おかえり、シンデレラ。ー 五十嵐社長は許してくれやしない ー

キミノ

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第五章 引き裂くのは運命か、それとも定めか。

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 目の前には五十嵐社長がいる。ファンデーションなんて必要のない美しい肌、描き加える必要のないくっきりとした目鼻立ち。近付いたってこの男に欠点など見つからない。私がどうしてこんな人と居られるのか、それは幸運だとしか言いようがないから。

 フラッシュが止まることなく私たちに浴びせられている。チカチカと眩しくないのは、私の目には五十嵐社長しか映っていないからだ。


 椅子に座るようにとだけ指示されて座れば、スタッフがドレスの裾を監督の指示通りに広げ整えてくれた。椅子は横向きに置かれていたから、私は必然的にカメラに対して横を向くことになる。それは例の薔薇モチーフのピンで髪を束ねてある方だ。これで私の目元が撮りやすくなったというわけだ。緊張で視線を左右に揺らしていれば、そこに五十嵐社長が来て私の前に王子様のようにひざまずく。

「五十嵐社長」

「不安そうだな」

「当たり前です。私、どうしたらいいですか?」

 二人にだけ聞こえる声量で話すから、自然と距離が近付いていく。

「俺がいる。・・・普通でいい」

 低く落ち着いた声に胸がキュンと鳴った。それは大げさでもなんでもなく。

「それでは始めます!3、2、1」

 スタッフの声の後にフラッシュが光り始めた。CMだと言うから動画かと思っていたらそうではないらしい。だとしたら奇跡の一枚とやらが撮れてくれることを祈るばかりだ。二木専務と監督は小声で何かを話しているし、カメラマンが相槌のように信用ならない感想を投げてくる。

「日和」

 視線を彷徨わせていたら、五十嵐社長に呼ばれて見下ろした。いつもは見上げてばかりなのに、跪いた五十嵐社長の高さは私の目線よりも下だ。私が見下ろすということは、見上げられているということ。綺麗な二重がきりっと私を見上げていて、見慣れない表情に鼓動が早まる。

「俺だけを見ていろ」

 何の殺し文句だと言うのだ。見て居たいけれど、ずっと目が合ったままでは私の心臓が破裂してしまう。小さく下唇を噛んでから、心の中で「私は女優」と何度も唱える。これまでしてきたように”なんでもないです”って顔をしなければいけないのだ。それなのにこの男はカメラに映らないほうの私の右手を、手袋越しにこっそりと握ってくる。五十嵐社長のほうから触れてくるとは思っていなくて、私の脳内会議は大荒れだ。

「セクハラですよ」

 つとめて嫌そうに言ってみても、五十嵐社長はクールに私を見つめる姿勢を崩さない。

「仕事、だからな」

「まだ私がカピバラに見えますか?」

 まっすぐに五十嵐社長を見る。私はまだ女性として見て貰えていないのだろうか。そんな疑問をこっそりと添えてみても伝わるはずがないのに。一瞬眉を寄せた五十嵐社長は「はっ」と短く笑い、また元の表情に戻った。

「そうだな。少しは女らしく俺を誘ってみたらどうだ?」

 真剣な表情の中で、目だけは私を挑発してくる。「出来るのか?」とでも言いたげに。じゃあ、なんであんなキスしたのだとか、勘違いさせるような言動ばかりするのとか文句が浮かんだけれどそれは口にしない。私たちの関係に名前を付けてしまったら、何もかも壊れてしまう気がするから。

 鼻から息を吸い込み、鼻から長く吐き出す。私にだってプライドがある。少しくらい私に主導権を譲ってくれたって罰は当たらないでしょう? 右手は握られたままだから、黒い手袋に覆われた左手を五十嵐社長の頬に添えた。フラッシュがより一層激しく光り、カシャカシャと私たちの姿が何枚にも切り取られていくのが分かる。私の膝が少し震えてしまっていることが気付かれないことを祈りながら、なるべく色っぽく見つめてみても五十嵐社長の表情は崩れない。

「私が貴方だけのものだと勘違いしないでくださいよ」

 五十嵐社長にとって予想外の言葉だったようで、瞳の奥に憤りが垣間見える。私のことで感情を揺らして見えるのは勘違いではないらしい。誘っているのは女としてではない。怒りを誘っているのだ。このお互いに逃げられない状況で、何も教えてはくれないその心を少しでも覗けるのならば。

「私の唇から他人の味はしませんでしたか?」

 皮肉な笑みを浮かべて見せる。少し細めた目で挑発しつつ、首を小さく横に振って「どうですか?」と問いかけるように。私に乱されてしまえ。無くしても構わないはずだったでしょう? いらないと思っていたおもちゃでも、それが他人の元へと行くとなれば嫉妬心が芽生えても可笑しくはない。刻め。その心に。「取られたくない」と言う感情を。

 それでも横に結ばれたままの口は動かない。口喧嘩なら何度もしたのに、肝心なことは何も言ってくれない憎らしい唇。それがずいっと近づいてくるのと同時に、周りから「きゃあっ」という悲鳴のような声がいくつも聞こえる。ピタリと止まったのは十センチの距離。カメラのシャッター音がうるさいほど聞こえた。

「忘れてしまったな。・・・確かめようか?」

 お返しとばかりにニヒルな笑みを浮かべた五十嵐社長の色気に、私の”余裕です”の表情が崩れてしまったのを自覚する。思わず自分の下唇を咥えて唾液を飲み込んでいた。こんな人前で「イエス」なんて言えるはずがないのに、身体がそう答えてしまいそうになっている。五十嵐社長は視線を私の唇に注ぎながら私の左手の影で、皆からは見えていない自分の唇を色っぽく舌なめずりした。そんな顔するから私の子宮が疼いて堪らない。

 私の様子を見て余裕の笑みを浮かべてから、五十嵐社長は立ち上がり改めて私を見下ろした。いつの間にか右手は放されていて、私の左手も行き場を無くして膝の上に着地している。片手をポケットに入れたお決まりのスタイルで偉そうに見下ろしてくる男は、私の顎に指を添えて上を向かせた。無言のまま数秒見つめ合う。

「はい! ありがとうございます! OKです」

 パンと手を叩く大きな音がして、途端にスタッフたちが喋り動き始めた。急に騒がしくなったスタジオで私だけが取り残された気分だ。五十嵐社長は首を一度傾げてから、にやりと笑った。

「残念だったな」

 ご丁寧にとどめの一言まで、五十嵐社長は許してくれやしない。呆気にとられた私を残して監督と二木専務の方へと歩いて行ってしまった。今度こそ本当に私ひとりだけ取り残されてしまった。肩透かしをくらった気分で腹が立ちつつも、やっぱり五十嵐社長に私が勝つことはないのだと再確認させられたのだ。これが惚れた弱みだと言うなら、私が一生白旗を揚げ続けることは確定である。

「伊藤さん! なんですか、あのいやらしい雰囲気は!」

 先ほど仲良くなったメイクさんや他のスタッフたちが「きゃあきゃあ」言いながら私を取り囲んだ。皆まるでアイドルの出待ちのように目を煌めかせている。

「いやらしくないですよ。小声でずっと喧嘩していたんです」

「いやいやいや。どう見たって・・・、ねえ」
「伊藤さんのラブビーム全開でしたよ。まあ、あのイケメンを前にしたら誰だってそうなりますよねぇ」
「もう、私が伊藤さんになりたかった」
「私も、私も! こんな距離であの顔があったら・・・きゃーっ!」

 私を置いてきぼりで盛り上がるスタッフさんたちは乙女だと思う。それを愛想笑いで見つめて居れば、蚊帳の外にいたメイクさんが私の肩を叩いた。

「ラブビーム、私には逆に見えましたけど」

「え?」

 メイクさんの顔を見上げれば、小さくため息をついてからにこりと笑い返される。肩に置かれた手は揉むように動かされ、「頑張れ」と言われているようだった。
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