おかえり、シンデレラ。ー 五十嵐社長は許してくれやしない ー

キミノ

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第四章 結果こそ、自信への最短ルートです。

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 先を歩いていく五十嵐社長に続いてリビングに入った。間接照明だけが点けられた室内は薄暗いけれど、温かなオレンジ色の光と五十嵐社長の香りに心が落ち着く。ソファに座るように顎で指示されたって、もうむかつきはしない。五十嵐社長の凄さを知っているからでもあり、この胸の高まりが理由でもあるのだけれど。ソファに座って真っ黒なテレビ画面を見つめて居たら、漂うコーヒーの香りとコポコポという音がこちらまで届いてきた。

 数分後、足音が近付いてきて私の隣で止まる。右隣を見上げれば間接照明に照らされた横顔は、夕日の写真のように美しくて息が止まってしまうほど。こちらに目もくれずにコーヒーをテーブルに置いた五十嵐社長は、人一人分の間隔を開けてソファに座った。

 無音の室内で自分の心音ばかりがうるさい。五十嵐社長はコーヒーを飲みながら背もたれに背中を預けてバルコニーの方を見ている。私は入れて貰ったコーヒーカップに唇を付けたまま、「どうしよう」とばかり考えて一口も飲めていない。

「試作品の効果が出ていないらしいな」

 やっぱり助け舟を出してくれるのは五十嵐社長で、私はくノ一のようにひらりとその船に乗り込む。

「はい。でも育毛というのは、すぐに結果が出るようなものではないですよね?」

「ああ。研究はほとんどが年単位でするものだ。たった一週間やそこらで結果が出るようなものではない」

「二木専務へのプレゼンには間に合うでしょうか?」

「・・・」

 コーヒーカップをテーブルに置きながら弱音を吐いた私の隣で影が動く。身体ごとこちらを向いた五十嵐社長の表情は陰になってしまっている。それでも薄暗さに慣れた目で見れば、左右対称の顔が余裕な表情をしているのが見える。二木専務へのプレゼンまで二週間を切っているが、五十嵐社長は確信しているのだろう。それは根拠のない自信ではなく、積み上げてきたノウハウのお陰なのだと思う。その表情に私の心にもゆとりが生まれた。さすが、五十嵐社長。

「それよりも、この・・・」

 右の口角を吊り上げながら五十嵐社長が摘まんだのは私の脇腹。最近くびれてきたそこは、五十嵐社長の予想外だったのだろう。少し驚いたように目が開いたのを私は見逃さなかった。

「掴みづらいですか?」

 ふふんと顎を持ち上げて鼻頭をくしゃりと寄せて見せれば、小さく頷きながらさらに口角を上げた五十嵐社長の手が少しだけ下に移動した。

「いっつ・・・たいです」

「腰回りはまだまだだな」

 五十嵐社長のおっしゃる通りに腰回りには、まだまだしっかりと肉が付いているのだ。掴まれれば痛いくらいには。彫刻のような顔が楽しそうに歪むのを見て、好きだと思った。その表情も、悪戯っこのような顔も、頼りになるところも、厳しく見せて全部私のためになっているところも。堪らなく、好きなんだ。

「私は痩せて女優になるんです」

 もちろんそんなつもりはないし、痩せたところで女優になれるほどの美人でもない。でも私は貴方の前でだけは女優になる。大好きで、貴方に触れて欲しくて仕方のない恋心を隠し続けるために。

「はっ。まだ馬鹿げたことを」

「私、中学一年生のときに文化祭で劇をしたんです。一から私が脚本を書いて、私が主役を演じました。一年生が劇をするだけでも珍しかったのに、蓋を開ければ恋愛の劇って言うんだから先輩たちからもとても好評でした」

 得意げに笑って見せれば、五十嵐社長は一瞬視線を揺らしてから呆れたように背もたれにもたれた。

「___劇くらい誰しも経験あるだろう」

「五十嵐社長も経験が?」

「・・・」

 返事がないということは、五十嵐社長は答える気がないのだろう。再びコーヒーカップを持ち上げて一口飲む。適温になったそれは苦く、私の心を落ち着かせていく。

 五十嵐社長を好きだと認めてしまえば、何かのときの対応が出来るというものだ。心に背く行動をとったらいい。こんな枯れた女が五十嵐社長のような男を好きだなんてお笑い種だろう。両想いなんて夢のまた夢で、おとぎ話と同じだ。
 石ころは高嶺の花を見つめて居られるだけでいいのだ。遠く離れた場所の石ころではなく、近くに転がれているだけで幸せだと思うべきで。それも三か月で終わる。残りの二か月が終わったとき、ラヴィソンとIGバイオは通常の会社同士のお付き合いに戻るのだから。それは私と五十嵐社長も同じこと。

「辛気臭い顔だな」

 何もかもお見通しのようで、五十嵐社長は見もせずにそう言った。乾いた唇を噛むように舐めて潤す。

「元々です」

「___元々ではない」

「え?」

 肯定が返ってくると思っていたのに、予想外の答えに顔ごと五十嵐社長を見た。背もたれに肘をついて口元に指を当てた五十嵐社長は、流し目をしてから私をしっかりと見た。

「眩しい太陽のようだった」

「・・・」

 真剣な目に思わず視線を逸らしていた。それは過去の私のことを言っているのだろうか。五十嵐社長にそう思われていた頃があったのだろうか。嬉しく思う気持ちと、また過去の栄光だと思う心が葛藤している。今の私は・・・。

「今日はもう寝ろ」

 そう言って立ち上がった五十嵐社長に、小さく肯定を返してから立ち上がる。


 無言で廊下を進み、ドアの前で立ち止まった五十嵐社長の横を通り過ぎようとした時。腕を引かれて流れるように振り向かされた。まるで社交ダンスだ。驚いた私の顔は、五十嵐社長の左手で両頬をぶにゅりと潰されている。唇がピヨピヨとなったまま見上げれば、長い睫毛がぱたりと揺れた。

「ちゃんと手入れをしてから寝るように」

「ふぁ、い」

「何かあったら、また不法侵入してくればいい」

 そう言って小さく笑った顔は優しい。

「失礼しました」

 解放された顔をドアに向けてドアノブを引いた。掴まれたままの腕が、また私に都合よく勘違いさせてくる。名残惜しそうだなんて、おこがましいだろう。こくりと唾液を飲み込んでから、半ば強引に腕を振り払って自室に戻った。
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