社長が、私の反応を見て眉を寄せる。それを見上げながら私も眉を寄せた。
まるで昔好きでしたみたいな、初恋の相手でしたみたいな・・・そんな物言いに聞こえる。私も高校生の頃に付き合っていた初体験の相手が、なんだか心に残っている感じがするときがあった。ふとしたときに「あ・・・」って思い出す感じのアレだ。恋人がいれば忘れているのに、ひとりになったとき数年経っていたって色褪せることなく・・・。え? 五十嵐社長は私にそういう感情を抱いているということ? いいや。自分の致した人数は多くはないし覚えている。
高校が同じだったと言っても、一年生と三年生の一年間だけだし記憶にないということは接点もなかったはず。でも土屋くんは・・・アレは珍しいパターンなだけか。多少目立つ先輩だったとは思うけれど、私より美人な子はたくさんいたし。特別綺麗でもスタイルも良くなかったし、生徒会とかでもなかった。彼の気に止まる可能性は低いだろう。というか何勝手に片想いされていたなんてハッピー妄想しているのだ。こんな人が私を好きになるはずないだろう。私じゃない誰か、想う相手がいるのかと考えれば心が沈むが当然のことだ。独身の男性が恋をして悪いはずがない。
「お前が余計なことを言うから」
「え? いや・・・さっきのどういう意味ですか?」
「不潔な行いをしてきたわけではない」
「五十嵐社長クラスなら美女をわんさか抱いてきたでしょう?」
「俺はそんなに安くない」
「___いくらで買えますか?」
冗談で言ったつもりなのに、驚いた視線が降ってくる。弧を描いていた唇が自然と下がり、お互いに真剣な表情で見つめ合う。
これは勘違いなのだろうか。自分に自信があったら「そうかも」なんて思えていたかもしれないけれど、「私なんか」という劣等感がNOと言う。勘違いさせるような表情も反応も、頭の良い五十嵐社長になら簡単だろう。でも勘違いさせる必要がある? もう目標を達成したし、やる気を出させる必要なんてないのに。
「今、何点だ?」
「え?」
「今のお前は何点だ?」
なんだか感じるデジャヴに初めてIGバイオを訪れた日を思い出す。
「今のお前は何点だ?」
「ゼロ・・・てん、デスカ?」
「百点だ。マイナス百点」
「___わかっていますよ。そんなこと、私が一番。だから、私じゃない人にした方がいいと言ったじゃないですか」
「じゃあ、何点取れたら自分に自信が持てる?」
「え? 私が決めてもいいんですか?」
「何を驚いている」
「いや・・・、私に人権など無いのかと思っていたので」
「すべての人間に平等にある。お前はまず、自分に自信を持つことから始める。いいな?」
五十嵐社長が何を考えているのかは分からない。けれどあの時の私よりは自分を好きになれている。
「な、七十点・・・あげても良いですか?」
怒られないかと恐る恐る口にしてみればため息が降ってきて、「やってしまった」と薄目で五十嵐社長を見上げる。呆れたため息ではなかった。右の口角を少しだけ上げて「やれやれ」って感じの表情に見える。
「残りの三十点は?」
「少しは上がっても、百点を取れる日はこないかと」
「どうしてだ?」
「だって百点の女ってパリコレモデルみたいに綺麗で、仕事も出来て頭も良くて英語ペラペラでって絶対無理です。道の真ん中を高いヒールで歩ける自信ないし、こんなだんごっぱなでサングラスが似合うはずもありません。だから、百点は取れないけど・・・鏡は見られるようになったので」
「鏡?」
力の抜けた長い脚が私を持ち上げるのを止めてくれたお陰で、やっと両足で床を踏みしめることが出来るようになった。でもせっかくだから両手はそのまま、五十嵐社長のシャツを握っていようと思う。
「鏡が嫌いでした。醜い自分を映すので。でも最近は自分の贅肉を受け止めて、トレーニングどうしようとかプラスに考えることが出来るようになったんです。五十嵐社長が厳しくしてくださったから、私は変われました。七十点あげたいくらいには努力しているし、褒めてあげたいなって思います」
口にしてみれば心が軽くなっていく気がした。劣等感ばかりだと思っていたけれど、少しは自分のことを好きになれている。俯いてばかりいて、人目を避けていたのに人前で話すことも出来るようになった。何もかも、子を崖から突き落とすライオンのように厳しく導いてくれた五十嵐社長のお陰なのだ。
「そうか」
小さく呟いて笑った五十嵐社長に思わず見とれていた。これまで見た笑顔とは違ったから。意地悪な笑みでも、仮面のように綺麗な笑みでもなく純粋なそれに見えた。深い二重は嬉しそうに歪み、口元は自然な弧を描いている。こんな顔されて胸を高鳴らせない女性はいない。例外なく胸に広がるじわっとした熱さに、この男が好きだと再確認させられたみたいだ。
両手を白いシャツの襟に移して、想いを乗せた口元へと引き寄せた。これで二度目。私から五十嵐社長に口づけをしたのは。
「「・・・」」
目をまん丸にした五十嵐社長をまっすぐに見上げる。今日は逃げも隠れもしない。想いがバレてしまっても構わない。魅力的で素敵で、見た目だけじゃなくて全てが好きだと伝えたくなったから。
「好きです」
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