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第四章 結果こそ、自信への最短ルートです。
4-1
しおりを挟む定規を手に唸っているのは斎藤さんである。
「全然だめですか?」
「うぅん・・・」
私の睫毛の長さを測っているのだが、思ったような結果が出ていないらしい。
「もっと根元の皮膚に当たらないとダメなのかな。やっぱり従来のブラシは改良する必要がありますね」
「そうですか。私も意識的に肌に付くようにはしているのですが・・・」
「あ、いけません!」
私の発言を聞いて、驚いた顔をした斎藤さんは右手の平を見せながら眉を寄せた。
「意図的に付けて出た結果は意味がありません。通常通りに使って結果が出なければ」
「なるほど、そうですね。ユーザーが肌に付くように使うかはわからないですもんね。すみません」
「いえ。新しく液剤も改良をしているところです。少し緩くして肌に付きつつ、しっかり睫毛をコーティングして伸ばせるようなものを。新しい形状のブラシも本日届く予定です」
へにゃりと笑った斎藤さんは、今日の結果をパソコンに打ち込み始めた。午前中のジムの後はスッピンで戻るようにと指示され、約一週間が経った。つまりは試作品を使い始めて一週間が過ぎたところだ。卓上鏡を覗き込んで睫毛を見ても、お人形さんのようにくりんとロングな睫毛は見当たらない。
コンコン。会議室のドアを叩き、入ってきたのは倉科さんと五十嵐社長。無意識に髪を整えてしまった右手に気付いて、慌てて膝の上に隠すように戻した。何を色気づいているのだ。別に、なんでもないのだから。私の右隣に座った斎藤さんが「僕は出たほうがいいですか?」と心配そうに呟いたが、倉科さんが「すぐなので」と右手を挙げる。無言の五十嵐社長は私の向かいに座り、その隣には倉科さんが座った。
「現在までの売り上げです」
倉科さんが差し出した紙を受け取り、そこに視線を落とす。
エステティックサロン ココロ 225万円
九州美容クリニック 月々200万円の定期契約
株式会社 二木 未定
ココロは船越社長のサロンで、九州美容クリニックは福岡のあそこだ。毎月の定期契約を取っていたなんて、知らなかった。凄い・・・。前方に座る五十嵐社長を盗み見れば、腕を組んだままこちらを見ていて目が合った。
「これはあくまで請求書に書かれる金額です。人件費や原料費分は抜いていないものなので、純利は半分以下になります」
「ここに二木がどう乗ってくるかはわからないが、目標はそう遠いものではない」
「はい」
なんだか叱られている気分が拭えないのは、五十嵐社長も倉科さんも言葉をオブラートに包むということをしないからかもしれない。まあ、おべんちゃらを並べられるよりはいいか。
「しかし、この売上の全てが伊藤さんの成績・・・とは思えません。意味が分かりますか?」
「えっと・・・」
「これまでの営業全て社長も同行しています。そろそろ独り立ちをしてもらえませんか、ということです」
倉科さんの言葉を聞いて五十嵐社長を見れば、険しい表情で私を見ている。これはIGバイオとしての意見ということだ。五十嵐社長も、そう思っているということ。
「わかりました」
私の頼りない返事に五十嵐社長は無表情のまま立ち上がり、倉科さんと共に会議室を出ようとした。その時勢いよく開いた会議室のドアから有村さんが嬉しそうに顔を出す。
「おっと。五十嵐社長もいらっしゃいましたか」
「えぇ」
「改良版液剤と届いたブラシで伊藤さんに試して貰おうと思いまして」
白衣姿の有村さんが自慢げに手に持った試作品を上に持ち上げた。見た目は変わらないベージュのケースにはロゴなどの印字は何もない。あくまで試作品だということだ。
「「おー」」
有村さんが「あれ?」という顔をしたのを見て、斎藤さんと視線を交わすなり拍手で迎えた。そうなのだ。有村さんはさっきまでの会議室でのやりとりを知らない。改良版試作品が出来たのに、こんな空気だとは思わなかったのだろう。
「い、伊藤さん。さっそく今から使いましょう」
「そうですね」
斎藤さんが気遣っているのを感じながら、努めて明るい声で同調の声を上げる。ちらりと五十嵐社長を見れば、倉科さんに小声で何かを伝えている様子だった。小さく頷いた倉科さんだけが会議室から出ていき、どうしてだか五十嵐社長は踵を返して元の椅子に座りなおした。
「えっと・・・」
「なんだ」
「ここに?」
「俺も液剤の研究に携わっている。見ても構わないだろう?」
「・・・」
そう言われれば断る言葉が浮かばない。ダメな理由は、塗っている時の顔を見られたくない。ただそれだけだから。
有村さんが左隣に座り、改良版試作品を差し出すので少し震えた手で受け取る。目の前には卓上鏡で、その向こうには五十嵐社長が右手で頬杖を付きながらこちらを見ている。有村さんが立ち上がってカメラを構えた。逃げられない空気に、ブラシをスポンと引っ張り出した。鏡を左手で持ち上げて顔に近づけながら、控えめに目を開いてブラシを当てる。
「っつ!?」
とろんとした液体が目に入り、咄嗟に瞼を閉じる。即座に頬に当てられた手が私の顔を右に向かせた。
「そのまま」
呟くような安心感のある声がして、液が入ってしまった右目にティッシュが当てられる。優しい手に左目だけ薄く開ければ、真剣な表情の斎藤さんの顔が至近距離にあって思わず視線を逸らす。私の頬に触れている手も、目元を優しく拭いてくれている手も彼のものだ。
「液剤の中に目に入って悪い成分は入っていないけれど、目に異物が入らないに越したことはないですね。もう少し培養液の比率を減らしましょうか?」
「___えぇ」
冷静な有村さんの言葉に五十嵐社長の声が返事をして、数秒後に五十嵐社長が会議室を出ていく背中が見えた。一度もこちらを見ずに出て行った背中の雰囲気に首を振る。まさか、ね。
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