おかえり、シンデレラ。ー 五十嵐社長は許してくれやしない ー

キミノ

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第三章 掴んだ手を放すことは、許されないでしょう。

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 五十嵐社長とはアレ以来まともな会話をしていない。明日は郊外のエステサロンにプレゼンの日なのに、一緒に行くなんて気まず過ぎる。じゃあ、ひとりで行きますなんて言う勇気なんて持ち合わせていないんだけども。

「伊藤さん。ちょっといいですか?」

 会議室に入ってきたのは白衣姿の有村さんと斎藤さんだった。にこやかに笑っている有村さんの手にはベージュの短い棒が握られている。

「どうしたんですか?」

「試作品が完成したので、伊藤さんに実験体になってもらおうと思いまして」

「ああ、もう。ここのみんなは私のことを何だと思っているんですかね?」

 もちろん嫌味ではなく、仲良くなった二人への冗談である。もちろんそのことを二人も分かっていて、「まあまあ」と言いながら私の両隣の椅子に座った。有村さんの手にあったのはNIKIとIGバイオのコラボ商品であるマスカラベース。斎藤さんの手にはカメラと鏡が握られている。

「今、塗るんですか?」

「今、です。ジム後だし、メイクもしてないですよね?」

「いや、していますよ! ほら」

 笑って言った有村さんに見せつけるように目を瞑って近づき、「ほんまや」と返ってきたのを聞いてから斎藤さんにも見せた。

「本当ですね。でも倉科さんはしっかりメイクされていたので。伊藤さん・・・それ、落としてもらうこと出来ますか?」

 ススキの斎藤さんは話していると癒される。用意周到な二人には私のことなんてお見通しみたいで、さっと化粧落としシートを差し出されれば受け取るしかない。鏡を見ながら二往復すればすっかりスッピンになってしまった。でも、いいのだ。スッピンでも肌に自信のない私ではなくなっているのだから。毎日のゼロワンのお陰でふっくらとした肌に、ファンデーションを塗らなくても明るい肌色。口元の色素沈着も心なしか薄まった気がする。

「伊藤さんは化粧映えする顔ですよね」

 隣で頬杖を付いた有村さんがぽそりと呟いた。

「え? そうですか?」

「はい。日本人の好きなナチュラルメイクよりは、海外の方みたいにしっかりとメイクしたほうがかっこいいと思いますよ」

 そう言った有村さんはスマホをススイと操作して、画面を見せてきた。しっかりとした眉に黒いアイライン、全体に凹凸をしっかりと付けた日本人女性の顔だった。確かに美容専門学校に通っていた頃はいろんなカラーも使っていたし、ちゃんとメイクしていたなと過去を思う。今の私がそんなことしたら、ニューハーフの方と間違われるかもしれない。

「これをどうぞ」

 私の憂いを余所に、有村さんは試作品を差し出す。

「どうも。・・・って、撮るんですか?」

「「もちろん」」

「・・・」

 試作品を手に鏡を覗き込んだ時だった。斎藤さんが真上からの角度でカメラを構えたのだ。

「まず現状の写真が一枚。あとはブラシの改良のためにまつ毛にどのように付くかを動画に収めます」

「えっと・・・マスカラを塗るときの女性の顔がどれだけ酷いか知っていますか?」

 左右にいる二人を交互に見れば有村さんは「あぁ」という反応をして、斎藤さんは「え?」と言っている。

「まあ、僕らの仲じゃないですか」

「そっ、そうです。僕たちしか見ませんから」

「・・・あの、アランと・・・五十嵐社長も見ますか?」

 なるべく普通の顔をして、マスカラベースのブラシをケースから出し入れしながら聞いた。見なくてもわかる。二人が目配せしながら会話していることを。

「ブラシの形状の改良はNIKIの担当です。僕ら二人しか見ません」

 力強く答えたのは有村さんで、隣で小さく頷いているのが斎藤さんだ。嫌がっていたってしょうがない。私は二人を信じて、最高の商品を二木専務にプレゼンしなければいけないのだ。

「ようし、塗りましょう」

 スポンと音を立ててブラシを出し、目を大きく見開いて鏡を見ながらブラシをまつ毛に当てた。すかさず動いたのは有村さんで、斎藤さんの手から奪ったカメラを私の頭上から構えた。呆気に取られていた斎藤さんは、真横から私のあほ面を見ている。

「「「・・・っぶ、ははははは」」」

 三人とも笑いが堪えきれず大きな声を出して笑いだす。私は声にならない面白さにお腹を抱え、有村さんと斎藤さんはそんな私を見てさらに可笑しそうに笑っている。

「あーっははは、ああ、っく・・・こ、こんな顔を撮られる日がくる、んて」
「僕も、っふはは。あああ、可笑しい!」
「伊藤さっん、大丈夫です。かわっ、可愛いです」
「嘘ばっかー!」

 お互いあんまりにも可笑しくて、お互いの爆笑顔を見て指を指し合って笑っていた。


 コンコン。部屋の空気を割るようにドアのノック音が響く。一斉に視線を向ければ、呆れた顔で腕を組んでいる五十嵐社長が立っていた。

「「「失礼しました」」」

 まるで先生に怒られたお調子者三人組のように、声を揃えて頭を下げれば手を挙げて「大丈夫です」と短く許しが出た。それでも去ろうとしない五十嵐社長に、三人でシンと静まり返る。

「日和。明日のプレゼン資料は出来ているか?」

「あ、はい。作成済みです。五十嵐社長のデスクにも置いておきました」

「___分かった」

小さく答えて五十嵐社長は会議室を出て行った。社長室にいた五十嵐社長が、デスクの上にあった資料に気付かなかったとは思えない。たぶん、うるさくて止めに来たのだろう。

「五十嵐社長って、伊藤さんのこと”日和”って呼ぶんですか?」

「え? あ、うぅん。自己紹介のときにアランに名前で呼んでって言ったら、五十嵐社長も勘違いしちゃったみたいで。たまに? ですかね」

「ふぅん。いつもは呼ばないのに、ねぇ」

 いぶかな表情をした有村さんはちらりと斎藤さんを見た。その視線を追えば、俯き加減で目をパチパチさせている斎藤さんがいる。

「さ、また怒られる前に撮りましょうか」
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